第28話 蒼い花びらの柱
蒼い柱が弱まり、やがて拡散していくのを見て、身をかがめていたボリスは立ち上がった。その柱には、父がいる。
「父上……」
花弁がすべて、弾き飛ばされるようにイワンの身体から離れ、流れ飛んでいった。
「父上!」
「陛下!」
神官たちが駆け寄る。
イワンは解放の強い反動で腰を落としたが、すぐに体勢を整えた。
「陛下、御身体はなんともございませぬか」
不安のためというよりも確認のための神官たちの質問に、イワンは手を振って、息子のほうを見た。彼は固まっている。
唇が動いて何事かを発したかのようだったが、声のない彼の言葉は、彼自身の心の奥に閉ざされていて、イワンには聞こえなかった。ただ、それは、『エルダ』ではないように見えた。
見ると、蒼い柱が渦を巻いている。それは確かに、イワンを運んだものと同じものだ。それを見るやいなや、イワンは理解した。
「エルダ姫……」
フィオは、神託の内容は姫にも伝わっていると言っていた。つまりは、彼女もイワンとは別に、彼女に会ったのだろう。
そこに、ナボコフ大臣が市長とともに入ってきて、目を見張った。
「陛下……これは」
この花弁の竜巻が一目で女神の業とわかるため、神官たちは手を出さない。祈祷も祈願も無意味だからだ。しかし、その意思を聞きとろうと、彼らは瞑想をしている。ただ一人、高位の神官だけは、王の命が下されれば、すぐにもそれを実行できるよう、イワンの傍に控えた。
うめくように尋ねてきたナボコフ大臣に、イワンは短く答える。
「女神の託宣だ」
「なんということでしょう……エルダ姫までもが……。女神は何をお望みであらせられるのか」
茫然と呟くナボコフ大臣の言葉を誰も遮らず、訂正もしなかった。
イワンは戻ったが、エルダは戻らない。
「エルダ……」
心の中で、ボリスは強く、彼女の真の名を呼んだ。
──エヴァリード!
強く、強く呼んだ、そのとき。
薔薇の竜巻の勢いが弱まった。
渦巻く花弁が拡散しはじめる。
誰もが息を詰めた。
目を閉じた、美しい顔が見えて、ボリスが一歩、蒼い柱に近づく。黄金の髪が、白い手が、花びらの隙間から見えた。
渦から離れた花弁がひらひらと舞って、横たわる女性たちに降る。すると、彼女たちの額に落ちた花弁が蒼い光を発した。小さな光の粒がはじける。すると、かたく閉じられていた瞼が開いた。
「おお……!」
市長や大臣、神官らが驚嘆の声をあげた。
女性たちは、中心に横たわっていた者から順に、目覚めていく。
一様に目を開け、戸惑いの表情を浮かべ、周囲を見渡して互いの様子を観察した。
祭礼殿の外に集まっていた市民たちが中の様子を感じとって傾れこもうとするのをペトロフ将軍が兵たちと抑えていたが、何人かはそれを突破し、目を覚ました家族にすがりついた。
そして、彼女たちは見た。
祭礼殿の神聖な座に立ち、春の女神の象徴である蒼い薔薇の花びらに巻かれた、美しい姫。彼女の身体に渦巻く花びらが広がって、舞い落ち、眠る女性の額に光っては目覚めさせていく。
祭礼殿の開いた扉や窓から、女性たちの家族も、その光景を見た。
神々しいほどに美しい。
腕を広げたエルダから、花びらがいっせいに、飛び立つように吹き上がる。蒼い花弁の渦は空を流れる川となり、光の粒と化して、やがて弾けて消えた。
「姫……」
さすがの豪傑、ペトロフ将軍も声がかすれている。それほど、この世のものとは思えぬ光景だった。
長い睫が震え、エヴァリードが目を開ける。
その姿は、女神自身とも見えた。
「エ……エルダ!」
ボリスが駆け寄り、その手をとった。
やさしい、春の空を思わせる瞳が、無垢な光を宿して見上げてくる。ボリスは声をなくした。
つめたい手は柔らかく、なめらかで、そして以前よりも生命力が高まっている。
そのときボリスが何を言おうとしたか、エヴァリードはわからなかった。いつのまにか、イワンが傍まで歩み寄ってきていた。
「エルダ姫。そなたも女神に召されたようだね。女神から、みなを目覚めさせる力を託されたのだろう」
その、ボリスと同じ色の瞳にあった感情の呼び名を、彼女は思いつけなかった。
絶対的な安堵、深い悲しみ、揺るぎない信頼、息苦しいまでの絶望と希望、そして消せない熱望。喜び。すべてが、ひとつひとつに分かれられないほど緻密に絡みあい、混ざりあっている。
小さく、しかし迷わずに頷いた彼女の周囲から、人々の歓喜の叫び、感謝と賞賛の叫びが上がった。
「エルダ姫、万歳!」
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