第10話 王女との別れ


 土と肥料のにおいが立ち込める、王都へと続く街道。

 広大な田園地帯の向こうに、巨大な壁に囲まれた町が見えてきた。


 巨大と言っても、それほど大きなわけでもない。せいぜい大型のドーム球場より一回り大きいくらいの大きさではないだろうか。


 「王都」と聞いて、琉斗は東京都心とまでは言わずとも、百万都市レベルの巨大都市を想像していたのだが、あの大きさでは百万どころか三万人いるかどうかも怪しいように思えた。


 あれは別の町なのか、と思っていると、シュネルゲンが町を指差しながら言う。


「見えてきましたな。あれが王都レノヴァです。我らが国王陛下のおわす町にして、王国最大の都市でもあります」


 やはりあれが王都なのだ。琉斗は少し拍子抜けしたような顔になる。



 もっとも、中世のヨーロッパなどは時期にもよるがそれほど人間が住んでいなかったと聞いた気がする。この国がそれに近似しているのであれば、さほど不思議なことでもないのかもしれない。


「王都にはどのくらいの人間が暮らしているんですか?」


「私も正確な数字は知りませんが、ざっと十万人前後いるそうです。そして、王都を囲む市壁外のこの一帯に、おおむねその十倍近くの民が暮らしていると聞いております」


 シュネルゲンの返答に、琉斗は少し驚く。あのサイズの空間に十万人も暮らすとなれば、それは相当な人口密度になるはずだ。


 それに、今自分たちが歩いている田園地帯にはそんなに人が暮らしているのか。確かにさっきから琉斗たちは街道沿いの集落をいくつも通過しているし、王都の周りにはいくつもの小さな明かりが見えているが、あれが全て集落なのか。


 どうやら町の感覚が琉斗とは違うらしい。こちらでは、あの市壁の中の人口のみを王都の人口としてカウントしているのだ。実際には、周辺の田園地帯を含めた約百万人ほどが王都の人口と考えていいだろう。


 そう考えると、人口は普通に多いのか。近隣の市町村と合併してできた、地方の政令指定都市級の都市を琉斗は思い浮かべる。

 もっとも、関東からあまり出たことがない琉斗には、地方の政令指定都市と言われてもせいぜい千葉市やさいたま市くらいしか思いつかないのだが。







 しばらく進み、王都が近づいてきたところで、後ろから一人の騎士がやってきた。

 彼はシュネルゲンに何やら耳打ちする。

 うなずくと、シュネルゲンは琉斗に向かって言った。


「リュート殿、それではこのあたりで我々は失礼させていただきたいと思います」


「そうですか、わかりました」


 やはり自分と一緒に王都へ入るのはいろいろ不都合なのだろう。


「申し訳ありません、王都までご一緒したいのは山々なのですが」


「気にしないでください。俺も馬で楽ができましたし、いろいろ話も聞けましたから」


 だが、王女に挨拶できないのは残念だな。


 そう思っていると、背後から声をかけられた。


「リュートさま」


 その声に振り返ると、少し離れたところに馬車から降りたエルファシア王女の姿があった。


 琉斗は慌てて馬から飛び降りると、王女に駆け寄り膝をつく。


「ここまで護衛ありがとうございました。王都までご同行できず申し訳ありません」


「いえ、気にしないでください」


 顔を上げると、いかにも申し訳なさそうなエルファシアの顔があった。

 悲しげなその表情が、また美しい。


 月明かりに照らされ、柔らかに光り輝く黄金の髪が風に揺られる。


「あのネックレスは、わたくしたちの親愛の証です。いずれ、ぜひまたお会いしましょう」


「ありがとうございます。お言葉、嬉しいです」


「わたくしこそ、この命を救われて感謝の言葉も見つかりません。このたびは本当にありがとうございました」


 柔らかく笑むと、王女は一礼して再び馬車へと戻っていく。

 その後ろ姿を、琉斗は名残惜しそうに見つめていた。





 王女との別れの挨拶を済ませると、馬車の一行は王都へと向け出発する。


「それでは、ここまでありがとうございました。道中の無事を祈っておりますぞ」


「皆さんも、お気をつけて」


 シュネルゲンと挨拶を交わすと、一行は街道を王都へと進み始めた。


 王女が乗る、一際豪奢な馬車が琉斗の前を通り過ぎる。

 窓のあたりを見つめていると、王女がこちらへと笑みを向けているのが見えた。琉斗も思わず笑顔を返す。






 一行が行ってしまった後、人気のない街道に一人残された琉斗もまた王都への道を歩き出した。この距離なら徒歩でも三十分はかからないだろう。


 虫の音だけが聞こえてくる静かな街道は、月光に優しく照らされている。


 琉斗には、その光景がこれから意外と穏やかな日々が待っていることを暗示しているかのように見えるのだった。



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