第9話 「わたしは大丈夫。」

「私に喰われるだけの小娘が、何か勘違いをしているようだな。身の程をわきまえさせてやろう。」


 蛇神は、相変わらず笑みを浮かべながらそう言うと、手を前にかざし、水の刃をコハクたちに向けて放った。

 モミジは、コハクを庇おうと鉛のように重い体で必死で駆けようとする。しかし、刃は風のような速さでコハクに向かっている。

 間に合わない…そう思って思わず目を閉じようとしたその時、コハクの胸元はキラッと金色に光った。

 その光は、コハクの全身をあっという間に包み込むと、今度は青い細長いまるで蛇のような光がいくつも彼女の体から放たれた。

 それはまるで、金色の光から逃げ出すようにも見えた。

 そんな奇妙な光景は、きっと一秒よりもっと短かったのだろう。その瞬間が、モミジにはまるでそこだけ時がゆっくりと流れているように見えるのだった。

 光が消え、時間が元に戻った気がした。

 そこでモミジが目にしたのは、水の刃を飲み込む土の障壁と、コハクから発せられた突風で体を後退させられた蛇神の姿だった。


「ぐ…何故…今更、土の力が戻った…。」


 コハクは、蛇神の言葉を無視して右手を前にかざす。すると、蛇神の周りの土がまるで槍のように隆起し、蛇神の体の一部を貫く。

 蛇神は痛みに顔を歪めると、手を大きく振りかぶり、水の刃を放つ。しかし、それらは全てコハクが新たに出した土の障壁に吸い込まれていった。


「力を封印すれば、コハクの力を取り込めると思ってたようだけど、残念だねえ…。」


 イチョウは、すべてを知っていたかのような口ぶりでそういうと、蛇神に向かっていく。モミジも慌ててそのあとを追った。

 怪我をしていて、先ほどより動きは鈍いが、コハクの障壁のおかげで水の刃はほとんど二匹には当たらなかった。

 イチョウの爪が蛇神の身を割き、モミジの牙が蛇神の骨を砕く。

 しかし、神と呼ばれるだけあってか、なかなか蛇神の攻撃は衰えることはない。

 モミジとイチョウの猛攻を受けながらも蛇神は、徐々に汗だらけになり、息があがっていくコハクを観察していた。

 いくら天才的な妖術を扱う才能があっても、彼女は人間の少女だった。

 神の無尽蔵ともいえる体力と妖力に持久力で勝てるわけがない。

 徐々に集中力が落ちてきて、判断が遅れはじめる瞬間を蛇神は見逃さなかったのだ。

 モミジに向かった水の刃たちを防ごうと、コハクが土の障壁を出した時だった。その水の刃のほとんどは急に曲がり、障壁に当たることなくコハクへと向かってくる。

 予想外の動きに、心を乱した彼女は咄嗟に土の障壁を出そうとする。しかし、慌てたため自分の足元に小さな隆起が出来ただけだった。彼女はその隆起に勢いよく躓き、倒れる。

 水の刃が、コハクのすぐ近くまで迫ってきたとき、彼女は温かい毛皮に包まれた。そして次の瞬間、右足に鋭い痛みが走る。

 痛みに目を閉じた彼女が、それを開いたときに目撃したのは、血まみれになりながら自分に覆いかぶさるイチョウの姿だった。


「土剋水と言っても所詮操るのは小娘だ。大きな脅威ではない。

 喰ってやろうと思っていたが、封印が解けてしまったのなら仕方ない。」


 コハクは、こちらに向かってくる血まみれの白い狐を見た。

 どうか…逃げて…勝てないから…そう叫ぼうと思ったが声がなかなか出ない。

 蛇神から放たれる水の刃が迫ってくるのがやけにゆっくりに感じて、自分を助けようと必死に駆けてくるモミジの姿と、自分を庇って傷だらけになって目を閉じているイチョウの姿を見ると胸が引き裂かれたように痛くて、コハクは堪えきれずに涙をこぼした。

 コハクの願いも虚しく、モミジは刃に追いつき、自分の前に立ちはだかる。盾になるつもりだろう。

 蛇神はそれすらもわかっていたかのように、薄ら笑いを浮かべている。まとめて処分が出来てちょうどいいくらいにしか思っていないのだなとコハクは感じて悔しく思った。


 モミジの首に水の刃が襲い掛かろうとするその時だった。

 コハクが目にしたのは、傷つき倒れるコハクではなく、口から真っ赤な炎を吐きだし、水の刃を蒸発させているモミジの姿だった。

 モミジは、あらかた水の刃を蒸発させると、さっと後ろに下がり、コハクのすぐ隣に立つ。


「さっき、急に思い出せたんだ、俺。」


「遅すぎるんだよ。まったく世話が焼ける元神様だね。」


 思わずはしゃぎながらコハクに頭を擦り付けるモミジの声を聴いて、イチョウは重たそうに瞼をあげるとゆっくりとモミジの隣に立った。


「なるほど。お前私に喰われた土地神じゃないか。まさか生きていたとは。」


 コハクは、イチョウと蛇神の言葉に目を丸くする。

 まさか、今までずっと一緒にいたモミジがもともとは神様だなんて信じられなかった。

 蛇神は、巻いていた蜷局を緩ませ始めると尻尾の先を揺らしている。いらだっているのか、焦っているのかはコハクにはわからなかった。


「だが、元神といえど今は所詮神格も持たない妖狐。

 炎の力で私を呑むことは出来ん。私を殺しても祟られ狂うしかない哀れな獣だ。

 おとなしく私に喰われてしまえ。」


 蛇神の言葉を聞いて不安そうなコハクを見ると、イチョウは彼女を安心させるようにニヤッと口を持ち上げ笑って見せた。

 コハクは、イチョウの「大丈夫だよ」という声が聞こえたような気がして少しだけ落ち着きを取り戻す。

 さっきから切られた足がずきずきと痛んで集中力が途切れ途切れになっていることを自覚していたコハクは、胸いっぱいに空気を吸って呼吸を整える。


「わたしは、大丈夫。」


 痛みを感じないわけではなかった。でも、不思議な力が胸から湧き出るようにコハクの心には、希望という感情が満ちていた。

 額に脂汗を浮かべながらも、瞳に強い光を取り戻したコハクを、イチョウは愛しそうに見ると、覚悟を決めたように前を向いた。


「さて、やっと駒はそろった。神殺しを始めようか。」

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