ラプンツェル

 園堂まり子、というのが彼女の名前でした。

 でも私たちは、中学生のころ、「ラプンツェル」と呼んでいました。

 グリム童話のラプンツェルのように、長く美しい髪の持ち主だったからです。二本の三つ編みに束ねた髪の長さが、腰までありました。お母さんが毎朝、時間をかけて編んでくれるのだ、と聞いた覚えがあります。

 ラプンツェルは、私たちの女子校で一番きれいな女の子でした。彼女のようになりたい、と憧れていた子は、たくさんいたと思います。私も含めて。

 彼女は、みんなの「おひめさま」だったのです。ラプンツェルと少し会話ができただけで、どきどきするような。あとで友達に自慢したくなるような、でももったいないから自分だけの秘密にしておきたいような。

 いつもおっとりと微笑んでいて、怒ったり、声を荒げたりしたところを見たことがありません。ラプンツェルは、誰に対しても優しかった。その一方で、誰か特に仲の良い友達というのも、いなかった気がします。

 私は違う高校に進んだので、ラプンツェルのその後のことは、よくわかりません。


 中学三年のときの担任の先生が、近々定年退職されるので、同窓会を開くことになりました。ちょうど、卒業十五周年の節目でもあります。就職して他県に住んでいると、普段はなかなか同窓会に顔を出せませんが、今回は久々に地元に帰ることにしました。

 同窓会の会場に着いて、旧友と話に花を咲かせていると、受付付近でどよめきが起きました。

 ラプンツェルが来たのです。

 同い年ですからもう三十歳なのですが、二十歳そこそこにしか見えません。彼女のトレードマークだった長い二本の三つ編みが、今でも違和感なく似合っていました。多くのクラスメイトが、彼女に会うのは卒業以来でした。みんなが「あのラプンツェルに会いたい」と思う、そのままの姿で現れたのです。

 同窓会が始まり、一人ずつ、近況報告をしました。ラプンツェルは、地元の大学に進学し、今は県職員になっていました。私は、他県の大学を卒業したのち、向こうで就職。先々月に結婚したと言うと、「おめでとう!」と冷やかし半分に拍手されました。聞いていると、クラス全体で、既婚者は半分弱ほどのようです。

 全員の近況報告が済み、料理を食べながらの歓談。たまたま、私の席がラプンツェルの隣のテーブルだったからでしょうか。ラプンツェルが、私に話しかけてきました。

「ねえ、――さん。結婚って、どんな感じなの?」

「どんなって、言われても」

「幸せなんでしょ?」

「……そりゃあ、まぁ」

 照れ気味に答えると、ラプンツェルは十代の少女のように、うっとりした表情で言いました。

「いいわねぇ、私も結婚したいわ」

「園堂さんなら、相手はよりどりみどりでしょ」

「そんなことないわよ」

 笑いながら、ラプンツェルは首を横に振ります。

「大学時代とか、就職してからとか、お付き合いしたことはあるの。家にも、彼を連れて行ったりね。でもね、母に『まり子ちゃんはまだ若いんだから、そんなに急いで人生を決めなくてもいいんじゃないの』って言われると、そうかなぁ、って迷っちゃうのよね」

「……本当に、若いわよねぇ。うらやましいわ」

 ちょっと、ため息。知らない人が見たら、誰も私の同級生だとは思わないでしょう。

「うーん、私はもう少し、『大人の女性』になりたいんだけどな。どうしたら大人っぽくなれるのか、わからないのよねぇ」

 小首を傾げる、その仕草がまた、「お人形さん」みたいで可愛いのです。

「テレビでよくあるでしょ、娘が結婚相手を連れて行ったら、父親が『娘はやらん!』って怒るの。――さんの家はどうだったの?」

「それが、うちの場合、『やっと娘にも春が来たか』って感じで、大歓迎だったわ」

「お母さんも?」

「ええ」

 そう言うと、ラプンツェルは笑みを浮かべました。

「いいわねぇ、うらやましいわ」


 二十一時で、一次会のお店の予約時間が終了なので、あとはめいめいで誘い合って二次会に行くことになりました。誰かがラプンツェルも誘っていましたが、彼女は「早く帰らないといけないから」と、断っていたようです。

 何人かで先にお店の外に出ると、少し離れた暗がりに、女性が一人で立っているのが見えました。お店にいた他のグループの誰かが、私たちと同じように仲間が出てくるのを待っているのだろうと、特に気にも留めませんでした。

 少ししてから、何人かと一緒に、ラプンツェルがお店の外に出てきました。すると、その女性がこちらに近づいてきました。

「まり子ちゃん」

 瞬間、私は見ました。

 ラプンツェルの双眸に、激しい光が閃くのを。

「迎えに来たのよ。だって、もう、こんなに真っ暗なんですもの」

 地味な服を着た、白髪混じりのその女性は、顔立ちはラプンツェルによく似ていました。甘い口調で、女性は話しかけます。その喋り方は何となく、ペットの犬や猫に向かって話しているところを、連想させました。

「帰りましょ、まり子ちゃん」

 ラプンツェルの瞳から、もう光は消えていました。彼女は、いつもの微笑を浮かべて答えました。

「はい、ママ」

 その笑顔が、仮面に思えたのは、私だけだったでしょうか。

 暗闇の中に遠ざかっていく、女性とラプンツェルの後ろ姿。その長い二本の三つ編みを眺めながら、私は考えていました。

 今でも、彼女のあの長い髪はきっと、母親が毎朝編んでいるのでしょう。

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