聖女

 葬列が、近付いてきた。

 王宮前広場から続く広く長い通りは、今は王都中の人々と、葬儀を一目見ようと集まってきた国中の人々で一杯だった。

 葬列を見守る人々は皆一様に涙ぐんでいたが、それは死を悼んでいるというよりも、何か熱に浮かされて陶酔しきっている感じだった。遠来の客達に、元からの王都の住民は口々に、誇らしげに葬列の主の生前の姿を語っていた。

 そうです。彼女は昔から、とても優しい娘でした……。

 あんないい娘はいなかったわ。誰に対しても親切でねぇ、困っているのを放っておけないの。だから、この国の窮状を見てられなかったのよ……。

 わしらを救うために、あの子は死んだんだ。わしらが今こうして生きていられるのも、あの子のおかげなんだ……。

 語られる内容は様々だったが、どの口も最後には必ず同じ言葉にたどりつくのだった。

「あの子は、本当に聖女だったよ……」

 ――冗談じゃない。ビアンカは、この世に絶望しきって死んだのよ。あんた達のためじゃない。

 勝手に、聖女なんかにまつりあげないで。

 レイチェルは、怒りのこもった目で葬列をにらみつけた。

 葬儀は、生前のビアンカには不釣り合いなくらいに盛大だった。もしビアンカがこれを見ていたら、きっと笑ったろう。私は、こんなものを望んでいたわけじゃないのに、と。

 ビアンカは、聖女なんかじゃない、普通の少女だった。レイチェルの、たった一人の友だち。

 だが大人達は、聖女という名をつけて、レイチェルの友だちだったビアンカを奪おうとしている。

 あんた達が、ビアンカの何を知っているっていうの?

 自慢したいだけじゃない。自分は〝救国の聖女〟を知ってるって。本当は何も知りはしないくせに。

 レイチェルは、自分の中のビアンカを思い浮かべる。

 確かにビアンカは優しかった。けれど、街の人達が言うような愛国心や博愛精神の持ち主じゃなかった。レイチェル程攻撃的ではなかったけれど、仲間内以外の他者に対しては冷淡にせせら笑っていた。それは、彼女達のような大人から見捨てられた戦災孤児にとっては、決して珍しい態度ではない。

 長い間、王都ミルラナはハラン軍に占領されてきた。年老いた国王は遠い離宮に閉じこもり、街の大人達は家の扉を閉め切って、全く存在を忘れられた中でレイチェルもビアンカも生きてきた。同じ境遇の子供は他にもいたが、二人の関係は特別だった。いつも一緒だった。分身みたいなもので、相手のいない生活など考えられなかった。

「ねえビアンカ、この戦争、いつ終わるのかしら?」

 いつだったか、そう問いかけてみたことがある。

「レイチェルは、早く終わってほしいの?」

「当たり前よ。ハランの連中なんか、とっとと砂漠の向こうに追い返してやりたいわ。そうすれば何かが……よく分からないけど、何かがもうちょっとマシになるような気がするわ」

 〝希望〟。不思議なことに、あの時の私はまだそんなものが残っていた。

 けれどもビアンカは、いつもの冷笑を浮かべて、言ったのだ。

「――同じよ」

「え?」

「戦争が終わったって、何も変わりはしないの。そう、何も、ね」

 そういう、少女だったのだ。

 ビアンカはこの国が大嫌いだった。ラビスが大嫌いだった。

 だってラビスは、ビアンカの大切な人を奪ったんだもの。無理矢理引き離して、兵士として戦場に送って、そして、殺した。直接手を下したのはハランかもしれないけど、ラビスも彼を殺したの。

 街の外れ、葬列の進む方向に高い塔が見える。旧王宮の尖塔。建物の外観はハランに破壊しつくされて、何代か前に王が住んでいた頃の面影は何一つ残っていない。

 〝その命と引き換えに、願いが一つ叶う〟という言い伝えは、昔からあったのだろうか。それとも、この都にハランが来てから生まれたのだろうか。だが誰も信じていなかったのは確かだ。だって、本当にその塔から身を投げた者など、一人もいなかったのだから――ビアンカまでは。

 ビアンカだって、信じていなかったと思う。ただそこに塔があっただけなのだ。もし信じていたとしても、その願いはきっと、再び彼に会うことだったのだと思う。死ぬ者が、死ぬ前に何を願ったかなど、どうして生きている者にわかるの?

 噂が流れ始めたのは、その直後だった。

 ラビスの勝利のために身を捧げた乙女。不安に駆られていた大人達は、その噂に飛びついた。

 戦え! 進め! 我らは必ず勝利する!

 我々には聖女がついているのだ!!

 ――そうして、ビアンカの名は沢山のビアンカとその恋人を生み出すために、使われたのだ。

 あれよあれよという間に義勇軍の人数はふくれあがり、戦況は一変した。ミルラナからはハランが放逐され、そしてラビス国内からも戦争の影は消えた。ラビスは勝利したのだ。多くの犠牲の上に。ビアンカの名を、人殺しの旗印にして!!

 〝私は、こんなものを望んでいたわけじゃないのに〟そう言って、ビアンカは笑うだろう。いつもの冷たいせせら笑いを、そして瞳の奥には哀しみを揺らしながら。

 かつて、レイチェルとビアンカを無視し続けた王都が、今は救国の聖女を称える人々の群れで埋まっている。戦争が終わって初めての、ビアンカの命日。彼女の遺体は、レイチェルの立てたささやかな墓標の下から掘り出され、奪い去られ、今度は聖女として旧王宮の近くに埋葬される。そして、作られた伝説はどんどん増殖し、聖ビアンカという名のみが人々の脳裏に刻まれて、誰も、ビアンカという一人の少女がいたことを忘れてしまうのだ。

 かわいそうなビアンカ。せめて、私だけは本当のあなたを覚えていてあげる。

 ただの、ビアンカを。

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