有馬が有馬たる所以

 言葉少なに戦いは始まってしまった。その切っ先をこちらに向けて猛進する男を見て、これは戦闘だ、と俺の頭に叩き込む。重心を落とし、いつでも、どの方向から攻撃が飛んできても対処できるように構える。

 ……構えてしまってからではなんだが、これを戦いと呼ぶのは失礼だと思う。このような激情に任せて武器を叩きつける行為は、もはや子供が癇癪を起すのと何ら変わらない。

 そしてそんな暴漢を鎮圧することくらいわけない。俺だって紛いなりにも『有馬家』の一員なのだから、むしろこの程度を捌けないと殺されかねない。


「にぃ、僕が――」

「いや、俺がやるよ。遥菜の手を煩わせるまでもない」


 その言葉にすら激情を滾らせる男。それ故に攻撃が単調なので、万が一にでもあたることはない。……成績最下位だって、その程度を回避する能力は持っている。見くびらないでほしい。

 突き出してきた剣を体を逸らして避けて、そのまま手元を引きつける。そのまま相手の体へと自分の体を潜り込ませて、背負い投げの要領で地面へと投げつける。突き出した時の勢いを伴って、巨体が空中を一回転して轟音を立てた。その音で気付いた生徒もいたのだろうか。その場は少しだけざわついていた。

 俺としてはここで終わってほしかったのだが、しかしその男はその程度では堕ちなかったらしい。


「ぐっ……。舐めるな!」

「舐めてはない。こちらに武力を向けた人間に手加減するほど、俺の心は慢心にどっぷりと浸かっちゃ――いないからなっ!」


 上段から振り下ろされる直剣。それをステップを踏んで左に避け、右足を軸にしてがら空きの胴にキックを放つ。修行のおかげで速度と体重が完全に威力に変換されたそれは、確かに男の脇腹へと一直線に向かっていた。

 だが、それはすんでのところで回避されてしまう。まるでこの蹴りが飛んでくることを予見していたかのような回避。それは、つまり。


「――『潜血者ブラッドシーカー』か」

「……よくわかったな」

「あのコースで避けられるのは潜血者くらいしかいない」


 潜血者。過去の記憶や、その場に残る思念を読み取る力を身に着けた人間のことだ。一般的には血界顕界けっかいげんかいを習得した人間が修練を積むことによって身に着けることができるという。ちなみに俺も持っている。

 先ほど教室で、黒板に血痕が付いていたっけ。潜血者はその場に残る強い思念と何かしらの感情からあれをしっかりと確認することができるのだ。つまりあそこでざわめいた人間は全員潜血者ということらしい。

 それよりも。

 目の前で直剣を正眼に構える男。対する俺は徒手空拳。さっきの攻防で理解できたが、同じ技に引っかかる相手ではないらしい。こちらの出す技は常に相手の認識にないモノである必要がある上に、一撃で気絶させることができるものである必要がある。これ以上食事場を騒がせても悪いし。

 ゆっくりと、呼吸を整える。相変わらず騒がしいが、そんな音も次第に遠のいていった。そして波が引くようにその音が俺の耳に戻ってきたとき、男は足を踏み出していた。

 俺の手元で音が鳴る。それは双剣の音。黒と赤の二対の片手剣を、鞘で滑らせてから――一気に抜き放つ。

 永遠のような一瞬の中で、俺の剣の軌道はまっすぐ男の胸へと向かっていく。そこは通常の武器なら、致死の攻撃になるであろう部位――つまり心臓が存在する位置だ。だが、この武器ならば問題はない。

 目にも見えない速さで横に一閃。男の肉を明確に切り裂く感触を味わいながら、俺はその剣を振り切る。

 ゆっくりと剣を消すと、食堂の中からざわめきが生まれた。そこにあるのは恐怖。たった今目の前で人殺しが行われたことに対する瞠目もあった。……だが勘違いしないでほしい。俺は男に剣を突き立てたが……。


「ぐっ……。し、しんで、ない……?」


――殺してはいない


 血界顕界はほぼ何でもありの能力形態だ。そもそもの発祥が、無限の可能性を秘めた細胞の飛散だからだ。それが個人の思想や正確に影響されて、それぞれの武器、特性へと変化していく。

 それが俺の場合、誰も傷つけない、殺さないことに特化した、一つの性質に繋がっただけだ。……そんなにざわめくことはないはずだ。


「こ、殺されてない……!」

「な、なんで! あれは致命傷だったハズ!」

「……そういうものだって。これには、人類の常識では測れない何かがあるって、授業なり教科書なりでは知ってるだろ?」


 未だに困惑している男のクラスメイトたちにそう言う。驚愕の中で俺の言葉はゆっくりと浸透していき、また別種の驚きをクラスメイトたちに与えることになった。

 ……当然だ。『殺さない』武器など、ことこの学園においてはゴミでしかない。血界顕界には無限の可能性があって、当然だがそこからは、十手や刺又、スタンロッドなどの非殺傷性武器が存在している。しかしそれらは、いずれ軍人として成人する俺達にとっては、不必要。

 現に、非殺傷性武器でこの学園に応募した人間は、最初の書類選考の時点で脱落していた。ならば俺も落ちるのが道理。なぜここにいるのか。それがきっと不思議でならない――否、怪訝に思っているのだろう。


「な、なんでそんな武器で、お前……!」

「その質問には答えられないな」

「……それも、有馬家からの通達、か」


 何時からかそこにいたのか、俺の斜め後ろにいた克行が、わなわなと震えながらそんなことを言った。短い間しか話していないが、その言動の端々からは理知的な印象を受けた。きっと、俺が有馬の力を使って無理やり入学したと思われているのだろう。

 実際には違うのだが。


「おい、有馬だってよ……」

「っていうと、あいつは例のワーストワン……。落ちこぼれか」

「あんな落ちこぼれでも、有馬の家の力があれば入学できるのね……!」

「卑怯者だ……。あいつは卑怯者だっ!」


 誰かが『卑怯者』とこぼした。

 ……全くもってその通りだと思う。俺は卑怯者だ。そうだ、卑怯者なんだ。だから俺は言い返さないし、訂正もしない。それは紛れもない事実だからだ。

 俺はそうやって割り切っているが、やはり収まりがつかないのが一人いた。言うまでもない、遥菜だ。その両手をぐっと握りしめて、唇を噛み締めながらふるふると怒りに震えている。

 今にもそれらの言葉に反論しようとする遥菜を、俺はその手を握りしめることで止めた。我に返ったのか、遥菜はとても悲しそうな目でこちらを見ていた。そんな遥菜が少しだけ可哀想に見えて、俺は空いている手で遥菜の頭を一つ撫でた。

 それでもいいのか、と目で訴えかけてくる遥菜に、頷きで俺は返す。遥菜が馬鹿にされるのは許せないが、別に俺が馬鹿にされること自体は結構だ。有馬本家のほうも、俺の評価が下がって、きっとほくそ笑むことだろう。相対的に遥菜の評価が上がるということなのだから。


「……誰かが面倒を起こしたと聞いて駆けつけてみれば、お前か有馬……。とりあえずついてきてくれないか? あ、ついでに言っとくわ。これお願いじゃなく、命令な? ついてこい、が正しい言い回しか」

「滝原先生、いくらお休み中にお呼びがかかったからってそうカッカしないで……」

「プラモデル組み立ててたんだよ……。いいところだったのに呼び出された時のこの気持ち、ぶつけるにふさわしいのは誰だ? 有馬だろ? な、竹さん」


 滝原、と呼ばれた俺たちのクラスの担任が、こちらへと怒気を浮かばせながら近寄ってきた。その隣には、細身の男もいた。竹と呼ばれたその男は、俺が気絶させた男のほうへと寄っていった。彼らのクラスの担任なのだろうか。

 それは置いといて。


「よし有馬、お前今朝の件といい今度の件といい、お前トラブルメイカーだな? そうなんだろ?」

「……断固違うと主張します」

「いいや、お前はトラブルメイカーだ。俺が太鼓判を押してやる。だからというわけじゃないが……先行投資的な意味で、一発殴らせろ」

「世間体的にそれはまずいんじゃないですか? ほら、最近風当たりつよくないですか、体罰。やめておいたほうが身のためだと思いますけど」


 俺がそういうと、目に見えて滝原先生にかかるストレスが大きくなった。眉間には皺が寄っていて、滝原先生はそれを広げようとしているのか、はたまた何かを見ないようにしているのか、手で顔を覆っている。

 大丈夫だろうか、と訝しんで声をかけようとしたときには、その状態は元に戻っていた。そのまま疲れた顔で、俺を手招く。


「とりあえずお前は生徒指導室だ。ついてこい」

「……俺は悪くないんですけど」

「たとえそうだとしても、俺や竹さんにはそれを判断できる材料が足りないんだ。本当に、もしそうだったとしたらお前には申し訳ないが。まぁあれだ、警察でいう事情聴取的なアレだよ」


 お前も見たりしてるだろ、警察とか取り扱ったドラマ。……そんなことを言いながら、俺に背を向ける滝原先生。生憎そんなドラマは見たことがないが、言ってることは理解できるので、滝原先生の後ろへとついていく。

 その時に、遥菜の姿が目に入る。遥菜は悲しそうな顔をしていた。そんな遥菜に問題ないとハンドサインを送って、一人でご飯を食べていてほしいという旨を告げた。

 遥菜はしぶしぶといった様子で頷くと、こちらへと軽く手を振ってきた。俺はそれに手を振り返して、踵を返して滝原の背中を追った。











「……事情は大体わかった。お前と妹さんは襲われて、お前はそれを気絶させて――ってことだな」

「はい」

「ってことは、まじめにお前は悪くないってことになるんだが……。お前が本当のことを言ってるかどうかなんて、俺にはわからないからなぁ。とりあえず生徒たちに聞き込みが終わるまでは有馬の処分は保留ってことにしとくわ」

「……一応言っておきますけど、俺は嘘をついてませんから。何かあれば防犯カメラとか、そういう客観的事実を示してくれるものを見てください。……ヒューマンエラーはどこにでもありますから」


 俺のその言葉が差すところを滝原は理解して、一層面倒臭そうな顔を強めた。俺をこの部屋に連れてきた時からこんな顔だ。そんなに休みが大事なのか。

 そんなことを思っていると、滝原は大きくため息を吐いて、椅子の背もたれにもたれかかった。その顔には疲労の色が濃く出ていて、教職と言うものの大変さが見えていた。


「……時に有馬。学園長にお前について強く言い含められてるんだが、お前何かしたのか?」

「…………。いえ、とくには何も」

「その沈黙は何だ、胡散臭いぞお前。何かあったんだな? そうなんだな?」

「すごくくだらない一幕でしたけどね。ありましたよ、いうほどのことでもないですが」


 滝原はそうかと短くつぶやきながら、懐から煙草を出し始めた。それを生徒の前で吸うのはどうかと思ったが、俺個人としてはそこまで気にしていない。やがて葉が焼ける匂いがして、吐き出す煙が中空に消えた。


「……俺が思うにな」


 そうつぶやいた言葉は、少しだけ真剣みを帯びていた。紫煙を燻らせながら、滝原は続ける。


「お前はやっぱりトラブルメイカーでな、何かしら波乱を起こすタイプなんだよ。そういうのが三年に一回はこの学校に入ってくる。今年はお前だな。そんでそんなタイプは……すべからく何かをやらかす。学業的なものではなくて、人間関係とか、戦闘とかな。だから俺はお前の担任として、一応忠告しておこう。――身の丈に合わないことはするな」

「……もともとそんなことはしないタチなので。ご心配には及びませんよ、先生」

「そうか、それならいいんだが。もし面倒を起こしたら、まぁたプラモデルを作る時間が減るからな。お前、次面倒を起こしてみろ。絶対に一発殴ってやるからな」

「だから体罰はやめておきましょうって」


 それからよくわからない言い合いが続いた。それは、竹さんと呼ばれる男性が扉を開いて、俺を寮に帰すようにと告げた時まで延々と続いたのだった。その時の竹さんは、すごく呆れた顔をしていて。言動を振り返った俺は、なんだか無性に恥ずかしくなった。自分で自分にお前は子供かと突っ込みたい気分だ。

 少しだけ顔が熱いまま、俺は外へと出た。そのまま寮へと歩いていく。春とはいえ、まだ少し肌寒い。手をこすり合わせながら、足早に歩く。

 そんな、墨染めの闇夜の下、声が聞こえた。短く切られたその声は、小さな風を切る音とともに俺の耳に響く。……こんな夜遅くになんだろうか、と気になったが運の尽き。俺はそちらへと興味本位で歩いていく。


「……はっ! ふっ! やぁっ!」


 広場の黒に、銀の線が走る。振り下ろし、切り上げ、突き――。基本の型だろうか。それを何度も何度も、同じ位置に同じ速度で繰り出している。

 一目で技量がわかる。この使い手は相当やるタイプだ。戦闘に関わるものとして、その技量は明らかに周囲のレベルを超えているものだと理解できる。銀の髪がひらりと舞うたびに、刺し貫かれそうなほどの闘気と気合がこちらまで伝わってくるようだ。

 闇夜のせいかその全身像は見えない。しかしこれだけの技量を持つものなら、きっと名門の出なのだろう。少女のようなそのシルエットを一分ほど見つめていた。

 と、その時。


「……誰かいるなら堂々と出てきてください。むしろ気になりますから」


 そういいながら、こちらへと獲物の切っ先をこちらへと向けてきた。長さとその形状から見て、日本刀の類だろうかと予想する。しかしそんな分析をいつまで続けているわけにはいかない。俺はおとなしくそちらへと向かっていく。

 そのまま手を上げて無害さをアピールした。


「すみません。こんな夜になんだろうと思って」

「……まるまる二分ちょっとも見てたっていうのに、ですか?」

「はい。それだけあなたの技量が凄まじいものだとわかりましたから」

「――っ! そ、そうでしょうか! 本当に? 本当にそう思いましたか?!」


 食い気味に声を上げる少女は、こちらへと駆け寄ってきて、俺へとそんな質問を投げかけた。ここで初めて、俺は少女のその顔を見た。

 吸い込まれそうなエメラルドグリーンの瞳、肩甲骨ほどの銀の髪。顔立ちは端正で、雪のように白い肌が、月のように夜の闇に浮き上がっていた。まるで雪のようだ。そんな印象を彼女には受けた。

 以前何処かで見たことがあるような……。


「えっと……。んん? ……おかしいですね。あなた、私とどこかで会ったことありますか?」


 どうやら相手も同じ感情を抱いたようだ。もしかして、過去に面識がある相手なのだろうか。でも、俺の記憶にはこんな目立つ髪の毛の色をした女の子なんていなかった。


「……とりあえず、自己紹介をしませんか?」

「それもそうですね。名前を聞けば思い出すかもしれません」


 俺が苦笑を浮かべると、対する女の子も苦笑いを浮かべた。

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