「マイノリティが身近に何人かいれば、それはすでにマジョリティ」

兄が高校に入ってからは、僕と兄との交流は目に見えて減っていった。

通っていた学校も違ったし、兄がバイトを始めて夜の帰りがだんだんと遅くなっていったからだ。

そして、その頃から兄と2人目の父親の関係性ももっと悪くなっていった。


兄はとても頭がいい。学校の成績も良かったし、普段の会話でも切れのよさが分かる。にも関わらず、2人目の父親との折り合いを巧く取らなかったのはわざとだったのだろうか、と最近よく考える。

僕は先だっていったようにごますりや気配りが巧い。自分で言うのもなんだけれど。

コレは僕のよくない性格の1つでもあるんだけれど、極力喧嘩や言い合いをしたくないし怒られたくもない。だから喧嘩が起こらないように、言い合いをしないように、怒られないようにするにはどうすればいいのかを常に考えながら生きてきた。


多分兄ほど頭の回転は早いのであれば2人目の父と仲良くするくらいできたはずだし、その方が暮らしやすいじゃないか、とその当時は思っていた。

それと同時に、母を取られた事や弟が出来た事、それに適当に2人目の父親と仲良くしている僕を見ていらだっていたがゆえに、2人目の父親に対してわざとイライラさせるような行動をとっていたのではないのだろうか、とも思っていた。


でも今になって思えば、この頃には自分が男性である事への違和感を覚えていてそのモヤモヤを発散する為に、2人目の父親に当たったりしていたのではないだろうか。

そう考えると、何となく話が繋がっていく気がする。


僕が高校に入る頃には、兄は進路を決める時期に来ていた。

兄の通っていた高校は進学校だったし、兄くらいの学力があればそれなりの大学にいけるのだろうと思っていたのだけれど、なぜか保育の専門学校に行くと決めていたようだ。僕の母もかつて幼稚園の先生だった事があってそれに影響されたのかとそのときの僕は思っていたが、もしかしたら子供に対するあこがれがどこかにあったのかもしれない。


そして、この時に至るまでの間にも、兄の彼女を見た事はなかった。

ただ女友達の数はとても多かったように思う。

母いわく(兄の友好関係に僕はとても疎い)、小学生の頃から女の子のグループで遊ぶような事が多かったらしい。あと兄の小学校時代の担任から、もしかしたら普通じゃないのかもしれない、と忠告を受けた事があったと言っていた。


ここで唐突だけれども、性的マイノリティの区分けというか、違いみたいなものを簡単に抜粋して説明したいと思う。と言っても、いくら調べても細かい所で違う情報が出て来たり時代によって言い回しや言葉の意味合いが変わってきたりもしているので、ごく簡単に。下にあげた以外にも、オカマとニューハーフの違いや、オナベと男装の違いなどもあるらしいのだけれど、今回は割愛して。


まず自分は男性として、男性が好きな人。

これは同性愛者であり、差別的な言葉を恐れずに使うのであれば、ホモセクシャル、と呼ばれるくくりである。

この女性版がレズビアンと呼ばれる。

両方好き、っていうのはバイセクシャルである。と。

次に身体が男性であるにも関わらず、自分は女なんだ、と感じてしまう場合。

兄はこれにあたるらしい。

これにも女性版があり、女性に生まれながらも自分は男性なんだと感じる。

最近よくメディアでも見かける性同一性障害という言葉がこれにあたるのだが、この言葉を少し調べてみる。



以下、Wikipediaからの引用になるけれど。


ーーーーーー


性同一性障害、性別違和は、『生物学的性別と性の自己意識とが一致しないために、自らの生物学的性別に持続的な違和感を持ち、自己意識に一致する性を求め、時には生物学的性別を己れの性の自己意識に近づけるために性の適合を望むことさえある状態』をいう医学的な疾患名。


ーーーーーー



こういった性的マイノリティに対して、色々な感情をもつ人も多いと思う。

色んなタレントがテレビに出るようになって、各段に認知度も上がっているだろうし。ただ、いくら認知度が上がったといっても、理解度は上がっていないように感じる。これも理解をどういう意味でとるかにもよるのだけれど、例えばLGBTという言葉が浸透し、LGBTを差別をしてはならない、という社則をつくった企業が増えてきていたりもするけれど、それを理解があるととるかどうか。


性的マイノリティを守る為にはそういう社則を作る企業が多くなるのはとてもいい。

しかし差別をなくしていく事が目的であれば、そんな社則を持った会社が増えて、どれだけ社会がそういう風に流れているとしても、「個人がそれを受け入れられるようになるまで果てしない時間がかるのじゃないか」という問題を避けて通る事はできない。

本当に必要なのは「そんな社則自体あることがおかしい」という流れだ。本当の理解はそういうことだと思う。


そして、この問題の根源には、性的マジョリティが性的マイノリティに対してどう反応していいのかわからない、という点にあるのではないだろうか。

英語が話せない人間が、外国人に話しかけられて戸惑うように、性的マジョリティは性的マイノリティにどうやって接触していいのかわからない。これを解消しない事には、社会は問題点に対してただ対処をしています、というところで留まってしまい、根本的な解決策にはならない。


じゃあどうすべきなのか。

ここからは僕個人的な考え方であり、もしかしたら差別的、と思われても仕方がないのだけれどあえて書こうと思う。


上の例えでいうのであれば、英語がわからないのであれば英語を勉強すればいいじゃないか、と誰もがいうだろう。その考え方にこそ、誤解を有みだす問題点がある。

普段日本で生活する分には日本語が理解できればなにも問題がない。そんな状態でなぜわざわざ英語を学ばなければいけないのか、と考える人間が多数をしめている。はずだ。


マジョリティがマイノリティの為に努力をするべきだ、と抑圧されている側の人間はいいたいのだろうが、これは言い換えれば、弱者のために強者が折れなければならない、という考え方であり、その考え方はあくまでも弱者の理想でしかない。力のないものがどれだけ声を上げても、その声は届かないし、届いたとしても強者は動かないし、動く必要性を持たない。だからこそ、マイノリティの方から、こういう風にしてほしい、という考えと道筋をだして、どうにかして動いてくれるまで妥協点をみつけていくしかない。

マジョリティに対して「変わってくれ、私たちを受け入れてくれ!」という声ではなく「こういう風にしてくれたらいいだけだから」という譲歩できる範囲の意見をいう。そして最終的に、マイノリティもマジョリティに混じりてぃ。なんつって。

実際のところ、マジョリティもマイノリティもないのりてぃが理想なんだろうけど、それは無理だ。

人が集まればグループが出来る事は避けられないし、全てにおいて平等や公平なんていうのは実現しない。だから、というより、それでも、軋轢や確執なく生きる為にどうすればいいのかを考える方が建設的だと思う。




性的マイノリティに対する異性のマジョリティの対応についてだけれど、例えばオカマ(この言葉が嫌いな方、ごめんなさい)と呼ばれるタイプの人と仲良くしたい、ゲイとの交流を持ちたい、思っている殆どは女性だったりする。

逆にレズビアンと仲良くなりたいと思っている男性はほとんど見かけないし、それ以上に、ゲイと仲良くしたいと思っている男性の方が見かけない。まあ、アダルト界隈ではレズ物は根強い人気だし、レズに対して仲良くなりたいまではいかなくても興味はある程度あるのだろうけど。だたこの興味というものの殆どが性的な興味なんだろう。


オカマやゲイと仲良くなりたがる女性は多くて、オナベ(この言葉が嫌いな方にも、ごめんなさい)やレズと仲良くなりたがる男性が少ないのか、もしくはテレビに出て来る機会が少ないのか。

多ければいいとかいうもんでもないと思うんだけど、まあいいや。

これにもやっぱり性差と、テレビに関して歪んだ配慮があるんだろうな、と勝手に考えている。


男は基本的に性欲で物事を考える。

レズまたはオナベ=性の対象外、すなわち、わざわざ仲良くなる必要なし。よって、仲良くなりたいと公言しない。

こういう事を書いてしまうと、レズやオナベの方から反感があるかもしれない。

私たちだって、そういうふうにしか考えられないから男が嫌なのよ、と。

まったくもってその通りです。うん。男は馬鹿だ。でもまあ、馬鹿でいいんだと思う。

で、ゲイなんていうのは性欲の発散にもならないし、男同士の対等な付き合いもできないだろ、という見下し。だから友達としても恋愛相手としても仲良くなりたいなんて、持ってのほかである。みたいな。


他にも、ゲイといれば自分もゲイに思われそうという考えもあると思う。

これ、差別だとかの問題も多大に含んでいて脱線どころの話じゃなくなるんだけれど、ある程度思った事を書いていく。


ゲイじゃない人間が、ゲイと思われたくない。この考え方は理解できる。

だってゲイじゃないから。

これは差別じゃないと思うんだけれども、

じゃあゲイと思われたくないからゲイと一緒にいたくない、これが果たしてこれが差別なのか、という問題。


君子危うきに近寄らずじゃないけれども、ゲイと思われたくないからゲイとは一緒にいたくないというのは差別っぽい気がしてしまう。


これがゲイではなく、ロリコンだったらどうだろう。


ロリコンと一緒にいたところを会社の人間に見られ、お前もロリコンなんだろと言われたとする。僕はロリコンではないから違うと否定すると、今度は一緒にいたロリコンから、お前はロリコンを差別している、といわれる。となるのか。

ああ、播磨灘。違う。

ああ、無情。これも違う。いや、あってるか。


ゲイであれロリコンであれ、それらが異常性愛者だという認識も何となくおかしい気がしないでもない。というより、おかしい。

じゃあ20歳の男と50歳の女の逢瀬や、50歳の男と20歳の女の結婚は、異常なのかというと、法律にさえ乗っ取っていれば常識的ではないけれどもまあ異常じゃないという考え方がまかり通っている。その判断基準には法律というものがあるんだけれど、法律なんてものは時代によって変化するし、江戸時代なんて10代の前半で結婚するのなんか当たり前だった。


だからといって、法律を変えろだとか、ロリコンを認めろだとかそう言う事をいっているんじゃない。

好きなものは好きでいい。節度をもって行動している人間に、文句をいうな、ということだ。

ロリコンや犯罪を助長するから漫画や小説を規制するといった、そういった類いの話に文句を言っているだけだ。

規制したら、それまではなんとかそれで発散できていた人たちが、爆発してしまうとは考えないんだろうか。

僕は胸が小さい女性が好きなんだけれど、そういう類いの本が減って憤慨している。

いや、憤慨であればまだ心の問題だからなんとでもなるけれど、僕の息子が悲しんでいる。白い涙を流す事もできずに、悲しんでいる。


本当であれば法律に沿っていても沿っていなかったとしても、全部異常じゃないのだ。好きなものを好きという。それが素直に言えない世の中こそ、異常だと思うんだけれど。


ああ、異常。


ああ、また脱線。


ゲイと一緒にいたからお前もゲイかと聞かれ、違うと言えばゲイから差別したという目で見られる。

このへんなジレンマは一体どこからでてくるのか。

きっと、「違う=否定」というような方程式が成立してしまうような時代がおかしいんだろう。


否定された方が気にし過ぎなところもないではない。ただそれはそれ。抑圧されている側の人間の感情は抑圧している側には決して伝わらない。


ここで本当に気にしなければいけないのは、上でいう「お前も○○か」と聞く人間なのだ。

こういう事を聞いてくる人間は結構多くいて、その人たちは自分が原因で差別被差別を生み出していると気がついていない。

その一言が差別の原因なんだ、と気づいていない。そりゃ気づくわけない。もし気がついてやっているなら、それはもうすばらしき感性の持ち主です。


で、どういう対応が一番いいのか。


単純に、友達です。でいい。と思う。

それで理解してくれない人間は、げすい勘繰りが好きなだけで、興味を持っている振りをして、実は対象の人間に興味をもっていない。

お前も○○か、と聞いて、勝手にレッテルばりをして悦に浸っているだけなのだ。

ただこういう人間が一番めんどくさくてどうしようもないんだけれど。


で、逆の立場で。

なぜ女性はオカマ、ゲイと仲良くなりたい、となるのかだけれど、

これから書くのは推測で、もし違う、であったり、私はこういう理由で、とはっきりと理由を述べていただけるなら、教えてほしいです。


よし。


例えばゲイのグループに女性が入り込むのはどちらかといえば容易いように思われている。

これは、ゲイが女性に対して性的な興味を覚えないという前提条件があるので、女性は安心感を持った上で入っていきやすいという理由があるだろう。はたしてこれは、性を越えてフラットな状態として成立しているのかどうか。


切っ掛けはどうあれ、ある程度の友人関係が成立していれば問題はないのだろうが、

「私ゲイに興味があって、お友達になりたーい」みたいな人、いませんか。

これは無意識で女性がゲイに対して優位性を感じている、言ってしまえば見下しているからできることなんだよな。

産まれてこのかた男を(性的な目で)見てきたんだから、私に相談すれば解決するわよ!みたいな。

女で産まれてたんだから、女になりたいんだったら相談してよ!みたいな。

ゲイでしょ!お洒落なんでしょ!毒舌なんでしょ!面白いんでしょ!みたいな。

さらにいえば、ゲイであればだれでもいい、となってしまっている人。

ゲイという言葉のイメージだけで、そこに入り込もうとしている人。

ゲイやオカマやの画一的イメージの固定化。

まあこれは同性愛だけにあてはまらないのだけれど。


LGBTは、性的マイノリティである前に一人の個人である。

これを忘れてしまっている人が多い。


もしこれで分かりにくければ、

男性の制服好きを想像してみればわかりやすい。

女子高生やキャビンアテンダント、ナースに興奮している男。

なんでそんなものに興奮するのか、疑問に思ったことありませんか。

ゲイだから仲良くなりたい、と思っている人間と、こういうので興奮する男性。

感情的な部分でこの2つはとても似通っている。

個人を見ずに、所属しているグループや嗜好で画一化している。

さっきの勘繰り好きな人間と同じで、人物に興味があるのではなく、ゲイが持っている「イメージ」が好きなだけ。で。ちょっと調べてみたら、こういうふうにゲイにつきまとう女性をおコゲっていうんですな。

面白い。


さて、これが逆にレズのなかに、男が入っていこうとした場合。

拒絶を受けることしか起こりえないのである。なぜか。


さっきも言ったように、男は馬鹿だから、である。

以上。

これ以上説明する必要ありますか?


あと、性的であれ性的でないであれ、マイノリティが往々にして理解が得られないのには、細分化しすぎていてそれぞれに別の対処が必要でそれがよくわからないしめんどくさいから、っていうのは絶対ある。理解しようとしていても、細分化されすぎていてよく分からない。

ミルフィーユとヴィエネッタとオペラケーキぐらい違いがわからない。

こうなるととてもじゃないけどお手上げ状態だ。すこしずつ自分はこうだ、と分かってくれる理解者を増やしていくしかない。

これは社会に対してではなく、周囲に対してしていくしかできない。

自分が生きやすい環境を作っていくのは、自分自身でしかない。

エリック・バーン氏の「過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分」という言葉は、未来を変える為には自分が変わる事で他人を変えなければいけない、という逆説的な意味合いを含んでいる。そして、これはマイノリティ/マジョリティに関係なく、誰もが向き合わなければいけないものでもある。

さらにいえば、他人の為に、自分を変えられる強さと柔軟さを持ち合わせなければいけない。

人に変われと言うだけいって、自分は変わりません、なんて、どう考えても自分勝手すぎるもの。


ウィキペディアの引用に少し話を戻すが、

性同一性障害が疾患だ、との記載について僕が思った事。


さっきも言ったように、テレビでの扱いが増えてきてLGBTの認知度は上がった。

しかし、そのテレビの扱いの大半は表面的な面白さを求め、なぜそこに至るのかとか、どうやってそこまでたどり着いたのかという観点が圧倒的に不足している気がする。

もし本当に性的マイノリティや性同一障害が病気なのであれば、テレビは病人を映して視聴率を稼いでいるのか、だとか、視聴者は病人を見て楽しんでいることに気がつかないのだろうか、だとか、そういう考えに話は向かっていくのでないか。

でも今のテレビ番組はそういう方向には向かっていない。なぜならば、そんな話をしたところで面白くないからだ。

人の不幸は蜜の味というように、ある種の不幸はある意味エンターテイメントとなって人を喜ばせる。

しかしこれが不幸ではなく、苦労だった場合、その努力を映したところで、誰も笑えないのである。

だから年に1回だけ、27時間の間に少しだけ頑張っている障碍者を出して視聴者を納得させている。こんなん書いててもええんかな。ま、ええか。


で。共感性がなければそこに感動が生まれる事もないので、自ずとそんな番組は作られなくなってしまう。もちろん認知度があがれば敷居は低くなり、過ごしやすくはなるからないよりはある方がいいし、最近の受け入れられ様を見ていればテレビが役に立っているのは間違いない。


ただ、こういうので見た知識やネットの情報だけで知ったつもりになるのが一番よくないとは思う。

これは自戒を含めてだけれども、下手に身内や知り合いにこういう人間がいる場合、分かったつもりになってしまう。

さっきあげたみたいに性的マイノリティにも趣味嗜好が多分にあり、その人個人の事をきちんと理解せずに、理解したつもりで話をしたり理解があるフリをすると、すんごい失礼に当たる。

血縁関係がある兄のことですら、いくら口で受け入れているとは言っていても、僕はきちんと理解しきれていない。それでも嫌な顔をせずに良くしてくれているのは、ひとえに兄のやさしさだろう。


病気扱いにしたところで、僕が個人的に違和感を覚えているのであって、性同一性障害の方のなかには、はっきりとした名称がついてホッとしている人もいるだろう。

特に、病院でこの疾患だという診断をうけなければ身体の工事をする事が出来ないので、その気持ちももっともだし、他人に話をしやすい、という利点もある。


これだけ書いてみても、納得いかない人はいるだろうし、

そもそも理解のない人はこの文章を此処まで読んでくれないだろう。

読んでくれた方、ありがとうございます。


さて、次は工事の話へと向かいます。

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