第6話 なぜ、あたしを殺すの?

「殺さないで!」


 少女の顔は真っ青だった。

 もともと幽霊のように肌の白い子だったが、死の恐怖を前にして蒼ざめたその顔は、さらに幽霊じみていて……実に美しかった。

 澄んだ美しい瞳に、今は涙が一杯に溜まり、水晶のように透き通っている。

 肩より少し長い髪。

 その艶やかさまで、怯えのせいでくすんでしまったように見えた。

 迫り来る死が、人間をどこまでも醜くすることもあれば、このように美しく輝かせることもある。


 わたしはその両方が好きだ。


 わたしは少女と、自分のハイエースの中にいた。

 ここは真っ暗な山奥の路肩。

 これまでに、わたしたちの車を追い越していった別の車両は一台もない。

 恐らく、夜明けまでのんびりしていても、車が通ることはないだろう。


 わたしは命乞いを聞くのが好きだ。

 いつも、相手の命乞いをしっかり聞いてから殺すようにしている。

 その少女だって、最期には必死だった。

  小便を漏らすかも知れないが、わたしがすでに紙おむつを履かせていたので、車が汚れる心配はなかった。


 とても美しく、可憐な少女だった。


 しかし、ちょっと夜遊びがすぎたことが……いや、夜遊びが過ぎたことは別に失点ではない……夜遊びをする中学生の女の子は何も彼女だけではない……そんな日々を送っているうちに、わたしのような中年男を簡単に信用してしまったことが彼女の失敗だった。 


 そして今、彼女はわたしにペーパーナイフで脅され、ミニスカートとブルーのショーツを脱ぎ、紙おむつを履いたところだ。


 こんなに美しい少女なのに、紙おむつを履いて死ぬ羽目になるとは。


 運命というものは本当に残酷だ。


「なんで? ……なんであたしを殺すの?」少女は泣き叫んだ。「……なんで? ……ヤらせてあげるつってんじゃん! ……お金もいらないっつってんじゃ ん! ……それでもダメなの? ……それでもあたしを殺すの?」

「ああ」わたしは言った。「殺す」

「何で? ……あたしの親に電話したら、お金あげるよ?……ミノシロキン、払うよ? ケーサツにも言わないよ? ……それでもあたしのこと、殺すんだ?…… 何で? 何で殺さなきゃなんないの?」

「殺したいから」

「殺すだけが目的なわけ? ……セックスしたいとか、お金ほしいとか、そういうのはないわけ? ……つまりあんた、頭おかしいわけ?」

「セックスのほうは、奥さんがいるしなあ……そういう方面で奥さんを裏切りたくはないし……あとカネかあ……カネなあ……うん、確かにほしいけど、 お金はそれなりに稼いでんだよなあ……自分と家族を食わせていけるくらいには……それに、君のご両親から身代金を取るって、それって営利誘拐だよなあ…… そんな大それたこと、おれ、向いてないんだよね」

「……お、奥さんがいるの?」

「ああ」

「こ……子供は?」

「ああ、いるよ……」できるだけ、面倒くさがらずにいろんなことを話してやることが、死にゆく者への心ばかりの礼儀というものだ。「君と同じくらいの男の 子がね」

「そ、そ、そんな……」愕然とする少女。「子供がいるんでしょ? ……あたしと、同じくらいの子供が? ……それなのに……それなのに、意味もな くあたしを殺すわけ? ……自分の子供と同じくらいの歳の子供だよ? ……ぜんぜん気にならないの?」

「さっきは君……『あたしはガキじゃない』つってたじゃないか」これには呆れた。「さっきは十八歳だ、って自己申告しただろ?……言ってることがメチャク チャだよ……君、俺とセックスして、カネをせしめるつもりだったんだろ? やってることは、確かにガキじゃないよなあ」


 自分が恐ろしく薄っぺらで道徳的なことを言っている気がして、少し吐き気がした。この発言は今も後悔している。


「あ、あんたの子供が……あんたの子供が……同じ目に遭ったら、とか……あんたそんなふうに考えたことないの……?」

「君の親はどう思うかなあ……どうだと思う?」わたしは震える少女の頬に触れた。「……やっぱり悲しむかな? 悲しむだろうな あ……もし、自分の娘が殺された、と思ったら」そこで、わたしは一息ついて、少女に笑いかけた「でもどうだろう? ……おれは、君の死体をちゃんと見つからないように処分する。ああ、半永久的に見つからな いくらいに……となると、だな……君が『殺された』って可能性は、ご両親の心配の中でも割合が低くなる。『行方不明』ってことになるんじゃないかな? ……まあ、殺されたんじゃないか、って心配はするだろうけど……そういうとき、親ってもんは、『どこかで娘がまだ生きてるんじゃないか』って一縷の望 みにすがり続けるもんだよ。だから、おれに任せておけば、ご両親の心配は、多少、軽減される……どうだい? さすがに一人の子の親だけあって、親心っ てもんがわかってるだろ? ……おれの息子が突然いなくなったら……おれはたぶん、息子はきっとどこかで生きている、って願い続けて、その望みに頼り続ける よ………たぶん」

「……………」


 少女は二の句も継げないようだった。


「君、さっき言ってたよねえ? ……ご両親とそりがあわなくて、しょっちゅう家を飛び出しては友達の家を泊り歩いたり、おれみたいな男に声かけて、セックス で宿を得てるって……いやあ、立派だよ。ホントに立派だ……皮肉で言ってるんじゃない……ほんとうに君は、自立していて、自由な人間だ。そこは尊敬して る……それに、そんな子だったら、ご両親が捜索願を出すのも、警察が君の失踪に関して事件性を感じ、本格的に動き出すのも……かなり時間がかかるだろうな あ……その頃には、おれはたぶん、別の人間を殺してるよ。君は自分に正直に生きた……すばらしい人生だったろ? ……おれはこれからも君のぶんも……すばら しい人生を生きるよ」

「な……」少女の目からひとしずく、涙がこぼれた。「何言ってんの?」

「死にたくないの?」

 わたしはわざと、意地悪に聞いた。

「当たり前でしょ? あたし、まだ十五だよ?……死にたくないに決まってるでしょ?」

「でも……ほんの一時間ほど前は……“もう死にたい”って言ってたじゃないか……家族も、学校も、友達も、もうなにもかもウンザリで死にた い、って君が自分で言ったんだよ? ……で、これから、望み通りに死ねるんだよ? ……おれに感謝してくんなきゃ……」

「人でなし!……悪魔!」


 少女が叫ぶ。

 ゾクゾクするほど素晴らしい響きだ。


「じゃあ、そろそろ殺すけど……ほかに何か、言い残すこととかないかな?」

 しばらくの沈黙があった。

 少女はとても大人しくなり、結局、涙もひとしずくこぼしただけだった。

 わたしたちはしばらく、車内灯をつけた薄暗い空間で見つめ合っていた。

「……さっさとやれば? なに言っても殺すんでしょ? 何しても殺すんでしょ?」

「ああ。でも、まだ命乞いとかしてもいいんだよ。誰も聞いてないし、おれは誰にも言わないし」

「さっさと殺れよ」

 少女はぴしゃりと言った。


 仕方ない……もう少し命乞いを聞きたかったが、観念してしまった相手を、もう一度怖がらせるのは至難の業だから。

 わたしは某有名雑貨店チェーンで買った 手術用の薄いラバーのゴム手袋を嵌めると、百円ショップで買ったタオルを取った。


「……それで絞め殺すの?」

「いや、違う。これで君の首を優しく包んで、ゆっくり手で絞め殺す。後が残らないようにするからね……ほら、頭をかがめて」


 少女は大人しくうつむき、わたしがタオルを首にかけるままにした。

 そして、垂れた髪の奥から、透き通った大きな目でわたしを見上げる。


「……………」

 黒目が真っ黒だった。その目に、はっきりとわたしの顔が映っている。

「……すごいな。そんな目で見られると、おれが怖くなっちゃうよ」

「……怖い?」


 ……怖くないこともなかった。その黒目は、まるで漆黒の闇だ。

 闇自体は恐ろしくない(むしろ落ち着く)が、闇のような黒目は異様であり、それにじろっと見上げられると、さすがにぞっとする。


「怖いな……ぞっとするよ」

「そう」

 少女が笑った。これまた、薄気味悪くてぞっとした。

 わたしは少女の首にタオルを巻いてしまうと、子供を寝かしつけるようにベンチシートに彼女をやさしく押し倒した。

 少女は素直に従った。今にも、“おやすみ”とでも言いそうな様子で。

「さて………」

 タオルの上から少女の首に手を添えて、力を込めようとしたときだった。

「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」


 いきなり、少女が笑い出した。

 思わず、手を引っ込めてしまう。


「ど……どうしたんだ?」

「あっはっはっはっはっはっはっ!」

「……おいおい、何だっての? ……そんなにウケるか?」

「呪ってやる!」少女が叫んだ。「あんたを、呪ってやる! ぜったい、ぜったいにあんたのとこに帰ってくるよ! あんたを、呪い殺してやる!」


 少女が歯を剥き出しにしている。歯並びの美しい子だった。

 ぞろりと並んだ歯は真っ白で、ピアノの鍵盤のようにも見える。

 美しい少女が、そうして猿のように歯を剥きだしている様は滑稽だった。

 携帯カメラで撮影しておきたいくらいだ……つまらない証拠を残すことになるので、実際にはしないが。


「……そうかい」

 あいにく、呪われることには慣れている。

「あっはっはっはっはっはっはっ! ……あんた、絶対、小便チビってあたしに命乞いするよ! ……ぜったい、あんた、あたしに命乞いするよ! ……あっ はっはっはっはっはっはっ!あっはっはっはっはっはっはっ!あっはっはっはっはっはっ………」


 笑いが止まないので、わたしは手に力を込めた。

 とりあえず笑い声は止んだ。


 少女はしばらく手足をばたばたさせたが、それもやがて止んで、車内は静かになった。

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