第十八話 氷釈(Dispelling mysteries)

 『ヒデタカ』、『ミホ』、『ワカバヤシ』、『カワバタ』、『クラタ』、訓覇、銀鏡、菓子オーナーそして知鶴の九名がロビーにいる。ロビーには木製スツールやソファーがある。ソファーは良いとして、木製スツールに長時間座ったままでいるのはちょっと辛い。でんが痛くなる。

 菓子オーナーが気を利かせて食堂から椅子をありったけ持ってきた。こちらの椅子の方が、座面や背もたれがクッションになっており負担が少ないのだ。

 オーナーを除くと八名いるので、四名ずつに分かれて交代で睡眠を取ることにした。オーナーは皆を退屈させないように、飲食物や書物などを提供したりすると言った。また簡単な料理まで振る舞ってくれるそうだ。オーナー自身も眠たくなるはずだが、監視を続ける者(と言っても誰かが不審な動きをしないように起きているだけだが)への配慮を欠かさないでいた。

 四名ずつのグループはくじで決めることとした。ここでは女性陣の希望で、男性三名すなわち『ヒデタカ』、『クラタ』、訓覇の三名は全員一緒のグループになることは避けるようにした。理由は、もし男性三名が同じグループとなると残りは女性一名となる。再び疑心暗鬼になりつつあるグループで、起きているのが女性一人というのはどうしても恐怖が付きまとうのものだ。

 知鶴としては、『クラタ』ひとり同じ空間にいるだけで吐き気をもよおすくらいだが、今は取りあえず全員で身を守らないといけないと腹をくくってこらえている。このサバイバルゲームじみた現状では、そんなことは迷言まいごとに過ぎないのだ、と言い聞かせていた。その代わり、無事に生還できたら、お前の働いた悪事を暴露してやる。覚悟しろ。

 くじ引きの結果、『ヒデタカ』、『カワバタ』、『ミホ』、知鶴のグループ、および銀鏡、『クラタ』、『ワカバヤシ』、訓覇のグループとなった。現在はもう十二時近い。交代で朝の八時になるまで、四時間ずつ寝るという話になった。はじめに起きているのは知鶴たちのグループだ。

 四時間というのはかなり短い。しかも緊張感を感じながら、ベッドも布団もないところで横臥するわけだから、これで疲労の蓄積した身体を癒せるのかは疑問である。それでもまだ寝る時間があるだけありがたい話だ。一方で四時間起きていないといけないが、このご時世スマートフォンという強い味方があれば、いくらでも時間の潰しようが利く。ゲームアプリケーションだってあるし動画だって観られる。ウェブ小説だってあるし音楽だって聴ける。もちろんメンバー達が傾倒していたグループチャットだってその気になればできる。当たり前だが今はその気にはなれない。目の前にその相手がいるのだから。ここが圏外でなくて本当に良かったと、ごく普通な利便性をありがたく思う。ただし、言うまでもなくやり過ぎるとバッテリーはすぐに消費してしまうし、通信量も上限に達しかねないので注意を要するところだ。

 気付くと時間は夜十二時を過ぎていて、日付も変わっていた。

 取りあえず、知鶴は『カワバタ』に先ほどの話の続きを訊きたいと思っていた。

「あの、『カワバタ』さん。さっきの話の続きだけど……」知鶴は忍び声で尋ねるや否や、すかさず『カワバタ』は、人差し指を口の前で立てた。静粛を求めるときのポーズだ。そして彼女の目付きも鋭くなる。

 『カワバタ』は明らかに警戒している様子だ。やはり参加者の中に『メグ』を襲った犯人がいるというのだろうか。ということは内部犯の可能性が高い。『カワバタ』が持っている情報が本当に犯人に直結するそのものであれば。そしてそれが偽りの情報でなければ。

 結局誰なのかは分からずじまいだ。そして全員でひとところに固まって行動すると決まった以上、今後もなかなかその情報を聞き出すことは叶わないだろう。謎だらけの一連の事件ではじめてな有力な情報だと思ったのに、と知鶴は非常に残念な気持ちになる。

 仕方がないので、これまでの事件の概要と疑問点についてまとめてみることにした。これ以上の犠牲者を出さないためにも一刻も早く事件を解決しなければならないのだ。

 オーナーに筆記道具を使わせてもらおうかと思ったが、料理の準備に取りかかっているのだろうか。ロビーには不在だった。オーナーには少し悪いが、ロビーにあったボールペンを勝手に使わせてもらうことにした。近くにあったチラシの裏の白いところを利用して、それを四つ折くらいにしてメモを取るような仕草でこっそり箇条書きにした。


 第一の事件、『ストロベリー』こと枡谷一期殺害時について思い出してみるが、このときはまだ事件が起こるとは想像だにしていなかった。周囲の人物の動きをしっかり注視していなかった。呼び名も分からず、誰が誰かの識別もままならなかった。そして日付だけで言えば二日前の出来事であり、やや記憶が風化しかけている。

 大まかな流れを思い出してみる。知鶴がペンションに到着するや否や川上犬のシンに吠えられた。それをオーナーが叱るとともに、知鶴に笑顔で応対した。そのとき到着していたのは誰だったろうか。はっきり覚えていないが、枡谷は既に到着していたと記憶している。知鶴の到着後すぐに茶髪のミディアムショートの美女が現れる。彼女は『シルバーベリー』こと銀鏡恵深だ。

 このオフ会は、夕食時の宴会まで互いの自己紹介をしないようにするという、変わった趣向のもと準備されていた。それを企画したのは主催者である枡谷だが、結局自己紹介を前にして枡谷は食堂には現れず、死体となって発見されてしまった。そして唯一の外界との通り道である吊り橋を破壊されたことによって今回の悲劇は連鎖することになった。

 そのとき玄関にあった果実のオマージュが、この事件の象徴でもあり最大の謎である。それによって参加者たちは互いのハンドルネームを明かすことをやめることになった。これは一体何なのだろうか。犯人のもく論見ろみの一部なのだろうか。さらに犯人がもし本当に内部の人間ならば、何故わざわざ内部犯だと主張するような手の込んだ工作を行うのだろうか。ひょっとして、今回参加していない『タイベリー』あるいは『ヒマラヤンブラックベリー』がどこかに控えていて、内部犯に見せかけて犯行を行っているのだろうか。しかしながら、ここで気になるのは『カワバタ』の、『メグ』を襲った犯人は参加者の中にいるような言動。もし外部犯なら、外部犯だと言うのではなかろうか。

 いや、その前に何で『カワバタ』は犯人の目撃証言を隠しているのか。目撃したのなら言ってしまえば良いではないか。その真意は、まただんまりを決め込んだ彼女に問うことはできない。犯人を擁護しているのか。いや、それなら目撃したなどと言わないはずだ。そういえばあのとき『カワバタ』は「正直、意外な方です」と言った。これはどういうことだろうか。他の殺人、襲撃事件において確固たるアリバイのある人間であるという意味での意外性だろうか。それともこの出会って短時間でいだかれたファーストインプレッションから、事件の犯人にはなり得ない人物であったという意味だろうか。

 深読みしようとすればするほど、謎が謎を呼んでしまう。それは知鶴の悪い癖だと自分でも認識していた。話を元に戻そう。

 枡谷殺害後、玄関に用意されていた果実はイチゴとラズベリーだ。このときラズベリーが犯人を表現しているのかどうなのかという話題になり、互いのハンドルネームの公開を急遽取りやめ、便宜的に本名の一部を呼び名として晒すことになった。もちろんハンドルネームを推察されない程度に。結局ラズベリーは次なる殺人予告であることが判明したのだが。

 そう、それが第二の事件。『ラズベリー』こと後藤輝市の殺人である。

 あのとき枡谷が殺害されてしまって、まだ部屋の割り振りすらできていなかったので、残された一同は食堂で部屋を割り振った。彩峰だけは、感情的になって先に勝手にいちばん奥の部屋に逃げるように入っていってしまった。それ以外のメンバーで残りの部屋をあてがったのだ。部屋に戻った後、死体が発見される直前にドアをガチャガチャ鳴らす音が聞こえ肝を冷やした。後になってそのドアノブを回したのは彩峰だということが判明したのだが、その彩峰によって後藤の死体が発見された。部屋には紐状のもので縛られたラズベリーとその傍らにシルバーベリーが置かれていた。

 この後藤の死体が謎だった。索状痕があるにもかかわらず、抵抗した痕跡が少ないのだ。あの大柄な後藤を殺害するのは間違いなく困難を伴うだろう。命がけで抵抗すれば、部屋の中はもっと荒れ、死体にも(犯人にも)傷が付いていても良さそうなのに、それがないのは絶対何か仕掛けがあるはずだ。

 また死体が発見されたときの後藤の扉も開いていたということだ。しかし知鶴は彼が部屋に入るとき施錠している音を聞いている。彼は『ラズベリー』本人で、次の被害者であるという説も流れていたので、部屋のセキュリティーには人一倍注意を払っていたと思われる。それなのに部屋の鍵も窓も開いていた。少なくとも、彼を自主的に解錠させたわけである。その方法は一体何なのか。ひょっとして後藤とは顔見知りの人物が紛れていて、その人物が鍵を開けさせ犯行に及んだのだろうか。

 その後の、第三、第四の事件はさらなる謎を呼んだ。

 その二つの事件は二日目の夜に行われた。しかし、その被害者は二人とも死んではいない。

 第三の事件の被害者は予告どおり『シルバーベリー』こと銀鏡恵深。その襲撃方法とは犯人が眠らせた銀鏡を浴槽内で縛り上げ、水を出して沈めるというもの。時間が来ると溺れて死ぬという狙いだ。溺死させるなら、頭を力ずくで浴槽に沈めれば良いのだ。それをしない理由は不明。現に標的である銀鏡は存命である。

 そして部屋には次なる被害者の予告として、ハックルベリー(実際は黒く塗られたブルーベリー)が置かれていた。

 その第四の事件は、スタンガンを用いるという、もはや殺害の手段ではない。そして『ハックルベリー』こと訓覇利壱の発言からどうやら本当に襲撃されたかも怪しい。このように少しずつ襲撃方法がマイルドになったと思いきや、次なる事件は何と予告されていた『マルベリー』ではなく『グーズベリー』こと相馬直里がその餌食となり殺害された。

 この第五の事件は、今までの傾向に逆行して、最もさんな死体と言って良いかもしれない。ガラス製の灰皿で何度も頭部を殴打されていたのだ。


 まだこの事件には知鶴が見落としている幾多ものポイントがあるような気がしてならなかった。逆にその糸口が見つかれば、芋蔓式いもづるしきに解決へと導かれるような気もしていた。

 ひとまず何でも良い。事件中に引っ掛かった案件に対して情報が欲しかった。いま持っているアイテムはスマートフォン。調べて分かりそうなものはあるだろうか。

 そういえば、今朝(日付が変わって正確には昨朝になるが)院長との電話による会話がヒントになったではないか。いきなりこの期に及んで知鶴は思い出した。あのときの院長のヒントは至って単純明快なものであった。

 確かな方法で人工呼吸を行ったにもかかわらず、胸郭を挙げることができなかった。つまりしっかり呼気を吹き込めなかった理由について意見を求めたときの院長の回答。

『非常にシンプルな理由だよ。それは、気道閉塞をきたしていたからだよ』

「気道閉塞?」

『何かなかったの? そういった所見。例えば咽頭付近に物が詰まっていたとか、浮腫を起こしていたとか』

 その時は院長の言葉が実に的を射ていて、自分の鈍さを恥じた。しかしその理由までは咄嗟には思い付かなかった。

 しかし熟慮すると、知鶴はある可能性について閃いた。その瞬間、無意識に知鶴はスマートフォンのチャットのアプリケーションを開いており、過去の会話履歴を探っていた。

「あった……」知鶴は囁くように独りごちた。

 なぜ、あのとき頭部をしっかり後屈させて呼気を吹き込んだつもりでも、胸郭が挙らなかったのか。このとき理由が明らかになった。そしてほのかに香った甘いにおいの正体。これがまさに物語っていたのだ。

 しかし、どうやって後藤に摂取させたのか。それはまだ謎のままである。ひょっとして初日の夕食に含まれていたのか。あのときの献立は、豚のリエット、高原野菜とささみのマリネ、信州サーモンのミキュイ、信州牛ヒレ肉のロースト、ミックスベリータルト。怪しい物は何もない。この中に該当する物はないように思える。知鶴も絶品のあまり完食したが、心当たりのあるメニューはなかった。

 では、彼の口をつける物だけに混ぜ込んだのか。いや、これと言っておかしな動きをした人間はいなかったはず。

 そこで再び知鶴に天啓が舞い降りるかのように、ある人物の言葉が思い出された。それはどういうわけだか、絶対に思い出したくない言葉だった。『クラタ』が知鶴にレイプを仕掛けたときに、彼が言い放った発言だった。

『俺さ? もうすぐ死ぬんかもしれないよ? めいの土産に最期に一発イイ想い出作らせてよ』

 ここで、このタイミングで想起されるとは、思考を著しく阻害されるようで不愉快も甚だしいが、前向きに考えればこれは何らかの意味があるということだ。嫌々ながらもその発言を反芻はんすうする。そして知鶴の中である仮説が成立した。その仮説は皮肉にも知鶴の謎を氷解させ得る整合性と説得力を持ったものであった。しかも警戒していたはずの後藤に扉を開けさせた唯一の手段をも兼ねているかもしれなかった。そして、それを行える犯人の必要条件は──、であることだ。

 このオフ会に参加している女性は、よりによって皆美しい。こればかりは主観が入るから何とも言えないが、それでも世間的に見ても顔立ちの整った女性ばかりだと思う。せっかくの重大なヒントだと思われたが、ここでこんな偶然が解決を邪魔するとは。もちろん美人だけが犯人の決め手とはなり得ない。容姿の美醜だけで犯人扱いされた方はたまったものではない。それを裏付ける証拠を探さなければならない。


 まだ情報が足りない。何かないか。これまでの事件を改めて思い出す。特に参加女性に関する言動についてだ。

 先ほど自ら知鶴と銀鏡にのみ正体を明かしてくれた『カワバタ』。フルネームで『カワバタアオイ』と名乗っていた。ローカルタレントと名乗っていたが、本当ならタレント名鑑やブログなどはインターネット上に存在くらいはするだろう。平仮名で『かわばたあおい』と入力し検索してみる。

 すると『ブルーベリーのハッピー備忘録』というサイトがトップヒットした。タップしてみると間違いなく彼女のブログのようだった。『カワバタ』のハンドルネームはどうやら『ブルーベリー』で相違ないようだ。

 彼女は『蒼依』という芸名で活動しているらしい。オフ会に参加してからの彼女のどこかふさいだような表情とは打って変わって、実に明るく可愛らしい表情の『カワバタ』の写真が公開されていた。笑顔がとてもよく似合う女性だ。こんな隔離された連続殺人現場では彼女の魅力が台無しになっていることがよく分かる。

 彼女のプロフィールには、本名の欄に『川幡かわばた あお』と書かれていた。二十四歳である。童顔のためかもっと若々しく見える。彼女の職業はラジオパーソナリティーと書かれていた。川幡の声を使った仕事というのはラジオパーソナリティーだったのか、と知鶴は納得する。生誕地は宮崎県らしい。そのときある記憶が知鶴に蘇った。

 行きの車の中で聴いたFMラジオ。知鶴はラジオを滅多に聴かないが、渋滞情報を知りたくてたまたま切り替えたラジオから聴こえてきたグルメリポート。あのときのリポーターの印象的な声色は『カワバタ』の声に似てやしないか。そして、あのときスタジオのラジオパーソナリティーは『アオイちゃん』と言っていたではないか。しかもあのときリポートしていたのは『みやざきとっを使用したパエリア』ではなかったか。これが偶然だとは思えなかった。しかし違和感もある。確か、紹介していた店は東京都八王子市で『私の育った』ところの店として紹介していたような気がする。生誕地は宮崎だが、そのあと八王子市に引っ越したということだろうか。そんな深読みが知鶴を困惑させた。それが今回の事件に関係しているかどうかなんて分からないのに。

 もう一つ、先ほど殺人のネクストバッターサークルにブルーベリーが置かれていると、はやてんしたときの『ヒデタカ』の剣幕の理由も依然として謎である。


 知鶴は頭を切り替えることにした。もっと事件の根本のところを探ってみることにした。

 この事件は死ななかった人間も含めると、被害者は五名。うち男性は四名だ。訓覇は被害者に入れて良いのかどうかは分からないが、果物でオマージュされたという意味でカウントされている。一方、女性はただ一人。『シルバーベリー』こと銀鏡だ。

 この性差は何か意味をなすのだろうか。なぜ女性でただ一人、銀鏡が狙われるのか。枡谷、後藤、訓覇、相馬と同列で狙われる理由が分からない。

 銀鏡はどこか謎めいた雰囲気を持つ美女だ。不思議な苗字もさることながら、なぜハンドルネームを類推させやすい『メグ』という呼称を敢えて率先して名乗ったのかも分からない。頭を抱えながら半分無意識にスマートフォンで『銀鏡』というキーワードを入力した。スマートフォンで、『しろみ』から『銀鏡』という漢字が変換されることにちょっとした感動を覚えた。当然ながら、高校の化学で登場する銀鏡反応についての項目がヒットする。しかしながら、しっかり目を凝らすと、『銀鏡』とは宮崎県の地名であり、同県に少数存在する苗字でもあるらしい。川幡の生誕地も宮崎。銀鏡も宮崎。このペンションは長野県にあるのに、宮崎県の関係者だと思われる人間が少なくとも二名もいる。これは単なる偶然なのだろうか。

 銀鏡と言えば、あの診察券に記されていた病院名。あの総合病院はどこかで知鶴が耳にしたことのあるキーワードだ。

 再び知鶴は、スマートフォンで試しに検索してみる。あまり期待を寄せず何か解決へと導くようなヒントが見出されればもうもの、というくらいの感覚であった。しかし、こういうときは得てして思わぬ収穫を得るものである。病院の名前を検索語入力欄に入力して現れた、キーワード入力補助機能のフレーズを見て、知鶴は目を剥いたのだった。

 病院の名前とともに登場したキーワードに『飛び降り自殺』とあったからだ。知鶴は思い出した。確か三、四年ほど前にニュースで取り上げられていたことを。おもむろにキーワード入力補助機能のフレーズをタップすると、その事件に関すると思われる記事が登場した。どうやら記事によると二十代の若い女性が遺書を遺して、病室の窓から飛び降りたらしい。穏やかな話ではなさそうだ。今回の事件と何か因果関係があるのだろうか。

 思い立って、知鶴は急いでメールを打ち始めた。何が根拠と言うわけではない。はっきり言って直感とか天啓の類いのものが働いたと表現するしかない。知鶴にとって何となくそれが重要そうな気がしたのだ。何でもいい。些細な情報でも良いから、解決の糸口を希求していた。

 メールのお相手は院長だ。正直、上司である院長に深夜にメールを打つのは、常識外である。しかし今は緊急事態だ。本当は電話をかけたいのだが、互いに互いを監視し合っている中、それはかなりやりにくい。この中に真犯人がいると知鶴は踏んでいるのだから。

 院長は以前、自分の交友関係の広さを自慢していたことがあるのだ。なら、その情報網とやらを信じてみようと思った。院長も今や埼玉県の人間であるが、東京都出身だ。何かと都内の事情に精通しており、同じく情報通の友人もいるかもしれない。ダメもとかもしれないが、何かちょっとでも事件解決に有用な情報が得られれば御の字である。

 そのような淡い期待を寄せて、知鶴はメールを入力した。長いメールだ。犯人かもしれない周囲の人間に、悟られたくない気持ちの表れなのか、自然と他のメンバー達に背を向ける形になっていた。

 失礼は承知で、可及的速やかな情報提供をお願いします、とメールを送ったが院長は起きているだろうか、とにかく待つしかない。はっきり言って手がかりになるかもどうかも分からないのに、心のどこかに院長に期待し、早い返信を望んでいた。

 知鶴はふと顔を上げると、暖炉の上に置いてある花瓶の後ろから写真立てに飾られた小さな写真を見つけた。何となく知鶴はそれを手に取ってみる。ほこりが被っており、そこに置かれていたこと自体忘れ去られているようなほどであった。写真はずいぶんと昔に撮られたものなのかいろせている。写真には神社の鳥居の前に立つ若かりし頃の菓子オーナーと、その隣に小学生くらいの女の子が写っている。誰だろうか。オーナーの娘と言われれば似ていなくもない気がする。こっそりオーナーに訊いてみようかと思い見回すがオーナーは席を外しているのか、見えるところにはいない。写真に目を戻す。母親と思われる人は写っていなかったが、それ以上に注視すべきものが写っていた。鳥居の横にある紺色ののぼりだ。間違いなくその神社の名前なのだが、こんな偶然があるのだろうか。もう一度、急いで先ほど見たスマートフォンを開いてみようと、画面をタップしようとした。


 そのときであった。

 スマートフォンの画面に夢中だった知鶴の頭上に何か気配を感じた。それは極めて禍々まがまがしいものであった。

「きゃあああああ!」

「『タチカワ』さん! 危ない!」『ミホ』と『ヒデタカ』が順に叫ぶ。

 おそるおそる見上げると、そこには死神を髣髴ほうふつとさせる仮面と衣装をまとい、手には鎌を持った人物が立っていた。

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