第30話 想いは燃ゆる。♯4

 自宅から駅へ向かう道中に、気になる喫茶店があった。十八歳の女が一人で入るには勇気のいる店構えだったおかげで、未だに入ることが出来ていない。真奈加となら、とも思うが、そもそも二人で喫茶店に入るような大人カップルではないから、つまりこれが初体験である。


「良い雰囲気のお店ですね」


 実結さんの評価も上々。そう広い店内ではないが、その分隅々まで行き渡った演出が心を落ち着かせてくれる。チェーン店ではなかなか味わえない雰囲気と言えるだろう。


 しかし、ここから繰り広げられる会話は、柔らかなコーヒーの香りに見合った穏やかなものではない。


 目的は、これまでのことを整理して、容疑者を絞り込むことだ。ほろ苦さで言えば、ブラックコーヒーをも凌駕するだろうか。


「まず、犯人ではない、と思われる大部分を、除外していきましょう」


 実結さんは手帳を開いた。スケジュール帳だ。実結さんは記憶力がある為にあまりメモを取らないらしく、年末であるにもかかわらずスケジュール帳は新品同然だった。


「わたしを除く三件の被害者の傾向は、比較的最近の関係性の方ばかりという点から、わたしを古くから知っており、かつ、近況を知らないと思われる方は除外します。すなわち遠縁の親戚や、小中学校のみのお付き合いの方です」


「調べようと思えば、近況だって知ることは出来るのでは」


「だとしたら、もっと深い関係の方を重点的に狙うのではないでしょうか。今回の件を例の封筒が発端であると考えた場合、あの『ゆるさないみていろ』メッセージは周囲の方々を恐怖に陥れることでわたしを苦しめようとしていると捉えることが出来ます。であれば、関係は密であればあるほど意味があると思います」


「た、例えば?」


「先日、鷹箸さんという方とお会いしました。その方は、教師をしていた祖父の教え子さんなのですが、祖父が天国へ旅立ってから、ここ数年、年に数度は必ずお会いしています。色々と助けてくださっている方なのです。しかし」


「その人は被害に遭っていない」


「はい。わたしを古くから知る方は、鷹箸さんのことも存じておられる方が多い。にもかかわらず狙われていないということは、犯人は鷹箸さんのことを知らないと見ていいのではないでしょうか。小中学生時代の友人が被害に遭っているとの情報もありませんし、であれば犯人は、高校時代から現在に至るまでのみを知っていた人物、と考えるべきです」


 実結さんは手帳を開いておきながら、そこに何かを記すことはなかった。そもそもペンを持っていない。一体何のために開いたのだろう。たまにページを繰る音はするが、ほとんど記載されていない手帳には読み返すべきものはなさそうだ。空いた両手が暇なのだろうか。


「となると、ここ数年で知り合った人物が犯人である、と言うことになりますね」


 実結さんは頷く。


「じゃあ、その鷹箸さんという人が犯人である可能性はないんですか」


「おそらくは、ないでしょう」


「なぜ」


「鷹箸さんとお会いしたのは、例の封筒が郵便受けに入れられていたまさにその日です。祖父の家でお会いして、帰宅した時に例の封筒はあったのです。もしも鷹箸さんが犯人だとしたら、わざわざ当日に、封筒に関係した話題を持ち出すことはありません。もしかしたらこの脅迫めいたものは鷹箸さんのものかな、と疑ってしまうことは必定ですから」


「封筒の話題?」


「いえ。その、鷹箸さんとは、別の封筒の件があったので、当時のことを思い出せば、鷹箸さんが犯人である可能性は低いと思いまして」


 ――ああ、私の知らない実結さんだ。そんな言葉が脳裏をよぎる。


 それは、ここ二日で随分と実感していたことだった。知ることの出来ない実結さんがたくさんいる。どんな表情をするのか、どんな声で話すのか、知りたくても、分からない。少し、寂しくなった。


「ですが、鷹箸さんが五件目以降の被害者になることはあり得ます。そうなれば、この考えは一転することになりますから、あくまでも現時点での考察に過ぎません」


 実結さんが注文していたコーヒーが女性店員の手で運ばれてきた。無論、私はコーラだ。そしてこの女性店員もなかなか美人だった。実に不埒、我が心。


「実を言うと、コーヒー得意じゃないんですよ」と実結さんは言う。


「私もです。香りは好きなんですけどね」


「同じくです」目を細めて、実結さんは微笑んだ。


 時折見せる「らしい」笑顔がとてつもなく嬉しい。この数日で強張った心臓が、この瞬間だけはほぐされるような感覚がある。


 実結さんの笑顔は、やっぱり何より美しい。


「では、考察を続けます」


 それでも、今の実結さんの笑顔は、心からのものにはなり得ない。

 角砂糖を二つ入れて銀のスプーンでかき混ぜ、実結さんは小さな口でコーヒーを一口、二口。少し顔をしかめるのは、苦手だからなのだろう。


 カップがソーサーに置かれて、カチャリと音が響くと、実結さんの考察は再開された。


「犯人になり得るのは一体どんな人物でしょうか。まず一つに、わたしのここ数年の人間関係を認知している人物です。程度としては、名前を知っているというだけでも良いでしょう。家を突き止めることくらいならどうとでもなります」


「尾行する、とかですかね。だとしたら、絞り込みは出来ないんじゃ」


「いえ。わたしの周辺を調べて、それでも知ることの出来ないことがあります。それは、過去です」


「過去」


「はい。わたしは高校時代に告白されたことがある、ということを、誰にも話していないのです。わたしの記憶が定かであれば、ですが」


「倉橋くんって子とのことですか」


 実結さんは頷く。


「当時の文芸部員は知っているかもしれませんし、倉橋くんが大勢の方にお話している可能性もありますから、なんとも言えないことは確かなんですが、大学高校、両方の人間関係を知ることの出来る方はそう多くはないと思います」


 それでもまだ多いだろうと私は思う。実結さんの大学には大勢の学生がいる。さらに言えば、学内、とりわけ学食へは部外者でも入ることが出来るのだ。隔絶された世界での話ではなく、オープンな環境がその容疑者の数を膨大にする。


「ですが、そう考えてしまうと埒があきませんから、対象は限定したいのですが」


 酷な話だ。友人の中から、しかも比較的近い人物から、犯人と思しき人物を絞ろうなんて。


 だから、私は口を出す。せめて実結さんが、自らその名前を口にしないように。今日までの実結さんを、思い出しながら。


「過去を知らず、しかし高校時代を知る人物。とりわけ、それらの関係を知る人物。……私の勝手な想像ですが、日比野くん、倉橋くん、麻衣って人。この三人に絞るというのは、どうでしょうか」


 つまり、被害者の三人だった。


 実結さんは、倉橋くんにも麻衣にもアリバイを訊いていた。一切の疑いもないのならそんなことはしない。疑うしかないから糺したのだ。疑っていたのだ。間違いなく。


 実結さんは私の目を見てから、すぐに視線を落とし、そして、コーヒーに映る店内の洒落た照明を見つめるように動かなくなった。それは、私には頷いているように見えた。


 意を決したように、白い手がテーブルの上に置かれた。両の手のひらが、ぎゅっと握られる。


「そう、ですね……例えば、大学で仲良くさせていただいている方は数名いらっしゃいます。しかし、過去、つまり高校の後輩を知っている人物は、おそらく麻衣ちゃんだけです。後輩というのは、日比野くんのことですね。なので、大学内での関係では麻衣ちゃんだけが、可能性を捨てきれない」


 静々と、その柔らかな声は悲しみを零す。


「日比野くんは、倉橋くんがわたしに想いを告げてくれたことを知っている可能性が最も高い。なぜなら、当時の文芸部は日比野くんと倉橋くんを除いて男の子はいませんでした。関係もとても良かった。色恋、というものを同性同士が話題にするのはよくあることでしょう。逆もまた然りで、倉橋くんも日比野くんの想いを知っていたかもしれません」


 ということは、被害者だから疑った、というわけではなく、疑わしき人物を列挙したところそれが全員被害者だった。そういうことなのだろう。そう察した。


「他の文芸部員はどうなんでしょうか」


 私は実結さんの過去に土足で踏み込む。これも役目と、割り切って。


「有り得るでしょう。が、考えにくい、とも思っています。わたしが三年、日比野くんが二年、倉橋くんが一年生ときに同じ文芸部だったのは、三年に一人、二年に三人、一年に一人。同級生だった山下さんは東京の大学に進学していますし、当時二年生だった三人も確か他県の大学に進学しましたし、当時一年生だった鹿島さんは高校に在学中ですが、三市も跨いだ角野原市から電車で通っておられたので、そう何度も遠柿市にはやって来られないでしょう。現場は駅から離れていますし、移動手段が、深夜にはありませんから」


 私は何度も瞬きして、


「脅威の進学率……そ、それは一体どんな高校で?」声を震わせた。


 卒業後は他県に行くのが当たり前のような雰囲気さえあって、その上当時の二年生は皆東京の大学へ進学。しかもわざわざ他の街から電車通学してくる公立校……私が通っていたところではあり得ない。


「一応進学校でしたからね。皆さん高いレベルの大学に行かれるのです。わたしは優秀ではなかったので、地元に残ることを選択しましたが」


 進学校に入学できるだけでも私からすれば雲の上なので、それは謙遜になっていないですよ、実結さん。


「しかしそうなると、文芸部で疑うべきはその二人だけ、ですかね」


「そうなります。なるのですが」


「ですが?」


「その三人は、それぞれに一人、被害者に知らない方がいるのです」


「と、言いますと」


「まず、日比野くんは麻衣ちゃんに会ったことも、話に聞いたこともないでしょう。去年わたしに告白してくださって以降、わたしが日比野くんとお話したのは先程の電話だけですから。

 麻衣ちゃんは、日比野くんのことを名前だけは知っていますが、倉橋くんのことは一切知りません。

 倉橋くんも、麻衣ちゃんのことは知らないと思います。最近でもお話だけなら何度かしましたが、大学内のことを倉橋くんと話した記憶はないので」


「回り回って……とか」


「それを考え始めると、日本中の方が容疑者になってしまいますね」


 今私は貴重なものを見た。実結さんの苦笑いだ。困り果てている。かわいい。


 でも、確かに実結さんの言う通りだ。数人辿るだけで日本中の誰とでも繋がることが出来るとさえ言われている世の中なのだから、おそらく数え切れない。


「でしたら、その三人もなし、ですか」


 この言葉は、実結さんの心を少しでも軽くしようとした、私の勝手な気遣いだった。

 だが、実結さんはかぶりを振る。


「でも、わたしの友人や知人の犯行であることを考えると、その三人まで外せばもはや残る人はいません。それ以上に否定材料が揃っていますので」


「誰が犯人か、ではなく、誰が犯人でないか、を重視すると言うことですか」


「それしか、考えようがないですから」


 となれば、だ。私は、密かに抱き続けた疑問を実結さんに投げかける勇気を振り絞った。


「み、実結さん。あの、自分で言うのも何ですが、わ、私と真奈加は、疑われてない、ですよね? だって、めちゃくちゃ会ってますよ、この半年くらい」


「はい。それがどうかしたのですか」


「真っ先に疑われそうなんですが」


「お二人とも、日比野くんも麻衣ちゃんもご存じなかったでしょう?」


 どうして私を疑わないのか、を訊いた筈が、どうしてあなたたちを疑わなければいけないんだ、というような雰囲気になった。そしてそれは、とても嬉しいことだった。


「最初に申し上げた通り、麗奈さんには始めから封筒について相談させていただきましたし、始めから疑っていなかったといいますか。不審火についても、お二人は同棲しておられますから、どちらかが深夜に家を出ればお気づきになるでしょう。共犯でということを考えなかったかと言われれば、否定しません。ですが、四件目の被害者が日比野くんであったことから、さすがにお二人はあり得ない、という結論に至りました。すみません、一瞬でも疑っていて」


 あ、一瞬は疑っていたんだ、という落胆は在りながらも。理論的にしか否定されなかったことが少しだけ悲しくもあったけれど。


「いえいえ。そんな」と顔の前で手を振りながら、私は私の表情を隠した。


 自分でもさすがにどうかと思うが、実結さんが私のことを考えていてくれただけでも、私がニヤつくのには十分だったのだ。好きな人の心にいられることってこんなにも幸せなんだ。やっぱり、恋なんてそうそうするもんじゃない。人間が人間らしくなりすぎて、もはや人として必要な感情が全て恋に塗り替えられていくような感覚がある。これは少し、怖いことだ。


「ですが、私からすると、お二人が被害に遭っておられないのが少々不気味です」


 私がすっかり浮かれている間にも、実結さんの頭は回る。


「先程麗奈さんが仰られたように、この半年、最も多くプライベートの時間を過ごしたのはお二人です。だとしたら、お二人は真っ先にターゲットになってもおかしくありません。それどころか、そうなってしっくりくる、と言うと変かもしれませんが。そう考えますと、もしくは……」


「それこそ、私たちのことを知らないのでは?」


「いえ。春以降、わたしたちは頻繁に会っていましたから、お二人の存在を知ることはわりに容易く、であれば尾行するなどして、自宅を突き止め放火することは可能ですし、そうするでしょう。あと言いますと、麻衣ちゃんだけは間違いなくお二人を知っています」


「どうしてですか」と訊ねると、実結さんは軽く頭を下げた。


「すみません。お二人に初めてお会いした翌日、学内で麻衣ちゃんとの歓談の話題にお二人のことを出してしまいまして」


 私には、どうしてそんなことで謝られるのかが分からなかった。


「いいんですよ。別に、隠している訳じゃないですし。それこそ、本屋さんの陰でキスとかしちゃってるくらいですし。むしろ、どんどん話してくれたっていいくらいです」


 実結さんの歓談に私の話題が出ることは、私にとって幸福以外の何物でもないのだから。


「歓談を盛り上げられたのなら、それは本望というものですよ」



     ○



 実結さんがコーヒーを飲みきったとき、私の前に置かれたグラスの中には溶けた氷があるのみで、ストローを啜っても、ほんのり甘みのある水が入ってくるだけだった。


 時に、「うーん」と唸りながら考えに耽る実結さんだが、どうにもキレが悪いと思ってしまうのは気のせいなのだろうか。


 いや、気のせいではない。どうにも苦しんでいる。


 友人を、後輩を、疑いたくない人を疑うことに、躊躇いを見せない人はいないだろう。実結さんなら特にだ。考えが鈍るのは当たり前である、と言って然るべきで、いつも通りすかっとやっちゃってください、なんてとてもじゃないが言えなかった。


「コーヒーおかわりいかがですか」と店員が訊ねてきても、実結さんは返事をしなかった。集中力を高めているのは私にも分かるので、私が代わりに「お願いします」と返事をした。


 何分経ったか、二杯目のコーラを飲み干した私は、オレンジジュースを注文した。


 沈黙が続く。店内に他の客はいない。特に音楽もなく、店主が新聞を繰る音と、女性店員が本を繰る紙の音だけが時折聞こえる程度だった。


 不思議と、この沈黙が苦ではない。実結さんを見ているだけでも至福だし、この雰囲気も、香りも、静謐さも、何もかもが素敵だった。これが平穏に彩られた安らぎのひとときであれば、それはどんなに美しい静けさだったのだろうか。


 時計が鐘の音を響かせた。店内の空気を小さく振るわせる。もうこの音を聞くのは何度目か。一時間おきになるものだから、と思いながら時計を見る。気付けば、店内はほんのりオレンジ色だった。夕暮れだ。


「実結さん。四時です。バイト、大丈夫ですか」


 時間を忘れる、というのをここまで見事にしたのは初めてかもしれない。


「あ、そう、でした。すみません。黙ったままで」


「いえ。沈黙を愛してこそです」


「申し訳ありません。考えて、可能性が浮かんで、否定して、それを繰り返していました。なんだか、どの路を歩いても悲しい現実しか想像出来ない今が、とてつもなく心を重たくしているようです。上手く、考えがまとまらないでいます」


「仕方ないですよ。お力になれなくて、私の方こそ申し訳ない」


「そんな。わたし一人では長考の余裕は持てなかったと思いますし、なにより、こんな素敵なお店も知らずにいたでしょうから、麗奈さんと一緒に来られてとても嬉しいですよ」


 私は照れ笑いを隠しきれない。本心を隠すのは苦手なのだ。


「お世辞だとしても嬉しいです。めちゃくちゃ、嬉しいです」


 武廣麗奈という人間がここまで不埒だということは、実結さんにはばれているだろうか。こんなにも簡単に心を躍らせて、ときめきが正直に顔に出てしまう私の本性は、どれくらいばれているのだろう。すっかり冷めてしまった二杯目のコーヒーを、首を傾げながらなんとか飲み干した実結さんを見ながら、私はそう思ってしまう。


「しかしいつの間に二杯目が……不思議です。あと、砂糖を溶かすのに一苦労でしたね」


 ふう、と息を吐く実結さん。


 ああ、この人はどれだけ私をときめかせれば気が済むのでしょうか。



     ○



 実結さんを送り届けて、本日のデートは終わりを告げた。明日は、まだ会えるかどうか分からない。会うということは何かが起こったということだろうから、あまりそれを願うのは好ましくないのだろうが、理由はどうあれ、またあの瞳を見つめられるなら、私はそれでいいのかもしれない。ちょっぴり不謹慎だけれど。


 車の中で携帯が鳴った。真奈加だった。迎えに来いとのことで、私はすぐにコンビニの駐車場を出て、真奈加の職場に向かって車を走らせた。時刻は十九時。さすがに冷える。


 帰宅ラッシュに引っ掛かったのか、国道では車列がスムーズに流れることはなかったが、まさか同じ赤信号を三度も見ることになるとは思わなかった。さすがに苛ついたが、それは私だけの感情ではなかったようだ。


 ふくれっ面の彼女は、会社近くのコンビニの駐車場で私をにらみつけていた。


「な、なに」


「なに、じゃないでしょ。電話したらすぐに迎えに来てって言ったじゃん。三十分も待たせるとかどういう神経してるわけ。冬だよ? 夜だよ? 寒いじゃん」


「渋滞に捕まったんだよ。っていうか、だったら社内で待ってればいいんじゃ」


「そういうことじゃないでしょ。早く会いたいから外で待ってたんじゃん」


「それは嬉しいけどだったら怒らずに笑顔を見せてくれると私はもっと嬉しいなあなんて思うんですが」


「ばか。ばーか」


 我が恋人ながらなんてかわいいんだ。車の陰に隠れて、不埒な私は心をふらふら揺らしながら目の前の彼女を抱きしめる。


「ごめんね」

「ばか」


 真奈加の冷たい頬が、私の頬に触れた。誰かに見られたらどうするんだ、なんて考えは、最近では薄くなってきたように思う。この関係を恥じることはないんだ、と思うようになりつつあるのだ。もちろん、夜でもなきゃこんなこと出来ないんだけど。


「ねえ、麗奈」

「なに」

「寒い」

「ジャンパー着る?」


 私は昼間持て余していたジャンパーとニットを渡す。真奈加は頷いた。

 一度離れて、服一枚分ふっくらした真奈加にまた近づいて、お互い頬と頬をくっつけてから、私たちは車に乗った。自然と運転席に乗る私を見て、真奈加は「変なの」と言った。


「今日も実結ちゃんと会ってたの?」

「うん」別に誤魔化すこともないだろうから、素直に答えた。

「頻繁に会って何してるの」

「お手伝い、かな。実結さんも忙しいらしくて」

「そっか」


 赤信号が目の前にきて、私はブレーキをかけた。軽自動車のバッテリーがゴウンゴウンと唸った。またパンクしないか不安にもなった。


「帰ってきてくれるならいいよ。私は、それで」


 淡々と、感情の機微が言葉の端々に出ないようにしている、そんなやりとりだった。お互いが感情を押し殺すような時間が数秒続いた。


「うん。ありがと。ごめんね」


 この時どうして謝ったのか、自分の言葉ながら、私には分からなかった。

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