第27話 想いは燃ゆる。♯1
広めの店内は、日曜ということもあってか家族連れで賑わっていた。コーヒーの香りが鼻腔を突き抜け、脳を目覚めさせながら同時に安らぎを運んでくる。ここは喫茶チェーンの駅裏店。静かすぎず、賑やかさも程良く、人と会うのには丁度いい雰囲気だった。
テーブルを挟んだ向かいに、実結さんは座っていた。冬の寒さの中を歩いてきたからか、白い肌に、頬はほんのり赤らんで、なんだか幼さがより際立っているような印象を受けた。つまり、とてもかわいい。
「すみません。お呼び立てしたのはわたしなのに、遅れてしまって」
「いえいえ。今私、結構暇なので」
「そういえば、麗奈さん、アルバイトをお辞めになったそうで」
「ええ、まあ。バイト転々としちゃうんです私。今は次の職場を探し中、って所ですかね」
「書店なんてどうですか? 楽しいですよ」
「真奈加から聞きましたよ。重労働だって」
「ふふ。でも、やりがいはものすごくありますよ。ご一緒にどうですか」
実結さんと同じ職場だなんて想像するだけでニヤついてしまうが、ニヤつきすぎて仕事にならないだろうと私は思うわけで。
私は運ばれてきたコーラを啜った。喫茶店だが、私はコーヒーが苦手だった。
「ところで、相談があるってことでしたけど、もしかして、また何かありましたか」
そう訊ねると、実結さんの目に動揺が映ったのを、私は見逃さなかった。
――もう十日以上前だろうか。実結さんから私にとある相談があった。
実結さん宅の郵便受けに入れられた封筒に、日常が乱されている、とのことだった。おそらく、今日この時間に実結さんの口から語られるものも、それに関連しているのだろう。
実結さんは少し俯いて話し始めた。
「麗奈さんは、最近この町を騒がしている、とある事件をご存知でしょうか」
「事件?」首を傾げた。封筒どうこうという予想が早々に外れたからだ。
「ご存知ないのも無理はありません。テレビでは報道されていませんし、地方紙もあまり大々的には報じていませんから。事件というのは、インターネットニュース曰く三件連続とされている、不審火のことです」
「不審火? ……ああ、そういえば、真奈加がそんなことを話していたような。あ、すみません。その不審火がどうかしたんですか?」
「どうかした、というか、わたし自身が深く考え過ぎだと言われればそうなのですが、わたしはこの不審火の発端は、あの郵便受けに入っていた例の封筒なのではないかと、疑っているのです」
封筒。外れたと思ったそれは、すぐさま想像通りのルートに乗った。
「そのことについて麗奈さんにご相談したのは、封筒が入っていた日から四日ほど経った頃でしたね。事件は、その翌朝に起こったのです。いえ、正確には未明、深夜になるのでしょうか。発覚したのが翌朝でした。自宅近くの公園のゴミ捨て場に、何者かの手で火がつけられたのです」
私は大きめの声で「ほんとですか」と驚愕した。周囲の客から白い目が向けられたが、酷く小心者の私は気にしないよう努めた。
「報道によれば、これが一件目です。そして二件目と報じられている被害は、高校時代に文芸部で後輩だった子の自宅で起きたようなのです。敷地内に止めていたご両親の車が被害に遭われ、事件直後に書店を訪ねてこられて、大変恐ろしかったと」
「随分と身近なところで」
「ええ。しかし、それで済めばまだ良かったのかもしれません」
実結さんの心の揺れが伝わってくる。声と表情に、どこか鬼気迫るものを感じた。
「三件目は、またゴミ捨て場でした」
まさか、とは思ったが。
「もしかして、またご友人が」
実結さんは重く頷いた。
「友人の住むアパートの住人専用のものだったようですから、おそらくは」
いつの間にか、私の両腕に鳥肌が立っていた。長袖だから目視出来ないけれど、相当な物だったと思う。
そんな偶然があるものか。話を聞く限りでは、まるで実結さんと、実結さんの周囲の人間を狙ったみたいじゃないか。実結さんはそう考えたんだろう。私もそう受け取った。
そして、はっとした。
「そうか。だから、あの封筒を入れた人物……それが犯人ではないか、と考えている、と」
その小さな顔は、沈むように、こくんと頷いた。
実結さんの表情が、目の前の紅茶の湯気に隠れる。甘い香りが漂っていた。コーヒーとは違う。甘いけれど、少しだけつんとくる。
私はコーラを一口。残りも少なくなっていたからか、氷が溶けて味が薄くなっていた。
「まさかとは思いますが、実結さんは、もう犯人が誰か、分かっているんですか?」
駆け引きが出来ない私は単刀直入に訊ねる。もしか実結さんなら、と思ったのだ。
実結さんは紅茶をすすって、ゆっくりとかぶりを振った。
「いいえ」重たい声だった。「しかし、わたしの交友関係に明るい人物でなければ、ピンポイントで事件を起こすことは出来ないでしょうから、つまりはわたしの交友関係の中の誰かということになってしまいます。とても、残念なことではあるのですが」
「友人の犯行かもしれない」
私がそれを口にした瞬間、実結さんは唇をきゅっと締め、瞳を潤ませながら頷いた。
「この事件、ここで終わりになることはないのではないかとわたしは考えています。犯人の目的は分かりません。分からない以上、これで済むと考えるのは早計です。そして、これ以上誰かに被害が及んで、誰かを傷つけてしまうならば、それはとても悲しいことです。であれば、わたしが今回のことを無視する訳にはいかないのです」
わたしはぞっとした。嫌な予感だ。
「それって……、どういうことですか」
「犯人を見つけたいと思っています」
息を呑んだ。それが肺に入っていく感覚に気付いたとき、私はまた鳥肌を立てた。
危険です。やめてください。と私が口にしようとすると、
「分かっています。とても危険なこと」
失念していた。実結さんは私よりも賢い人だった。
「それでも、です。警察にお任せして一週間で解決したとしましょう。でも、その一週間で何人の方が被害に遭われるでしょうか。黙って見過ごすなんて出来ないんです。もしも狙いがわたしの周囲の方で、犯人もそうであったとしたなら、警察よりも早く解決出来る可能性も少なからずあると思います。だとしたら、わたしは動くべきです。皆さんの毎日を、守ることが出来るのなら」
実結さんは、珍しく強い口調だった。言葉遣いはいつもと変わらなくても、あの優しげな柔らかさが、今の声音にはなかった。強さには、悲しさが滲んでいた。
実結さんとその周囲を襲った不審火という名の魔の手が、実結さんの周囲にいる人物の犯行であった場合、実結さんがそのことに悲しみ、そして無用な責任までも背負うのは目に見えている。そういう人だ。実結さんは。
けれど、その後に続いた実結さんの言葉は、予想外と言っていいだろう。
「無茶だということは承知の上です。だからこそ、今回、麗奈さんに来ていただいたのです。わたしは一人では何もできません。麗奈さん。事件解決のために、お力を貸していただけないでしょうか」
「お、お力? 私の、ですか」
「お願い、出来ませんか」
実結さんにお願いされたとあっては、断る私ではない。やぶさかではない、と言うよりは、手放しで快く引き受けて実結さんに好かれたいとまで思うほどだ。
けれど、そんなことを実結さんが言うとは思わなかった。一人で、背負ってしまうのではと思ったからだ。
「一応、実結さんがどこまで足を踏み入れようとしているか、訊いても良いですか」
「犯人を突き止めて、今回の事件を起こした理由までを知ることです」
「どうしてそこまで」
「わたしに原因があると、そう考えたからです」
「原因ですか」
「郵便受けに入れられていた、『ゆるさないみていろ』の文字から推測出来ることは、わたしへの怒りと、これから起こる事件から目を離すな、と忠告しているということです。つまりこれは、わたしのせいで危険に晒された方がいる、ということ。それならば、わたしにはそれを解決する義務があります。その原因と、向き合うことで。ですが、わたしは無力ですから、麗奈さんのお力を貸していただきたいのです。無理を承知の上ではあるのですが」
実結さんは首を振った。
「いいえ。それだけではありません。今回の事件は、認めたくはありませんが、疑わなければならない方が大勢いらっしゃいます。犯人ではないと論理的に断言するのは現時点では難しいからです。そうなりますと、今この時に協力をお願いできるのは……」
私は自分を指さした。
「私、ということですか?」
首肯する実結さん。
「この事件は、他の方に相談できるようなことではありません。しかし麗奈さんには、例の封筒の件で相談させていただきました。つまり唯一、麗奈さんとは、この事件にかかわる不安を共有させていただいたのです。となると」
「私しか、いない、と」
「はい……すみません。わたし一人で抱えなければならないのに。わがままで」
一人で。その言葉に、私は気付かされた。先程から見せる実結さんの悲哀のようなもの。その理由の最たるものが、ようやく見えた気がした。
実結さんは今、周囲を守るため、その周囲を疑わなければならない状況にある。友人や、それ以上の関係を持つ人や、それ未満の人まで、例外なく。
つまり、きっと、私や真奈加までも。
実結さんは、天使のようなかわいらしさと優しさを持ち合わせ、それ故に彼女の周囲にはきっと素敵な人が集まっているに違いない。だが、その中の誰かが犯人である目算が高い。そんなの悲しいに決まっている。苦しいに決まっている。
他人の幸せまでも願う実結さんが、そこまで追い詰められて、その中で唯一頼れるかもしれないと思った人間が私しかいないと思ってくれたのなら、仮に消去法であっても私を選んでくれたとするのなら、一体どこに、迷うことがあるというのか。
「分かりました。協力します。できる限り全力で。……全力で」
「ほんとですか?」
「はい。実結さんのためなら、たとえ火の中水の中です」
恋愛は惚れた方が負けだと聞いたことがある。
私は、その不埒な本性のままに実結さんを好きになって、そして、好きな人のためなら、何だって出来てしまう。見方によっては大敗だ。
グラスの中で溶けた氷が、パキッと小さな高音を響かせた。汗をかいたグラスから滴り落ちて机の上に溜まる水は、私の肘をわずかに濡らす。
私はグラスを手にした。手が水滴で濡れた。ストローをすすると、コーラは薄まっていて、水の味しかしなかった。けれど、それでいいと思った。コーラの炭酸が消えても、もう水の味しかしなくても、そのグラスを手にした私は、それさえも愛する覚悟だった。
好きになったら、どこまでもそうなのだ。どこまでいっても、ついていくのだ。
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