第3話 幸福は、いつでも誰かの隣にて。♯3

「結局ですね、わたしはこの方が犯人ではないことはハッキリと分かっているので、事実確認さえ行えば、意外と答えは早く見つけられると思うのです。決め打ち、とも言えるかもしれませんが」


 実結さんは小さな部屋の中で目を閉じながらそう言った。


「まず一つ。わたしは、幸せを見ることが好きです。人間観察とも言い換えられますが、人となりを見たいのではなく、幸せを、一歩引いた所から見るのが好きなんです。つまり言いますと、わたしはこの書店に訪れるお客様の中でも、とりわけ、恋人……カップルですね。そういった方ほど、よーく見ているんです」


「何が言いたいんや」警備員が茶々を入れる。


「では、武廣たけひろさん」

「は、はい!?」驚いた。声が裏返った。急に、私の名前を呼ばれたからだ。「どうして……名前……」

「ごめんなさい。ずっと見ていたので」


 なるほどそういうことかと納得した。これは、随分聞き耳も立てられていたのかもしれない。


「まず、武廣さんが犯人ではない、という点から述べさせてもらいます。あえてお尋ねしますが、武廣さんは、今日、こちらにはお一人でいらっしゃったんですか?」


 何を訊かれるかと思ったけれど、私は堂々と答えることが出来る問いに、迷いなく胸を張って答えた。


「いいえ……二人で来ました」


 これに関しては、警備員も、店員の本田も何も突っ込めないだろう。この人たちが声を掛けてきた時、私の隣にはもう一人いたのだ。会話もしていた。多分、それなりに、楽しげだったと思う。


 無理矢理一人だけで小さな部屋に押し込められてしまったけれど、今でも店内では、連れが心配そうに私を待っているに違いない。


「ですよね。わたし、お二人が入店された時、とても楽しそうにお話されていたのを覚えています。バスの料金が少し高かったとか、駅から直結しているショッピングモールがあるなんて凄いね、や、可愛らしい制服の高校生が、みたいなお話だったかと思います。ごめんなさい。あまりにも幸せそうだったので、聞き耳を立ててしまいました」


 実結さんは頭を下げた。


「いえいえ、こちらこそ退屈なお話でお耳を汚してしまい申し訳ない」

「大変優しげな、と言いますか、幸せそうだったので、つい。……それに、ですね。その。えっと、漫画コーナーに、入られましたよね?」

「ええ、むしろそこに直行したくらいで」

「わたし、実は、追いかけるように、近くの棚に行っておりまして」

「……え」つい、そんな声を漏らしてしまった。


 まずい。非常にまずい。


 ということは、だ。どうしたって見られたくないあの瞬間ももしや――。


 実結さんは頬を赤らめた。もじもじしている。女の子らしさでいっぱいの仕草に見惚れてしまいそうになるけれど、この仕草を見るに、実結さんは、絶対にあの瞬間を見ている。


「あの、その、い、言い辛いのですが、この現状をなんとかする為にあえてこの場で言わせていただきますと、」


 え、言っちゃうの? と止める隙は、どうやら与えてもらえないようで。


「そこで、武廣さんは、その、彼女さんと、キス、してらっしゃいましたよね?」

「き、キス!?」突然の大声を上げたのは女性店員の本田だ。「あらまあ」とかいう反応は全力で止めて頂きたい。


 私は真っ赤な顔を隠そうにも隠せず、俯くばかりだった。


「あ、ごめんなさい。あの方は彼女さん、ですよね」

「ええ。まあ。あの子は彼女ですけど……」

「ですよね!」と無垢に実結さんは笑う。


 まさか見られていたとは……彼女が持っていたバッグで一応は隠していたつもりなのだが、そもそも二人の顔が近付いてそれを鞄で隠していたら、その向こう側を想像することは容易いだろう。隠すくらいならそもそもするなということだ。


 恥ずかしくて顔が熱い。耳が熱い。


「公衆の面前で接吻。いやあ、どれもこれも時代やなあ」警備員はどこか感慨深げだ。


「えーっとですね。ここでわたしが何を言いたかったのかと言いますと、それだけわたしは、武廣さんたちを見ていたということなんです。恋人と幸せな時間を過ごすお二人というのは、私のレーダーが反応するとでも言いますか、ついつい目でも耳でも、物理的にも追ってしまうんです」

「で、それが真犯人を見つけることとどう繋がるの。それが証拠にはならないこと、さっきも言ったよね」

「ですから、それを踏まえて、お訊ねしたいことがあるんです。ちなみに……お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


 実結さんは、その目線を、店員の本田でも、警備員でも、私でもない、別の人間に移した。


 部屋の隅に置かれたパイプ椅子に座る男。私を犯人扱いした男だ。同じタイミングで入室したが、今の今まで携帯をいじり、早く帰りたそうに膝を揺すっていたが。


「え、俺?」視線の集中を受け、途惑っている様子。「か、金本かねもとだけど」


「金本さん。では、金本さんにお訊ねします。今までの話を考慮した上でお答えくださいね。あなたは、こちらには一人で来られましたか?」

「え、何が言いたいわけ?」

「ただどうお答えになられるか気になっただけですよ」


 実結さんは少し不気味なほど表情は崩れない。可愛らしさの中に、少しの強さが滲んでいた。


 金本は口をもごもごさせながら、


「ひ、一人、だけど」と言った。


 ――実結さんの頬が少しだけ動いた。


「どうかしましたか?」尋ねると。


「ああ、いえ。最初に申し上げたようにですね、たった一つの確認だけでこの事件、簡単にどうにかなると言いますか。そもそも、防犯カメラさえ見ればなんとかなる程度の物を、そんなことまでしなくてもなんとかなると思ったからこその提案ですので、最初から変に自信はあったんです。決め打ち、成功、ということでいいと思います」


 なんのことだか分からなかったけれど、実結さんは、確信を持っているような言い回しだった。


「金本さん。もう一度お訊ねします。先程までの話を踏まえて答えてください。金本さんは、お一人で来られたんですよね?」


 男性からは明らかな焦りが見られた。視界に収める必要もないくらい、声が震えている。


「何なんだよ、しつけえな」金本は明らかにイラついている。


「言いましたよ。わたしは、恋人連れでご来店されたお客様ほどよく見ていると。防犯カメラは、一時間あれば確認が出来ます。警察を呼べば、遅かれ早かれ武廣さんが犯人でないことは分かるでしょう。だから、無駄な時間を使わないでください」

「何だ……それじゃあまるで俺が嘘ついてるみたいじゃねえか」

「違うのですか」

「はあ!?」


 実結さんは深くため息をついた。


「申し訳ありません。遠回しだったわたしが悪いのです。では、分かりやすくお訊ねします。いいですね。この訊き方であれば、質問の意図が一から百まで伝わると思います。

 では、金本さん。三十分程前、この書店に、あなたと一緒に来られた女性は、今、一体どちらにいらっしゃるんですか」


 金本は立ち上がった。実結さんが言い終えるのを待たなかった。パイプ椅子が耳に優しくない音で倒れる。


「ご来店時、あなたは恋人と思しき女性と一緒でした。手を繋いでいらっしゃって、微笑ましく思ったのを覚えています。だから言ったんです。恋人同士で来られた方ほど覚えています、と。防犯カメラを見なくても、嘘をつけばわたしにはすぐにわかりますよと警告したつもりなのですが、お分かりにならなかったのは残念です」


「わ、忘れてたんだよ。そういえば一緒に来た」


「忘れた? 恋人をですか?」


「あ、ああ!」


「さすがに無理がありますよ金本さん。おかしいと思ったんです。万引き事件があったと本田さん達に話しているあなたが、何故一人でいるのか。もし万引きを目撃したのなら、きっと彼女さんも同時に見ている筈なんです。手を繋いでご来店されたカップルが店内ではバラバラというのは、経験上、あまり考えられないので。だとしたら、彼女さんも目撃者の一人として同行すべきです。しかし、そこにいたのはあなただけでした」


「彼女は事件に巻き込みたくないから帰したんだよ」


「なるほど。彼女さんを大切に想っているのですね。素敵だと思います」


 実結さんは微笑んだ。


 だが、この微笑は、誰かを追い詰める時に置いては、おそらく、とても恐ろしいものに見えるのだろう。


「ですが、それだけでしたらわたしは、疑問には思っても、疑念を持つまでには至らなかったと思います」

「あ?」

「あなたが武廣さんを犯人だと言わなければ、わたしはあなたを疑いませんでした」


 私は金本に目を向ける。膝はわななき、温室にでも入れられたかのような汗をかいていた。動揺している、と受け取らない人はいないと断言できる。


「何故あなたは、犯人は武廣さんだ、と言ったのでしょう。武廣さんはお二人で歩いておられました。今も見ていただければ分かるのですが、武廣さんは、雑誌なんて大きな物を隠すだけの鞄を持っておられません。とても軽装で、小柄な方ですし、服の中にというのも無理でしょう。しかし、武廣さんの隣にいらっしゃった彼女さんはバッグを持っていました。バッグの用途は、その……様々なようですが」


 そこは突っ込まないでください。


「もしも金本さんが、犯人は武廣さんと彼女さんである、と確信を持っていたとしましょう。だったら普通、雑誌を隠すだけのバッグを持った彼女さんの方を疑うのではないでしょうか。武廣さんだけを犯人として扱い、彼女さんを容疑者から外す意味が分かりません」


「それは……そいつが盗んで、彼女とかいう奴のバッグに入れたんだろ」金本が私を指差す。


「でしたら武廣さんの彼女さんもこの部屋に入れるべきではないですか? それをあなたがあえて証言しなかったのは、二人揃って否認されることを恐れたからでしょう。そもそも嘘なのですから、両者から否認されると言い負かす自信がなかったんです。現状がそうなっているように。違いますか?」

「あ、あんたさっきから何なんだ。まるで俺が犯人みたいな言い方じゃねえか」


 男は汗も拭わずただ喉を震わせる。


「いいえ。そうは言ってませんよ」

「じゃあなんなんだ!」

「では、金本さんの彼女さんが手にしていた、大きなバッグの中を見れば分かるのでは?」

「んぐっ……!」


 金本は声を絞り出せず、言葉を返さなかった。

 どうやらそういうことらしい。


 室内にいた全員が実結さんの言葉を理解した。興味なさそうにしていた警備員も「そういうことやったんか!」と地元の方言全開で叫ぶ。


「万引きをしたのは彼女さんですね、金本さん」


 金本は頬を小刻みに上下させただけだった。

「推測ですが、彼女さんの鞄に商品を入れ、そそくさと逃げようとしたあなた方は、店内に警備員がいることに気付いた。そこで慌て、急遽、万引きしている人を見た、などと言い、彼女さんが逃げる時間を稼いでいたのでしょう。たまたま通りかかった適当なお客さんを犯人に仕立て上げて、金本さん自身は予定が詰まっているとでも言って離脱しようとしたのでしょうが、残念ながら、目撃者を簡単に返すほど間抜けではないのです」

「何気なく私のこと馬鹿にしているのかな実結ちゃん」

「いえいえ。誉めていますよ本田さん」

「そ。ならいいわ」


 ちょろい。書店員本田。


「それらも全て、警察が来て調べ始めればすぐに分かることだとは思いますが。それくらいは万引きを計画する段階で気付いてほしいものです。そもそも犯罪ですし。突発的だったとしても無謀です。詰めも考えも甘いですよ」


 金本は「くっ……くそっ」と小さく吐き捨てた。こんな狭い部屋でその声が拾えない筈もなく、それは自供であると捉えた。


「では、警備員さん。通報を」

「あいよ」

「本田さんは、店長さんに。いえ、今の責任者は倉橋さんでしょうか」

「どっちにも電話しとく」

「お願いします。これで、武廣さんはお帰りいただいても結構ですよね」


 そう言いながら、目の前で実結さんは膝をつき、私を上目づかいで見つめてきた。


「申し訳ございません。無関係なあなた方を巻き込んでしまって」

「い、いえ、そんな。実結さんが謝ることでは」


 私はパイプ椅子から立ち上がり、跪く実結さんに合わせて膝をついた。


 実結さんは慌てて「御召物が汚れてしまいます」と言った。焦る様子もまた可愛らしい。


「いえ、それは、お互い様と言いますか」

「でも、武廣さんは彼女さんとデート中で……」

「気にしないでください。これくらい、あの子は何も言いませんから。自分の服が汚れるのは嫌うのに、私の服には何も言わないんです、彼女」

「そうなんですか」

「ええ。今日もバスを待ってる間、自分は停留所のベンチに座るのを嫌がったのに、私には『好きにすれば』って言うような子ですから」


 実結さんの視線と、私の視線が、同じ高さで交わった。


 私の表情をほころばせるように、実結さんは微笑みかけ、「ふふ」と零れた声は、とてもお淑やかだった。


「彼女さんのこと、お好きなんですね。とても、幸せそうです」


 実結さんの顔が近い。蕩けるような笑みがすぐそこにある。誰よりも幸せそうな瞳がある。


 私は、この紅潮する頬を恨めしく思った。


 やめてくれ。これ以上、無駄な期待で踊らないでくれ。


 目の前の少女にばれてしまう。


 移り気で不埒な私が、ばれてしまう。

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