第32話 勝利を祝って



 予選会場を後にした琉斗とレラは、再び王都の目抜き通りまでやって来た。


 今回もレラがいくつか挙げた候補の中から、琉斗が店を一つ選ぶ。少し身体を動かして腹が減っていたということもあり、琉斗は牛肉のステーキが売りだという店を選ぶことにした。


「リュートはお肉が好きなんですね」


 ややからかうように、レラが言う。


「それはそうさ、育ち盛りだからな。それにレラの方こそ、いつも必ずこの手の店を入れてくるだろう。本当はレラが行きたいんじゃないのか?」


「バレましたか。実はそうなんです」


 そういたずらっぽく笑うと、ちろりと淡いピンク色の舌を出す。武装している時はいかにもクールな冒険者といった風貌であるというのに、目の前の彼女はそれとは大きく印象が異なるように琉斗には思われた。


「それでは行きましょう。こちらです」


「ああ」


 日も傾き、目抜き通りには家路へとつく者や夕食の買い出しにやってきたのだろう女たちも増えてきた。そんな雑踏の中、レラに手を引かれながら、琉斗は彼女の後に続いた。






 二人がやってきた店は、王都の中心部からほど近いところにあった。


 ステーキがメインの店と聞いていた琉斗は、ある程度男臭さのあるワイルドな店を想像していたのだが、その店はそんな想像を裏切って実に格調高い佇まいをしていた。


 その手のことには疎い琉斗でさえ、入り口の扉一つ見ただけで敷居の高さというものを感じてしまう。重厚でありながら、よく見れば細かい彫り込みがなされた立派な扉だ。


 店の迫力にやや気圧されながら、琉斗はレラに確認する。


「こ、ここがその店なんだよな」


「はい。こちらのビーフステーキはとってもおいしいんですよ」


「レラはその、こういう店にはよく来るのか?」


「こういう店、というのはこのクラスの高級店ということですか? そうですね、週に一度くらいはお邪魔しているかもしれません」


「そ、そうなんだ」


 贅沢と言えば月に一度家族で行く焼肉屋や回転寿司、という琉斗にとって、このような高級店は極めてハードルが高いものであった。


 もちろん家族みんなで食べる焼肉や寿司は琉斗にとっても十分に贅沢で満足な食事ではあったが、高級店となると、まずマナーのようなものからしてわからない。

 ましてここは異世界。琉斗にとって全く未知のマナーがあったとしても何ら不思議ではないのだ。


 琉斗の様子に気づいたのか、レラが微笑みかけてくる。


「そんなに構えなくても大丈夫ですよ。基本的にはこの前のお店と同じですから」


「そ、そうなのか?」


「はい。私が保証します」


 柔らかなその笑顔に、琉斗の緊張もほぐれていく。まったく、美しいだけではなく気配りまで行き届いている。こんな完璧な女性が存在するということが、あるいはこの異世界において最も驚くべきことなのかもしれなかった。




 レラの笑顔に励まされ、思い切って店の扉を開くや、焼けた牛肉の香ばしい匂いが琉斗へと襲いかかり、鼻腔の奥をくすぐっていく。

 店内には落ち着いた雰囲気が漂い、身なりのいい者たちが皿の料理に舌鼓を打っている。


 中へと案内された琉斗とレラは、店の名物である牛肉のステーキを頼むと、グラスに注がれた食前酒へと手を伸ばす。一瞬、自分のような未成年が食前酒を口にしてもよいのかと躊躇いを覚えないでもなかったが、ここは異世界なのだ。日本の法律を気にすることもあるまい。


 そう心の中で言ってはみたものの、やはり少し不安になった琉斗はレラに尋ねる。


「レラ、つかぬことを聞くが、この国では何歳から飲酒が認められているんだ?」


「飲酒、ですか? 特に禁止されるようなものではないと思いますが、リュートがいた国では違ったのですか? 確かに、小さい子供には飲ませないようにするのが普通ですが……」


「いや、いいんだ、ありがとう」


 特に飲酒が禁じられてないと聞き、琉斗は安心してグラスを手にする。


 レラが眼前にグラスを掲げる。


「それではリュート、まずは予選突破おめでとうございます」


「ああ、ありがとう」


「リュートの予選突破と本戦出場を祝して、乾杯」


「乾杯」


 二人でささやかな乾杯をすると、琉斗は不思議そうに店内を見回した。


「それにしても、この前の店とは雰囲気が全然違うな。ステーキ屋と聞いていたから、もっと酒場のように活気がある店かと思っていたのだが。どの席を見ても、金のありそうな人間ばかりだ」


 少なくとも、琉斗が月一で行っていた焼肉店や回転寿司屋のように、小さな子供が店内を駆け出したりしそうな気配は微塵も感じられない。入ったことはないが、高級焼肉店や銀座の高級な寿司屋などはきっとこれに近い雰囲気なのだろう。


「そうですね、やはり牛肉は希少な食材だからでしょう。乳を取るためではなく、わざわざ食べるために牛を育てるのですからね」


「ああ、そういうことか」


 琉斗も聞いたことがある。食料という観点から見た場合、乳牛に比べ肉牛の生産には多大なコストがかかるのだそうだ。

 ましてここは琉斗が暮らしていた世界に比べて農業生産力に劣る異世界。美食のための生産など、社会にかかる負担も相当なものなのかもしれない。


 どうやら牛肉のステーキを食するというのは、少なくともこの国においてはとても贅沢なことであるようだ。この前は鶏肉だったから今回は牛肉、という実にお気楽な発想でこの店を選んだが、思いがけない出費を強いられることになりそうであった。財布の中にはちゃんと金を入れておいてあっただろうか。


 無意識にそわそわしていたのだろうか、琉斗を安心させようとするかのようにレラが話しかけてくる。


「それだけ特別な料理ですから、味の方は期待していただいて結構です。楽しみにしていてくださいね」


「ああ、楽しみにしてるよ」


 少し落ち着こうと、琉斗は食前酒に口をつける。


「でも、ただ待っているのも退屈ですね。それでは、そろそろ始めましょうか」


「始めるって、何を?」


 琉斗の問いに、レラは少し呆れたような顔をする。


「忘れないでください。予選会場で約束したでしょう?」


 首をかしげる琉斗に、レラはまるで学校の先生のような口調で言った。



「これから、リュートに闘技について教えて差し上げます」


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