第三夕 ブンガク妄語

第三夕 ブンガク妄語


さて、そろそろ書いてみようかな。昨日言った通り、今日も晴れたね。こっちは少し、風が出てきた。空気はまだ暑い。だけど時おり吹いてくる風は、涼しい。僕は暑さと涼しさの混ざり合う、昼でも夜でもないこの時間が好きだ。どっかで風鈴の音がしている。もういよいよ夏だね。


今日は久しぶりにベランダに出てみた。ちょっと前みたいに、立って書いている。あんなに静かだったベランダも、夕暮れにはすこし騒がしいみたいだ。向こうの道路を走る車とか、空から聞こえる飛行機の音。下の路地を行く人の話し声。同じベランダじゃないみたいだよ。


でも、こうしてベランダに立ってみると、やっぱり懐かしさがこみ上げてくる。あれを辞めてまだひと月も経ってないけど、毎晩書いていた日々はなつかしい。こんなの、懐かしいと思っちゃう時点で、僕はあの日々から脱却できてないってことなんだけどね。僕は此処じゃない何処かへ行くために、自分でここに立つことを辞めたのにね。それでも、どうしても懐かしいんだ。


懐かしさ、あるいは郷愁という感情なんてのは、けっきょく何処にも行けないということでしかない。過去に執着するだけの日々は、何も生まないのはわかってるはずなんだ。過去から学ぶことはあっても、過去に執着してはいけない。懐かしさなんていう感情は、ほんとうは真っ先に断ち切らなきゃいけないんだ。それは、きっとそうなんだけどね。


だけどそれを断ち切れないのが、人間のかなしい業ってやつだ。夏の夕暮れなんて時間には、人は誰だってとらわれてしまう。夕暮れは、凡人を詩人にする。夕暮れのたった十五分だけは、人は誰だって詩人になれる。とくに夏の夕暮れはそうだ。センチメンタルになっていけない。


凡人が詩人になってしまうからこそ、文学はそれをぶち壊すものなんだけどね。たくさんの人が頷いちゃうものを、言葉で片っ端から関節を外していく。文学は、そういうことが出来るものなんだ。だから文学なんざやろうと思うなら、万人が頷いているものに対して、常にぶち壊す覚悟でいなきゃならない。夏に対するノスタルジアとか、夕暮れに対するセンチメンタルなんてのは、ぶっ壊さなきゃいけない筆頭なんだけどね。


まあ、考えてもみたらそうだよ。みんな、夏を思い浮かべると、きっと青空の田園を思うんだ。緑の鮮やかに燃える里山と、その中に続く田んぼのあぜ道。その上に、白いワンピースを風になびかせ、一人の少女がこちらに微笑む。背中には入道雲を背負っている。蝉の鳴き声がこだましている。あるいは、暮れてゆく夏のたそがれ。だんだんと暗くなる真っ赤な空に、ひぐらしの声が響いては消えていく。涼しい風は前髪を掻き上げる。水面には一番星が映って揺れている。


そんなの、誰にだって描けるじゃないか。「夏」を想像してくださいといえば、誰だってそのくらいの風景は想像できる。そんなの、文学の仕事じゃないんだ。それをぶっ壊さなきゃならないんだよ。夏なんて本当は暑いだけだし、ワンピースの少女はワキ汗が滲みている。帽子を取れば前髪は汗まみれ、おでこはテカってるし鼻をつく素敵なニオイがする。白なんて着るから紫外線通し放題で、中途半端に日焼けしてるし、田んぼのあぜ道なんざ歩いてるもんだから、腕も足も虫刺されだらけで、これまたキンカンの素敵なニオイ。夕暮れに他人の田んぼになんて立ってたら、田舎の年寄りたちの噂の的。あそこの息子、今日も田中さんの田んぼに立ってたらしいよ。ああ、アレはどっかオカシイんだよ。昼間っからふらふら歩いてんだから。こないだも昼間からセイミヤに居たのよ。なんか猫背だし、気味わりいやね。


そうして正面からぶっ壊してって、破壊した先に新しく宿るものを、探しに行くのが文学のはずなんだ。美しい夕焼けに美しいということは、もはや文学の役割じゃない。だって、誰にだってそのくらい出来るんだ。百万の美しい言葉を紡ぐより、iPhoneのカメラを起動したほうがいい。そのほうが、よっぽど良いものが残せる。だから、そんなのはお呼びじゃないんだ。


だから、だからさ。ほんとはこうしてベランダに立って、夕暮れ眺めて懐かしいなあなんて、まったく笑止千万なんだよ。きっとそろそろ向かいのマンションあたりで、オバサンが気味わるがってこっち睨んでるころだよ。ベランダで煙草を吸っている喫煙者がいます、公共の迷惑になりますから止めてくださいって、標準語の張り紙でも準備してるころだよ。


そうやって関節を外していってさ、ただ「わーきれい」で終わらせなかったその先にはさ、きっとまた新しい何かがありそうでしょ?美しいだけの夕焼けの向こうに、オバサンとのイザコザやらなにやらが始まって、面白いものが生まれそうでしょ?ほんとはね、そういうのがやりたいんだ。そういうのをやらなけりゃならないんだ。


だけどどうして、僕は凡人なんだよ。けっきょくね、沈みゆく夕日にヴィオロンの啜り泣き、その程度の感興に浸っているほうが好きなんだ。夕暮れの文学をやりたいんじゃなくて、夕暮れの時間に、少年に向かってひとり言葉を紡いでいるという、その行為そのものの美しさに浸っていたいだけなんだ。僕はそのことに気づいていながら、どうしてもそこを抜け出すことが出来ないんだ。僕はしょせん、凡人に過ぎないんだ。どうせおんなじ凡人ならば、余計なことなんかに気づかずに、パシャパシャ夕焼け写メってる方が良かった。半端に考えてしまうものだから、何にもならない抒情だけの文章を、こうしてつらつら書いているんだ。こんなの、ほんとに何にもなりゃしないのに。


ねえ、こんな半端な凡人の悩みでも、書いとけばなんかになるのだろうか?まあ、そろそろ今日は日没みたいだし、とりあえず、君には託しておくことにするよ。

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