リンゴ飴

「たっちゃん、ほら、リンゴ飴!」

 露店を指さしながら、穂奈美ほなみは振り返った。

「あれ買お、あれ買お。な?」

「止めてもどうせ買ってくるんだろ、お前は」

 後ろで拓巳たくみが苦笑いしているのは気づいていたが、それでも穂奈美はたったったと小走りに走っていって、露店の前で、

「おっちゃん、リンゴ飴二つ!」

 と威勢よく声を上げた。

 今日は、鎮守さまの秋祭り。参道の両脇には、わたがしやヨーヨー、金魚すくいなど、とりどりの露店が軒を並べている。中でも穂奈美のお気に入りは、昔からリンゴ飴だった。差し出されたセロファン袋入りの飴を二本受け取ると、穂奈美はまたたったったと走って戻った。

「はいっ!」

 満面の笑みで、拓巳に飴を渡す。

「……変わってないなあ、穂奈美は」

「えー、変わっとらんことないとよ。だって、あたし、もう高校生やし」

 その場でくるっと回る。セーラー服の長いスカートが、わずかに舞い上がる。

「たっちゃんの後輩になったんよ、偉かろ?」

「お前、小学生の頃から、絶対ウチの高校に来るって言ってたもんなぁ」

「あたしのモットーは〝有言実行〟やもんっ」

 そう言って、胸を張る。

 隣りの家のたっちゃん、大学進学で地元を離れてそのまま向こうで就職してしまった拓巳が戻ってくると聞いた穂奈美は、今日、授業が終わるなり隣家へと直行。そして、久々の実家でくつろいでいた拓巳を問答無用で連れ出して、秋祭りへとやってきたのだった。

「にしても、たっちゃんとお祭りに来るなんて、いつ以来やろか。いっつも、夏か冬しか帰ってこんもんなあ」

「フツーみんなそうだって」

 穂奈美が小学生、拓巳が高校生だった頃に比べればずいぶんと身長差は縮まったけれども、それでも拓巳のほうが二十センチ近く高い。拓巳の顔を見上げて喋りながらも、穂奈美の手はスムーズにセロファン袋をむいている。といきなり、豪快に飴にかぶりつくと

「くーっ、やっぱ、この甘さと中の酸っぱさのバランスがサイコーやねっ」

 リンゴ飴の美味しさを、全身全霊をもって表現した。

「……変わってないな、やっぱり」

 さっきから拓巳は苦笑しっぱなしだ。

 飴を手に、二人並んで参道を歩きながら、穂奈美は絶え間なく喋った。話題はくるくると変わる。高校のヘンな先生のこと、最近面白いテレビドラマのこと、商店街の鯛焼き屋が閉店したこと、そして突然、

「あー、たっちゃん、あそこっ!」

 また穂奈美が、露店を指さして叫んだ。

「輪投げ! たっちゃん、上手かったろ? やってやって!」

「……何年前の話だよ、それ」

 そう言いつつも、拓巳は穂奈美に引っ張られるまま、輪投げの露店へと近づいていく。小さい頃から、いつだって、拓巳は穂奈美のわがままにつきあってくれるのだ。

 拓巳がお金を払い、輪を五つ貰う。まだ開けていない飴を穂奈美に預け、慎重に狙いを定めて、一投目。輪は、景品の菓子の箱をかすめたが、かかることなく下に落ちてしまった。

「あー、惜しいっ!」

 脇で穂奈美がきゃーきゃーと騒ぐ。

 二投目、三投目。輪は毎回いい感じで飛ぶのだが、あと少しというところで届かない。

「たっちゃん、最後の一回! 頑張って!」

 穂奈美の派手な声援を受けて、五投目は、見事ぬいぐるみの首にかかった。

「やったーっっ!」

 飛び跳ねて喜ぶ穂奈美。その間に拓巳は景品を受け取ると、そのまま穂奈美に差し出した。

「え……いいと?」

 長いしっぽの先に小さな鈴がついた、ネコのぬいぐるみ。時々目を落としながら、上目遣いで穂奈美は尋ねる。

「これ、あたしが貰って、いいと?」

「俺が貰ってもなあ……」

「そーじゃなくって」

「ん?」

 拓巳が不思議そうに訊き返したが、穂奈美はにっと笑うと

「ううん。くれる物は、有り難くいただいとく」

 そう言って、渡されたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。しっぽの先についていた鈴が、リンと揺れた。

 家を出た頃はまだ日が残っていたのだが、さすがにもう真っ暗だ。夜の帳の中、両脇の露店がともす灯りが二つの列をなしている。

「……どこまでも、続いとると思っとった。昔」

「何が」

 拓巳が尋ねる。

「この道。お祭りの日だけは、どんだけ行ってもお社には着かんで、ずうっとずっとお店の灯りが並んどって。……そんなわけ、ないっちゃけどね」

「――急にテンション下がったな、お前」

「え?」

 穂奈美が、不意を突かれたような顔をする。

「何かさ、お前、今日やたらとはしゃいでるような気がしたから」

「そんなことないよぉ」

 オーバーに答える穂奈美。

「たっちゃんのほうこそ……明日、来るんやろ?」

「何だ、知ってたのか」

 意外そうに、拓巳が言う。

「ウチのお母さんが夕べ言っとったもん。明日、彼女がたっちゃんちに来るんやろ? 家の中片付けるのが大変だって、おばさんがこぼしとったって」

「そんなこと言ってたのか、お袋」

 それを聞いて、拓巳が苦笑いした。「まぁ、俺も、自分の部屋の見られちゃマズい物隠そうと思って、一日先に戻ってきたんだけどな」

「どんな人? どこで知り合ったん? 名前は? 美人?」

「おいおい、身上調査か? どこって……大学の同期だよ。名前は美佳子みかこ。美人かどうかは……どうかなぁ」

 照れ臭そうに笑う拓巳の横で、穂奈美は「みかこ」、と小さく繰り返した。

「……結婚、するんや。たっちゃん。その人と」

「まぁな」

「そっかぁ」

 訊かなくても、知っていた。昨夜、父と母がその話で盛り上がっているのを、聞いていたから。

「たっちゃん」

 穂奈美は、ずいと右手を拓巳に突きつけた。その手には、拓巳の分の、まだ封の開いてないリンゴ飴が握られている。

「これ、あたしのオゴリなんやから、たっちゃん食べなきゃダメ」

「……何だ? 唐突だなぁ」

 笑いながら、拓巳は突き出された飴を受け取った。穂奈美に言われるままセロファンを外して、齧りつく。拓巳の隣りで、拓巳と一緒に、穂奈美も小さく一口齧る。

 さっきより、ほんの少しだけ、酸っぱい味がした。

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