第12話 アイスと謎はとけていく。♯3

 アイスはカップにしておくべきだった。後悔しても遅い。緩い冷房に溶けていくアイスが、コーンを伝って机の上にぽたぽたと落ちていく。思い出す度に口へ運ぶけれど、間に合わない。



麻衣まいちゃんが彼氏さんを疑ったきっかけは、先月、七月二十九日の待ち合わせに二時間も遅れたことでした。それだけでなく、彼氏さんは本来はお休みではない筈の金曜日を、わざわざ有給休暇を用いてまで休んでいます。理由を訊いても、軽くあしらわれてしまいました。


 さらに、彼氏さんは今月の二十九日、つまり今日も、本来の休日ではないのにお休みにしていて、麻衣ちゃんがデートに誘ったにもかかわらず夕方からのデートを希望した。そして、現状、一時間以上の遅刻。そうですね」


「そう……だね」


 きっかけ、と言われれば、その通りだった。


「そして六月、五月、四月、三月と、メールを溯ると、毎月二十九日には、普段とは違う彼氏さんの行動が見えて来た。そこから類推すると、まるでどなたかの予定に合わせて行動しているかのような、そのような印象になります」


 ワタシはそれを、『浮気相手に合わせているのだ』と考えて、彼を疑った。


 実結みゆいはそれを、最後まで否定する。


「ですが先程も言ったように、もしもその『どなたか』が浮気相手であったとしたなら、これ程分かり易いものはありません。麻衣ちゃんにバレてもいいと思っているのならば別かもしれませんが、もしそれだけの関係であるならば、二十九日だけの逢瀬で終わるとも思えません」


「だったら、どうして」


「離婚歴です」


 思わぬ言葉が飛び出した。


「り、離婚、歴?」


「はい。それが全ての答えに結び付くと、わたしは推測します」


 実結は、肩掛けバッグから手帳を取り出した。開いてワタシに見せる。それは、スケジュール帳だった。


「わたしが気になったのは、彼氏さんは毎月二十九日を特別なものと考えているかもしれないのに、どうして麻衣ちゃんと彼氏さんの会う時間はバラバラなのだろう、という点です」


「意味が分からないんだけど」


 手をアイスが伝う。冷たい。けれど、それどころではない。


「いいですか」実結がカレンダーの今日をシャープペンシルで差す。


 ワタシが覗きこむと、向かいに座る実結は、逆さのカレンダーに器用に文字を書いていく。


「彼氏さんは麻衣ちゃんと会う時間に関して、今日は『夕方なら良い』とのことでした。確か、先月も今日のような時間とのことでしたね」


「うん」


 八月の所には『夕方』。七月にも同じように書いた。


「六月。この日は水曜日なので本来通りお休みで麻衣ちゃんはデートに誘いますが、『疲れているから午前中だけ』と言われ、そこに不満を覚えた麻衣ちゃんはデートをしません。しかし夕方に麻衣ちゃんが家を訪ねると、彼氏さんは不在でした」


 六月二十九日には『午前』と書かれた。


 どうやら、ワタシと会った時間、もしくは会うことが出来たであろう時間を書きこんでいるらしい。


「五月もそうです。麻衣ちゃんが家を訪ねようとした際、『夜遅くならばいい』と彼氏さんは言っています。

 四月はお二人で会っていないようですが、ほとんどが彼氏さんから送られているおやすみメールがこの日は麻衣ちゃんから出され、とうとう返信がない。これは、夜に何かがあった、という想像が出来るでしょう」



 両ページの二十九日のスペースには『日中、恐らく仕事』と書き、『夜は?』と補足がついた。


「しかし三月になると、今度はお昼の間に連絡がついていないのです。彼氏さんから返信があったのは夕方。その時間にならないと、返信できる状態にはならなかった、とも考えられますので」


 そう言いながら、実結は三月二十九日に『夕方』と書いた。


 ここまでの話とカレンダーの文字を見ても、ワタシには皆目見当がつかない。疑問符だけが脳内を漂う。


「これを見ると、彼氏さんが『誰に予定を合わせたのか』が自ずと見えてきます」


 まるでここに答えの全てが詰まっていると言いたげだ。いや、直球でそう言っているのか。


「考え方はこうです。麻衣ちゃんに会うことが出来た時間というのは、彼氏さんが『どなたか』に会うことが出来なかった時間であり、すなわち、その時間は『どなたか』にとってどうしても外せない予定があった、と。そしてその予定は、三月、七月、八月についてはさほど考える必要がなく、彼氏さんは日中であっても『どなたか』に会いに行くことが出来た」


 実結の言葉がワタシの思考の先をいく。追いつけない。なんとか脳内をイジメながら、言葉を噛み砕いていく。


「どうしてその三つは、考えなくてもいいの?」


「ポイントは、その、三、七、八月の二十九日というのは、全て平日であるというところにあります」


「平日……そういえばそうだね」


 あっ、と、ふと思い出して、ワタシは溶けていくアイスを慌てて口にする。気付いた時には、実結の前のカップは空になっていた。あれだけ話していたのに、いつ食べる余裕があったのか。


「世の中には、決められた期間、土日だけがお休みで、三月、七月、八月はその限りではない、と断言出来る人達がいます」


 会社員、は、休日勤務もあるだろう。断言出来る業種というと、公務員だろうか。


 でもそれだと、三、七、八を例外とすることが出来ない。


「四月、五月、は祝日と日曜なので、ホテルで勤務なさっている彼氏さんがお休みを取れないですし、六月に関しては『どなたか』はほぼ確実に休みではありません。

 ですが、その『どなたか』は、平日祝日関係なく、夕方になら予定が空くんです。ですから彼氏さんは、四月は勤務後の夜に会い、五月もそうしています。六月は正規のお休みである筈なのに夕方から出掛けていますので、同様と言っていいでしょう」


「ごめん実結、分からない。結局何、浮気はしているってこと?」


「いいえ。答えは、こうです」


 実結は三月のページに新たに三文字が記される。


『春休み』――と。

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