「発想の転換。僕の顔はフルーツバスケット」

性転換の手術について、反対している人。


こういう人は多分、性別はいったん弄れば戻せないだとか、同性を好きになる事自体がおかしいんだとかいうんだろうが、離婚だって学歴だって割れてしまった茶碗だって、どう頑張っても元に戻せないものなんか他にも捨てる程ある。


例えば手を失って義手を付けたいと言っている人に対し、それは自然じゃないから辞めておけだとか、はげてカツラを被っている人にたいして、みっともないからはずせ、なんてことを言うんだろうか。


ちなみに僕は最近、奥さんから鼻の頭が黒ずんでイチゴみたいになっているよ、という忠告と、ほお骨のあたりの産毛が濃くなってキュウイみたいに見えるよ、という忠告を頂いて酷く憤慨したが、イチゴとキュウイのある顔って或る意味フルーツバスケットやないか、という突っ込みを思いついてから幸せな関係に戻りました。


はい。それから。


同性を好きになることの何がおかしいのかもよくわからない。

誰が誰を好きになるのかなんてその人の自由だし、他人が口出しすることじゃない。

フルーツバスケットが好きな人間もこの世にはいる。

生殖が生物の大前提だから、それに背く事になるって言うけれど、それを言うのであればオナニーだって背いているし、コンドームやピルのあり方からおかしいじゃないか。じゃああなたは発売会社に文句を言うのか。

動物界でも同性同士での交尾や同性愛が存在している。それは生物の生殖活動でどうやって説明するんだ、みたいな文句の羅列になってきて、本質から外れちゃうからここでいったん置いといて。


だから僕は兄が姉になろうが別にどうでもいいし、それで幸せになれる可能性があがるならもちろんすべきだと思う。


また脱線してしまうんだけれど、これは整形の問題でも多分同じようなやりとりが発生するんだろうな、と考えて。

以前、僕の奥さんと同じ話の流れになって、奥さんは顔の一部にコンプレックスがあって整形が可能であればしてみたい、と言った。

僕はそれに反対をした。


ここで、さっきと言っている事が違うじゃないのかという意見が聞こえてくると思うのだが、この矛盾は僕がずっと気にしていることで未だに答えは出ていない。


どれだけ奥さんが自分の一部にコンプレックスを抱えているから、という理由でその箇所を変えたいと言っても、僕はそのコンプレックスと感じている部分も含めて好きなのだから、反対している。


人は見た目ではないだとか、人は見た目が9割だとか世の中は好き勝手なことを言うが、果たしてそれは世間が決める事ではなく、自分が線引きを決めればいい話じゃないかと僕は思う。


僕はまず見た目で人を選ぶし、その先の付き合いを考えていくと見た目だけではやっていけない。でも性格がぴったりなら見た目で選んでいたとしても多少見た目が変わってもいいのでは、と言われると、それはそれで僕が好きになった切っ掛けがなくなってしまう恐怖感で反対してしまう。


そうなると僕の意見というのは奥さん本意の考え方ではなく、きわめて自分本位の考え方になっていて、はたしてこれは我が儘なのかと言われれば我が儘だろうし、愛情なのかと言われればそれはきわめて自己愛的な愛情なんだろう。


兄の性別と妻の整形。

整形は対他人に対する行動であり、性転換は対自分に対する行動である。

このスタート地点の違いが、僕に矛盾を与えているのかもしれない。


引越しを例に考えてみると、妻の整形に関して言えば、2人で建てた家のリフォームをするかどうかなのだ。2人で納得して建てた家であるにも関わらず、やっぱりこの基礎が気に入らないから変更したいと言われても、

僕はその基礎から出来た家を気に入っていて、もし家の基礎を変更してしまえば今まで上に築いていた建物全体に影響が及んでしまう可能性まで考えて反対してしまう。

僕はいくら古くなったとしても、壊れてしまうまでは愛着のある場所にずっといたい。


例えばもし妻が付き合う前に整形していたのであれば、僕は別に何も言わなかったと思う。

いや、何も言わなくはないか。ちょっというかもしれない。元々どんな感じでいつ頃にしたとか、してみてどうだったとか、他の場所もしたくなるのとか。そう言う細かい事を聞きすぎて、嫌われたりしていたかもしれないが。うん、ちょっとじゃねえな。嫌われるわ。


まあ、もし妻がつき合う前から整形していたとして、整形していると結婚後にカミングアウトされても、それは彼女が生きやすくなる為に必要なんだったと思うし、その整形によって僕は彼女と付き合う事が出来たともとれる。そしてその先に築いていく家は今の形とは少し違っているだろうけど、それはそれで幸せな形になったかもしれない。


ただ、もし今の状態で奥さんが整形したとしたら、それを切っ掛けにして今の幸せが崩れるかもしれない、という恐怖感がやっぱりでかいんだろう。そんなもんだ。僕の選択の基準が、僕が幸せであれるかどうか。それでいいんだ。


で、話もどって。


現状に納得がいっていなくてそれを解決したいという行動が疾患なのであれば、

世の中のほとんどの人間は疾患持ちだろうと。


おっぱいが小さいから大きくしたい。チンコが小さいから大きくしたい。

身長が低いから大きくなりたい。お金がないからもっとお金を稼ぎたい。

これはどこからどこまで願望で、どこまでいくと疾患扱いなのか。


僕が沢山の女性にモテたいヤリたいと思う事は通常で、男性からも女性からもモテたいヤリたいとなるとバイセクシャルで異端扱いになり、男性からも女性からも好かれたいとなると八方美人になり、まあ男なので八方美男子か。となり、あ、子でもねえか。まあいいや。

男性からも女性からも尊敬されたいとなると向上心のある素敵な男となる。

ただ尊敬されたいが為に嘘をついて自分の経歴を詐称してとかになるとそれは病的になり、また疾患として扱われる。


病的か病的じゃないかの差は一体何か。

性別が問題である事は分かっているが、じゃあ例えば男性が女性に対して、処女性をもとめることは病気ではないのか。

処女以外とは結婚しない、と公言している人間は自然の摂理に反していないのか。

動物は処女かそうでないかで相手を捜したりしない。

2次元しか愛せない人間は異端なのか。

ゲームばかりしている人間は実社会でなにも生み出していないから不必要なのか。

じゃあ、読書はどうだ、その本の中に理想の相手を見いだした人間は他人とコミュニケーションをとれないから病気なのか。

もしそれがなにかしらの病気なんだとすれば、その場にいない他人の悪口に花を咲かせてその場その場を取り繕っている人間も病気じゃないのか。


できれば誰だって仕事なんかしたくないし、嫌な人付き合いなんかしたくもないし、遊んで暮らせるならそうする。でもそれが出来ないから我慢して仕事をして、人付き合いを円滑にするためにおのおのに愚痴を言い合う。

そうなると仕事がしやすいグループが形成され、そのグループに所属できない人間は異端児扱いされ迫害される。果たしてそのグループに所属できない人間は、病気なのか。

僕はそのグループがなければ生きていけないような人間の方がある意味では病的じゃないのか、と思う。


自分自身で何も決められず、他人に依存し、他人の価値観の中で生きていく。

どう考えたって、自分自身の考え方に沿って生きている人間よりも異常だろう。


ここで問題になるのは、コミュニケーションのあり方だ。

上で言ったような他人の価値観に依存している人間は、裏を返せばコミュニケーションに秀でている。悪口なんかは他人の理解をえやすく、共感を求めやすいということだ。人間自体、集団行動を取る事で生活基盤を形成してきたからそうなってもしかたがないんだろうけれど。


そこで、自分の行動に対して相手の理解をどう得るか、といいう話になるんだけれど、もともと興味のない人間に対して、どんな説明をしたところで物事は解決しないし、こちらの真意を100パーセント伝えるなんてできない。

夫婦ですらお互いの意見を満足に言い合えないのに、敵意や猜疑心があればなおさらだ。

理解してもらうにはそれこそ身内であったり、恋人であったり、親しい友人であったりの真摯的な関係性が必要なのであって、どれだけテレビでマイノリティを出そうが根本的な理解は広がらない。


面白そうな人たちがいて、ああ、あれオカマ?

いや、今はジェンダーフリーって言わなきゃだめなんだよ、とかの言葉遊びの玩具にされて終わってしまうのだ。


そういえば、能町みね子の、オカマだけどOLやってます、という本のあとがきで、

チンコをとる事は夢でもなんでもなくて、例えて言うならば他人から背負わされた理不尽な借金を仕方なく返済するような感じ、といった文章を読んだ。

理不尽な借金を返さないことには人生が始まらない、というその内容は、性同一障害が疾患扱いになっている、という僕が感じた違和感をとても綺麗に説明していると思う。

疾患ではなく、いつの間にか自分に降り注いでいた大きな荷物の1つなのである。

このたとえは、前もって性同一性障害(能町さんはこの呼び方を嫌っていたが、分かりやすい言葉として)の知識を知っていなくても、とても分かりやすい。


受け入れるだけ、と前に書いていたが、ここまで書いていてなんなんだけれど、やっぱり身内が性転換するっていうのは、以外と僕自身にも変化を与えるものなんだな、とふと思う。受け入れる為には色々調べなければ受け入れられないし、調べたものが確かかどうかも分からない。だからこそ僕自身が無意識か意識的なのかは分からないけれど、あえて柔軟であろうとしているだけなのかもしれない。


とまあ長々書いたが、

僕と兄、母と弟、そして2人目の父へと話をもどそう。

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