第18走 お姉ちゃんと《SCT》
「状況は?」
奧山は《SCT》指揮所へ入るなり報告を求めた。
相変わらずのくたびれた姿だが、酒の臭いはない。ボサボサの髪を掻きむしりながら、奧山は指揮所のモニターへと歩み寄る。
「変わりありませんな」
答えたのは二係の係長である
「各方面の所轄にも連絡は入れとりますが、何も上がってこない」
そう馬場がため息を吐く。
幸から『《左脚の鬼憑き》が水無瀬飛鳥を拉致した』との報告を受けて《SCT》はすぐさま《左脚の鬼憑き》を緊急手配した。相手が《鬼憑き》とはいえ、拉致誘拐事件であれば普段の
そう。実は《SCT》は警視庁内部で鼻つまみ者として扱われていた。
理由はいくつか挙げられるが、どれも元を辿れば原因は一つ。
《
この法律には完全なる善意のもと、非常に困ったことが定められていた。そのうちの一つが『
これではいくら逮捕しても実績が作れない。
無論、《鬼憑き》からの自己申告を
では現場の人間に好かれているかと言われると――こちらからも嫌われている。
一課の他係が扱っている事件に《鬼憑き》が関わっている可能性があれば、《SCT》は横から事件を
結果として、上層部からも現場からも嫌われた《SCT》は規模を大きく縮小された。
当初、五つの係から成り立っていた《SCT》も今では二つの係しか残っていない。加えて元々本庁と仲の悪い所轄のみならず同じ捜査一課の協力も――法に定められた部分を除けば――殆ど得られない。
とはいえ緊急手配までしてしまえば、その手続きに準じた協力は得られる。例え、最終的には《SCT》が全てを持っていってしまうとしても、正式な手続きを経た協力要請までは断れない。
と、
「水無瀬飛鳥の携帯電話の位置を捉えしました」
モニターを確認していた刑事が報告する。
「どこだ」
馬場が指揮所のPCモニターを覗きこむ。
そこには携帯電話の位置情報と、その周辺地図が映し出されていた。東京都日野市某所の雑居ビルだが、テナントが入っていない。どうやら解体中の廃ビルらしい。
ふと、奧山が何気ない口調で管制官を務める刑事に問う。
「携帯キャリアの基地局に位置情報の要求は出してあるな?」
「はい、既に。じきに、そちらからも情報が上がってくるかと」
この場に《SCT》以外の者がいれば、この発言を奇妙に思っただろう。
何故、《SCT》は、基地局からの情報を得る前に水無瀬飛鳥の携帯電話の位置情報を知っているのだろうか。
何故、既に得た情報を基地局からも得る必要があるのか、と。
無論、GPS情報を含めた携帯電話の位置情報は、警察であればどこでも利用している。だがそれは警察が独断で監視できるものでは――少なくとも現時点では――ない。あくまで携帯各キャリアへ依頼し、情報を得るという手続きが必要だ。それも気軽にできるものではない。
もし仮に、何らかの形で独自のGPS発信器と受信機を用意していたとしても、《SCT》にはその設備が無いはずなのだ。
それには、やはり《特例疾患対策法》が関係してくる。
実は、《特例疾患対策法》は不死身の存在である《鬼憑き》を確保する際の『殺傷』を明確に認めている。逮捕されれば二週間で死ぬ事が決まっている《鬼憑き》の抵抗は激しく、また通常の拘束では《鬼憑き》が持つ能力によって逃走を許してしまうからだ。
その抵抗を押さえつけるには、一度『殺す』しかない。
殺して捕縛することを、《SCT》では《特別捕縛》と呼んでいる。
《SCT》が刀剣を扱うのも、周辺被害を抑えた上で確実に《鬼憑き》を殺す為である。拳銃弾ごときでは傷が小さすぎてすぐに再生されてしまうし、大量の銃弾をばら撒けば周辺被害が甚大なものとなる。周辺へ被害を与えず、しかし《鬼憑き》には大きな傷を与え、首と胴体を切り離す事が可能な武器。
それを求めた結果――苦肉の策が『日本刀』なのだ。
だが、万が一にも《鬼憑き》以外を殺してしまうわけにはいかない。
故に、殺傷による《鬼憑き》の確保には『現行犯』である事に加え、もう一つ条件がある。
それは『容疑者が《鬼憑き》へ変貌する瞬間を記録に収めていること』だった。
しかし、この条件にはかなり無理がある。《鬼憑き》は人を喰らう時にしか正体を現さないし、普段の行動からは《鬼憑き》であるか判断できない。被害者から辿ろうにも《鬼憑き》は食った人間の死体を残さない。つまり、容疑者を割り出すどころか事件の発生にすら気づくことが困難なのだ。それ故に、警視庁を含めた都道府県警察は《鬼憑き》による事件は沈静化しつつあると判断しているほどである。
それでも《鬼憑き》を割り出すならば、行方不明者の中から被害者を特定し、その被害者が最後に接触した人物を特定することだろう。
だから《SCT》は――正確には
二人はそれを《
日本全国に存在する、全ての携帯電話の位置情報を過去に
だが、通信会社は令状が無ければ位置情報を開示しない。秘密裏に行うとしたら、まず基地局のコンピュータをクラッキングする必要がある。それだけの情報処理はスパコンでも使わねば到底不可能であり、当然、《SCT》の指揮所にそんな設備はない。
――つまり、これは《鬼憑き》鬼無里椛の能力を利用して可能としたものだった。
「姉の方は見つかったか?」
奧山の問いに馬場は首を横に振る。
幸からの連絡で千隼が官舎を抜け出したことは判っているが、捜索に充てられる人員がいないのだ。
「そのまま
「……いや、ひとまず幸ちゃんはそのままだ。それより椛はどうしてる」
「応答なし。……位置は《
答えて、馬場は奧山を見ながら片眉だけあげてみせる。言外に《鉄輪》を作動させるかどうかを問うているのだろう。携帯電話からの応答がないというのは
そんな馬場の態度を見て、奧山は苦笑する。
「椛ちゃんは《
「そりゃあ、そうですが……」
そう馬場は口ごもる。
つまり馬場は、混乱に乗じて椛が逃げたのではと疑っているのだ。奧山が椛を研究病院から連れ出してきてもう一年になろうというのに、まだ信用されていないらしい。
まあ、馬場の懸念も理解できる。
最近になって、《SCT》の《鬼憑き》確保件数が減少しつつあるのだ。
これが《鬼憑き》自体の総数が減ったのなら良いのだが、そもそも身体の部位の数だけ存在すると言われる《鬼憑き》の総数は、減ることも増えることもない。《鬼憑き》が《鬼肢》に喰われると、その《鬼肢》は別の女性に取り憑くためだ。『身体をバラバラにされた《鬼》が復活しようとしている』などと、オカルトじみた事が真剣に語られるのも、それが理由である。
つまり《鬼憑き》が減ったわけではない。
と、なれば。
単純に手口が巧みになったということ。
しかも、その手口が『携帯電話を持ち歩かない』というものであれば、内部情報が漏れていると考えるのが自然。
――そして、内部犯として真っ先に疑うべきは《鬼憑き》である鬼無里椛となる。
その不信感は二本の《鉄輪》と、衣服の指定にも表れている。
わざわざ振り袖に、鉛仕込みのぼっくり下駄を着用させているのかと言えば『目立つ』上に『動きずらい』からに他ならない。そもそも護衛役として選ばれる前は、拘束着によって『動けない』ようにされていたのだ。
「ま、椛ちゃんは裏切ることは無いさ。少なくとも、今のところは――ね」
「? それはどういう――」
「基地局から位置情報きました」
そう聞き返そうとした馬場を、二係の管制官の声が遮った。
奧山はわざと馬場を無視して、小さく頷く。
「――一係、行動開始」
「アリバイが出来た」
指揮所から指示を受け一係係長――
奧山からの指示は既に降りている。あとは現場の仕事だった。
「再度確認する。保護対象、《水無瀬飛鳥》の位置情報は廃ビル二階より発信。その場には《左脚の鬼憑き》が潜伏している可能性が高い。故にまず《左脚》を捕縛、のちに《水無瀬飛鳥》を保護する。突入方法はケース5、狙撃は
そこまで話して、渡辺は奧で両手を組んでいる隊員を見た。
「
「もちろんですよ」
答えたのは、ハスキーな女性の声だった。
黒髪をベリーショートに刈り込んだ、女性隊員である。
「今度は決めますよ《つばめ返し》。――だろ?」
それは三人がまったくの同時に、三方向から斬撃を放つ連携技だった。《鬼憑き》と言えど、元はただの人間。一気に三方向から間合いを詰められれば一瞬の迷いが生じる。その一瞬の隙を突く。
《つばめ返し》と格好をつけてはいるが――ようは『猫騙し』である。
卑怯で、不格好で、姑息。
だが《鬼肢》による攻撃を防ぐ手立てがない以上、そうでもしなければ《鬼憑き》は斬れない。そして、斬れなければ、死ぬ。
三人の表情を見た渡辺は「よし」と満足げに笑った。
そして、輸送車が目的のビルへ到着する。
「総員、
渡辺の命を受け、隊員たちが
現代の鬼を斬り、捕縛するための刃。
名を《
「――降車」
静かに渡辺は命令する。
途端、兵員輸送車のバックドアが開き《SCT》隊員が淀みなく吐き出された。ある者は非常階段で二階へ、ある者は廃ビルの屋上へ、またある者は梯子を二階の窓へとかけて登る。僅かな足音以外にはほとんど物音を立てず《SCT》は廃ビルを包囲した。
やがて二階へ梯子をかけた隊員が、中へファイバースコープを忍び込ませる。《特例疾患対策法》の定めに従い《鬼憑き》が《鬼肢》を解放した状態を記録するためだ。
無論、ギリギリまで《鬼肢》を解放しない《鬼憑き》も多い。故に《SCT》隊員のヘルメットにはCCDカメラが装着されており、事前に記録できなかった場合にも証拠が残るようになっている。というより、むしろこちらの記録を提出することの方が多い。
つまり事前の撮影は『正式な手順を踏んだ』というアリバイ作りの意味合いが強かったが、ここで渡辺にとって予想外の報告があがってきた。
「――誰もいない?」
無線からの報告を聞いた渡辺は、思わず言葉を繰り返した。
その戸惑いは無線の向こうにいる隊員も同様だったらしい。
『はい、念のため赤外線でも確認しましたが、そもそもこのビルに人影は確認できません。完全に無人です』
「……《鬼憑き》が何らかの能力を使って偽装している可能性は?」
『もしそうなら《鬼憑き》に対する認識を改める必要がありますね』
つまり、あり得ないという事だった。
確かに《鬼憑き》は人外の能力を有しているが、それにも限界はある。
基本的にその《鬼肢》に応じた能力しか扱えないのだ。簡単に言えば、人体の持つ能力を極限まで高めたものが《鬼肢》の能力となる。《舌の鬼憑き》ならば空気中の成分を味わう事で、隠れ潜む人間を見つけ出すこともできる。《左脚の鬼憑き》ならば一息に高層ビルを飛び越えることもできるだろう。
だが、人間が持つどの能力を高めても透明人間にはなれない。
「ビル全体を捜索しろ。少なくともここに《水無瀬飛鳥》はいるはずだ」
そう命令を下し、渡辺は自らも廃ビルへと向かう。
非常階段を駆け上がり、携帯電話の位置情報が示していた二階部分へ向かう。渡辺が到着すると、前衛として突入するはずだった卜部たちが部屋の隅で立ち尽くしていた。
「どうした?」
「――やられました」
渡辺の問いにそう答え、卜部はその手に握り込んでいたものを渡辺に差し出した。渡辺はそれを見て、自分たちがまんまと騙されたことにようやく気づいた。
廃ビルの二階に置き捨てられていたソレは、水無瀬飛鳥の携帯電話だった。
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