エツオさん

鳥海勇嗣

第1話

ねぇあんた、エツオさんを知ってるかい?

 

 夢を見ていた。上半身裸の僕は体を見えない何かで抑えつけられ、台の上で仰向けに寝そべっていた。むき出しになっている僕の腹部はパックリと開いていて、その中からは内臓らしきものが色鮮やかに見えていた。僕自身にはスポットライトのような光が当たっていたが、周囲は完全な暗闇で、僕の他にはかろうじて光の当たっている執刀医らしき、ビニール製の手袋をはめた人間の腕が見えているだけだった。それは何だかテレビドラマなどで観る、手術の光景によく似ていた。さらにそのむき出しになっている内蔵を、まるで木に実っている果物をそうするかのように、その執刀医らしき人間が、ムシリムシリと不快な感覚を腹腔内に響かせながら捥ぎ取っていく。僕の夢は色つきで、しかも痛みもたまについてくるので、こういう夢は本当に困ってしまう。何度か捥ぎ取られていると、僕の腹腔内はいよいよ一つの臓器を残すところとなってしまった.


「古賀~、古賀~」


  車内アナウンスで僕は目を覚ました。目的地だ。たぶん旅の疲れと、真夏の日差しの不快感で悪夢でも見てしまったのだろう、じっとりと嫌な汗をかいている。あまりにもリアルな夢だったので、念のため腹の辺りを手で探ってみた。

 陽の光がうざったらしいぐらいに地面を反射する八月、久しぶりに僕は生まれ故郷に帰ってきた。帰郷は実家を離れてから実に数年経ってのことだった。

 博多から(恐らく本州の人たちは福岡を語る場合、博多を基準にしたほうがピンと来るだろう)電車で30分、高校時代頻繁に利用した駅を降りると、すぐに商店街が僕を迎えた。僕は辺りを見渡すと陽の光に目をやられたというわけでもなく、目を細め口を歪めた。もちろん、節約のために青春十八切符を使い、神奈川から福岡まで鈍行で帰ったので、長旅での疲れのために、顔が歪んでしまったということもある。しかしこの顔の歪みはそれ以上に、予想していた故郷の状況が、やっぱり予想通りだったことに起因する。

「帰って……きたのか?」


                 *


 僕の生まれ育った福岡県の古賀は、本当に何にもないところだった。

 もちろん電気も道路も通っているし、カラオケもあるが(しかしスナック限定)、故郷としては外部に誇れるような、真っ先に名前の挙がる温泉のような名所も美味しい名物もなく、古賀にある古賀駅、つまり町の名を冠した駅の周辺にはシャッター街が広がっており、残った店々にも閑古鳥がけたたましく鳴いているというような有様だった。

 今日が日曜ということもあるが、僕が今目にしている商店街は、人類が死滅したのではないかと心配になるぐらいに人通りがなかった。さらにそこは市の中央の駅付近だというのに、夜11時以降はコンビニもないため、その周辺のほとんどが闇に閉ざされてしまう。唯一光を放っている建物であったとしても、それが『あおやぎ会館』、葬儀屋という始末なのだ。

 つまりここはそういうところなのだ。夢も希望もなく、せっかく光が見えたと喜び勇み、羽虫のように引き寄せられようものなら絶望的な止めを刺してくる、つまりはここはそんなところなのだ。ノスタルジイを喚起する程のど田舎という訳ではなく、かといってもちろん都会でもない。なんとも中途半端な土地なのである。

 この町に何もないのは、町の人間達が何も作らせようとしなかった、ともいえるかもしれない。祖母が若い頃には、線路を通す計画に、農家の人間が「もし電車の騒音で鶏が驚いて、卵を産まなくなったらどうするんだ」と反対し、無事に線路を通して、次は快速を停めようとすると「みんなが博多で買い物をするようになったらどうする。商店街には客が来なくなってしまう」と、商店街の人間が反対する。新しい商売を始めようとすれば町の寄り合いからはじかれるので、新しい店がなかなか出来ない。例え出来たとしても、みんなで協力してその店に行かないようにする始末だ。

 なぜ僕が数年間帰郷しなかったのか?それは金銭面の問題もあるが、そんな若者にとってなんら新しい刺激を提供してくれず、代わりに古臭さと、閉塞感だけを提供してくれるこの場所に帰りたくなかった、という理由がある。

 馬鹿にされるかもしれないけれど、要するに僕は平成も十年以上経っておいて、「なんかこの田舎はいやだ」「とりあえず東京に行けば」という、恥ずかしいぐらいの紋切り型の鬱憤を貯めた、ありきたりな地方の若者だったのだ。

 しかし、それだけではないはずだ。それ以外の何かが無いと、ここまで帰郷を拒む理由は無いはずだ。しかし、それが何なのかわからない。

 ただ一つの違和感としては、相変わらず人が極端に少ないこの駅も、百M走ができそうな位、障害物も人通りもなく真っ直ぐに伸びている商店街も、見覚えのある数々の景色であるはずなのに、なぜか僕に対してよそよそしいということを感じる。以前の彼らは、それこそ無言でじっとこちらを見ているような、妙な圧力を僕に与えたものだが。


 エツオさんを知らない?それじゃあこの町じゃモグリってもんだぜ。

 

 とはいえ、そんな僕の故郷にも、他県なんかには誇れないが、名物と呼べる、いや「名物おじさん」と呼べる人がいる。それがエツオさんだ。「古賀町でエツオさんを知らないやつはモグリだぜ。」そんな台詞が出てくるくらい、彼は有名人だった。

 そうだ、今日はエツオさんの事を皆さんに話そう。そうすれば、一見駄目駄目な僕の生まれ故郷であるこの古賀に、皆さんも少しは愛着のようなものを感じてくれるのではないだろうか。先程からまるで生まれ故郷をこき下ろしているみたいだが、僕だって心の奥底ではこの故郷を愛しているのだ(と思う)。以前、古賀の浜辺に鮫が出没して、全国区のニュースでこの町が紹介されたときには、その文脈はどうであれ、ほんの少しだけれど誇らしい気持ちになったものなのだから。

 ではエツオさんは一体何をやったのか?町に多額の寄付をした?立身出世をして町の名を有名にした?災害時に活躍して多くの人々の命を救った?いや何れでもなく、それどころか彼は何もしなかった。ただ存在するということで彼は有名人だったのだ。

 なぜ存在するだけで有名人なのか?それは僕に聞かれても困る。いや冗談抜きで本当に困るのだ。「エツオさんは有名である、しかしなぜ有名であるのかはわからない。」エツオさんはそんな『不思議の国のアリス』の問答を体現するかのような、魅力的な『不思議』に満ちた存在だったのだ。

 皆さんに「エツオさんの事を語ろう」といった手前、いきなりエツオさん関して何も語れない、というのもあんまりだが、実際に語ろうとすると、何から語っていいのだろうかと、やはり言葉に詰まってしまう。一つ一つ掻い摘んでいくとしよう。 まず、彼は町のどこにでもいた。朝は駅にいたと思ったら、昼は図書館にいて、夜には公園にいる。どんなに距離があったとしても、彼はこの町のどこにでも、しかもその日のうちに目撃された。とはいえ、エツオさんを目撃したところで「おお!エツオさんだ!」と興奮するわけではない。認識して「あ、いた。」ぐらいのものだろう。基本的には、改めて指摘されないとあまりエツオさんを僕らが認識することはない。

 また彼はどんな時にもいた。どんな些細な町のイベントにも顔を出し、盆踊りのときなどにはなぜかやぐらの上で太鼓を叩いたりしていた。そういった時もやはり、「あ、いる。」と認識される程度だが。また、大きなイベントではなくても、ただ僕らが公園で遊んでいると、いつの間にかエツオさんが後ろで公園のベンチに腰掛けて、僕らを眺めていたりすることもあった。しかし、たとえ見られていたとしても、僕たち子供は別段気にすることはなかった。エツオさんは無害な存在であって、そして僕らはそれを子供ながらに心得ていたからだ。風景と一体になっているエツオさんは次第に夕日に溶けていき、僕らが遊び終わり日が暮れるころには、跡形もなく消えていた。

 このように何時でも何処でもいるものだから、僕らの記憶の被写体として、メインではないが、その隅っこにエツオさんが写り込んでいたのだ。そう、彼は言わばこの町の風景だったのだ。

 しかし、それだけではただエツオさんが存在するということで有名になるということの根拠にはならない。

 皆さんにはまだ全くエツオさんの全貌が見えてきていないと思うので、エツオさんの大きな特徴を挙げておこう。基本的に、エツオさんは「かなり」昔風にいうとだった。そしてそれを基点として様々な彼の伝説が生まれていたのだ。ではその伝説とはどのようなものなのか?老婆とその孫の会話を例にとって見てみよう。(あくまでこれは仮の、しかし象徴的な会話である)

「ねぇねぇ、お婆ちゃん。なんでエツオさんはあげんあると?」(訳※ねぇねぇ、お婆ちゃん。どうしてエツオさんはああいうふうなの?)

「そりゃ、あれたい。エツオさんが勉強ばし過ぎとったけんたい。」 (※それはあれです、エツオさんが勉強をし過ぎたからですよ。)

「あんま勉強ばし過ぎとったら、エツオさんごたーなるん?」(※あんまり勉強をし過ぎると、エツオさんのようになるの?)

「そげんたい。勉強ばっかして頭ば使いすぎよったら、エツオさんごたーなるとよ。やけんね、メイちゃん(仮名)も勉強ばかりしとったらいかんとよ?世の中にはぁ、勉強よりももっと大切なことがあるっちゃけんね。」(※そうですよ。勉強ばっかりして頭を使っていたら、エツオさんみたいになるんですよ。だからね、メイちゃんも勉強ばっかりしていてはいけませんよ?世の中にはね、勉強よりももっと大切なことがあるんですからね。)

「は~い。」

 このようにして、本当はただ単に神がかっていただけかもしれないエツオさんの存在は、いつの間にか伝説を含み、更にはイソップ物語張りの教訓を含んで、僕たちに語り継げられるようになるのだ。

 またそれに加え、彼の服装はいつも小奇麗であった。一部にいる「神がかり」とは違い、彼の服はいつもポロシャツにチノパン、それもそれらは色褪ておらず、新品のような感じのものであったことから、「エツオさんにはちゃんと面倒を見てくれる人がいる」という推測が生じる。そしてそれが「お金のある家庭の人間だ」という話に発展し、最後には「エツオさんは富豪の息子であり、別の兄弟が彼の面倒を見ている。」という結論にまで達してしまう。やはりここでも噂がいつの間にか伝説となっていく。

 重要なことなのだが、彼は決して自分からは語らない。こちらから、話しかけてもほとんどその意味は通じない。しかしにもかかわらず、否、そうだからこそなのだろうか、彼には伝説が次々と生じていくのだ。

 そしてエツオさんはこの町のことなら何でも知っていた。いろんなことを聞けば必ず「知っているよ」と答えてくれるのだ。

「僕の妹が図書館に行っていたんだけど、エツオさん見た?」

「ああ、知ってるよ。」

「今度、新しい町長さんになったけど、どんな人?」

「ああ、知ってるよ。」

「今日の僕んちの晩御飯なんだろう?」

「ああ、知ってるよ。」

それ以上のことは言わなかったが、彼が知っているというのできっとそうなのだろう。

 年齢はというと不明ではあるが、少なくともお爺さんではあった。60代といいたいところだけども、僕の母が子供のときからお爺さんだったために、やはりはっきりとした年齢はわからない。外見に関しては、常に外を出歩いているために、浅黒く日焼けしており、髪型は坊主頭が微妙に伸びた感じで、常にそれ以上髪型が短くなることも長くなることもなかった。そしてエツオさんは子供に対しても大人に対しても、上目遣いの気さくな笑顔を終始絶やさなかった。

 そんな僕の母親の時代からエツオさんはエツオさんだったので、僕自身もいつ頃からエツオさんを知るようになったのか覚えていない。気が付くと僕の風景にはエツオさんがいたのだ。

 中学の頃には、決してエツオさんの話題には触れることはなかった。みんな同じ町にいたからだ。しかし、高校時代には古賀町の人間と一緒にエツオさんの話題を取り上げ、内輪受けをし、そしてそれを奇妙な顔で聞いている他所の学区のクラスメートを面白がったりした。そうだ、僕らの町には大きなアミューズメントパークも、映画館もない(映画館に関しては、町の公民館がその代わりを果たしていた)が、エツオさんがいるのだ。そんな確認を僕たちはやっていたのかもしれない。

 高校時代に彼女ができたときは、やはり僕も例に漏れず、嬉しくて何もないにもかかわらず、みんなに自慢するように古賀を歩き回ったものだった。しかし、やっぱり何もないので、最初は恋愛ごっことしてその散歩に付き合ってくれていた彼女も、飽きが来たのと同時に呆れ果て、とうとう終いには、

 「ほんとに何(なん)もないっちゃね。」と漏らしてしまうぐらいになってしまった。まぁ彼女がそういうのも仕方がないといえる。古賀のセブン・イレブンときたら、創立時のコンセプトを頑なに守り、きちんと11時には閉店するようなところだったのだから。 そんな感じで呆れている彼女に対して、僕はたまたま鳩に餌を上げているエツオさんを指差し、

 「エツオさんだよ。君の町にはいないだろう。」

町の文化遺産に指定された大木をそうするような感じで紹介した。彼女は案の定、ぽかんとした顔をしていた。

 よくよく考えてみると、エツオさんの存在する僕たちの日常はなんと奇妙だったことか。少しずつ故郷と距離が広がると、僕らは少しずつ故郷を思い出す。そのとき、僕はエツオさんを、不本意ながら少し感じていたのだ。

 しかし、やはりどんな出来事を挙げたとしても、どんなに思い出を遡ったとしても、それらはエツオさんをエツオさんとして特徴付けることは出来ないだろう。ではなぜエツオさんはあんなにも古賀と一体になっていたのだろう。

 ただひとつ言えることは、それは僕たちがどうしようもなく僕たちであり、そしてエツオさんがどうしようもなくエツオさんだったといえるだけなのである。いまいち言葉で表現できない古賀と、言葉で正確に言い表せないエツオさん、切ってしまおうと思えば簡単に切ってしまえる縁なのだが、しかし何かがそうさせない。

 ついでにエツオさんと並んでもう一つ、名所とまではいかないが、僕の故郷には中型ショッピングモール「サンリブ」があった。どちらかというと、こちらの方が古賀の外部の人には有名だった。しかし、古賀の(一応の)名所だというのに、僕らはなぜかここでエツオさんを見ることはなかった。

 「サンリブ」は僕が小学生ごろに、駅から延びている大通りを挟んだ、商店街の反対側にできたものだが、なぜかあれだけ電車やその快速に反対していた人々が、この「サンリブ」に対しては反対をしなかった。一つには商店街の通り道になるめ、商店街の利益になるのだという計算があったらしい。

 とはいえ、やはりこの中型ショッピングモールは、古賀にできただけあってなんとも中途半端な所であった。食事処には、一応マクドナルドだのケンタッキーだのミスタードーナツだのはあるが、小規模なためテレビで宣伝している新メニューがなかったり、飲み物を売っていなかったりした。アミューズメントパークらしき所は、やはりなんとも中途半端に、ビデオゲームやコインゲーム、エアホッケーがおいてあるだけだった。

 中途半端な古賀にできた、なんとも中途半端な施設、サンリブ。その存在は、田舎の人間が都会に遊びに行く際に、気合を入れて着飾り、逆に外してしまうさまによく似ている。中途半端でネタにならないので、僕としては積極的に皆さんにこの施設を紹介する気にはならないし、実際古賀にいたときも、僕はあまりここの事を他所の人間には話さなかった。


 エツオさんに会ってみたい?なに言ってんだい、さっき見たじゃないか。あれがエツオさんだよ。


 僕が高校に入ってからすぐに、僕の町は市になり、名称も古賀市になった。他の一部地域を合併して広くなり、僕達の知らないところが古賀になった。そして同時に人口も増え、僕達の知らない新しい人達が古賀の人間になった。

「これで俺たちもシティーボーイやね。」

「なんば言いよーとや、古賀のもんが。サンリブしか無かくせに、シティーボーイっち。」(訳※何を言っているんだ古賀の者が。サンリブしかないくせに、シティーボーイだって。)

 僕達はそんな感じで、自分たちの町が市になったことを単純に喜び自慢し、そして周囲の田舎の人間はそれをやっかんだ。

 僕らはきっと自分達の町(今では市)は、この故郷は、大きく変わるのだと思っていた。事実、年寄り達にあれだけ反対されていた快速電車も停まるようになったのだ。一方で新しいアミューズメントパークができる、大規模なテーマパーク、遊園地ができるなど、様々な噂を聞いた。その噂のいずれもが根拠がなく、発生元も分からなかったが、僕達は故郷の発展を信じて大きく期待した。

 そうだ、どう古い人間が足掻いたって時計の針は止まることを知らないのだ。

 しかし、そんなことは誰にだって分かることなのに、その針がどこへ行くのかは、ほとんど誰にも分からなかったりする。昔のハリウッド映画で「未来は運命ではない、変えられるものだ」とは言っていたが、その変化というものに対して、人はどれほどその意思を介在させられるものなのだろうか。

 古賀町が市になってからまもなく、新しい市長が誕生した。天気予報が『東京』と表示するところから来た人間のようだった。彼が就任してから、少しずつ僕達の古賀の行く末は輪郭を帯び始めた。市長は言う

 「これからの古賀は、伝統を破壊しながら発展するのではなく、今まであったものをより発達させて大きくなっていくべきです。」

 しかし、最初に言ったように僕達の町は「サンリブ」以外何もなかった。何も作ってこなかったからだ。

 何もないなら、例え身を削り取ってでも何かをひり出すしかない。

 古賀は取りあえず「土地」には恵まれていた。だから役人は山を削り、底なし沼を埋めた。川を狭くして、道を広くした。さらに快速が通るということで、福岡市へのアクセスも楽になり、結果古賀はベッドタウンになった。

 いや、そもそもそれが狙いといったほうが良かったのかもしれない。すべてが終わってみれば、結局古賀は「サンリブ」が出来たときにはもう、ベッドタウンとなるようにそのベクトルが定まっていたのだ。

 人がどんどん増え、古賀の古い人間は大喜びした、「これで町が活気付く」と。エツオさんはそんな人通りの増えた駅で、宗教団体に騙されて大量にもらってしまったビラを、ご機嫌な様子で配っていた。  

 しかし新しい人たちは商店街には行かなかった。「サンリブ」で買い物をし、商店街は車の通り道となるだけだった。いや、道幅の問題から商店街の店々は邪魔なものにすら捉えられた。より一層エツオさんの寄らないこの中型ショッピングモールが古賀の人間の重要な位置を占めていった。

 新しい人々は町の寄り合いを嫌がった。古い祭りを継続させることも嫌がった。彼らは町に、このベッドタウンに、文字通り寝に来ているだけだったからだ。   

 気が付くとエツオさんが踊る祭りは行われなくなってしまっていて、イベントといえば、「サンリブ」のイベントホールで行われるヒーローショーの類になっていった。手垢の、汚れのついていない、いくらでも模造品の作れるような、そんなイベントに僕たちはこの町の発展を見ようとしていた。

 また、新しい人達はエツオさんを嫌がった。彼らはエツオさんに「神がかり」ではない固有名詞を与えようとした。与えられるものだと固く信じた。そして、彼らはそんなエツオさんから力のない子供達を遠ざけ、力のある大人達はあえてエツオさんを無視しようとした。

 いつの間にかエツオさんは古賀の風景ではなくなっていた。

 僕はといえば高校卒業後、若人の情欲を十二分に持て余し、余った勢いでこの町を出て行くことにした。もううんざりしていたのだ、駅前で女の子に声をかければ、翌日には近所に広まり、翌々日には親戚の耳に入り、一週間以内には両親の知るところになるようなこの土地が。とりあえず何の計画もなく、いきなり出て行ったので、両親は家出だという風に親戚に説明したようだ。

 この町を出る朝(出発というのはやはり朝に限るという思い込みでの行動だ)僕の目にはこの古賀駅はどのように映ったのだろう、今ではもうまったく思い出せない。僕が最後に古賀市民だったとき、そこにエツオさんはいたのだろうか。僕を見送ってくれていたのだろうか。しかし例えそうだったとしても、エツオさんがあの変わらない上目遣いの笑顔で、僕の門出を祝ってくれていたとしても、あのときの僕にはここの外しか見えていなかっただろう。

 結局僕も、最後にはエツオさんに白々しい眼差しを投げかける様な人間なっていたような気がする。

 とりあえず、僕がエツオさんについて話せるのはここまでだ。古賀を出てからは、エツオさんのことを知る事は叶わないのだからそれ以降のことは分からない。わざわざ家族に電話でエツオさんの近況を訊くわけにもいかない、というよりまるで必要がないのだから。

 ここまで話すとどうだろう、皆さんにも古賀の輪郭と、その魅力が少しは伝わったのでは無いだろうか?

 そうでもない?余計分からなくなった?まあそうだろうね。


見えないのかい?あんたにはエツオさんが。


 駅を出て駅前の広場を抜け、商店街にある母の経営する総菜屋に向かう。商店街のあちこちには、ここのイメージアップのためということで、黒猫のような、オバケのようなキャラクターのパネルが貼ってあった。聞いた話では、よく分からないどこかの雑誌の漫画賞を受賞した、自称アーティストとやらがこの町にいて、それを聞きつけた商店街の40代後半で構成されている青年会が、その自称アーティストに商店街のキャラクター製作を依頼したのだという。

 しかし、商店街のイメージアップを担うはずだったそのキャラクターたちは、雨風に晒されたたせいで、程よい感じで塗料が溶けてしまい、その多くが涙とも涎ともつかないものを垂らしているみたいになっている。なんだかこの商店街に漂う悲壮感を、より一層強調しているみたいだ。

 母の店につくと、母は僕を出迎えるために待っていてくれていた。散々反対していた東京行き(正確には神奈川なのだが、福岡人にとって天気予報が『東京』を示す場所は皆東京なのだ)なのに、いざ帰ってきたらきちんと出迎えてくれるのが、申し訳なくも嬉しかった。母は少し老けたようで、家にいたときよりも幾分小さく見えたが、それでもそれは僕の最初に感じた違和感の正体ではなかった。母は僕を夕食の材料の買出しに誘ってきた。

「何(なん)が食べたいね?」

 店の配達用のバンを運転しながら、母は少し弾んだ声で話しかけてきた。必要以上に優しく接してきてくれる母に嬉しく思い、勢いで「母さんの手料理。」と、恥ずかしいくらいにありきたりな返答をしようとも思ったが。

「う~ん、すき焼きかな。一人暮らしじゃ食べる機会がほとんどないんだよね。」と無難に答えておいた。

「そう、じゃあお肉買わんとね。サンリブ寄ってこっか。」

「うん。」

 お互いに何か上機嫌のようだった。母と僕は、傍目から見ても分かり易いぐらいに、私たちは遠くで一人暮らしをしている息子とその母親ですよ、という雰囲気を醸し出していた。

 窓の外の走る風景を見ながら、やはり自分が家を出る前の町並みと少し変わっているところが所々あることに気付いた。

 たまに買い物に行っていた、可哀想なぐらいに古びていたスーパーマーケットは、平たくなって駐車場になっていた。友達の家がやっていたケーキ屋「アマンド」は、東京の同名店舗に苦情を入れられたらしく、名前が変わっていた。時々猫の死体が落ちているので、みんなと度胸試しで入っていた線路沿いのススキ畑は綺麗な家々に変身していた。 そんな風景を見ていると、ふとあることを思い出し、僕は無意識的に母に尋ねていた。

「そういえばエツオさんは?」

 なんでこんなことを急に、しかも久しぶりに会った母親に聞いているのだろう。自分でも口に出したとたん、その問いに違和感を覚えていた。母も「?」とした顔でこちらを見やってから、 「誰ねそれ?」 と言った。

「……ほらあの人、いつも小奇麗な綿パンとポロシャツ着てた……、よく盆踊りとかに来てたじゃない。ここの名物おじさん。」

「ああ、エツオさん、越尾孝司えつお こうじさんね。どげんしたと、急に?あん人ね、古賀の隣に千鳥ってあったやろ?今はそこにある施設に入っとーみたいよ?ほら、知的障害もそうやけど、もう越尾さんも歳やけんね。近所の人の協力で施設に入れてもらったげな。……それにねぇ、最近あの手の人の犯罪が増えとーやん、ニュースとかでも。やけんねぇ……、」

「……そう。」

 僕は、少しそれに驚きはしたが顔には出さず、ただ窓の外をぼうっと見続けた。それから何故か気付かれないように、こそっと運転している母の横顔を見た。しかし、母は何の異常もないとばかりに運転を続けていた。そして僕は、ここに着いてから感じつづけていた、違和感の理由を悟ったのだ。

 そしてなぜか僕は、声にならないほど小さな声で「越尾さん」と呟いてみた。すると僕には、車の窓の外を流れていく風景が、そのまま流れっぱなしで元に戻らず、ドロドロになって、最後には真夏の日の光で乾燥し、風で砂塵のように跡形もなく飛ばされてしまった気がした。


 エツオさんは……、どこに行ったんだろう?


 夕食は僕のリクエストどおりすき焼きだった。久しぶりに財布を気にせず食事を、しかも牛肉を腹いっぱい食べて、とても心地よい感じで寝床に就いた……筈だったが、その晩また何だか嫌な夢を見てしまった。それは来るときに列車の中で見た夢の続きのようで、僕はやはり手術台のようなところに縛り付けられており、さらに続きよろしく僕の腹腔内はポッカリと穴が開いていた。あれだけ夕食の時、食べ貯めとばかりに肉を詰め込んだというのに、その中は前回内臓を捥ぎ取られたままで、臓器は残すところ後ひとつとなってしまっている。真っ暗なになっている僕の腹腔内で、その残された名称不明の臓器が、切れかけの赤色灯のような鈍く光をジリジリと放っていた。次は一体何をやられるのだろう、まさか……、夢だと半分わかっていながらもビクついていると、今度は、やはり腕しか浮かび上がらない執刀医らしき人間が、予想したとおり最後の残った臓器を捥ぎ取ってしまった。思ったよりも、捥ぎ取られる際には嫌な音はしなかった。どうもその臓器はもうずいぶん古くなってしまっていたらしく、体と接合していたところが、脆くなっていた様だ。次にその執刀医は新しい内臓を暗闇から持ち出し、丹念に僕の腹腔内に入れ始めた。取り出す時とは違い、今度はパズルをはめ込んでいくような、パチリパチリという不快な感覚が腹腔内に響いた。しかしそんな悪夢であったにもかかわらず、僕はその『手術』が終了すると、目を覚ますことなく、逆に深い眠りに落ちていった。

 数日後、僕は高校時代に付き合っていたコに連絡を入れて、二人で博多で落ち合う約束をした。さすがに数日たつとやることがいい加減なくなってしまったのだ。迂闊にも、ここが古賀だということを忘れてしまっていたらしい。駅前の平和を意味しているモニュメントの前で待っていると、下はホットパンツに上はピッタリとしたTシャツを着て、若干へそを出している(僕の勝手な見解だが、福岡の女はへそ出し率が高い)マスカラのつけ方があまり好ましくない女性が話しかけてきた。彼女だった。

 久しぶりに会う彼女は若干太った感があったが、それを久しぶりに会ったにもかかわらず、いきなり口に出すのは失礼だろうと思い、「久しぶり」と無難な挨拶をするに言い留まった。

「少し太ったっちゃない?」と、彼女は僕を見るなり挨拶代わりに行ってきた。 「……まぁ、高校時代ほど動くことはないからね。」

「あとその服、少し変やない?オタクっぽかよ。それに髭も剃りーよ。」

 いやいや、「むこう」ではこれがいいんだよ、髭だって似合ってるって言われてるし、と言おうと思ったが、どうも負け惜しみにしかなりそうになったので止めといた。

 博多で落ち合ったのはいいが、『べらやす』とかいう、なんとも面白味のない名前の居酒屋に入り、

「すごかねぇ、東京の会社に就職するげな。」

「いや、正確には神奈川なんだけどね。それに向こうのっていっても、大企業ってわけじゃないし、派遣社員だし、なにより向こうは仕事に溢れてるからね、どこでも良いってんなら、仕事につくこと事態はあんまり難しくないよ。」と、やはり面白味のない会話を交わし時間がダラダラと過ぎていった。言い訳するわけではないが、決して彼女と一晩限りのセクシーな関係になろうとした訳ではない、本当さ。しかし結局彼女と何事にも発展することなく、きちんと終電に乗るのはいささか空しかった。

 電車に乗る頃には、二人とももう話のネタが尽きてしまっていて、二人は海が広がっているのか山が広がっているのか分からないくらい真っ暗な窓の外を、ただだんまりを決め込んで眺めていた。

 しばらくすると、彼女が少しこわばった顔をしているのに気づいた。「どうしたの?」と聞こうと思ったのだが、向かいの扉付近に立っているオジサンを見て、それを理解した。どうも知的障害を抱えているらしいオジサンが、なにやら独り言をブツブツ言っているのだ。チンパンジーの事を話しているらしいのだが、いまいち意味を成さない。彼女はその異形な感じに少し恐怖感を抱いているようだった。

「みんな可愛い目をしているよ。チンパンジーみたいに。みんなチンパンジーだよ……。」

 どうもチンパンジーの話でもないらしい。

「大丈夫だよ、ああいう人は基本無害なもんなんだから。」

 そういってなだめてはみたものの、あまり効果は無いようだった。彼女は不安なままの目で上目遣いをし、僕に向かいのおじさんに聞こえないよう、小声で話しかけてきた。

「ねぇ、覚えとー?」

「覚えてるって、何を?」

「ほら高校の頃一緒に、よくアンタんとこの町歩いたやん?何も無かとにさ。そん時にさぁ、あげな感じの人おらんかった?」

「ああ……ほら、あの近所にそういった施設があってさ、ああいった人って結構多かったじゃないかな、俺の近所。」

「ふ~ん。そうやったっけ……。」

 そうこう話していると、彼女が降りる駅に着いた。なにか引き止めるべきかどうか迷ったが、引き止めたところでこの後どうとするわけでもないので、そのまま見送ってしまった。ホームで手を振る彼女、だんだん小さくなっていく。田舎は時間が過ぎるのが早い、次に会うときは子供でも授かってるのだろうか。

 僕は古賀に着くまで、そのオジサンと二人きりで向かい合って立つ羽目になってしまった。小奇麗なポロシャツを着てる人だった。

 次の日、朝起きると祖母が朝食を用意していてくれていた。久しぶりに会う孫に、祖母は「向こうでは食べられんやろ。」と、大量の明太子や数の子を出してきた。飯の友に飯の友を合わせ技で出され、塩味で舌が麻痺している最中、祖母が押入れの中から何か古いスクラップ帖を出してきて、挟んである記事を開いて見せてきた。

「ほら、見んね正樹ちゃん。昔、あんたが古賀の事ば書いた作文が、新聞に載っとったとよ。」

 そう言うと、祖母は嬉しそうにそれを読み始めた。どうもその流暢な読み方から、時々引っ張り出してはそれを読んでいたようだ。

「ぼくのこがまち いけだまさき

ぼくはこの間、くるめからこがにひっこしてきた。さいしょはいやだったけど、あそんでたらたのしかった。こがには川があった。くるめにもあるけど大きかった。川に魚がいた。おもしろかった。魚をつかまえようと思ったけど、だめだった。たのしかった。あしたもまたかわであそぼうとおもう。こがの川はあそべるからだ。

 でも川であそんでいたら、エツオさんが、『そこにはヘビがいるからあぶないよ』といってきた。ぼくは『ヘビがいるならあぶないな』とおもった。ヨウジ兄ちゃんが二人で日よう日にヘビをやっつけようといった。川があってヘビがいるこががぼくは大すきです。」

 祖母はおちょっくているのか、というぐらいワザとらしい子供口調でその作文を読んだので、恥ずかしくも若干いらっときた。なんでこんな大昔のものを大事に取っておき、しかも人に読んで見せるのだろうか、と呆れもしたが、しかし祖母は僕がいなくなってからというもの、それを読みながら、昔の良かった時代を思い出さざるをえなかったのかもしれない。祖母にとって僕は、たった一人の男の孫だったにもかかわらず、そして小さい頃と言わず、いつも気にかけてもらい可愛がってもらっていたのに、僕は何事も彼女に相談することなく上京してしまったのだ。結局、そうやって押入れの中を探らせるような老人に祖母をしてしまったのは、他でもない自分なのだと思うと、悪い意味で噛めば噛むほど味の出てくるような、深みのある罪悪感がこみ上げてくる。

 しかし、祖母の朗読を聞きながら、素朴な疑問も出てきた。

「ここに書いてあるさ、エツオさん?って誰それ?」

 祖母は固まったまま何も言わなかった。


 エツオさん?誰だいそりゃ?


 一週間の帰郷の後、僕は自宅のある神奈川に帰ってきた。駅を降りると、最初に視界に入る道が広かったので、なんだか少し笑えた。

 別に実家に帰っていたからといって、この後の僕の生活になんら変わりがあるわけではない。いつも通りの月曜が始まり、いつも通りに出勤して仕事をするのだ。そして金曜の会社の帰りには、いつもの様に会社の同僚、栗山(通称クリ)と安い居酒屋でどうでもいい話をし合う。そう、なんら変わりはない。

 いつも飲んでいるとはいえ、クリは僕とはいろんな意味で正反対の奴だった。僕とは違い、彼は分かりやすいような青年で女にもてるし、かといってナンパではなくやたら義理堅い男で、男の僕から見てもお手本にしたいような奴だった。更に出身も青森と来たもんで、彼の好む味付けが僕には濃すぎるし、彼にとっては僕の好む物が「砂糖でも入ってんじゃない?」というくらいに甘いらしい。僕らの共通項なんて、それこそ歳が同じということぐらいだろう。だけどなんというか、この日本ではこの世代ってのが重要らしく、単に同じ仕事をしているだとか、趣味が共通しているだとかよりも、話をあわせるには同世代というほうが都合が良いらしい。

 まず酒が進むと、彼はわざと周囲に聞こえるようにきつい青森弁を使う。するとそれに負けじと僕は博多弁を駆使して対抗する。

「オメあれだ、ミスシルって知ってっか?ミスシルだよミスシル、ミスタァチルドレンっつってな。今流行ってんだってよぉ。どうせオメェはカッペだからしらねぇべ?」

「なんば言いよっとやキサン、知っとーくさそげんことくらい。そげん言いよぉキサンがミスチルって言えとらんやんか。なんねミスシルって。飯に塩使いすぎて舌が廻らんごたぁなったっちゃないか?」

「こぉんのぉ!」

 本当はもう二人とも故郷を離れてかなり経つので、方言なんて抜けているのだが、それでも僕らは何故か意地を張るように頭をフル回転させてお互いの方言で話し続ける。そうしていると、何だか単なる世間話をしていたとしても、この関東という空間に二人で何か亀裂を入れているような感覚になり、やたら楽しかったりするのだ。

 その飲みの帰り、居酒屋から駅に向かう途中で、クリが僕の帰郷について聞いてきた。

「そういや、池チャン、実家どうだった?」

「ちょっと変わったところがあったけど、相変わらずだよ、何にもない。」

「そっか。……あのお土産のお菓子美味しかったね。」                

「みんな美味いって言ってたね。俺は正直あんまりそこまで良いとは思わないんだけど、なんか全国のコンクールで金賞かなんかを獲ったんだって。……それよりそっちはどうよ?実家帰んないの?」

「冬に帰るよ。」

「ふぅん。どれくらい?この前帰ったとき、あんまり戻ってこなかったよね。」

「うん。まぁいろいろとね、あるんだよ。」

「確か、クリは長男だったっけ。」

「……、池ちゃんは実家帰んないの?」

「帰郷じゃなくて家に戻るかって事?まだあんまり考えていないね。」

 クリも僕もそれ以上あまり言葉を重ねなかった。北と南の違いはあるが、僕らには何か共通したタブーのようなものがある。それに触れると僕らは何事かを思い出し、手探りで言葉を見つけるように話さざるを得なくなってくるのだ。だから僕らは極力、「楽しく話す」という前提の時には、そのタブーには触れないように努める、いやそれどころか思い出さない、もっと言うと認識しないようにしているといったほうが良いかもしれない。

 いつからだろうか、僕らがこの町の喧騒に食傷気味になったのは。実はファミレスのメニューなんかと同じで、こいつらは「頼めば出てくる」ということ自体に価値があったのかもしれない。どんなにメニューがあったとしても、いざ店に行ったところで頼むものといえばいつも限られているのだ。人はある程度自分との折り合いがつけば、後は近所のそば屋で事足りることを知るのだろう。

 僕には沈黙を保っているクリの目に、故郷の風景が映っているように思えた。

「もしかして実家に戻んの?」

「そんなんじゃないけどさ……。」

 クリが続けて何か言おうとした次の瞬間、彼は何かに呼び止められたように、道の真ん中で急に立ち止まり後ろを振り向いた。

「どした?」

「……いや。」

 クリの視線のある方に目をやると、そこには知的障害者なのだろう男が何事かをぶつぶつと呟いていている。小奇麗なポロシャツを着た老人だ。

「夜の街って多いよね、ああいう人。」

 僕がクリに対して、しかし独り言のように話しかけると。クリは

「俺の町にもさ、ああいう人居がいてさ……。」

 と、これもまた独り言のように返してきた。

「まぁ、どんな町にも居るんじゃない?ああいう人は。」

「うん。でもそれがさぁ、そのオジサンは俺の町じゃ知らない人は居ないっていうくらいの名物おじさんだったんだよね。」

 そああいった人をいじるのは不謹慎だとは思ったのだが、ついつい笑っている口調を隠すことなく、

「ああいうのが名物って、どんだけ何にもないんだよ?クリの故郷は、」

 と嘲ってしまった。しかし気にする様子もなくクリは続ける

「俺の町でさ、多重町っていうんだけど、その町の人間かどうか区別するための合言葉みたいなのがあってさ。……みんなそのオジサンを知ってるからさ、いうわけだよ、冗談まじりに……、」

 

 うん……、何て?


 ねぇあんた、エツオさんを知ってるかい?

 

 そうして男は会社の同僚に、自分の故郷のことを語り始めたのだった。彼の故郷青森県多重町と、エツオさんにまつわる物語を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エツオさん 鳥海勇嗣 @dorachyan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ