散花


薄青に白んだ空は明るく、椿の大木を黒い影のように浮かび上がらせている。その椿の幹を背景に白無垢を着た娘が独り袖で顔を覆って立ち尽くしていた。僧に気が付くと両手を差し伸べて翁を渡してくれと言わんばかりだ。


ゾッとするほどに美しい花嫁は、人ではないと一目でわかる異形の瞳をしていた。それでも眼差しは穏やかに、愛しい者を見るように翁へ注がれている。


近寄っても良いものか、躊躇っている僧へ翁が心配しなくてもいいと告げた。


「お坊さま。あれは恐ろしいものではございません。どうかわしをあの者のところへ」


僧は頷くと椿の根元に立つ娘のもとへ翁を下ろしてやった。

娘は翁の背を抱くようにして座り、その額に浮かぶ汗を袂で拭いてやる。様子をうかがっている僧へ深々と頭を下げた。


「お坊さま。この人を連れて来て下さってありがとうございます。私もこの人も今宵限りの命でございます。せめて最期は一緒にと願っておりました。本当にありがとうございました」


僧は静かに頭を下げると、二人の邪魔をしないよう少し距離を置いて岩を背に座禅を組んだ。


椿女は微笑みを浮かべ、苦しそうな翁の胸をさすっている。

岩だらけの谷間にたった一本逞しく根付いた椿の巨木の陰、紅く降り積もった花びらの上で美しい花嫁姿の椿女に抱かれて、翁は今明けようと空を燃やす東雲を見上げていた。


「随分待たせてしまったね。わしはこんな老いぼれになってしまったよ。それでも一緒にいてくれるかい?」


「待っていろと言いながら、いまさら聞くのかい?」


憎からず想う男のすっかり白くなった乱れ髪を、椿女は撫でつけて整えている。


「お前さまとて、連れ添いがこんな化け物で後悔はなかったのかい?」


「化け物なもんか。わしが一生を通して好いた女子だよ」


昔とちっとも変らない、若い姿のままの椿女の頬を愛おしそうに翁は撫でた。その手の甲に自らの手を重ね、女は目を細めた。

明るさを増す朝焼けの色を受け、目頭より金色の涙が零れ落ちる。


「お艶。一緒に行こう。鬼になったお前が罰を受けると言うなら、たとえ地獄に落ちようとも、今度こそ一緒にいるからね」


「弥三郎、付いて行きます」


男の手から力が抜けて、お艶の頬から滑り落ちた。

時を同じくして、娘もうずくまるように弥三郎の肩へ顔をうずめると動かなくなった。


すると、今まで青々と葉を茂らせ、赤く染まるほど鮮やかに花を咲かせていた椿の大樹が茶色に変わっていく。カサカサぱりぱりと微かな音を立てながら水気を失い枯れていった。やがて自分の重みにさえ絶えざらんとして枝を離れ、二人の躯を覆い隠すように降り積もる。


谷間に流れるように広がっていた赤い花びらの川さえも色を失って塵へと還っていった。


谷が朝焼けに染められる中、枝さえ落とし、椿の巨木は真っ白な灰のように風化していく。 砂山が崩れるがごとく、ほどけるようにその形を変えていった。


突然一陣の風が沸き起こり、谷間を吹き抜ける。

全てのものがざっと浚われるように舞い上がり、黒い風となって空高く吹き上げられていった。


強風が吹き荒れ過ぎ去ったあとには、今までのことがまるで一夜の夢のごとく何も残らなかった。


朝日が闇を払い空の頂へと力強く登っていく。

その光の中、若い僧が独り手を合わせていた。





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椿女 縹 イチロ @furacoco

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