第25話

 3Dモデラー作成経験のなかったダフニは試行錯誤に試行錯誤を重ねて新しいプログラムの開発を進めて行った。


 これだけの規模のプログラムになると一度に完成させることはできなくなる。そこでダフニは毎回書きかけのプログラムに名前を付けておくことで、後からプログラムの内容をリピカの力で思い出してプログラミングを再開するようにした。


 この時、名前に同じものを使うと呼び出すときには最後に覚えた内容を思い出すというリピカの記憶魔法の性質を利用して、いわゆる上書き保存のように古いプログラムを新しいプログラムで書き替えて管理していた。


 しかし、それでも問題は起きる。あまりにプログラムのサイズが大きくなってきて、プログラムを頭で一度に把握できなくなってきたのだ。また、同じような関数を違うプログラムで使っていてそれぞれ微妙に異なるということも起こるようになった。


 ――モジュールシステムが欲しいですな。


 モジュールとは大きなプログラムを分割して管理するための塊のことだ。プログラムが大きくなると見通しが悪くなって開発効率が下がるので、モジュールに分割してモジュールごとに開発を行うのが一般的なプログラミング手法なのだ。


 現状、ファイル管理はリピカの記憶魔法を使った疑似的なファイルシステムを使っている。しかし、本格的なモジュールシステムを導入するにはHaskellコンパイラが認識できる本物のファイルシステムが必要になる。ゆくゆくはともかく今すぐそれを作るのはちょっと辛い。


 なので、ダフニは代わりの簡易的なモジュールシステムとして、ファイル名のリストを与えるとそのファイルを全て同じ名前空間内にロードするだけのプログラムを書いて、それを常用するようにした。


> import Data.List

> main = print $ intercalate "\n\n" =<< mapM lipika ["File1", "File2"]


 ――こういう時だけはimportでも何でも自分で書けるLispがうらやましいですな。


 そうやってダフニが自分の世界にこもって研究を進めているうちにも、周囲の状況は知らぬ間に様々に変化していた。


 まず、国の安定を図るためとして導入されたレオとルキの共同統治体制は、むしろ2つの派閥間の争いを助長する形で政治の不安定さを増大させていた。特に、ドラゴン襲撃の際の論功行賞と先代没後の補正予算について、まだ合意が取れず実施に至っていないというのはその最たる例だった。


 国王暗殺の黒幕とされた帝国の様子であるが、今までのところ特に大きな動きはない様子だった。しかし、ルキとアヴェンティ公爵は帝国の脅威を訴えて軍備の拡大を進めようと画策していた。


 レオは長子として一定の発言権を持っていたものの、摂政となった公爵のバックアップを受けているルキは次第にレオを無視するようになり、そのことがチェーリオ子爵を中心としたレオの支持者の中での不満を増大させていた。


 また、街中で起きていた人さらいはいまだに犯人が捕まらず、むしろ被害者の数は懸命の捜索をあざ笑うように加速していた。しかも、この事件の対策自体がレオとルキの争点の一つにもなっていたのだ。


 そんな中、ダフニは1通の手紙を受け取った。差出人はマルクだった。


 「マルクお兄さまからの招待状ですな」

 「マルク様ですか?」

 「ですな。なんでも、今の統治体制の問題について個人的に話し合って協力してほしいのだそうですな」


 上級クラスに進級したダフニは直接は知らないが、イリスとクロエによると相変わらずマルクは学校には来ていないらしい。それなのに突然手紙で呼び出されたので、ダフニは少し戸惑った。


 「どうなさいました?」

 「うむ。一体マルクお兄さまはどういうつもりでこんな手紙を送ってきたですかな?」

 「マルク様も今は王弟様ですから、責任を感じているのではないでしょうか?」

 「まあ、そうかもしれないですな」


 クロエの言葉にダフニは考えながら頷いた。確かにマルクもダフニも今は王子から王弟となってこれまでとは立場が変わったのだ。以前と同じように振舞っていてはよくないこともあるかもしれない。マルクがダフニよりも早くそういう意識になったとしても不思議なことはない。


 ダフニとしては面倒事に関わりたくはないが、レオが苦労しているらしいことは聞いているので、レオの力になれることがあるならその位はしたいと思っていた。


 「よし、マルクお兄さまに会ってみるですな」


 会って、それでやっぱり嫌なら何もしなければいい。少なくとも情報位はレオに伝えられることがあるかもしれない。ルキ陣営の詳しいことはイリスにもあまり情報が流れてこないので、マルクの情報は貴重と言えるかも知れなかった。


 マルクに指定された場所は精霊殿に隣接した庭園だった。特別な人間しか入れないその場所は、確かに密談には適切かもしれないと思った。


 「私もお伴します」


 クロエが同伴を申し出てダフニはそれを了承した。マルクの手紙には2人で話し合いたいと書いてあったが伴を連れてくるなとは書いていなかったので、クロエは離れたところで待っていてもらえばいいだろうと思ったのだ。


 庭園の入り口は顔パスで通過して、2人はマルクを探した。庭園でとは書かれていたが、その中のどこでとは書いていなかったからだ。


 「なんだか妙な雰囲気ですな」

 「そうですか?」


 ダフニは庭園内の様子に違和感を覚えていたが、クロエはそれには気づいていない様子だった。それに、違和感を感じるダフニ自身にも何がおかしいのか言葉にすることはできないでいた。なので、とりあえず違和感は置いておいて庭内を進んでいった。


 「来たな」

 「マルクお兄さま?」


 マルクは庭園の奥の岩の上に腰かけていた。その様子にダフニは疑問を抱いた。


 「タケノコ君はどうしたですかな?」

 「タケノコ君? ああ、グノムスは用済みだ。あれは俺のような高貴なものにはふさわしくない精霊だった」

 「何を言っているのですかな?」


 精霊契約はやり直しが効かないとされている。まれに高ランク精霊が低レベルの魔法使いと契約したときに短期間で契約が自然消滅してしまうという例があるようだが、低ランク精霊の契約が消滅したという例は聞いたことがない。


 高ランク精霊が契約の維持に大量の魔力を必要とすることを考えると、低レベル魔法使いとの契約が解除される理由は魔力不足だろうとダフニは推測しているが、もしマルクがそう言う理由でグノムスとの契約が消滅したのならグノムス以上の高ランク精霊との再契約は難しいはずだ。


 もしかすると、精霊を見て話すこともできるダフニなら精霊契約の破棄も不可能ではないかもしれない。試したことはないけれど。だが、今までのところマルクが精霊と話すことができるという話は聞いていない。


 「精霊契約は破棄できないはずですな」

 「ふん。そのようなこと、ルキ兄上にかかれば造作もないことだ」


 マルクの言うことが正しいなら、ルキはダフニと同じようにエーテル知覚を備えているのかもしれない。今度会う時があったら確かめてみようとダフニは心に留めておいた。


 「それで、今日は何の話ですかな?」

 「話は簡単だ。お前に今日ここで死んでもらおうと言うだけだ。誓約にて共にする精霊に請い願い奉る。我、汝に一つの求めあり。ダフニに向かい灼熱の回廊を作りたまへ。コール」

 「いけないですな!」


 マルクの魔法の発動を見て、ダフニはとっさにクロエに抱き着くとアイコン操作で右方向に一気に5メートル跳躍した。数秒遅れてダフニたちがいた場所は高温の炎熱が通りすぎ、後には地面と背後の草木が真っ黒に焼け焦げていた。


 アイコンは以前作った移動魔法をアイコンで発動するものの改良版だ。ダフニはあの後いろいろな魔法をアイコン化して視界内に配置するようにしていて、今回はそれがまさに命を救ったのだった。


 「コール」


 連続で魔法を発動したマルクに対し、今度はダフニはアイコンを連続操作して数十メートルの距離を一気に空けた。


 「マルクの相手は私がするですな。クロエはここを離れるですな」

 「いけません、ダフニ様」

 「いいや、クロエは行くですな。王宮まで行ってお兄さまに知らせるですな。マルクお兄さまは危険ですな。このまま一緒にいたら2人とも死ぬかもしれないですな」

 「なら、私が残ります」

 「クロエにマルクの相手は無理ですな」


 と言ったところで、ダフニは再び数十メートル跳躍した。追いかけてきたマルクが詠唱するのが耳に入ったのでとっさに回避したのだ。


 「今のも一瞬遅れていたら死んでいたですな」

 「ダフニ様」

 「大丈夫ですな。私は昔に比べたら随分逃げ足は速くなったですな。逃げるだけなら負けることはないですな」

 「……分かりました。でも、1つだけわがままをお許しください」

 「何ですかな?」


 クロエは返事の代わりにダフニに顔を寄せて頬にキスをした。


 「絶対に生きて帰ってきてください」

 「当たり前ですな」


 ダフニは再び数十メートル跳躍すると、マルクから死角になる場所を選んでクロエと別れた。そして、クロエが走り去った方向とは別の方向に向かってマルクの目に付くように駆けだした。


 ――なるべくクロエからマルクを離すですな。それと、精霊殿に万一があっても困るですな。できるだけ安全に郊外に誘導するですな。


 情報量の多さにめまいがするのを我慢しながらエーテル知覚を研ぎ澄ませて精霊殿周辺の様子を探る。と同時に足を止めてマルクに向かい合った。


 「マルクお兄さま。なぜこんなことをするですかな?」

 「この国は正しい血統のものが治めるべきだ。レオやお前は王族の恥だ」

 「その理屈だとゼフィルお兄さまはどうなるですかな?」

 「あれは継承権もなく臣下に下ることが決まっている。優秀な臣下は王の財産だ」

 「ふむ。私は王であろうと貴族であろうと平民であろうと、力を一番発揮できる人間が一番発揮できるところで働くのがよいと思うですな」

 「王は働くのではない。支配するのだ。国とは王の持ち物だ。だから、王権は正しい血統に受け継がれなければならないのだ」


 マルクは攻撃の手を止めダフニの議論に乗ってきた。その間にもダフニは精霊殿から郊外への誘導方法について考えを巡らせていた。


 ――人通りの多い道はまずいけれど、狭い道もよくないですな。衛兵を巻き込めば避難誘導を頼めるですかな。


 「お前はあのクロエと言う平民に魔法を教えている。それは貴族だけが所有する知識を平民に横流しするということだ。王族が率先して泥棒行為を働くとはどういうことだ」

 「技術を独占していては社会は発展しないですな。共有すれば社会は豊かになるですな」

 「危険思想だ。だから王族に卑しい血統が混じってはいけないのだ」


 ――気に食わないとすぐに危険思想扱いするというのは思考停止なのですな。自分の頭で考える力が足りないのですな。


 「やはり死ね。誓約にて共にする精霊に請い願い奉る。我、汝に一つの求めあり。我が眼前の人間に向かい灼熱の回廊を作りたまへ。コール」


 話の途中で突然キレたマルクが魔法攻撃を再開したので、ダフニはアイコン操作で跳躍して距離を取った。


 ――まるですぐキレる若者ですな。校長先生の長話のネタになるですな。


 そこへようやく騒ぎを聞きつけた衛士が駆けつけてきて、魔法で焦げた地面を見て叫んだ。


 「な、何をやっているんだ!」

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