第27話 語られる力

「フィオ、それは……」


「彼女は神族と魔族の闘いの鍵であり、犠牲者なのです、陛下。どちらが勝利するかは、今後の彼女しだい──いえ──彼女とボリス、どちらが欠けても、私たちの勝利は危ういと言わねばなりません。それは、ボリスにも、魔王を倒す力があるからです。


 ボリスは天空城の結界に護られて、魔族には手が出せない。だから神々は、姫を隠していました。天に一番近い場所に生まれさせ、つねに神の眷属をそばに置いて。けれど、そのものが邪悪に染まってしまった。


 姫は病に冒されました。神々は、気づかなかったのです、信じがたいことに。そして、魔王は姫に毒の風を送りつづけた。神々が異変に気づいたときには手遅れだったのです。姫の父は魔族に身を委ね、姫の神聖な肉体は穢されてしまった」


 フィオの声に、怒りとも悲しみともつかない何かが混じる。


「神々は、姫を死なせようと決定しました。けれど、反勢力もありました。そうしているうちに、姫には呪いまでもがかけられていた。魂までも穢されたのです。そうして死なせては、新たな命として生まれさせることもできない。たとえできたとしても、もう、魔王を滅ぼす力は、姫には宿らない。


 神々は、今も協議を続けています。


 今の姫には、救う力より破壊する力のほうが強く備わっているのです。その姫を生かすのは危険ではないかと」


「だが、フィオ」


 思わずイワンは彼女を遮った。神人としてでも、天空を統べる者としてでもなく、ただ、ひとりの父親としての思いから。


「ボリスはエルダ姫を」


 細く、白い指がイワンの唇に触れて、それをとどめる。彼女の瞳に、強い光が生まれていた。


「ボリスには既に、彼女という存在のすべてが刻まれている。たとえ同じ魂でも、転生した姫のすみずみまでを欲することは難しいでしょう。姫を同じ姿で生まれさせることは不可能です。あるいは同じ両親のもとに生まれさせれば可能性はあったかもしれませんが、それは決してできぬこと。エヴァリアは既に別の命として生きており、エヴァロンはもう人間ではない。


 そして、なにより、ボリスと完全に交じり合えるほどに完璧な姿と心を融合させて生まれさせることは、おそらく二度とできないことでしょう。彼女を今のように生まれさせたのも、誕生と死の神が、長い時間をかけて、細心の注意をはらってなしえたのです。


 陛下。ここからは、ひとつしくじっても、恐ろしい事態を招くでしょう。


 魔王の吐く憎悪の空気が強まり、魔族が、日々刻々と勢力を広げています。精霊族には影響が出始めました。


 できるだけ早く、姫の呪いを解かなければ。そして、彼女の失った力を取り戻すのです。彼女には、既に伝わっているでしょう。でも、あなたは沈黙して見守ってください。


 すべてが順調に進めば、あと50年も経たずに決着がつきます。ボリスは、呪いを解く方法を姫から聞いていますが、それは姫と、ボリスだけが知っていなければならないこと。むしろ、知る者が多ければ多いほど、呪いを解くのに失敗する危険性が高まるのです」


「もし、姫の呪いが解けなければ?」


 一瞬、彼女は答えをつまらせた。


「神々は魔族に先制攻撃を仕掛けるでしょう。そして、それは魔族には忌避すべき未来ではありません」


 イワンは目を閉じ、息を吐き出してから、開けた。


 フィオの語ったことはイワン自身、驚くことばかりだった。エルダやボリスには、なおのことだろう。彼はなにより、父親として、子の行く末を守ってやらなければならない。


「わかった。私はボリスの父親として、あの子の幸福を望んでいる。そして天空城の王として、国民の幸福を。一人の生きるものとして、善なる生きものの幸福も。


 神の御心のままに。


 そなたの望むままに生きよう。


 そなたもボリスを護ってくれるのだろう、これまでのように。フィオ……」


 頷いた彼女の頬を、ひとすじの涙が流れていった。それは星が空を巡るように見えた。


「……さあ、そろそろ、お別れです、陛下。わたくしは、本来の姿に。あなたは、本来の居場所に」


 広げた彼女の腕が振られると、蒼い花弁が舞い上がった。それは、イワンを包むように渦を巻く。その合間から見える彼女の顔を、イワンは名残惜しい想いで見つめた。すべてをかけて彼女を愛してきた、これまでの想いをこめて。


「今度こそ、永久の別れとなりましょう」


 あの、切ないほどに眩しい光が迸った。

 イワンは光が消える寸前、女神の名を叫んだ。ただ信仰の対象ではない、女神の名を。

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