妄想は暴走

 わたしが本格的に創作の世界に足を踏み入れるきっかけになったのは、実は恋愛ものだ。父も結構何でも読む方だけれど、母がことのほか数をこなす人で、今でも我が家の書斎(と呼んでいるだけで、実際は置けるだけ本棚を並べた部屋だ)には、作家ごと、そして年代ごとに整然と保管されているのだが、その数が千を超えてそろそろ万に迫ろうか、という状態となっても、その増殖はとどまるところを知らない勢いを保っている。

 そうして、四方を書籍(三割小説・七割漫画)に囲まれて、やることをやってしまえば書斎に据えたベンチでひたすらに読みふけることを咎められない、という環境にあって、主に少年少女向けのあらゆるジャンルを片端から制覇していくうちに、ふっと気が付いたことがあった。つまり紙上に繰り広げられる、特に恋愛ドラマにおいて、完全にわたしの望むような形のそれというのは、めったなことでは存在しないのだ、ということで。

 「……というわけでですね、追われるものと追うもの、双方が衝動のままに逃げまどい、そして執拗にその姿を追い求めるその行動は果たして恋か愛かそれとも!という展開の、めくるめくファンタジーな、あっ、まだ詳細な舞台背景などは構想半ばではあるんですが、そういったお話の妄想が止まらなくてですね!」

 それゆえ、こうして衝撃を受けたエピソードを目の当たりにしてしまっては、いわゆる自身の『萌えツボ』通りのものを作れるのでは!?などと発奮してしまった次第で。

 「概要は分かった。一応テーマに沿った展開も期待出来るか、とは思わなくもないが」

 皐月の半ば、開け放たれた窓からは桜の新緑が望める、図書部兼漫画研究会の部室で。

 わたしの語ることにじっと耳を傾けつつ、手元のノートに何事か書き留めていた師匠は、机から顔を上げると、睨むように目を細めた。

 「キャラクター造形があまりにも酷似しすぎているだろうが。三つ編みに魔力を閉じる黒髪の乙女に、それを追う長い前髪に隠された魔眼を持つ少年、という設定で、モデルがばれないとでも思っているのか、お前は?加えて、浦上はともかく、堤は相変わらず固辞しているんだぞ」

 「そこは一応考えてはいるのです!本当は現代青春恋愛ものでやりたかったのですが、これだけ設定をがらりと変えてしまえばどうにかお許しをいただけるのではと!」

 「むしろ、前者で一瞬でも許しを得られる、と考えたお前の思考回路を疑うところだが……道理で、あいつらが誰もおらん隙を狙ったわけか」

 短く息を吐いて、右手に持った何もかもが黒のボールペンで、とん、とノートを叩いた師匠は、銀の眼鏡がずれんばかりに深々と眉を寄せて、

 「いずれにせよ、これでは俺の一存で到底決められるものではない。設定を練り直すか、それでなければ、堤を納得させることが出来るだけのものを提示してみせるか、だな」

 反論の余地もなく、結論をずばりと言い渡されて、わたしは言葉に詰まってしまった。確かに、四月に初めて二人とお会いしてからというもの、堤先輩には使用許可を得るべく日々参上した上で、時にはブリッツのパンを献上し(たものの、これも固辞されて一緒にお昼を食べた)、時に密かに望月先輩に攻略のヒントを聞いては『うーん、真雪は目立つの凄く苦手だからねー、でもなんだかんだ責任感強いから、そこをつつくといいかもだよー』と教えてもらったものの、なかなか有効なアプローチも思い付けなくて。

 だから、いっそのこと逆の視点から!と思い至って、浦上くんに接触を試みたところ、実にあっさりと了承されたことに、正直驚きを禁じ得なかった、のだが。

 そこまで考えたところで、ふと沸いてきた疑問に気付いて、わたしはすっと手を上げた。

 「師匠、ひとつ伺いたいのですが」

 「なんだ」

 「堤先輩だけでいいのでしょうか。浦上くんには一度打診済みではありますが、重ねて認めていただく必要はない、とお考えですか?」

 返る答えを半ば予想しながらも問いを投げてみると、師匠はかすかに眉を上げたものの、間を置くことなく、浅く頷いた。

 「おそらくな。堤がいいと言えば、浦上はそれに従うだろう」

 簡潔な回答に、やはり、と納得しつつも、わたしは席を立った。広げていた創作メモと、それから師匠の真似をして買ってみた、同じ型の赤のボールペン(とはいえ見た目のことだけで、インクは黒だ)を手に取ると、

 「師匠の批評、しかと心に刻みました!ついては、さっそく図書室に向かい人物観察、および背景構築に必要な資料の捜索にかかりたいと思います!」

 「……それでは、練り直す気はさらさらないということか。全く、無謀な」

 呆れを帯びた声を吐き出すと、それでも眉を開いた師匠は、わたしが机の全面に広げた登場人物のラフ画を一枚、手元に引き寄せた。

 「勝手にすればいいが、あいつらに迷惑は掛けるなよ。戻るまでにこれは見ておく」

 校正用の赤鉛筆を取り上げて、大きく矢印を描いたかと思うと、几帳面な印象の文字が躊躇なく、また容赦なく綴られていくのに戦々恐々としながらも、わたしは一礼とともに部室を飛び出した。間違いなく帰ってくる頃には一面が真っ赤だろうが、それを気に病むようでは師匠の弟子は務まらないし、何よりあれをより良い形に出来るのなら、本望だ。


 そして、きっといつか、彼に話したように、なってみせるのだ。


 幾度となく繰り返している決意を心に呟きながら、地面を蹴って裏庭を抜け、ほどなく教室棟に入る。ここから特別棟二階にある図書室に向かうには、南北どちらの渡り廊下を使ってもいいのだが、目的地が北階段を上がってすぐ、という位置であるため、わずかに近いであろう北を選ぶ。部活動はしているはずだが常に静かな美術室、書道室、それから芸術準備室の前を通り過ぎると、『生徒会室』と書かれた教室札がすぐに目に入ってくる。

 その入口に近付いた時、突然各教室と同じ構造の引き戸ががらりと開いて、中の喧騒が廊下に流れ出てきた。何か会議でもあっただろうか、と思いつつも、見る間にぞろぞろと出てくる、学年色も男女もばらばらなメンバーの脇を通り抜けようと進む。

 と、どう見ても見覚えのある三つ編みが二房、長く垂らされている姿が目の端に見えて、わたしは反射的に顔を向けた。

 入口の前を過ぎて、十歩ほど行き過ぎた後に振り返った視線の先には、やはり堤先輩がいて、丁度部屋から出てくるところだった。会議の資料であろう紙の束と、小さなリングノート、細身のペンケースを綺麗に揃えて胸に抱えるようにしながら、ほっとしたような俯き加減でいるのを認めて、一瞬迷う。


 ……声を掛けるべきか、それとも原案が練り切れていない今は、隠密に徹するべきか。


 自身の中で二つの選択肢をぐるぐると回転させながらも、身体は自然と北階段の方へと後退して、取り急ぎ、陰になる位置から覗き見るような体勢を取る。

 先週の、わたしが浦上くんを師匠曰く一時拘束してしまった件については、先輩はもう『あの、こっちの誤解というか、変な勘違いもあったから……』と真っ赤になりながらも、こちらの謝罪を受け入れていただけたので、一応の解決を見たということにはなるのだが、今はある意味、新たな後ろめたさを抱えてはいるわけで。

 どこまでも手前勝手な惑いにわたしが内心で唸っている間に、気付けば状況は変化していた。廊下に並ぶ両開きの窓にして、概ね三枚分歩んだところで立ち止まり、ブレザーの内ポケットから取り出したスマホを操作しているその後ろ姿に、そっと近付いてきたのは、誰とも知れぬ、男子で。

 「おい、堤……部長」

 少しためらい混じりに声を掛けたその人は、何やらとんがり気味の髪形を作っている、おそらく師匠よりは若干背は低いであろう二年生だった。ブレザーは持たず、かなり高くまくりあげた長袖シャツに赤のネクタイをきっちりと締めているのが、ラフなのか几帳面なのか、いささか判断に迷うところだ。

 と、弾かれたように顔を上げた堤先輩は、思ったより間近にいた相手に、少しひるんだ様子を見せたものの、やがて思い切ったように切り出した。

 「今井くん。えっとあの、もしかして、この間のこと、かな」

 「……まあな」

 少しバツが悪そうな表情を見せた先輩男子は、間を持たせるためか、突っ立った短髪に手をやって、しばし次を考えているようだったが、

 「三上みかみさんに聞いたけど、あいつら全員入ったってな」

 「あ、うん!おかげさまで、正式に六人と二人になったの!」

 振った話題に、途端に顔を明るくした堤先輩の反応を見て、そうか、とぼそりと返して。

 そのまま、かなりの時間黙ったきりでいたものの、諦めたように、顔をそらして。

 「あー、その……良かったな」

 

 ……なんだろうか、この、妄想をすこぶる刺激してくれる、シチュエーションは。


 わざとではないにせよ、立ち聞き、という、やってはならないことをしてしまっていることすら吹き飛ぶほどに、わたしはその事態をひたすらに注視していた。

 創作におけるツンデレの基本、という雰囲気を纏わせたその男子の表情と行動に、最早感動すらも覚えつつみっちりと観察しながら、メモを取るべきか否か真剣に悩んでいると、堤先輩が、一段と顔を輝かせて。

 「有難う!ちゃんと言った通りに、これからも頑張るから!」

 それこそ、背景に描き込める限りの、あらゆる花の種類を飛ばしても遜色ないほどの、まばゆいばかりの笑顔をひらめかせたのに、先輩男子は、やや細い目を大きく、見張って。

 ほんの微かに、日に焼け気味のその頬に赤みが差したのに、これはなんたることか、と身を乗り出しかけたその時、視界を黒い影が、風を起こすような速度で、過ぎって。

 「……部長、迎えに来ました」

 数瞬ののちに、低く、そして鋭く響いた声の主は、浦上くんだった。わたしに気付いた様子もなく、さっとこちらに顔を動かした二人の元へと、無造作なまでに近付いていく。

 と、堤先輩は慌てたように身をひるがえして、たたっ、と彼の傍へと駆け寄ってきて。

 「あの、浦上くん、今日は特にお迎えのいるような状況じゃないよ!?」

 「みたいっすね。けど、副部長に『帰りに大荷物があるから出動ー』って言われたんで」

 「……小鈴ー。そんな悪戯いたずらさせるために、連絡したんじゃないのに」

 仕方ないなあ、とばかりに深く息をついたその背後に、すっと先輩男子が、近付いて。


 軽く顔を俯けた、三つ編みの乙女のその頭上を、険しさを露わな視線が過ぎる。

 それを受けて、まるで迎え撃つように、彼の顎がくっと、上げられて。


 「浦上、お前、体育祭はどうするんだ」

 予想もしていなかった台詞が耳を叩いて、脳内で繰り広げられかけた妄想が、ぶつりと途切れる。あああライバルキャラのいい案が浮かびかけていたのにー、と嘆いていると、

 「……どうって、何のことっすか」

 「参加する競技だよ。文句なく足ははええんだから、なんか出るくらいしないのかよ」

 「ああ。けど、種目決めもまだなんで、特には」

 苛立ち気味に続いた問いに、ごく淡々と応じた浦上くんに、先輩男子は濃い眉を高々と跳ね上げて、どこか不遜な表情を作ると、

 「俺は、組対抗リレーに出るから。お前も、出れるんなら出ろよ」

 そう一方的に言い捨てるなり、じゃあな、と堤先輩に声を掛けてから、こちらへと足を進めてきた。

 さすがに危機を察して頭を引っ込めたわたしが、奥まった手すり壁の陰に身を潜めると同時に、先輩の足音が傍らを過ぎ、次第に遠ざかって行って。

 「……まだ、微妙に諦めきれてないみたいだね、今井くん」

 笑みを含んだ、珍しく面白がっているような堤先輩の声が近付いてくるのに、とっさに耳を澄ませる。と、

 「最初っから、一番しつこかったですから、あの人。俺がリレーに出たら、とりあえず気が済むもんでしょうか」

 「どうかな。どっちが勝っても負けても、それなりに波乱は起きちゃう気はするけど」

 変わらず淡々とした答えに、先ほどと同じトーンで応じた先輩は、ちょっと間を置くと、

 「でも、もし浦上くんが出るんだったら、私、目一杯応援するから!」

 「……はい。有難うございます」


 ……これほどに、その一部始終をつぶさに見ていたかったシーンなど、あるだろうか。


 しかし、情報がただ声音こわねだけだというその点が、さらなる妄想を煽るのもまた、事実で。

 そんなわたしの懊悩など知る由もなく、二つの足音は近付き、そして今度は他の部員が待っているはずの図書室へと、睦まじいような揃い方で、去って行って。

 

 今の情景を、ベースに使うことが出来れば、さぞかし満足出来るだろう、が。

 しかし、それだけは、なんというか人として、やってはならないことだ……!


 暗い物陰にいるのをいいことに、小さく丸く、消えよとばかりに屈み込んだわたしは、あらゆる妄想が巻き起こす衝動に耐えるべく、必死に自らの欲望と戦っていた。



 そうして、もろもろの煩悩をなんとか抑え込んだ頃には、とうに日も暮れ始めていて。

 「へー、この設定いいじゃん。ただの殺伐利害関係かーと思ったらだんだん愛憎絡んでくる展開ってもう無駄に盛り上がるよねー!」

 「話のつかみには、定番だからな。だが、根本的にこれの力量が追いつくかどうか、という問題がだな……」

 「それこそ皆でネタ出しやればいいんじゃないっすかー?あ、森の魔女なら植物操る系能力はやっぱ欲しいですよね!」

 「それを髪と絡めるべきなんじゃないの?射干玉ぬばたまの、のイメージもあるでしょ」

 「……ちょっとなんか今チカちゃんが激レアにまともな意見出したー!!空耳!?空耳じゃないよね!?」

 「ま、待って!話の内容はともかくとして外見設定はだめだと思う!それに浦上くんはいいの!?」

 「……微妙っすけど、まあ、フィクションなんで」

 とぼとぼと師匠の元へと戻ってみれば、何故かわたしのラフ画(むろんのこと一面朱に染まった)を囲んで、意外な展開がわたしを待ち受けていたわけだけれど。

 ……いやいや、それでも、一連のあれは絶対に使ってはいけない。……やはり、心底、惜しいけれど。

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