方舟
「孤島、みたいなものよね」
と、ブレンダが言った。ジャックが聞き返す。
「この〈ノア〉がかい?」
「それもそうだけど、地球そのものがよ。
宇宙のただなかにぽっかりと浮かんでいて、周囲に生命が発達している環境は他になし。恒星で一番近いアルファ・ケンタウリまでだって、4.3光年あるのよ? これ以上汚染が進んで地球に住めなくなったら、あたしたちどこにも行き場はなくなっちゃうわ」
「そんなことにならないように、この〈ノア〉計画はあるんだろ」
ジャックが苦笑した。そこに、不機嫌極まりないといった感じの怒鳴り声が割り込んでくる。
「おいおいお二人さん、くっちゃべるのは地球との通信が回復してからにしてくれ! ビリー! ビリーはどこへ行った!?」
「ビリーなら部屋よ、ロン」
「何ぃ? あいつ、あれからずっと寝っぱなしじゃねぇか」
「仕方がないですよ」
ジャックは飄々としている。ロンの不機嫌は今に始まったことではないし、それにいちいち対応していてもこちらが疲れるだけだ。妙に物事を悟ったような物言いで、受け流す。
「彼は乗船当初から、搭乗員の平均に比べ精神的に不安定な傾向がありましたからね。あんな大事故を経験した後じゃ、ショックを受けて当然ですよ」
「そんな役立たず、何で乗せたんだ! こっちは今、事故の後処理で猫の手も借りたいくらいなんだぞ!!」
ロンががなりたてた。もっとも、彼の不機嫌には十分すぎるほどの理由はあるのだが。
人類の移住可能な地を探るため、火星へと向かう探査船〈ノア〉の居住区画での爆発という大事故。とりあえず船内の生命維持に支障はなくなったものの、問題は山積している。
「役立たず、ってことはないんじゃなぁい?」
事態の深刻さを深刻とも思ってないような口ぶりだが、これはブレンダの地だ。いついかなる時でものんびり構えていられるというのは、ある種才能かもしれない。
「ビリーは優秀な航法担当よ。それに、そのうちショックも抜けるって」
「そのうちってのはいったいいつの話だ!!」
「はいはいロン、それくらいにしておきなさいな」
船長のテレサが、彼をなだめた。
「怒鳴ってストレスを発散したくなるのもわかりますけどね。それより、空気漏れはもう大丈夫なのね?」
「ああ、そっちはOKだ。船内の気圧も安定してる。今のところは、だがな」
ぶっきらぼうな返事だったが、テレサはあえて満足げに応じる。
「それはよかった。ジャック、エンジンの調子はどう?」
「何とか大丈夫そうです。ほとんど奇跡ですね。でも、やっぱりちゃんとしたチェックは僕よりビリーのほうが」
ジャックが、少しだけ弱気なところを見せた。
「それは、今は仕方がないわ。あなたが続けてちょうだい。ブレンダ、通信システムは?」
「相変わらずダメです。こっちは時間がかかりそうですねぇ。
……それにしても、散らかっちゃいましたね、ブリッジ」
言われて、初めてテレサはあたりを見渡した。
通常はそれなりに整然としているブリッジなのだが、今は事故後の混乱そのままにいろいろなものが宙を漂っている。船の電気系統の配線図や、ペンや、誰かの私物らしい本、リボン……
「あーそれ、あたしのです」
ブレンダが、ヒラヒラと舞っていたピンクのリボンを捕まえた。彼女は船内でもいつも服装や化粧に気を使い、髪にリボンをなびかせている。しかし、マイペースと言えばマイペースなのだろうが、こんな状況でもブリッジが散らかっていることを気にできるブレンダの神経に、テレサは感嘆した。
爆発直後は、これでもう万事休すかと覚悟しかけたものの、幸いなことに思ったより被害は少なかった。現在、ゆっくりとだが船内の状況は安定に向かっている。希望的観測かもしれないが、やり方次第でこの〈ノア〉が地球へと戻ることは可能だろうと思える、その希望を抱いてもいいだけの好材料はある。
もっとも、火星の調査という〈ノア〉計画本来の目的は実行不可能になってしまった。人類の地球外への移住は確実に遅れることになるが、今はそれどころではない。
地球が孤島ならば、〈ノア〉はその孤島にすら辿り着けるかどうかわからない、大海原を漂う舟なのだ。
「とにかく、できる限り早く、地球との通信を回復しましょう。帰るためには、道先案内が必要だわ。みんな作業を続けてください」
「はぁい」
「わかりました」
「OK」
テレサの言葉に、ブレンダ、ジャック、ロンはそれぞれ答えた。
21XX年1月20日16時21分55秒 (地球・管制センター時間)
火星探査船〈ノア〉との通信途絶。
21XX年1月28日8時12分30秒
火星探査船〈ノア〉との通信回復。同時に、船内の各種モニター及び搭乗員の生物医学監視モニター回復。
船長テレサ・バートン、搭乗員ジャック・ヒル、ロナルド・スミス、ブレンダ・オースティンの四名の生物医学監視モニター反応なし。
搭乗員ウィリアム・マッケイからの報告によると、20日16時20分頃〈ノア〉居住区画で爆発発生、外壁損傷。原因は現在のところ不明。
この事故により、バートン以下四名は死亡したものと思われる。
なおマッケイは通信回復当初、自らを船長テレサ・バートンと名乗り、まるでバートン本人であるかのように振舞った。その後、ヒル、スミス、あるいはオースティンとしても通信に現れた。
医師の見解では、事故により自分以外の全搭乗員が死亡したショック、その後地球との交信が長く途絶えたことからくる孤独感などの原因により、マッケイの人格が複数に分裂、いわゆる多重人格の状態になっている可能性があるとのことである。
現時点までに、〝ウィリアム・マッケイ〟が姿を見せたことは一度もない。
〝バートン〟らの話によると、彼はずっと〝部屋〟にこもったままだという。
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