第17話 揺られて快速、さらば鈍行。♯4

 日曜日のデパートを甘く見ては行けなかった。もちろん、駅の混みようも想定以上だ。


 ケーキのショーケース一つ覗きこむにも容易でなく、多くの奥様方の圧力に立ち向かうことでしか、ケーキもバウムクーヘンもお惣菜も視界には収められなかった。


 それは戦いのようで、デパ地下が戦場であることを知った私たちは、上階のファッションに目を輝かせることで欲を満たした。もちろん、普段使いの物とは桁が一つ違う高級品を軽々しく買えるわけもなく、ウインドショッピングに終始したのは仕方のないことだった。


 食事をして、喫茶店で他愛ない話で盛り上がって、夕暮れを待たずに電車を待つ私たち。


 さすがは体力仕事の書店員だけあって、元気な笑顔に陰り一つない実結みゆいちゃん。私はと言うとすっかり疲れてしまい、立ち仕事とは無縁な自分の体力低下を嘆くばかりだ。


 ホームではあちこちの路線のアナウンスが混じる。耳に入って来る音の大きさで、私たちが利用する二番線のアナウンスかどうかを判断していた。


『間もなく二番線に、普通列車、○○行きが、到着します。黄色い線までお下がりください。この列車は六両編成です』


 このホームへのアナウンスだ。私は、妙に引っ掛かった。


『この列車は、各駅に停車します。○○まで、この列車が先に参ります』


 普通列車。つまり鈍行。


 各駅停車は時間のロスがとても多い。だから、四分遅れの快速列車に、この鈍行は追い抜かれてしまう。○○まで先に行くというのは、そこで、後発車両に追い抜かれますよということになる。


 先に出発した筈なのに、一足飛びの車両には敵わない。


 立ち止まれば立ち止まる程に近付く背後の車両に、鈍行は焦りもせず、ただ過ぎ去る快速車両の姿を見るのだ。


 目の前に各駅停車の車両が止まった。この列車は地元までは行かない為、私たちは次まで待つ。


 始発駅では何十分も差があったのに、次の快速列車はあと四分でこの駅に到着する。次の駅では二分の差になり、その次にはもう抜かれている。


 悲しきかな鈍行列車。私を重ねて、少し哀れむ。


 普通列車の発車から間もなくやって来た快速の車両に、私たちは乗った。


 躰が揺れる。左右にぐわんぐわん。


 レールを滑る電車の音。がたんごとん。


 気付かない内に、この電車は、普通列車を追い越していた。


 さらば鈍行。


 そう告げる暇もなく、快速列車はスピードに乗って前へと進む。


 がたんごとん。がたんごとん。


 座席に座って、窓際、私は景色に目を向ける。どこに焦点を当てるでもなく、ただ外を見ていた。


 窓に映った私の顔は、どうにも物憂げで、私らしくない。


 グラウンドで白球を追いかける野球少年たち。乗馬クラブ。交差点。踏切。民家。田んぼ。車。駅。


 流れていくどれもを追い越して、速さを緩めない列車。


 私は鈍行。


 快速には、敵わない。



   ○



 あっという間の四十分。二人旅もここまで。


「では、武廣たけひろさんによろしくお伝え下さい」


「うん。ちなみに武廣も、麗奈れいなちゃんとか呼ばれると、喜ぶと思うよ。私が外でそう呼ぶと、恥ずかしいって言って嫌がるけど。実結ちゃんなら、ね」


 そんなことを言いながら、お別れにお互い手を振って、年頃の女の子らしい時間の過ごし方に少しだけ酔った私は、駐車場の車に乗った。


 まだ麗奈はアルバイト中だろうか。携帯を開くと、麗奈からのメールがあった。


『うらやましいなぁ~。でも、楽しかったみたいでなにより!』


 モンブランとショートケーキとバウムクーヘンの入った箱を手にして、私と実結ちゃんとでピースサインをした写真への返信だった。


 あの子の、麗奈の心は見えない。本当が見えない。察しはついても、視覚で捉えられないものは分からない。


『次はお休みの日合わせてよね! ちなみに、バツとしてチョコレートケーキはありません!』と送った。甘いチョコレートケーキは、麗奈の大好物なのだ。


 実結ちゃんは、快速列車のように、私を置いて先へ行く。麗奈の心という名の終着駅に、彼女は私よりも、もっともっと早く辿りついてしまうだろう。


 本当は、武廣麗奈の心は、私という名の鈍行列車と共にあるのだと、信じていたい。


 私が止まる駅という駅に、彼女の心があると信じていたい。


 武廣麗奈は女の子に恋をする。


 女である私は、彼女からの告白で交際を始めた。


 きっと、誰もが私のこの状況を、相手からの恋心に妥協したと思うだろう。


 でも、そうじゃない。


 麗奈に好きだと言われる、そのずっとずっと前から、私は、武廣麗奈のことが好きだったのだ。


 女の子を好きになるとか、そんなこと、それまで一度だってなかったのに、私は、彼女に心の底から恋をしていた。


 だから、他の誰かに目移りする彼女の心がどんなに不埒でも、私は彼女の隣から離れられない。離れたくない。


 好き過ぎて、好き過ぎて、好き過ぎてどうにもならないのは、私だ。


 どんなに歩みが遅くても、一々止まってしまう各駅停車でも、彼女の心の奥の奥、本当が覗き見られるその場所まで、私は辿り着いて見せる。


 さらば鈍行。


 そう言われたとしても。


 私はこのレールから、逸れるつもりはない。

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