養殖人魚

 フコーからターキまでは、列車で丸一晩かかります。

 私はフコーで役所勤めをしていて、仕事で昨日ターキの本局に来たのですが、それも今日の午前中には終わり、帰りの列車が出る夜まで暇ができたところでした。

 たまたま、本局で会った業者がフコーの出身だということで話が盛り上がり、彼の店に案内してもらうことになったのです。

 案内されたのは、ターキでも外れのほうのちょっと怪しげな建物の地下でしたが、思った以上に内部は広く、薄暗い照明のもと、大きな試験管のような物が何列も並んでいるのでした。

「ここが私の店兼養殖場でしてね」

 話によると、彼は一風変わった養殖をなりわいとしていて、独自の方法を用いてかなり繁盛しているということでした。

「それで、何を養殖しているんですか?」

「人魚ですよ」

「人魚!?」

「最近ターキの上流階級の間では、人魚を飼うのがはやりでしてね」

 私は驚きました。人魚というのは、遠く離れた北の海に住む美しい生き物で、話には聞いていましたが見たことは一度もなかったのです。ただ、話では数も非常に少ないということだったのですが。

「最初は天然ものを扱ってたんですが、天然ものは人間になつかんですからね。養殖することにしたら、大当たりしまして」

 当たり前です。天然ものということは、それまで平和に暮らしていた人魚を、むりやり捕まえてきたということではありませんか。人魚は人間と同程度の知能を持ち、会話もできるのです。狩られた人魚が、人間になつくはずなどありません。

「まぁ、見てくださいよ、うちの人魚たちを。やあナナ、調子はどうかね。やあリン」

 並んだ大きな水槽の一つ一つに、年の頃は十五、六でしょうか、たくさんの人魚が泳いでいました。人魚たちは例外なく美しく、楽しそうに笑っていました。

 楽しそうなのですが……何というか、それだけというか、奇妙な笑顔ではありました。

「この年頃が一番人気が高いんです。でも、まともに育てると費用がかさみましてね――ここだけの話ですが、うちでは深層水を使ってるんです。海の二百メートル以上深いところから、水を汲み上げているんですよ。栄養分がたっぷり沈んでいますからね、人魚がよく育って、通常の半分くらいの年数で済むんです。この子も実はまだ八歳なんですよ」

 そう言って業者が指差したその人魚は、身体つきだけ見れば若い娘のようでした。ただその表情は身体に似合わず妙に子供じみていて、私には薄気味悪く感じられました。

 隣りの人魚も同じでした。その隣りの人魚も何も考えていないように笑っていて、そしてその隣りの人魚は――。

「……この子は?」

「――ああ。これですか」

 業者の声が急に不機嫌になりました。

「これだけなぜか育ちが悪いんですよ。他の人魚たちと同じ歳なんですよ、これでも」

 その水槽の中にいたのは、八歳というよりもさらに幼く見える、小さな人魚でした。

 真珠色の肌。真っ白な髪。ガラス玉のような青い瞳。ただ、他の人魚たちとは違ってその顔は無表情で、どちらかというと怯えているような印象さえ受けました。

「いつまで経っても売り物にならないのを育てても無駄ですからね。これは処分して、次のと入れ替えようかと思っているところです」

「処分……って」

 瞬間、私は怒りを覚えました。

 彼女たちを勝手に育てて、勝手に売り買いしているのは人間です。その人間の都合で、自然よりも早く育たないから、と処分するなんて。

「だったら、この子を私にください。私が育てます。大事にします」

 業者はぎょっとしましたが、すぐに「それはそれは」と商売人の顔に戻りました。

 彼が口にした額は他の人魚の半値以下ということでしたが、しがない役人の身には辛い額でした。それでも私は、月賦でそれを払う約束をすると、彼女を連れて養殖屋を出ました。二度と来る気はありませんでした。


 ターキからフコーまでは、列車で丸一晩かかります。

 他に誰もいない客車の中で、私と彼女だけが、向かいあってガタゴト揺られています。まるで世界に私達しかいないかのようです。

「さて、これからどうしようか」

 私は、私の小さな人魚に話しかけました。

「養殖屋では、君に何か名前はついていたのかね?」

 彼女は黙って、首を横に振りました。

「そうか……じゃあ、まず君にぴったりの名前を考えないとな」

 そう言うと、私は彼女を見つめました。

 薄い布をマントのように全身にまとって客車の固い椅子の上に腰掛けている姿は、人間の子供と変わりありません。彼女の真っ白で繊細な長い髪は、水から上がると乾いてさらに白さが増し、雪のように軽くフワフワと彼女のまわりに漂っていました。

「――ユキ。ユキはどうだい?」

 彼女は首をかしげました。考えてみれば、生まれてからずっとあの暗い地下にいたのです。知らないのも無理はありません。

「そうか、君は雪を見たことがないんだね。冬になったら、ライ山に連れていってあげよう。あいにく、フコーは雪が少なくてね」

「――ゆき。すくない。」

 彼女が初めて口を開きました。私の小さな人魚にふさわしい、本当に綺麗な声でした。

「そうだね。ユキは一人だ。君だけだ」

 私の言葉の意味が、分かったのかどうか。

 彼女は、ガラス玉のような目を細めてかすかに笑みを浮かべました。

 それが、私とユキとの始まりでした。

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