「未来」

「私も行く! だって、武器を扱えるのは、私だけだもん!」

 ……出発の準備が慌ただしく進む中、ソレイユの主張がシエルを悩ませていた。

「だから、危険だって言ってるだろ?」

「だからだよ! ゲームは上手だけど、シエルは実戦経験がないじゃないか!」

 シエルはソレイユと睨み合う。……勘弁してくれと、思いながら。

 ――ここからバイクで五時間ほど離れた場所に、リュインヌという町がある。かつてビブリオと親交のあった町だが、過去に戦争へと参加するよう持ちかけてきた経緯があり、今回の目的地として選ばれた。その後、音信不通になっていることから、すでに滅んでいる可能性も高い。……重ねて不謹慎ではあるが、貴重な基板を無償で譲ってもらえる可能性は低く、基板の入手を最優先とした場合、町が滅んでいた方が……望みがあった。さらに欲を言えば、オートマタに占拠されていないことが望ましい……今を生きる者達にとっては。

 では早速と準備を始めたのだが……ソレイユも当然のように準備を進めていた。鼻歌交じりで、お弁当まで用意して。「遊びに行くわけじゃないんだぞ?」とシエルがさとしても、「私、町の外に行くの初めて! ああ、楽しみ!」と答える始末。

 ……何が楽しみだ。そしていざ出発という段階になって、シエルが一人で行くと言った途端、ソレイユはごねた。今までの順調さが嘘のような停滞。しかも――。

「連れて行ってやったらいいじゃないか?」

「そのバイクなら、ソレイユの一人や二人、軽く乗せられるだろう?」

 本来は止めるべき立場であろう、キュイとガラまでがこの調子である。

「……お二人とも、心配じゃないんですか?」

「何言ってんだい。あんたを一人で行かせる方が、よっぽど心配だよ」と、キュイ。

「ソレイユが毎日訓練しているのは、こういう時のためだと思うがね」と、ガラ。

「そうだよ!」と、ソレイユ。

「でも――」

「ソレイユを連れて行くんだ、シエル。いずれにせよ、失敗したらビブリオは終わりだ。それなら、目的達成の成功率を高める方が合理的だろう?」

 ……結局は、テールの有無を言わさぬ一言が決め手となった。シエルにしても、その方が合理的だと思うし、正直、護衛がいるのは心強い。だが、自分が守られる側だということが、最後まで気になっていた。その思いをこっそりテールに打ち明けると、「それは男の理論だ」とばっさり。シエルは観念するしかなかった。

「……分かった。だが、弁当は置いていくか、今食べておけ。腐っちまうからな」

「了解! んじゃ、急いで食べるから待ってて!」

 ソレイユはバスケットからサンドイッチを取り出し、口いっぱいに頬張った。


 ――かくして、シエルとソレイユはビブリオを出発した。シエルはバイクにまたがり、ソレイユはガラがバイクに取り付けたサイドカーに乗り込む。シエルは久々の作業着姿。一方のソレイユは、いつものオーバーオール姿に加えヘルメットを被っている。唯一の武器は、ソレイユが腰に下げている対オートマタ用のハンドガン。細身の銃身こそ頼りないが、その弾倉には貫通力の高い徹甲弾が装填されており、偵察用オートマタの装甲ぐらいなら易々と貫けるという。もし、オートマタの大群と出くわしたら、一目散にその場から離れる……それしか、生き延びるすべはなかった。

 強い日差し。ソレイユは何もない荒野を、それでも何か珍しいものでも見えるかのように見回していたが、しばらくすると、それも落ち着いた。何も見えないことが分かったのだろう。何もない荒野を延々と走り続ける……それが、旅の現実だった。

 ――出発から数時間。手頃な岩山を見つけ、シエルはバイクを停車。日陰の中で休息をとる。ソレイユはシエルから手渡されたブロック状の携帯食料をもの珍しそうに眺めた。鼻を寄せたり、指先で摘まんだり……やがて、思い切って口の中へと放り込んだのだが、一噛みしてすぐに吐き出してしまう。

「ぺっぺっ……何これ? 腐ってるんじゃないの?」

「馬鹿言うな。百年経っても食べられる、完全食だぞ?」

「それ、腐ってるより危険な気がするけど……いつも、こんなの食べてるの?」

「ああ。どうだ、旅は楽しいだろう? 何もない荒野に、まずい食事」

 ソレイユはシエルを睨みつつ、もう一口……噛まずに飲み込もうとして、喉に詰まらせる。胸を叩きながら、水筒の水で飲み下し、ソレイユは涙目で舌を出した。

「お前にも苦手な食べ物があったんだな。ほら、おかわりならまだあるぞ?」

「もういらないよ! う~、いじわる!」

 ――休息を終え、さらに数時間。二人は双眼鏡でリュインヌを捉えられる距離まで辿り着いた。双眼鏡を覗いていたシエルは、暑さと緊張で喉がからからに渇き、思わず喉元に手を添える。それを見て、ソレイユがそっと水筒を差し出した。シエルは受け取った水筒で喉を潤すと、改めて双眼鏡で町を眺める。外壁。周囲にオートマタの姿は見えない……人の姿も。シエルは双眼鏡を下ろし、バイクを走らせた。

 双眼鏡で様子を確認しながら、少しずつ、町に接近。メドサンのレーダーを確認することも忘れない。メドサンの画面に、オートマタを示す赤い点は見られなかった。レーダーの索敵範囲は双眼鏡より広いが、安心はできない。メドサンはアヴニールの機械とはいえ、その連結は何十年も前に断たれており、その間にレーダーに映らないオートマタが生産されている可能性も否定できない……とは、テールの弁。

 やがて、目視で外壁がはっきりと見渡せる距離まで接近すると、シエルはほっと息をついた。それを見て、ソレイユも「ふぅ」と息を吐いた。

 ……オートマタに関しては、まず大丈夫だろう。あとは人間だなと、シエルは額の汗を拭った。誰かいて欲しいと思う気持ちが反面、もう反面は……。

 外壁はどの町も似通っていた。その中で営まれている生活は千差万別なのに、それと外界を隔てる外壁がなぜ似ているのか……テールに聞けば明確な答えが返ってくるだろうが、今は望むべくもない。ただ、似ているお陰でシエルは外壁を見るたと町に着いた、という実感が湧いた。それは初めてビブリオ以外の町、そして外壁を見るソレイユも同じだったようで、「ビブリオにそっくり!」と驚くその表情は、どこか安らいで見えた。シエルは門に向かってバイクを走らせる。

 ――門は大きく開け放たれていた。シエルはそれだけで、町に人がいないことを察する。門は外界との唯一の接点であり、閉ざされていることが常だった。旅人は厳重に身元の検査や検疫がなされる。例え開かれた町を自称し、他の町との交流を持っていた町であっても、例外ではなかった。シエルが知る限り、旅人に検査らしい検査をすることもなく受け入れた町は……ビブリオだけである。

 シエルは門の前でバイクを停めた。その場にソレイユを残し、町へと向かう。シエルの指示には大人しく従う……それが、出発前に二人で決めた約束事だった。

 シエルはリュインヌの町に足を踏み入れた。慎重に辺りを見回しながら、民家と思しき建物のドアに近づき、ドアノブを回す。鍵は掛かっておらず、扉はすんなりと開いた。家の中には大きな家具以外は持ち運ばれた形跡があり、安堵するシエル。これなら、ソレイユと一緒でも大丈夫だ。町中に死体だらけ……ということもあり得ない話ではない。シエルはそんな光景を目にしたことが、一度や二度ではなかった。

 ……どうやら、この町は放棄ほうきされたようだ。となると、心配事は二つ。放棄の理由がガルディアンの故障の場合、お目当ての基板が壊れている可能性があることが一つ。自主的な放棄の場合も、オートマタの拠点として利用されることを恐れて、ガルディアンを破壊している可能性があることが一つ。

 シエルはビブリオを出発する前から、基板を手に入れるならガルディアンから直接……と考えていた。町のどこか、あるいは地下工房のどこかに保管されているであろう基板を探すのは、砂の中でダイヤモンドを探すようなもので、現実的ではない。テールもその考えに同意し、ガルディアンから基板を取り外すためのマニュアルを書き上げ、シエルに持たせた。だから、リュインヌのガルディアンが故障、もしくは破壊されていた場合、基板の入手は極めて困難になるだろう。……シエルはぶんぶんと首を振った。今更そんなことを考えたところで、何も始まらない。

 シエルは門まで引き返し、サイドカーで待ち侘びているソレイユに手招きした。ソレイユは待ってましたと駆けつけ、初めて訪れた「町」の光景に目を見張る。

「これが……町?」

 ソレイユが驚くのも無理はない。リュインヌは、その全てがビブリオとは異なっていたからだ。色も、風も、匂いも。見渡す限りに立ち並ぶ、ビル、ビル、ビル。舗装された道路が町中に張り巡らされ、路上には乗り捨てられた車やバイクが点々としている。木々は枯れ果て、その大半が砂へとその姿を変えていた。

 ……そう、ここはもはや、砂の町であった。時折吹き抜ける風にも砂が混じり、それが町全体を覆い尽くし、黄色い化粧となって、幾重にも塗り込められている。

「……なんだか、全部、図書館に見えるよ」

 シエルとソレイユはいくつかの建物に足を踏み入れてみた。民家に役所、そして商店。呉服店の前に差し掛かった時、ソレイユはガラスに手を当て、その奥で着飾られたマネキンをじっと見つめた。外気と遮断されているせいか、色彩が残っている。

 シエルは町の施設や痕跡を見て歩き、ビブリオほどではないものの、懐古趣味的な町だったのだろうと思う。シエルが訪れた町の中には、何もかもがデータ化されている町すらあった。町中に見えるのは無味乾燥な白い建物ばかりで、住人達は脳に埋め込んだ装置によって、データの世界を重ね合わせていたのである……。

 しばらく町を歩き回っても、ソレイユの表情は硬いままで、自由に見て回りたいと口にすることもなく、シエルの側から離れようとはしなかった。無理もない、とシエルは思う。この町からは、生気というものが一切感じられなかった。

 やがて、小さいながらも図書館を見つけた時、ソレイユは久々に笑顔を見せた。タブレット型の端末を貸し出す方式のようだが、僅かに紙の本も残されている。ソレイユは本を手に取ると、手袋を外して、その表紙を愛おしそうに撫でるのだった。

 シエルとソレイユは町の探索を切り上げ、テールがメドサンに転送したリュインヌの見取り図を頼りに、本来の目的地であるガルディアンの中枢を目指す。その入り口は建物の影に隠れるようにして、ひっそりとその口を開いていた。地下へと続く螺旋階段。これも外壁と同様、町によって大きな違いはなく、シエルには馴染みの光景だった。シエルとソレイユは錆びた鎖を跨ぎ越え、螺旋階段を下りていく。

 ――地下は真っ暗だった。地上からの光が届かなくなる前に、シエルは持参した電灯をともした。シエルの安らぎ……地下工房の旋律も、一切聞こえない。カン、カン、カンという二人の足音と、静かな息づかいだけが、唯一の音であった。

 やがて、二人は踊り場に辿り着く。突き当たりにある、鉄の扉を押し開けた先には通路があり、その先にはエレベーターがあった。シエルとソレイユは顔を見合わせたが、当然、電気は通っていない。電灯を向けると、エレベーターの脇にも階段があった。シエルとソレイユは、さらに地下へと下りていく。

 階段を下り、扉を抜け、また階段を下りる。……そろそろ中枢に着いてもいい頃だろうと思いながら、シエルは新たな扉を押し開けた。そして、息を呑む。

 ――壁一面に張り巡らされたパイプやケーブル。その全てが繋がった巨大な機械。シエルが電灯の明るさを上げる度に、部屋の様子が露わとなる。だと、シエルは頷いた。ガルディアンの中枢……シエルは複雑に絡み合った機械の造形美に、畏怖すら覚える。だが、ソレイユの視線は別の一点に注がれていた。

「シエル……足……」

 ソレイユにぎゅっと袖を掴まれたシエルは、電灯を足下に向ける。そこには少女が横たわっていた。そして、その隣には――。

「ソレイユ! 見るな!」

 手遅れだとは分かっていても、シエルはそう叫ばずにはいられなかった。ソレイユの紺碧の瞳は見開かれ、少女……人型モジュールだろう……と、それに寄り添う死体へと向けられている。衣服から少年であったことが窺い知れる、乾いた、亡骸。

「……逃げなかったのか」と、シエル。

「どうして……」

「一人ぼっちは、寂しいからな」

 そんな言葉が、自然に口を突いた。シエルは慎重に、端末の前まで足を進める。

 シエルは電灯の明るさを最大にして地面に置き、鞄からテールが書き上げたマニュアルを取り出すと、合わせてレンチやスパナ、ドライバーといったいくつかの工具も用意する。これらはメドサン同様、ヴァンから引き継いだもので、こうして実際に使うのは初めてだったが、テールのマニュアルに従って作業を進めると、拍子抜けするぐらい簡単に、基板を保護しているカバーを開くことができた。お目当ての基板も発見。見本とは型番が異なるが、位置や大きさからすると間違いなかった。シエルは取り出した基板を保護用のケースに収めると、カバーを元通りに付け直す。

 作業をとどこおりなく終えたシエルは、その場に座り込んだ。余りにも順調かつ予定通りに事が進んだので、何か見落としがあるのではないかと不安を感じ、本当にこの基板で合っているのかと、もう一度カバーを開けようとして思い直す。……大丈夫。何度も確かめたのだから間違いない……自分にそう言い聞かせながら立ち上がり、振り返った瞬間、シエルは声を上げた。ソレイユが亡骸の側でしゃがみ込んでいる。

「ソレイユ! お前――」

「ねぇ、お墓を作って上げられないかな? この二人のために」

「お墓……?」

「うん。だって、このままじゃ……」

 ソレイユの声は震え、今にも泣き出しそうである。シエルは工具やマニュアルを片付けると、電灯を取り上げ、ソレイユに歩み寄った。少女型の人型モジュール……顔立ちも、髪の長さも、服装だって、似ても似つかないのに……。

 シエルは片膝を突き、電灯を地面に置いた。少女の腕を取り、自分の肩に回す。そして背中に少女を乗せると、太股を後ろ手で掴み、立ち上がった。 

「……まずはこの子を運ぼう。彼は……そうだな、バイクに大きめのシートがあっただろう? それでくるんで上まで運ぶ。それでいいか?」

「……ありがとう」

「礼はいい。問題は……俺がこの子を上まで運べるかどうかだ」

 見た目に反する重量感。シエルはここまでの道のりを思い、目眩めまいがした。

「大丈夫?」

「……ああ。お前よりは軽いしな」

「何よそれ!」

「気にするな。さぁ、いくぞ」

 ――それから。シエルは下りの倍以上の時間をかけ、息も絶え絶えで地上へと戻った。自分は何のためにここにきたのか……そんなことを考えながら。先導はソレイユが務めた。電灯を掲げ、せめてもとシエルから預かった鞄を、肩に提げて。

 シエルは疲れ切っていたが、休んでいる暇はなかった。ビブリオまでの道のりを考えると、時間が無い。シエルがバイクに戻ってシートを取り出し、再び中枢へと向かっている間に、ソレイユは日用品店からシャベルを拝借。メドサンの見取り図を頼りに墓地へと向かい、適当な場所を選んで掘り始めた。

 ソレイユが穴を掘り終わった頃、シエルが合流。空がほんのりとオレンジ色に染まる中、二人を埋葬することができた。墓標はなく、その代わりにと飾られたのは、ソレイユがシャベルと同様、日用品店で見つけた造花である。白い花。だが、それも風に吹かれて飛び去ってしまう。ソレイユはそれを数歩追いかけ、足を止める。

「……もう十分だろう」

 シエルの言葉に、ソレイユも頷く。ソレイユは黙って手を合わせ、シエルもそれに倣った。そして、リュインヌの町を後にする二人。野宿は避けられそうもなかったが、町で夜を明かすという選択を、どちらも口にすることはなかった。

 ――シエルはバイクを飛ばしに飛ばし、日没の直前、行きの途中で休息した岩場に滑り込んだ。急いで野宿の準備を始める。片道五時間……順調にいけば日帰りも可能だったが、念のためと薪や寝袋を持参したのが功を奏した。荒野の夜は冷える。シエルはともかく、旅慣れないソレイユが薪もなしに一晩を明かすのは酷な話だった。

 パチパチと薪がはぜる。黙って携帯食料を口にする、シエルとソレイユ。空には零れ落ちそうな星々。だが、二人の視線はじっと焚き火に向けられていた。

 食事を終えたシエルとソレイユは、それぞれの寝袋に潜り込んだ。シエルにはいつものことだが、ソレイユにとっては初めての経験である。ソレイユは横になってからも、ずっと焚き火を見つめていた。時折もぞもぞと身をよじり、溜息をつく。

「……ねぇ、シエル。起きてる?」

「眠れないのか?」

「うん」

「眠れない時はな、無理して寝ようとしないことだ。横になっているだけでも体は休まる。ビブリオに戻ってから、ゆっくり寝ればいいさ」

 ――沈黙。シエルは少し考えてから、口を開いた。

「何か歌ったらどうだ?」

「えっ?」

「子守歌って奴だよ」

「それなら、シエルが歌ってくれないと」

「あ、そうか……でも俺は、子守歌なんて……」

「じゃあ、私が歌うから、シエルも続けて歌ってみて」

 ソレイユのお手本。美しい旋律。続いて、シエルも声を出す。……それは、子守歌ではなかった。星の海を渡る、恋人達の物語。


 いつかきっと あの場所へ 忘れられた 夢の世界へ 君と 二人で


 歌い終え、ソレイユは小さく零した。

「……ビブリオも、ああなっちゃうのかな」

 パチッと音を立てて、薪が崩れる。シエルはソレイユが何を考えているのか、分かるような気がした。廃墟。ガルディアン。人型モジュール。少女。少年の亡骸。

「そんなことにはならないさ」

「シエル……」

「そうならないように、本を読んで、勉強をしているんだ。気象制御装置を直せば時間は稼げる。だから……どうにかなるさ。いや、どうにかするしかない」

「そっか……うん、そうだよね! あー、安心した!」

 ソレイユの声が弾む。シエルは久し振りにソレイユらしい声を聞いたと思った。

「シエル」

「ん?」

「シエルって、あんまり歌が上手くないね」

「……悪かったな」

「でも、私は好きだよ」

「それはどうも」

 ――沈黙。

「シエル」

「なんだ」

「ありがとう」

「……いいから寝ろ」

「うん、何だか眠れそう! ……はぁ、綺麗な星空」

 シエルも空を見上げた。手を伸ばせば届きそうな、星々の輝き。そのどれかがアヴニールなのかもしれない……そんなことを考えながら、シエルは眠りに落ちた。


 ――翌日の早朝、シエルとソレイユはビブリオに帰ってきた。出迎えたキュイやガラと無事を喜ぶのもそこそこに、シエルはガルディアンの中枢へと向かう。

 ビブリオではいつもテールを介してガルディアンにアクセスしていたので、シエルがビブリオの中枢に訪れるのは初めてだった。テールと再会した部屋を抜け、ひたすら階段を下った末に辿り着いた中枢は、リュインヌのそれを彷彿したが、煌々と部屋を照らす電灯に、地下工房から聞こえる旋律、機械自らが放つ音と光は、比べようもない。まるで、血が通っているかのような暖かみすら、シエルは感じ取っていた。

 シエルはマニュアルの手順に従って工具を振るい、基板の交換を終えた。カバーを元通りにしてから、確信を持って振り返る。そこには、テールの姿があった。

「……どうだ?」

「うん、問題ない。後は私に任せておけ。シエル、よく頑張ったな」

 シエルは目をぱちくりし、怪訝そうに眉根を寄せた。

「何だ、新手の冗談か?」

「……君はもっと、素直になった方がいいぞ?」


 ――次の日。ビブリオが誇るお天気お爺さんことタンは、朝の配達にやってきたシエルとソレイユを前にして、高らかに宣言した。

「昨晩は月に輪がかかっておった。今日の天気は……雨じゃ!」

 シエルとソレイユは、揃って空を見上げる。これ以上ないほどの、晴天。

「……大丈夫かなぁ」

 心配そうなソレイユの前で、タンは何度も「雨じゃ」と繰り返していた。

 そして、運命の午後。シエルとソレイユが図書館で本を読んでいると、突然、雷鳴が轟いた。シエルとソレイユは読みかけの本を閉じると、顔を見合わせた。再びの雷鳴。二人は頷き合って立ち上がり、駆け足で図書館の外へと向かう。

 空には鉛色の雲が立ちこめている。じっと空を見上げていると、微かな水滴が。最初は気のせいかと思うぐらいだったが、みるみる内に雨粒は大きくなり、髪を、肌を、服を、土を、木々を、川を、建物を濡らし、この町の全てに降り注いだ。

「雨だ!」

「やったー!」

 シエルとソレイユは声を上げ、手を打ち合わせる。土砂降りの中、走り回る二人が戻ってくるのを、テールはタオルを手にじっと待っていた。

 ――激しい雨も夕方には上がり、オレンジ色の空には大きな虹がかかるのだった。

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