第12話 幸運な少年

 先週、得意先のデザイン会社の社長が自殺して、今週は知り合いのコピーライターの女の子が行方不明になった。

 サダコとハルナから教えてもらった秘策によって、あの紫色の舌を垂らした仲間由紀絵似の幽霊をデザイン会社の社長に、ビアホールで『死ね! 死ね! 死ね!』と 叫んでいたらしいオバサンの霊を、コピーライターの女性に、それぞれ押し付けたからだ。


 サダコに払った金は、まったくムダではなかった。

 わたしの涙と食塩水(配分がわからないので、あまりしょっぱくならないように気をつけた)の混合物を相手に気づかれずに飲み物に侵入させるのは、足の指 でリモコンを操作してテレビのチャンネルを変えるのよりずっと易しかった。


 誰も彼も……事務所で飲んでいる飲み物や、飲み会の席での飲み物に、いつの間に か異物が混入されるなどと思いもしないらしい……わたしが毒殺魔だったら、一体どうするつもりなのだろうか?


 とりあえず、二人は幽霊に対する耐性が弱かった。

 つまり常人レベルだったということだ。

 わたしの前から幽霊が二人消え、それに加えてわたしの知合いも二人いなくなった。


 試しにやってみたことがあまりにも上手くいったので、わたしはさっそく……真っ黒な噛みつき幽霊……あの女子中学生の霊を追い払うために行動を進めた。


 今のところ……あれからあいつはわたしの元に現れていない。


 あいつはなかなかに強烈な怨霊だ……だからわたしも、これまでのザコ二匹のように一筋縄でいくとは考えていなかった。

 出現する頻度が少ないのも……たぶ ん、わたしをできるだけ怯えさせたいからだろう。他の連中のように無意味にホイホイ現れては、わたしの神経をイラつかせることもない。


事実、わたしは怯えていた。

怯えていたからこそ、素早い行動に勤しんだ。

わたしは常に前向きに物事を考える人間だから。


 今のうちに……今のうちに手を打っておかねば……わたしはその日、 『今日は遅くなる』と妻に言って、夕方頃にハイエースで出かけた。あの殺害現場の山奥を目指して……車を走らせた。


 高速道路を上がったところで、助手席に……いつの間にか、以前わたしが殺した男子中学生が座っていることに気づいた。


 彼がこんなにわたしの近くに現れるのは、これがはじめてのことだった。


 少年は何も言わず……あの青白い顔でぼんやりとわたしの顔を見つめている。

 

 細い首筋には、くっきりとわたしの指がつけた黒い痣が浮かび上がっていて、下 半身は紙おむつ一枚。

 少年は黙っている……ちらちらと横目で確認したが、唇は動いていなかった。

 しかし、目は真っ黒だ。

 黒真珠のような、ブラックコーヒーのような、水道管の奥のような漆黒。

 その目がじっと……わたしを見ている。


「……何か言いたいことがあんの?」

 わたしは言った。

 答はない……そして、見たところ、少年の唇は動かない。

「……おれが、憎い?」

 やはり答はない。

 少年は助手席にもたれたまま、首だけをわたしに向けて、じっとわたしを見ている。


 少年を殺した夜、この道を一緒にドライブしたときと、まったく同じだった……少年とは、これまた夜の街で出会った。

 どう見ても中学生にしか見えなかったが、忘年会帰りの中年男性なみに酔っ 払って路地で吐いているのを、わたしが見つけたのだ。

 “大丈夫?”

 と親切に声をかけて雰囲気を見てみると、まったく夜の街で酔っ払うようなタイプには見えない。

 真面目そうで、大人しそうで、寂しそうな……どこか少女のような繊細な面影のある少年だった。

 彼にペットボトルの水を買ってやり、吐けるだけ吐かせて、終夜営業のカフェで話を聞いてみた。


『死にたい』


 彼が漏らしたのは、その言葉である。

 まあ、詳しく聞く余裕はなかったが……ようするに学校でいじめられているようだ。

 教師も、両親も、まともに取り合ってくれない。

 こんな美しい少年なのに、本当に気の毒だと思った……わたしの息子とは、似ても似つかない美少年。

 そのせいで逆にいじめられていたのだろうか?

 確か にこの少年の表情には、人のサディズムをくすぐるようなところがある。

 当然、セックス面では普通の人間であるわたしのサディズムもくすぐられた……わたし は彼を殺すことに決めた。


『実は、おじさんもずっと前から死にたいと思っててね』そう言ったときに、少年が挙げた顔の輝きが忘れられない。『……実は車の中に練炭を積んであるん だ……でもなかなか、一人で自殺に踏み出せなくてね……そんなときに、君に出会った。これはたぶん、運命だと思う。これからおじさんの車に一緒に乗っ て、どこか遠い山奥にでも行って一緒に死なないか?……一人より、二人で死ぬほうが心細くないだろう?』

 よくもまあ、そんなデマカセが並べられたものだと、思い出しても呆れる。

 少年は、笑顔になり、わたしはみごと、少年を車に誘い込むことに成功した。


 後はまあ、簡単だった。もちろんわたしの車に練炭などあるはずがない。

 いつもの場所に車を停めると、わたしはダッシュボードからペーパーナイフを出して、彼にズボンとパンツを脱ぎ、紙おむつに履き替えるように迫った。


『何でですか?』彼は泣きながら言った。『何でこんなことするんですか?』

『何でって……』逆に、わたしはポカンとしてしまった。『君は死にたかったんじゃないの?』

『一緒に死のうって言ったじゃないですか……ぼくをだましたんですか?』

 少年の美しい瞳から涙がこぼれる。

『それは確かに悪かった……おれは死ぬつもりはない……でも君はちゃんと殺してあげる。晴れて天国へ行けるんだ……それで満足だろう?……おれは君が死ぬ のを手伝ってあげるんだよ』

『だましたじゃないですか!』少年は叫んだ。叫んでもわたし以外、いまさら誰もそれを聞く者はいない。『ぼくをだました!』

『それは、おれが一緒に死なない、ってことだけだよ』わたしは諭すように……息子に言い聞かせるように話したのを覚えている。『いいかい? ……確かに君は 騙された。わたしのような見ず知らずの男の誘いに乗って、車に乗った。これは君の失敗だった……でも、運が良かった、と考えたほうがいい。ひょっとしたら 君は、外国の工作員に引っかかっていたかもしれない。袋を被せられて、船に乗せられて……遠い異国に連れ去られていたかも知れない。そうすると、君を一流 の工作員にするための、恐ろしい拷問による洗脳と、血のにじむような厳しい訓練の日々が待っている。とてもじゃないが、自殺どころじゃないぞ……それに比 べれば、おれのほうがずっとマシだろう? ……あるいは、ホモの変質者に引っかかっていたかもしれない。こんな山奥に連れ込まれるんじゃなくて、どこかの部屋に監禁されて、何日も何日も、死ぬことも許されずに、犯され続けていたかもしれない。その様子をビデオに撮影されて、インターネットに配信されていたか もしれない。自殺したくなる理由が、格段にレベルアップしちゃうよなあ?……あるいは、君に声を掛けてきたのが、サディスティックで血を好むタイプの変態殺人犯だったら?……そりゃ君、悲惨だぞ?……全身をカミソリで薄く切られたり、爪を一枚一枚剥がされたり、指を一本一本落とされたり、火であぶられたり……そんな日々が、何週間も何週間も続くんだ……君が衰弱してこと切れるまで、そいつは君を……何としてでも長く生かして、じっくり楽しもうとする…… それを考えてみろよ。おれで、ラッキーだったろ?……さあ、早くズボンとパンツを脱いで、紙おむつを履くんだ……そしたら、あっという間にあの世に連 れってあげるから……それが君の望みだったんだろ?……ほら、早く!』

『い、いっしょに……』少年がきっと口を結んだ。『いっしょに死んでくれるって言ったのに……』

『……おれみたいなおっさんと、一緒に死んでどうする?』わたしは少年を励ますように言った。『人間は結局、ひとりぼっちなんだよ。死ぬときはみんな、 一人ぼっちだ。君は死ぬ覚悟ができてる……そうだろ? じゃあ、さっさと済ませちゃおうじゃないの。ラクにあの世にいこう。ラクに行かせてあげる から……』


 わたしの説明が功を奏したのか、少年はようやく観念した。

 眼を伏せながら……わたしの視線から逃れるように後ろを向いてズボンを脱ぎ、パンツを脱ぎ、紙おむつを履く……そして、泣きはらした目で『これでいいで すか?』とでも言わんばかりに、わたしを見た。

 あのときのわたしは、そんな少年に、少し欲情していたのかも知れない。

 それとも、一度は死を望んでいた人間が、ここにきてそれを拒否し、説得されてまた納得する……そういう一連のプロセスが、わたしの加虐心を掻き立てたの かもしれない。


 わたしは、やさしく、やさしく首を締めた……頚動脈のあたりに指を添えて……少年は少しもがいたが……やがて意識を失った。

 そして、少年の寝顔を見ながら、しばらく待つ……夜が明けるまで、時間はいくらでもあった……やがて少年が眼を覚ました。

 そして、薄目を開けて……わたしの顔を見上げる。


『あ……あれ?……ぼ……ぼく……死んだんじゃ……?』

 少年が、か細い声で言う。

『いや……まだだよ』

 そのときの少年の絶望に満ちた目が、わたしをまた残忍な行動に駆り立てる。

 そして少年の首を優しく絞めて、また意識を失わせ……目が覚めたところでまた絞め……意識を失わせ……目が覚めたところでまた絞め……それを、何度も何 度も何度も何度も繰り返した。

『お……お願い………も、もう……』何度目かのときに、少年が言った『も……もう許して……』

『やっぱり、死にたいかい?』

 わたしは少年に聞いた。

 少年が、力なく首を縦に振る。

『もう……許して……ひとおもいに……こ……殺して………』

『よし、わかった』

 わたしはまた少年の首に手を掛けた……そしてさらに、あと何度か……意識を落としては目覚めるのを待ち、また絞めて……を繰り返し、最終的にはちゃんと 絞め殺した。


 その少年の幽霊が、助手席でじっとわたしのことを見ている。


「やっぱり……おれが憎い?」

 やはり少年から、答えはない。だから、自分で彼の言葉を代弁した。

「憎いよなあ……そりゃあ」


 殺害現場までのくねくねとした山道を登っていくうちに、少年の姿はどんどん透き通っていき、やがて見えなくなった。

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