第25話 蠢く闇



 そこは、おぞましいとしか形容のしようがない場所であった。



 部屋、と呼ぶにはあまりにグロテスクな空間であった。壁や天井には赤黒い臓物のごとき物体が張り付き、まるで生きているかのように周期的に蠢いている。


 床に張り付いた肉の壁の下には、みずみずしい骨のようなものが見え隠れする。それが支えとなっているからか、肉に足が沈み込んでいくこともない。


 生臭い臭気が立ち込めるその不気味な部屋の中では、幾体もの魔物がそれぞれの作業を行っていた。部屋の真ん中には奥へと続く道があり、その両側には衛兵らしき異形の魔物たちが立ち並ぶ。

 その両脇では、骨と肉でできたテーブルに向かい、体毛のない魔物や骸骨のような姿の魔物が書類をまとめている。


 赤黄色く濁った骨の道の先には、一体の魔物が玉座のごとき椅子に座りながら何やら赤い液体を口にしていた。その脇には、四つの眼を持つ痩せぎすの魔物が控えている。





 そんなおぞましい部屋の扉が、突然開け放たれた。扉を開けたと言うよりは、巨大な弁のようなものをこじ開けたと表現した方が近いかもしれない。


「報告! 緊急報告です!」


 鴉の頭を持つ人型の魔物が、手に書類を持ちながら駆け込んでくる。部屋の奥にいた四つ眼の魔物が、不機嫌そうにその魔物へと近づいた。


「ここをどこだと思っている。下らん話なら、この場で貴様の首を刎ねてくれる」


 四つ眼の魔物の言葉に震えながらも、鴉の魔物は報告を始める。


「も、申し上げます! 魔王軍南東方面軍第三前線基地司令、ボルドン様が何者かの手により討ち取られた模様!」


「な、何だと!?」


 四つ眼の魔物が全ての眼を見開いて驚きの声を上げる。が、すぐに平静さを取り戻した。


「奴ほどの上級魔族を狩れるほどの人間があのあたりにいるとでも言うのか? だがあの猪のことだ、まんまと罠にでもおびき出されたのかもしれん」


 それから、四つ眼の魔物は鴉の魔物に向かい言った。


「命拾いしたな。まずまずの報告だったぞ。わざわざ緊急でここに駆け込むほどの話ではないが、次の司令の人選を考えなければならないからな。やはり、それなりに知恵が回る者を置くべきか」


 何やら考え込む四つ眼の魔物に、鴉の魔物が恐る恐る声をかける。


「じ、実はもう一つ報告がございまして」


「何だ、まだあるのか? 黙っておれば死ぬ危険を冒さずに済むものを」


「こちらの資料をご覧ください。第三前線基地周辺にて、異常な魔力を検出しております」


「何だと?」


 手渡された資料に四つ眼が目を通す。


 そして、驚愕に再び全ての眼を見開いた。


「ば、馬鹿な!? 何だこの数値は!?」


「第三前線基地からの報告が遅れておりましたが、先日あの付近で立て続けに高魔力反応を感知したそうです」


「そんなことは見ればわかる!」


 苛立たしげに叫ぶと、四つ眼は壁際へと駆け出す。そこには、様々な光の文字列や数字、グラフなどが浮かび上がっている。


 四つ眼は文字列と睨めっこしていた魔族を押しのけ、慌てた様子で魔法仕掛けの情報画面を操作する。報告にあった場所と時刻の情報を確認しようと、四つの眼をしきりに動かす。



 しばらくして表示された情報に、四つ眼は今日何度目かの叫び声を上げる。


「ば、馬鹿な!? なぜあんな辺境でこれほどの魔力が検出されるのだ!?」


 四つ眼は全ての眼をせわしなく動かし続けながら、目の前の情報を分析していた。


 報告された数値どころの話ではない。元の情報から察するに、この魔力は人間界でも最高レベルの大きさだ。


 検出された魔力反応は三つ。南東の辺境、マレイア王国の王都レノヴァから東にいくらか進んだあたりだ。森に一つ、荒れ地に二つ。いずれも、さほど強力な魔物がいるわけでもない地域だ。


 その空白地帯である荒れ地で、二つの大きな魔力反応がある。明らかに烈級魔法の反応だ。人間どもの間では最上級魔法と呼ばれている、連中にとって切り札とも言うべき魔法。


 だが、それよりも四つ眼が驚いたのは、森の中で検出されたもう一つの反応であった。


「し、信じられん! この反応、烈級を遥かに超えている! ま、まさか、こんな辺境で破滅級魔法が発動されたとでも言うのか!?」


 破滅級魔法。魔王軍の中でもごく一握りの者しか操れない究極の魔法。人間界においては「禁呪」と呼ばれ、用いただけでその術もろとも歴史の闇へと葬り去られるという禁断の魔法だ。


 四つ眼は慌てて周りの魔物に指示を飛ばし始めた。

 かつて人間界において「禁呪」が発動されたのは、魔王が出現してからたった三回しかないという。そのうちの一回は、魔王軍の最高幹部をも葬っているのだ。

 その場にどれほどの術者が現れたのか、その術者は処刑されたのか、あるいは魔王軍を打倒すべく動き始めているのか。一刻も早く確認しなければならない。




 だが、にわかに騒がしくなり始めた部屋の中に、それを制止する声が響いた。


「待て。慌てる必要はない」


 声の主は、部屋の奥で腰かけている魔物であった。その名をエメイザーという。魔王軍全軍に八名を数えるのみという魔界最強の将、「魔王軍八極将魔」が一極である。


 八極将魔の力は絶大である。その各々が魔王に匹敵する力を持つとも言われ、大陸全土において人間界のみならずあらゆる勢力と戦いを繰り広げている。それほどまでに拡大した戦線を維持し続けられるのは、ひとえに彼ら八極将魔の力に負うところが大きかった。



 四つ眼に向かって制止だけすると、後は誰にというわけでもなくエメイザーが独語し始める。


「なるほど、破滅級魔法か……。私もこの目で見るのは初めてだ。かつて八極将魔が一極、アパティースをも屠ったというその魔法、ぜひともこの目で見てみたいものだ」


 エメイザーの傍らへと戻ってきた四つ眼が苦言を呈する。


「ですがエメイザー様、破滅級魔法ともなればことは我々だけの問題では済まされません。一刻も早く状況を把握して中央へと……」


 その続きを彼が口にすることはできなかった。エメイザーの拳が、四つ眼の顔面を粉々に打ち砕いていたからだ。


 だらりと崩れ落ちる四つ眼の身体には目もくれず、エメイザーは独語を続ける。


「あんな辺境にそれほどの術者が来た理由……そう言えば、そろそろあの時期だったな。いつもは小物しか集まらないから無視していたが、今回は楽しませてもらえそうじゃないか」


 つぶやくと、エメイザーは口元に笑みを閃かせる。


「そうか、そういうことか。それでは、その日までしばし待つとしよう。楽しみだよ、まだ見ぬ禁呪使い」



 血の臭いが満ちる部屋に、彼の狂笑が響き渡った。




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