宿命

JUST A MAN

第1話;連続殺人事件と容疑者

 とある街で、殺人事件が起こった。40代の中年男性が殺害された。

 トラック運転手だったその男は、積んだ荷物を納品先の倉庫に搬入している際、荷台の中で殺害された。鋭利な刃物で喉元を深く切られ、大量の血を流したショック死だった。


 事件は、平日の昼間の内に起きた。現場はオフィス街の一角にあるビルの裏口で、ここを通る通行人は少なくなく、男が殺害された時間にも多くの人通りがあった。

 しかし、この事件の現場を目撃した人間は誰1人としていない。完全犯罪だった。

 男は、荷台の奥にある荷物を取りに行った際に何者かに因って殺され、叫ぶ断末魔は、犯人の手に因って塞がれたと警察は断定した。

 喉から上がる血しぶきは荷台の壁や床に飛び散っていたが、トラックの外へ流れる出る事はなかった。荷台には布が敷かれており、血がそれ以上流れ出る事を防いでいた。


 返り血を浴びたはずの犯人だが、周辺にいる人に聞き込みをしても、その様な姿をした者を、誰1人として見ていないと言う。トラック周辺の地面にも、血糊が着いた足跡などは見当たらなかった。

 殺害された男の死体の側には、1着のレインコートが落ちていた。恐らく犯人は男を殺害した後、返り血を浴びたレインコートを脱ぎ去り、足下が流れ出る血でいっぱいになる前に、トラックの荷台から出て行ったものと推測される。

 しかしレインコートは勿論、殺害現場にも指紋や体毛などの、犯人を割り出す証拠は一切残されていない。用意周到な、計画的犯行だった。


 この事件は街に衝撃を与えた。周囲の住民やそこに通う人間達は恐怖に怯え、警察は犯人の逮捕を急がなければならなかった。


 しかし、その緊張感が止まない内に違う場所で、今度は30代後半の男が殺された。

 殺害された男は自営業を営んでおり、飲食店のマスターだ。仕事が終わった深夜、1人で店の片付けをしている間に殺害された。

 手口は、前回の事件と同じ方法であった。今回も喉元を深く切られ、大量の血を流して死んでいたのである。レインコートは見当たらなかったものの、殺害された男の喉元を調べると、トラックの運転手を殺害する際に使用した刃物と同じ物で殺されたと推測出来た。2つの現場は20キロメートル程度と、離れていない。

 警察は同一犯の仕業とし、犯人の特定を急ぐと共に、被害者の関係を調べ始めた。



「2つの事件…同じ犯人の犯行ですかね?」


 管轄の警察署で、同じ課の先輩刑事に質問をした男の名は佐藤成樹と言い、所謂、新米と呼ばれる刑事だ。彼は交番での勤務を経て、最近やっと刑事と呼ばれる課に配属された。


「断定は出来ないが、その可能性は高い。被害者も同じ年代で、現場もそう離れていない。被害者2人に何らかの関係性があるとして、それを突き止める事が出来れば、犯人の姿も見えてくるだろう。先ずは、その線で捜査を続けよう。」


 質問に答えたこの男は安田健二と言い、刑事としてはそれなりの経歴を持っており、今回の2つの殺人事件を任されていた。彼は、佐藤よりも10歳ほど年上だ。巡査である佐藤に対して、彼は巡査部長の位に就いていた。


 2人は現場周辺で聞き込みを行うと同時に、殺害された2人の男の関係を調べる事にしたが、情報は、犯人の特定を急がせるものを先に入手出来た。1つ目の殺害現場において、怪しい人物を見たと言う証言が多く入手出来たのだ。


 怪しい人物は身長170センチほどの男で、すっかり痩せこけた体型だったと言う。

 しかしキャップ帽を深く被っていたので、顔までを見たと言う人間はおらず、似顔絵の作成には至らなかった。

 証言に由ると事件発生までの2週間程の間、その怪しい男は、ビルの周辺をうろついていたらしい。


 警察は入手した情報を元に、2つ目の現場近くでも聞き込みを行った。

 ただ、2つ目の現場周辺は歓楽街の中にある。中心部からは離れた場所ではあったが人通りは多く、そこに通う人々は、定住者ではない。情報の信用度が低いのだ。


 しかし、この界隈で勤務する人間からも、同じような人間を、何度も見たとの証言を得るに至った。そして運が良い事に、ここでの目撃者は、怪しい人物の顔までを見たそうだ。

 数人から得た怪しい人物の特徴は共通していたので、警察は男の似顔絵を作成するまでに至った。

 警察はその似顔絵を元に、更なる聞き込みを続けた。刑事の数を増やし、2つ目の現場においての調査は強化された。


 やがて、界隈の一角にあるホームセンターにて、似顔絵と似る人物が買い物をしている姿を捉える事が出来た。それは、防犯カメラに残された映像であった。

 カメラの映像は、2日前に映されたものだった。つまり、仮にこの人物が犯人なら、男は警察が聞き込みをしている最中、堂々とこの界隈に足を運び、買い物をしていた事になる。

 レジ前に設置されたカメラには、白黒ではあったものの、鮮明に男の顔が映し出されていた。聞き込みで確認していたキャップ帽を被り、その顔は、似顔絵とよく似ていた。

 また、男はレインコートを購入しており、手には手袋をしていた。警察はこの事を、指紋を残さない為の用意周到な行動だと判断し、男を容疑者とした。


 そして警察は焦った。

 カメラに映された映像は2日前のもので、2件の事件が起こった後の日付だ。それはつまり、次の事件の可能性を匂わせているのだ。


「急ぐんだ!さもなければ、次の殺人が起こるぞ!」


 安田は佐藤を始めとする部下、同僚に激を飛ばし、犯人逮捕を急いだ。


 その甲斐もあり、聞き込みの結果、カメラに映った男を知る人物に遭遇した。行き着けの居酒屋の、従業員がその男だと言う。




「僕は知りません。何もやってません!」


 容疑者の連行までは順調だった。男の勤務先に訪れ、任意同行で取調室まで足を運ばせる事が出来た。

 しかし男は佐藤が伝える殺人事件を否定し、何の関与もしていない事を訴えた。


 安田は、容疑を否認する男に強く迫った。

 男は、背丈、体格、そして顔つきまでもが、防犯カメラに映った男と似ている。安田は、目の前の男を犯人だと断定していた。

 佐藤は佐藤で、男の言い分に理解を示した。目の前にいる男は、確かに身長が170センチほどの背丈で痩せ型の体型をしているが、顔つきはカメラで見たものと、少し違っていた。防犯カメラに映った男はもっと痩せこけており、鋭い顔つきをしていた。防犯カメラに映った日付から、ちょうど1週間が経った日の取り調べだ。人が、そんな短期間でこれほど痩せる事はない。

 何よりも目の前の男は、こんな状況においても優しい表情をしている。カメラに映った男と同一人物とは思えないのだ。


 取調室に呼ばれた男の名は吉田一哉と言い、近所の大学に通う、21歳になったばかりの男だ。実家は遠く離れた場所にあり、大学への進学を機会にこの界隈に越して来た。家は同じ大学に通う人間が多く住むワンルームマンションで、一人暮らしをしている。

 学費を稼ぐ為に夜間は、現場付近にある居酒屋の厨房でアルバイトをしている。



 吉田の犯行だと決め付けた安田だったが、取調べは難航した。吉田にはアリバイがあった。

 そのアリバイは、警察を悩ませるものであった。

 1つ目の事件が発生した際、彼は大学で講義を受けており、同じ講義を受けた人は、数十名いたと言う。

 後日の調べで、講義に出席した学生からの証言も多く得た。講師も吉田の出席を確認しており、出席簿も証拠となった。

 ここでは、吉田の容疑は否定された。

 しかし2つ目の事件が発生した当時、吉田はアルバイトを終えて自宅に戻る最中であった。アルバイト先は殺害現場から歩いても10分で行ける距離にあり、仕事を終えた後、2人目の男を殺害しに向かったと推理出来た。

 

 安田と佐藤は困惑した。2つの事件は、同一犯の仕業と考えていたのだ。


「安田さん、やっぱり吉田は、犯人ではないんじゃないですかね?」


 佐藤が、心の中の不安を安田に伝える。


「いや、少なくとも吉田には、2つ目の事件において犯人だと言える可能性がある。事件は同一犯の仕業だと思っていたが…間違いだったかも知れない。単独犯に因る仕業なら、吉田も犯人だと考えられるアリバイと、多くの目撃証言がある。防犯カメラには、レインコートを購入する吉田が映っていた。それを考えると、今の段階では吉田はどこまでも犯人に近い。」

「しかし先輩、吉田と思われる防犯カメラの人物は、レインコートを購入していました。レインコートは1つ目の事件で使用されましたが、吉田が絡んだと思われる2つ目の事件では見当たりませんでした。犯人が返り血を防ぐ為に購入したのなら、吉田は1つ目の事件には関係があるものの、2つ目の事件には関係はないのでは…?」


 佐藤がそこまで言うと、安田は彼を叱り始めた。


「お前は馬鹿か!?2つ目の殺害は、密室で行われたんだ。レインコートを着る必要はなかったかも知れないが、犯行時にコートを着ていたとして、そこで脱ぎ捨てたんじゃなく、持ち帰るなり、途中で捨てられた可能性もある。返り血を浴びた姿で家に帰るか?それを考えると、2つ目の事件でレインコートは使用されなかったとは考えられないだろう。」

「あっ…。」


 佐藤は自分の経験、推理不足を反省した。


「そして奴は、レインコートを2日前に購入しているんだ。次の計画も、既に企てているかも知れない。今は、奴を任意同行で引っ張って来たんだ。礼状や逮捕状もまだ出ていない。奴を長い間拘束する事は出来ない。だが、ここで奴を逃がすと、3つ目の殺人事件が起きるかも知れないんだぞ!」


 安田は吉田を、犯人だと信じて疑わなかった。どうにかしてこの任意同行の間に、吉田からの自白を取りたかった。

 しかし佐藤は、今回の調査に無理があったと考えていた。レインコートについては反省するものの、似顔絵を作った経緯に納得が出来ないのだ。

 先ずは、1つ目の現場において犯人の人物像が作られ、身長と体型のみが割り出された。それを元に2つ目の現場で似顔絵が出来るまでに至ったのだが、正直な話、170センチの背丈で痩せ型の人間などは何処にでもいる、特別ではない体型だ。吉田だけが持つ体格ではないのだ。

 吉田は2つ目の現場近所でアルバイトをしており、そこに毎日のように通っているので、周囲の人間が吉田に心当たりがあるのは難しくない話なのだ。

 防犯カメラに映された姿も、佐藤にはあれが吉田と同一とは思えなかった。

 現に今の段階で、吉田からは殺害の動機を聞き出す事が出来なかった。彼は事件を知らないと言い、容疑を否認しているのだ。佐藤の目には彼が嘘をついたり、動揺したりしているようには見えない。アリバイに関しても正直に答え、2つ目の事件に関しては容疑者と思われても仕方がない、自分に不利な証言までしているのだ。


 吉田は防犯カメラに映る、レインコートの購入に関しても否認した。例のホームセンターには自分も足を運ぶ事があり、カメラに映る人物を、自分と似ているとまでは証言するのだが、その日はホームセンターに足を運んだ覚えはないと言い、購入がなされた時間帯を見ても、その時彼は、大学に通っている時間だったと主張した。


 安田は年齢が若い割には、古いタイプの刑事だ。彼は自分の足で捜査し、刑事としての勘を頼る部分も多く、また、聞き込みにおいても、少々強引な手口を使う傾向にある。

 しかし彼の業績は優秀で、同僚達は、彼が警部補になる日は近いと思っている。

 だから佐藤は、尚更迷った。彼自身も、安田の直感を信じたい。憧れの先輩である。


 吉田への調査は、数時間にも及んだ。

 だが、実際には聞き込みをした時間は長くなく、取調室で待たせる時間が長かった。

 2人は焦った。何の証拠や確証もない段階から、吉田を任意同行させて取り調べたのは、少し早かった。

 ここで自白を取りたかったのだが彼は断固として容疑を否認しており、また2人も、その否認を揺さぶる証拠を準備出来ていなかった。


 結局、数時間にも及んだ取調べは何の収穫も得られないまま終わり、吉田は解放された。

 吉田が警察署から出る際、安田は彼を怪しそうに睨みつけ、佐藤は深く一礼をした。

 吉田は調査に腹を立てる事もなく、やっと開放された事に安心し、笑顔で警察署を出て行った。



 次の日、佐藤と安田は吉田から連絡を受け、レインコート購入に関してのアリバイを告げられた。

 防犯カメラに記録された時間、1つ目の事件のアリバイと同じく大学の授業を受けており、この時彼はフィールドワークとして、とある養護施設を訪問していた。

 2人は、吉田の話の裏取りをした。その結果、彼のアリバイは大学側からも訪問した先の養護施設からも、間違いではない事が証明された。

 この時点で吉田は、レインコート購入において完全なアリバイが成立した事になり、容疑者や、ましてや犯人と見る事が難しくなった。防犯カメラに映った人物は、他人の空似だったと判断せざるを得なくなった。


 安田も、吉田を犯人だと決め付けた自分を反省した。佐藤が教えた訳ではなく、自らが犯人像の割り出しを急ぎ過ぎたと思ったのだ。

 ただ、自分の勘を捨て去る事も出来ず、吉田の事を怪しいと思い続けた。


(あれだけ長く面倒な取調べをされたのに、あの平然とした態度はおかしい。やはり…奴は何か、シラを切っているに違いない…。)


 それが安田の判断だった。確かに吉田は取り調べの間、余りにも従順過ぎた。普通の人なら怒りすら覚えるところを、彼は平常心を保ち過ぎている場面が多く見られた。


 しかし捜査は、一からのやり直しになった。これまでの証言や防犯カメラに写った人物を忘れ、もう1度聞き込みを行わなければならない。上からの指示であった。

 安田と佐藤は2つの現場でもう1度調査を再開したのだが、吉田の人物像を容疑の対象から除外した今、有力な情報を得る事が出来なかった。



 そして、吉田が取調べを受けた日から数えて2週間後…遂に3件目の殺人事件が起きた。

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