黒髪

 明日のドイツ語の予習をしようと、部屋で大学ノートを開いたら、ページの間から髪の毛が出てきた。

 何も書かれていない真っ白な紙の上に、太くてまっすぐな黒髪が一本、Uの字を描いている。五十センチくらいの長さはあるんじゃないだろうか。

 私の髪じゃない。私も、カラーリングもパーマもしていない黒髪ストレートだけれど、ずっとショートだ。

 誰の髪だろう。そもそも、何でノートの間に?

 ちょっと不思議に思ったけれども、予習をしなければいけないので、深く考えずに指でつまみあげ、捨てた。


 そんなことがあったのも忘れかけていた、翌月のある日。

 大学で、次の授業のノートを開いたら、また、髪の毛が出てきた。

 やっぱり、五十センチ近くはありそうな、長い長い黒髪。しかも、今度は二本。

「何これ」

 思わずそう呟くと、「どうしたの、千春」と、隣に座っていた芙美がノートを覗き込んできた。芙美は、髪を明るいブラウンに脱色している。

「誰のだかわかんないけど、ここに挟まってたんだよ」

「うわ、長っ。こんな髪の長い子、誰かいたっけ?」

「そういや、前に似たようなことがあってさ」

と説明しかけたとき、先生が教室に入ってきたので、会話をやめて手で髪を払い落とす。床に落ちた二本の髪は、黒々と、絡み合う蛇のようにのたくっていた。


 一週間後。

 今度は、私のシステム手帳の間から、黒髪が三本、出てきた。さすがに気味が悪くなって、芙美に相談する。

「……悪質なイタズラかなぁ」

 何のためにそんなことをするのかわからないけれど、誰かがこっそり、私の持ち物の間に髪の毛を挟んでいるのではないか、と芙美は言う。

 でも、誰が?

「大学に持ってきてる物ばかりだし、やられてるとしたら学内だと思うけどね」

 しかし大学には、少なくとも私が知っている範囲には、こんなに長い黒髪の持ち主はいない。そんなイタズラをされるような覚えもない。

「手帳の中も見られた可能性高いでしょ。住所もバレてるかもよ? 千春も一人暮らしなんだから、気をつけなきゃ」

 芙美の助言に従って、翌日、アパートの部屋の鍵を交換する。


 三日後。

 学内イタズラ説は、否定された。

 コンビニで買ったばかりの、たった今ビニールを破ったマンガの間から、十本近い髪の毛がばらばらと落ちてきた。


 次の日。

 アパートの、部屋の隅に積んであった古雑誌の山をうっかり崩した拍子に、二、三十本もの髪が絨毯の上にぶちまけられた。


 昨日。

 大学にも行かず、家にも帰らず、一日中芙美のアパートにこもっていた。

 芙美の家に届いた、今までずっと芙美が読んでいた新聞を、芙美の手から受け取った途端。

 ぼとり。と、長い髪の毛の房が、落ちる。

「ひ……いやあああっ!!」

 絶叫する芙美。

 私は、凍りついたようにただ、自分の足元にできた黒い黒い海を、凝視していた。



 今日。

 何が起きるのだろう。

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