第14話

五〜六年生は、鉄男にとって、人生でもっとも楽しい時期だった。

自分より弱い人間を支配する悦びで調子に乗っていた鉄男を、更に勢いづかせる出来事が起こった。

校内のマラソン大会で、それまで最下位争いばかりしていたのに、いきなり五位という高順位を獲得した。

この偉業に、先生は、鉄男をみんなの前で褒めた。

しかし、本当の偉業を成したのは、鉄男の持久力をここまで育てた人間であった。

同じクラスの川下である。

五年に上がった頃、朝、授業が始まる前に、全員で校庭を五周走る時間ができた。この時間に川下は、遅い鉄男にペースを合わせて走ってやった。

川下はマラソン大会では、常に一位の実力者だった。

鉄男が「もう無理だ」と言わんばかりに息を切らせて五周走り終えても、川下は涼しい顔で、僅かな息切れしか見せなかった。

こうした、まざまざと目の当たりにする力の差に、なぜかこの時は劣等感を覚えることがなかった。むしろ、一緒に走る相手がいることによる喜びを感じていた。

こうして鉄男は、喜びの中で少しづつ実力を伸ばせていけたのだ。

この経験が、持久走という新たな可能性を芽吹かせた。


この時の彼を最も愉しませたのは、仲間と一緒にやる『万引き』だった。

仲間は、原口を一緒になってイジメる悪ガキ連中だった。メンバーはマチマチだか、だいたいは鉄男を含めたの四人の固定メンバーだった。

その内の一人『末永』とは、母親に「遊ぶな」と言われていた。

そんな納得のいかない取り決めは、見えないところで、いくらでも破ることができた。

盗るものは、ジャンルを問わなかった。

物欲の解消を目的とすることもあったが、根底に潜む本来の願望は別のところにあったからだ。


仲間と一緒になってスリルを味わう楽しさ。社会に反抗する、弱くない自分たちを感じたい、必然性のための背徳意識。どんな形の行動であろうと、それは仲間の証だった。

そんなことだから、盗ったものを、みんなで集まってコンクリートに叩きつけてぶっ壊したりもした。


この仲間には、鉄男は思う存分ワガママが出せた。

ある時、鉄男は小さめのラジコンに目を付けた。

「これなら服の下に隠せる」

その情報を仲間たちに持ちかけた。早速実行に移った。万引きは成功したが、実行犯は鉄男ではなかった。

一台しかないラジコンの取り合いになった。

今となっては考えられない行動だが、鉄男はそのラジコンを「俺のだ!」といって譲らなかった。

「俺のじゃなかったら帰る!」とまで言って拗ねて本当に帰ろうとした。

結局そのラジコンは、鉄男が家に持って帰ることになった。

早速家でラジコンを走らせていると、母親がそのラジコンに不信を抱いた。

ちょうどPTAの会議で、万引き問題についての話し合いが盛んに行われていた時期だったからだ。

「あんた急にそんなもんどうした?あんた、まさか…」

母親の詮索に、鉄男は焦った。もうバレるかもしれないと思った。

耳を真っ赤にして無視していると、

「鉄男を信じる!」

急に母親が詮索を翻して、その場から立ち去った。

この不自然に鉄男は、母親が何かから目を逸らしたような感じを受けた。


学校が終わり、仲間たちに親指を立てた。

これが「今日万引き行こう」の合図だった。

その日は不発続きで、何も収穫が無いまま十八時門限の鉄男は帰った。他の三人は、そのまま別の店に向かった。

翌朝、学校に行くと、いきなり校長室に呼ばれた。仲間達と、その保護者がいた。

鉄男は全てを察した。

校長が事件の概要を説明し、最後に一人一人反省の弁を述べるように促された。みんな適当に同じようなことを言ったが、鉄男だけは自分の言葉で、みんなと別なことを言った。

「改めねばならない」と思ったのである。


学校が終わってから、母親と、店へ謝りに行った。

鉄男は、小さい頃から貯めてあった貯金を、店の賠償金に充てることを自分から提案した。一件一件の正確な被害金額が分かるはずがないので、これは鉄男のサジ加減であった。


最後の店が終わると、辺りはすっかり暗くなっていた。駐車場に停めてある、母親の車中に入ると、しばらく暗い沈黙が訪れた。

母親がハンドにもたれかかって泣き崩れた。

初めて見る母親の涙だった。

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