第5話「たった一つの不器用なやりかた」

「提案」

 ――ある日の正午。いつもならキュイが一人で切り盛りしている厨房に、ソレイユの姿があった。キュイの指示に従い、具材をぎこちなくパンの上に並べている。

「自分で作ってあげたいだなんてね。こりゃ、雪でも降るかもしれないね」

 キュイはいつになく真剣なソレイユの横顔を見て、目を細める。

「……自分でも不思議なんだ。でも、シエルが頑張っているのを見ているとさ、私も何かしてあげたいなって気持ちになるんだ。なんでだろうね?」

「なんでってこともないさ。それは自然なことだ。大切なことだよ」

「おっ、珍しいな。ソレイユが弁当を作ってるなんてな。俺の分も作ってくれよ」

 匂いに誘われたガラが、厨房に顔を覗かせる。大鍋では野菜スープがぐつぐつ。

「私の弁当じゃ不服かい!」

 キュイに一睨みされ、ガラは「おお、怖っ」と退散する。キュイは腰に手を当て、フンと鼻を鳴らすと一転、ソレイユには優しい眼差しを向けた。

「シエルは幸せ者だね。早いとこソレイユと結婚して、ここで暮らせばいいのにさ」

「け、けっこん!?」

 ソレイユは素っ頓狂な声を上げた……と同時に、パンを押さえていた手に力が入り、押し潰してしまった。にゅるっと飛び出たスクランブルエッグが悲しい。

「あー……やっちゃった」

「もう、何やってるんだい。ほら、もう一度」

「だって、キュイが変なこと言うから……」

「ん、変なことって?」

「だから……」

 ソレイユは顔を真っ赤にして、ごにょごにょと呟く。その横顔を見て、キュイは豪快に笑った。ソレイユは努めて平静を装いながら、具材の仕込みからやり直す。

 ……心がもやもやしている。その原因はっきりしているのに、それが意味することが分からないソレイユだった。でも、一番不思議なのは、そのもやもやを嫌だとは思っていない自分がいるということ。……この気持ちは、何なのだろう?


 シエルはテールが書き上げたマニュアルに目をやりつつ、メドサンを操作していた。シエルがいる場所は地下深く、ガルディアンの中枢である。ここに訪れるのは二度目……気象制御装置の基板を交換して以来だった。ここはまさにガルディアンの心臓部で、重要な調整や整備は、全てここで行えるようになっている。なぜこんな不便な場所にあるかといえば……有事の際にはシェルターとして機能するためであるということを、シエルはつい最近、知ったばかりだった。

 シエルはメドサンから伸びたケーブルをガルディアンの端末に挿入し、作成したプログラムを流し込んでいた。チェックは済んでいる。今では少しだけ、プログラムの意味が分かるようになっていた。とはいえ、その理解は感覚的なもので、それを一から書き起こすことはできない。だが、必ずしもそこに固執する必要がないことも、理解しつつあった。一番大切なのは、目的を達成するということ。

 達成までの行程が一から十まであるとするならば、必ずしも一、二、三と段階を踏む必要はない。誰かの助けを借りて五まで進められるなら、六から始めたっていいのだ。何もかも一人で、一から十までやらなければならないのだとしたら、何も始めることはできない。人間は完璧な存在ではないのだから……そんなことを考えるようになったのは、哲学や心理学の本を読んだ影響なのかもしれなかった。

 メドサンがピッと音を鳴らし、作業の完了を告げる。シエルは簡単なテストを行い、それが完全に動作していることに満足した。テールに報告しようと思い、首を振る。報告の必要は無かった。なぜなら、テールはあくまでガルディアンの人型モジュールであり、目の前にある巨大な機械こそが本体……テールなのだから。

 シエルはメドサンの片付けを始めた。抜いたケーブルをまとめ、メドサンと一緒に鞄の中へ。立ち上がり、肩に鞄を提げて振り返ると、ソレイユが立っていた。

「……いつからそこにいたんだ?」

「えっ? あっ、けっこー前……かな?」

「それは悪かったな。全然気がつかなかった」

「ううん。シエル、凄く集中してるみたいだったから……その、見てたの」

「見てたって、何を?」

 シエルはソレイユを見返す。視線が合うと、ソレイユは両手をぶんぶんと振った。

「あっ、いやいや、何でもない! そ、それより、お弁当持ってきたんだ!」

「もうそんな時間か。じゃあ、上に戻ろう。ここだと、空気が良くないからな」

 そう言って、シエルは換気扇を見上げる。空調は働いているものの、ここは決して食事向きとは言えない場所だった。そもそも、ここにはテーブルも椅子もない。

 シエルとソレイユは螺旋階段を上って地上に出ると、公園へ向かった。テーブルを挟んで椅子に座る。ソレイユは手にしたバスケットをテーブルに置いた。

「今日のお弁当はね、私が作ったんだよ!」

「へぇ、珍しいな」

 シエルはソレイユからサンドイッチを手渡され、その重量感に目を見張った。レタス、きゅうり、スクランブルエッグ……具材が溢れんばかりに押し込められている。

「これはまた……凄いな」

「えへへ……あれもこれもって具材を乗っけてたら、そういうことに……」

「どう、食べたもんかな、こいつは」

 シエルは両手に持ったサンドイッチを様々な角度から眺めつつ、口を近づけ、また口を離し……やがて、覚悟を決めたように大きく口を開け、かぶりついた……が、上下のパンを同時に噛み切ることはできなかった。細かく噛み進み、口に詰め込む。

「……どう?」と、不安そうにソレイユ。

 シエルはもぐもぐと口を動かしながら肯いた。ごくりと飲み下して、一言。

「うん、うまい」

「やった!」

「だが、次からはもうちょっと小さく――」

「了解! あっ、野菜スープも作ったんだよ!」

 ポットから注がれた野菜スープは、キュイのお墨付きとのことで、味も量も申し分なかった。シエルは時間をかけ、特大サンドイッチと野菜スープを完食する。

 食後は紅茶を飲みつつ一休み……ソレイユはカップを手に、シエルに尋ねた。

「ねぇ、シエル。さっきはあそこで何をやってたの?」

「あれはテールの……ガルディアンの索敵範囲を広げる調整をしていたんだ」

「へぇ、そんなことできるんだ?」

「ああ。とはいっても、プログラムで設定を変更しただけで、機能を強化したわけじゃない。色々と面倒な取り決めがあって、ガルディアンの能力は制限されているんだ。だから、それを解除するプログラムをテールに書いてもらって、俺が入力した。アヴニールにバレたら厄介だが……そんなこと言っている場合じゃないしな」

「うん、そうだよね。どこに行っちゃったかもわからないんだし」

 ソレイユは空を見上げた。手の平を目の上にかざしながら。

「とにかく、これで見張り中に昼寝をしても安心……って、今までと同じか」

「……シエルは凄いなぁ」

 ソレイユは空を見上げていた顔を、シエルへと向ける。

「そんなことないさ。索敵範囲を広げることを思いついたのも、ガルディアンの能力が制限されているという話を、テールから聞いたからだ。まぁ、少しはやれることが増えてきたというか、前よりは色々と分かってきた……と、思うけど」

「まだ二ヶ月ぐらいだよね? これなら、テールを直すことも夢じゃないね!」

「……いや、それは難しいな」

 シエルは首を振り、険しい表情を見せた。つられたソレイユも、神妙な面持ち。

「……そうなの?」

「ああ。上手く言えないんだが……色々と分かってきたのと同時に、色々と分からないことも増えてきたんだ。分からないということすら分からなかったことが、見えてくるようになった……ということかな? 最初は、分からないことでも一つずつ積み上げていけば、いつか必ず答えに辿り着く……そう、考えていたんだが……」

「そうじゃなかった?」

「そうだ。例えば昔、人間がその手で全てを作り出していた時代があった。ビブリオの生活はそれに近いかもしれないが、それはテール……ガルディアンの助けがあって初めて成り立つ、仮初めの自給自足だ。道具を作るのも、服を作るのも、食料を作るのも。そして人間が生きていくのに欠かせない水も、ガルディアン頼み。つまり、この世界で、人間が人間の手だけで生きていくことは、もはや不可能なんだよ」

「そんなこと、考えたこともなかったけど……そっか、その通りだよね。もし人間だけで全部やろうとしたら、すっごい数の人間が必要だもんね」

「ああ。大昔はそうだったらしい。大勢の人間が手ずから作業を行うことで、世界を動かしていたんだ。ただ、その頃は物事が今よりずっと単純だった。学ぶべきことだって……だが、今は違う。ガルディアンは人類の叡智の結晶だ。多くの科学者がその研究に一生を捧げ、それでも足りず、何代も時代を重ね、ようやく辿り着いた結果であり、成果なんだ。それだけの知識を、どれだけ優れた人間だろうと、限られた一生の間に、一から積み上げで会得することは……不可能だ」

「んー……じゃあさ、どうやってその知識を積み重ねていったの?」

「人間は自分が得た知識、情報を他の媒体に保存する術を得た。本もそうだな。その積み重ねが結集したのが、ガルディアンという機械なんだ。……アヴニールを管理しているのは人間だと、前にテールは言った。だが、それは建前でしかないと俺は思う。人類の叡智の結晶であるガルディアンが、人間より劣っているはずがないんだ。アヴニールだってそうだ、その中心にあるのは人間じゃない、ガルディアンだ。それが分からない、もしくはそれを認めたくない人間が戦争を起こした……俺は、そう考えている。他の町を支配したいという支配欲……それが通用すると考えてしまうのは、人間を中心と考えてるからじゃないかってね」

 ……それが、「地球人」なのかもしれなかい。懐古趣味。人間が失ったもの。世界の中心が人間だったという、過ぎ去りし、過去。栄光の、記憶。

 シエルはカップに残っていた紅茶を一気に飲み干し、じっとソレイユの顔を見詰めた。胸騒ぎがするソレイユ。シエルは何か伝えようとうとしている……ソレイユは膝の上でぎゅっと拳を握った。シエルはごくりと唾を飲み込み、口を開く。

「……このまま。ここでずっと本を読んで勉強していても、テールを直すことはできない。やはり鍵はアヴニールだ。アヴニールの技術がどうしても必要なんだ。あるいは、技術者。戦争を起こした町に技術をもたらした技術者を探す。一番はアヴニールに直接行くことだ。だから、その方法も探す。その方法を知っている人を探す。時間はそのために使わなければならないんだ」

「そう、なんだ……」

「ああ、結局これしかないんだ。単純で当たり前なことだけれど、それにすら気付かないこともある。……いや、気付かない振りをしているだけだったのかもしれない。実際、途方もない話だからな。アヴニールに行くとか、その技術者を探すとか、口で言うのは簡単だけれど、その実行には大変な労力が必要だ。でも、その労力を惜しまなければ、不可能ではないというのもまた事実なんだ。やってみなくちゃ分からない……ってことだ。それに気付くことができただけでも、ここ二ヶ月の勉強は無駄じゃなかった。むしろ、テールは俺にそれを気付かせようとしていたのかもしれない。口で言われただけで納得できるようなものじゃないからな。無理だ、無謀だ、できっこない……頭から拒否する。根拠も、理由もなく。でも、今なら納得できる。それしかないなら、それをするしかないってね」

 熱心に喋り続けるシエル。だが、ソレイユの頭には、その言葉のほとんどが入ってこなかった。ソレイユにとって重要なことは、ただ一つ。

「……シエル、出て行っちゃうの?」

 シエルは息を呑んだ。そして、静かに頷く。

「ああ。でも、必ず戻ってくる。テールを直すために」

「十年以内に?」

「ああ。できるだけ、早く」

 ソレイユの表情がみるみる曇っていった。シエルのやろうとしていることが正しくて、必要なことだということは分かる。でも、そういう思いを越えた感情が、笑顔で見送ることを拒否していた。正直なのは涙……駄目なのは分かっているし、テールのためにも、シエルは行かせてあげないといけない。だけど……。

「そこでだ、一つ提案があるんだが」

「……提案?」

 ソレイユはシエルの言葉にきょとんとする。溢れた涙の雫が一つ、頬を伝った。シエルは落ち着かない様子で、両の手を握り合わせる。言うべきことは決まっていた。アヴニールを探すという大事だいじの前では小事しょうじ……本当にささやかなことかもしれない。だが、今のシエルにとっては、これが何よりも重大なことであった。

「あー……その、何というかな、お前さえ良かったらという話なんだが……」

「シエル?」

「だからな、お前も、その、俺と一緒に――」

「ソレイユ、シエルと一緒にビブリオを出るんだ」

 二人の前に現れたテールが、おごそかに告げる。シエルは自ら決意を打ち明けずに済んだ安堵感と同時に、なぜ自分に言わせてくれなかったんだという憤りも感じていた。ソレイユはただただ、ぽかんとしている。シエルはテールを睨んだ。

「お前な、俺がせっかく――」

「すまん。野暮な事はしたくなかったんだが、状況が状況だ」

「……何かあったのか?」

 テールは意味のないことはしない。冗談を言うこともあるが、時と場合をわきまえていた。そして今は、冗談を言うべき時ではないはずだと、シエルは思う。

「オートマタの大群が、この町に押し寄せている」

「何だって!」

 弾かれたように立ち上がるシエル。事態を飲み込めていないソレイユ。

「君に調整して貰った索敵機能を試した途端、大当たりだ」

「それで見つかるってことは……もう、近くじゃないか!」

「猶予は多く見積もっても、二時間だな」

「なんでそんなことに……」

「君が引き連れてきた偵察用オートマタが情報を基地に送っていたのか、君達がリュインヌへ基板を探しに行っていた時に発見されていたのか、それらとは全く関係のない事なのか……原因についてあれこれ考えている場合ではない。一刻も早く支度をして、出発するんだ。ソレイユも分かったな?」

「えっと……私が、シエルと、ビブリオを出る?」

「そうだ」

 ソレイユはテールからシエルに顔を向ける。シエルも困惑した表情で、ただ、唇を噛んでいた。――ドンッ! という爆音が響き渡る。その場で固まる、シエルとソレイユ。音は演習場の方から響いていた。シエルは駆け出し、ソレイユもその後に続く。遠離とおざかる二人の背中を、テールはじっと見送っていた。

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