第2話;広がる可能性

 取調べから吉田を開放して2週間後、事件は新たな展開を迎えた。とあるアパートから、住人が死んでいるとの通報があったのだ。


 安田と佐藤の2人は、急いで現場に駆けつけた。

 現場は昔ながらの古い安アパートで、死体は廊下に転がっていた。

 死因は、大量出血によるショック死…。喉元には、鋭利な刃物で切られた跡が残っていた。

 安田と佐藤に、嫌な予感が過ぎる。3つ目の、連続殺人事件の可能性が高くなったのだ。


 今回の事件は昼間に起きた。通報したのはアパートの管理人で、発見した時には既に住人は死んでおり、ただ、床には血が流れ続けていたと言う。

 管理人は、住人が息を引き取ってから暫く経たない内に、死体を発見したと思われる。


 被害者は無職で、2つの事件の被害者らと同じ年代の男だ。

 管理人曰く、昼の間にアパートに居ついているのは、この男1人だけだと言う。他の住人は会社に出勤したりと、常に不在だ。

 管理人は別の場所に住居を構えており、アパートには朝一番の掃除と、時々、昼の間に訪れる程度だった。


 佐藤は吉田から携帯電話の番号を受け取っており、早速、吉田に連絡を取った。彼の居場所を探ろうとしたのだ。

 吉田は、都合良く電話に出た。それを確認すると安田は佐藤の電話を奪い取り、吉田に怒鳴りつけた。


「吉田!お前は今、何処にいる!?」

「えっ?あれ?佐藤さん?」

「安田だ!」

「あ…安田さんですか?どうしました?興奮されてるみたいですけど…?」

「今、何処にいる!」


 安田は、吉田がシラを切っていると考え腹を立てた。彼は事情を、全く知らないと言った様子で電話に対応した。


「僕ですか?僕は今、大学の校舎にいます。友達と一緒にいますけど…?」


 安田は決して、3つ目の殺人事件に関して言及しなかった。

 そして吉田に要求をした。彼のアリバイを実証しようとしたのだ。


「隣の人間と代われ。」

「はい?」

「隣にいる、お前の友達に電話を代われ。」

「…………。」


 安田の要求に、恐らくアリバイを尋ねられていると思った吉田は素直に従った。


「もしもし?」

「他の誰かに代われ。お前の友達ではない誰かにだ。」

「は?誰だよ、あんた?」

「いいから早く代われ!」


 吉田の友達が、彼が全く知らない人間に電話を代わった。

 そして安田は、同じ動作を3回ほど繰り返させた。


「お電話代わりましたけども?」

「お前は誰だ?」


 作業を終えた後、安田は初めて電話先の相手を確認した。

 電話に出た人間は、若いと思われる女性だった。


「はい?私ですか?」

「名前と学科、そしてお前が今いる場所が何処かを教えろ。」

「……?何を突然……。」

「いいから話せ!」

「…………。」


 電話に出た女性は急で激しい要請に腹を立てたが、それでも要求された事柄を伝えた。


「……分かった。怒鳴って済まなかった。」


 安田はそれを確認した後、黙り込んで電話を切った。

 女性は自分の名前と所属する学科、そして今いる場所を伝えたのだが、それは吉田が通う大学に間違いなかった。

 安田は当惑した。佐藤はその表情を側で見て、吉田がここから遠く離れた場所にいる事を確認した。


 このアパートは2つの殺人現場から30キロほども離れた場所にあり、吉田が通うと言う大学からは、60キロ以上も離れた場所にある。吉田や彼の友達、そして見知らぬ女性の話が本当だったとしたら、彼は事件の殺人犯ではない事が立証される。死亡推定時刻はまだ明らかではないが、殺害を犯した吉田が、今は大学にいると言う話は無理があるのだ。


 横たわった死体には1つ目の死体と同じく、レインコートが掛けられていた。犯人が脱ぎ捨てたものと思われるが、残念ながらそこからも、犯人の物と思われる体毛や皮膚などは見つからない。

 安田は、もしそれらが見つかった場合はもう1度吉田を呼びつけ、DNA鑑定をするつもりでいた。

 しかし吉田の居場所を知った今、それは無意味なものであると判断された。


 死体の状況を確認し始めた2人であったが、その頃に佐藤の携帯電話に、吉田からメール連絡が届いた。

 送られて来たメールには吉田と、そして大学の教授と思われる年配の男と、更には新聞が写された1枚の写真が添付されていた。

 吉田が持つ新聞は全国紙で、今日の一面記事が写されていた。その一面は、安田と佐藤が今朝に確認したものだ。送られて来た写真は、決して前もって撮ったものではないと言う証明であった。吉田は、自分のアリバイを立証しようとしたのだ。


 その写真を見た安田は激怒した。彼はまだ、吉田の犯行を疑っている。少なくとも吉田は、2つ目の殺人には容疑者としての可能性が残っているのだ。

 何よりも、メールが気に食わない。


『捕まえられるものなら、捕まえてみろ』


 安田にはその写真が、吉田からの挑戦状に思えたのだ。


 死体を確認し終えた2人は、管理人と周辺住人からの聞き込みを行う事にした。

 しかし残念ながら周辺住人や管理人からすらも、事件発生前後に怪しい人物を見たと言う証言は得られない。

 アパートは、閑静と言うより廃れた地区に位置しており、周辺住人の殆どは身寄りがない年寄りであった。アパート自体も古びた建物だ。聞き込みをして気付いたのだが、この一帯では外へ出歩く人間は見当たらず、全ては、各家の玄関での聞き込みになった。

 ここは、昼間の間は人通りがないと言っても過言でない地域だ。目撃証言の入手は絶望的だ。


 取調べが終わった2人は署に戻り、同じ課の人間達と会議を開いた。

 安田は、今回の事件も他殺に因る殺人事件だとの見解を報告した。男の部屋を調べると、犯行を裏付ける証拠も見つからなかったが、遺書と思われるものも見つからなかった。自殺の可能性は低い。


 会議の結果、警察は3つ目の事件を他殺と判断し、これまでの事件は全て、同一犯の仕業との見解を下した。

 その結果、吉田は容疑者からは外された。


 実は、吉田は佐藤にメールを送った後、大学近所にある交番に向かい、そこで自分自身を確認させていた。

 そのアリバイが認められ、吉田には、3つ目の事件の犯行が不可能だと判断されたのだ。


 しかしこの事が、安田の怒りを更に強くした。

 取調べや今日の電話において、彼は必要以上に強く当たり、犯人と決め付ける程の迫り方をした事は事実である。その為、吉田も潔白を証明する事に必死かも知れないが、それにしても今日の吉田の行動は、目に余るものがある。

 アリバイを成立させる為にわざわざ大学教授と写真を撮り、近くの交番まで駆けつけて自分の現在位置を伝える事までする容疑者は、吉田が初めてであった。


(そうか…そう言う事か…。)


 安田はその時、1つの可能性を見出した。今回の連続殺人は、複数の人間の、グループに因る犯行だと考えたのだ。

 吉田はグループの1人で、2つ目の殺人事件を行った。そして自分への疑いを晴らす為に、あえて2つの現場や大学から遠い場所でグループの誰かに3つ目の殺人事件を起こさせ、容疑者としての疑いを晴らそうとしている。安田はそう考えた。

 そう考えると、1つ目の事件も吉田ではない、同じグループ犯の誰かの犯行とも考えられる。その推理が正しいのなら3件目の殺人は怨恨などとは無関係の、吉田の容疑を晴らさせる為だけに行われた、愉快殺人であったと思われる。

 となると、吉田が2つ目の殺人犯だとすると、その犯行理由も、1つ目の事件の犯人の容疑を、有耶無耶にする為の犯行だったかも知れない。…凶悪で性質が悪い事件になるのだ。


 署の上司は安田の話を聞き、グループに因る犯行だとも考えた。

 警察は未だ、犯人の動機を見つけ出せずにいる。被害者3人の年齢が近いと言う事以外、共通点を見つけられずにいた。安田の推理を、正しいと考えざるを得ないのだ。

 ただそうなると事件は、難解なものへと変ってしまう。グループの犯行にもなると尚更の事、今後発生し得る事件の背景や動機などを見つけ出す事が困難になるのだ。

 とにかく警察は、犯人の逮捕を急がなければならなかった。


 吉田の自宅とアルバイト先は、既に警察が知っている。今日以降、佐藤は安田の個人的な指示により吉田を監視し、彼の行動を逐一確認、報告する事になった。

 佐藤は安田の指示に従うものの、素直に受け入れる事は出来なかった。吉田を捜査の対象から外し、もう1度犯人像を洗い直した方が事件解決は早いと考えた。

 安田は、余りにも吉田に執着し過ぎている。身長が170センチ、頬がこけるほどの痩せ型の男…。それだけの人物像なら、何処にでも似ている人間はいるのだ。上司にも指摘されたように、佐藤は安田が、1つ目の現場で得た情報に頼り過ぎていると考えた。



 3つ目の事件が起こった2日後、佐藤は吉田が通う大学に足を運んだ。吉田本人に連絡を入れ、彼が送ったメールにある、教授と思われる人間との面会を求めたのだ。

 吉田は快諾し、写真の人間の研究室まで佐藤を案内した。



「吉田君は、とても真面目な生徒です。…正直、成績は良くありませんが、授業での態度は良く、彼が犯人だとは考えられない。」


 佐藤は吉田を部屋の外に残し、彼を担当する大学教授と面会した。そしてこれまでの殺人事件、吉田に掛けられた容疑を全て伝えた。

 彼は教授に、アリバイ作りに力を貸しているのであれば、共犯者として逮捕すると迫りもしたが、教授はそれに対して堂々とした態度で臨み、自らの潔白と吉田の人間性を主張した。

 また、この時教授は、1つ目の事件における吉田のアリバイにも言及した。あの事件当時、吉田は自分の授業を受けていたと証言したのだ。彼は少人数での授業の場合、受講者の出席を取り、出席簿に記録していた。

 佐藤は出席簿を見せられた時、またもや安心する自分に気付いた。佐藤にとって、吉田の印象は良い。とても殺人を行えるような人間には見えないのだ。

 また、大学教授を通じてこれまで知らなかった吉田の人物像も教えられ、その気持ちは尚更強くなった。


 吉田は5年ほど前に両親を交通事故で失い、高校生活を自分の力で過して来た。

 彼には、両親以外に頼れる身内がいない。両親も一人っ子であり、祖父母も既に他界していた。

 夜間の高校へ進学しながらアルバイトで生計を立て、大学の進学までも自分の力で成し遂げた。大学の学費は奨学金で補い、生活費を工面する為に深夜まで、食事が出る居酒屋でアルバイトをしているのだ。成績が良くない理由も、アルバイトが理由であった。

 佐藤にとっては、いやこの話を聞かされた人間なら誰もが、吉田が、絵に描いたような真面目な青年で、苦労人に見えるはずである。




 大学で取調べを終えると佐藤は吉田を誘い、アルバイトの時間までの間、近所の喫茶店で時間を潰す事にした。


「良いんですか、勤務中に?それに僕は、容疑者じゃないんですか?」


 喫茶店の入り口で吉田はもう1度、誘いを受けて構わないのか確認した。


「一応、この前の事件で、君は容疑者の対象から外された。君が送り付けて来たアリバイは、完璧だったよ。」


 それを聞いた吉田は大きく息をつき、笑顔を見せた。

 佐藤はそれを見て、これまで吉田を疑い、色々と強く当たってしまった事を反省した。

 佐藤にはその笑顔に、彼が心の底から安心し、開放された喜びに浸っている事を感じた。


「さっ、入ろうか?コーヒーぐらいなら、僕の安月給でもおごれるから。」


 佐藤は初めて吉田に笑顔を見せ、彼を喫茶店の中へと促した。


「ところで…事件は今、どんな状況なんですか?」


 頼んだアイスコーヒーを待っている間、吉田は佐藤に何気ない質問をした。

 しかしその時、佐藤に緊張が走った。吉田はひょっとしたら、安田の推理通り犯行グループの1人で、仲間の為に色々と事情を聞き出そうとしているのではないか?そう考えた。

 佐藤は安田の推理を、全く否定している訳ではないのだ。


 佐藤は1度見せた笑顔を取り消し、まだ吉田には心を開いてはいけないと自責した。


「申し訳ないが、それを君に話す事は出来ない。内部事情だ。事件の事が知りたかったら、新聞でも読んでくれ。そこに書かれていない事は、僕も口を出せない事だ。」


 佐藤は少し冷たい態度で吉田に返事をした。

 吉田はその声に、体を強張らせた様子だった。


「そうですよね…。」


吉田は、入り込んだ事を聞いてしまったと反省しているようだったが、佐藤は彼の態度を、どう処理して良いのか分からない。彼の表情は演技なのか、本心なのか…。それを見分ける目を、まだ持ち得ていなかった。


 佐藤と吉田は事件に関係がない話を交わし、アルバイトの時間が来たと言うので吉田は喫茶店から出て行った。


「コーヒー、ご馳走様でした。ありがとうございました。」


 店を出て行く時まで、吉田はあくまでも礼儀正しく、真面目な学生だった。


「佐藤さん…。」


 吉田は席を立ち、出口まで数歩歩くと一旦立ち止まり、佐藤の方を振り返った。


「それでも、事件の事で何か手伝える事があれば、いつでも相談して下さい。僕で力になれる事があれば、何でも協力します。」


 そう言って、店の扉に手を掛けた。


「……。」


 佐藤は吉田が店を出て行くまでを確認し、1人になった後、タバコに火を付けて考え事を始めた。

 最後の言葉が引っ掛かった。今回の事件が複数の人間による犯行であるとして、その1人が吉田だったとしたら…彼の態度は狡猾過ぎる。

自分から、何かを聞きだそうとしている…。佐藤はそう考えもした。彼の最後の笑顔が、吉田を怪しい人物だと思わせた。

 喫茶店に誘ったのは自分だが、それでも吉田が親身になる姿が、どうしても解せないのだ。


「奴は一体…何者なんだ…。」

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