第45話 デモフライト

――14時00分、アメリカ、ワシントンDC――

――09時00分、アメリカ、ハワイ――


 ウィルバックCIA長官は自らの執務室で、TVのニュースを見ていた。首都ワシントンDCの警戒態勢は既に万全だ。自分の成すべき仕事は終わった。後のことは4軍の指揮官たちに委ね、自分はオフィスで、現場から刻々と入る報告を待つだけだ。腕時計を覗くと14時を回ったところだ。あと4時間で空前のショーが始まる。


 TVの画面には、昼間から浮かれたアメリカの都市が次々と中継されており、能天気なキャスターの耳障りな声が、部屋の中に響いていた。

『はい、こちらはハワイのホノルルです。今は早朝の8時ですが、街はもうクリスマス気分。常夏の国でいつもと違うクリスマスを過ごそうと、全米から観光客が押し寄せています。その筆頭が、ワイマナロビーチのバケーションハウスで過ごされている、我がアメリカの大統領……』


「その筆頭が、大統領だと?!」

 ウィルバックの体に衝撃が走った。なぜ極秘のはずの大統領の予定がニュースで流れている?

 ウィルバックは急いで電話を取ると、ギャラガー首席補佐官の執務室を呼び出した。


――誰も出ない――

 もうホワイトハウス西棟では、万が一の夜の攻撃に備えて退避が始まっているのだ。ギャラガーの携帯電話の番号を押す――

 3回コールしたところで電話は繋がった。


「今、ニュースで大統領がハワイにいると流れています。どうしてですか?」

「何を寝ぼけた事を言っているんだ? 大統領のクリスマス休暇はと、君とは事前に打ち合わせただろう。大統領の予定表は、ホワイトハウスのホームページにだって載っているぞ」

「相手の狙いはホワイトハウスですが、それは建物としてのホワイトハウスとは限りません。大統領自身がターゲットなのかもしれないんですよ!」

 ウィルバックは茫然として電話を切った。『予定通りに……』とは言ったが、予定を公開しろとまでは言っていない。この男の頭の中には、万が一という言葉は無いのか? しかもワイマナロビーチのバケーションハウスという詳細まで晒すとは……


 ウィルバックはハワイの警戒態勢を強めるよう、空軍に進言すべく、もう一度電話機を取り上げた。しかしそこで手がとまった。スティール国防長官は罷免されたばかり。後任はまだ発表されていない。

 ウィルバックは頭に浮かんだ男の顔に、反射的に電話を掛けた。エドワーズ空軍基地司令のカーライル少将だった。



――(25日)07時00分、岐阜県、各務原市――

――17時00分、アメリカ、ワシントンDC――


 タクシーを降りた宮本は、目の前の一軒家の表札を確認した。『松田』とその表札には掘り込まれている。ここが彼女の家だ。

 玄関の呼鈴を押すと、待ちかねていた松田涼子が迎えてくれた。

「ご両親は?」

 と訊くと、もう出勤したのだという。

 彼女の足元には、いつか彼女が飼っているといっていた、ゴールデン・レトリーバーが寄り添っていた。


 彼女は頑固者で臆病な犬と言っていたが、宮本には愛想が良かった。

「えっと、名前は何ていったけ?」

 宮本が訊くと、「ラフ」ですと教えてくれた。

「こんにちは、ラフ。お前は可愛いな」

 宮本が喉元を撫でてやると、ラフは嬉しそうに尻尾を振った。自分の愛犬ピーチーは、ブルテリアなので短毛だ。ふさふさとした毛並は宮本にとって新鮮だった。ラフは宮本に体を預けるように、うっとりとした目をしている。いつまでも撫でていたいところだが、そうもいかない。

「じゃあな、ラフ。また後でな」

 宮本がそう言うと、ラフは瞬時に寂しそうな顔に変わった。犬が言葉を解するかどうかわからないが、人間の感情の動きを驚くほど敏感に察知する。宮本は単身赴任でしばらく会っていない、ピーチーの別れ際の顔を思い出した。


 松田涼子に促されて2階の部屋に上がると、そこは絵にかいたような、高校生の勉強部屋だった。彼女は「こんなものしかありませんが」と言って、ペットボトルのお茶を出してくれた。

「いよいよあと1時間だな」

 宮本の言葉に、彼女はコクリと頷いた。

 彼女の属するファントムチームは、期待通り製品発表のデモンストレーターに選ばれた。今日がその晴れ舞台だ。


 インヴィンシブル・ウィング社――つまり新生フェニックス・アイ社――は、念の入ったことに、日米両国でTV番組の枠を買い、秋葉原とワシントンDCを結んだ特別番組を生放送するのだという。

 日本側の番組MCは、なんと『報道トゥナイト』のキャスター、古賀太一。古賀はかつて局アナだった若い頃、プロレス中継の実況で名を馳せただけあって、ドッグファイトの実況にも意欲を見せており、昨日の『報道トゥナイト』でもその番宣をやっていた。


 ホワイトハウス爆撃の瞬間を生中継で放送するなど、普通の神経ではあり得ないことだ。確信犯、愉快犯としてもやり過ぎだと宮本は思っている。

 しかもその番組を、バラエティとして放送する日本のTV局と、それを受け入れる視聴者の節操の無さにも驚かざるを得ない。

 日本の国会議事堂が爆撃されたのが、わずか2か月前だというのに――、シミュレーター上でのエンターテインメントという前提はあるが、他国の政治の象徴が爆撃されるシーンが、今日これからショーとして、放映されようとしているのだ。


「パインツリー早速だが、先日の電話では敢えて話さなかったことがある」

 宮本が話を切り出した。松田涼子は黙って宮本の顔を見た。

「今日のデモフライトだが、もしもHMDヘッドマウント・ディスプレイに映った画像がCGでなく本物であった場合、君は棄権するのではなく、自分のストライク・ペガサスで、仲間の3機を撃墜しろ。確実に皆を守るには、それしか方法は無い」


 そうなのだ。彼女が棄権して3機でミッションを行えば、それでぐっと成功率は下がるものの、それが成功しないとは限らない。成功は即ちホワイトハウスの爆撃を意味し、3人がその実行犯になるという事だ。

 しかし彼女が3機を撃墜してしまえば、そもそも爆撃は行えないし、3人を犯罪者にする事もない。宮本がそれを電話ではなく、直接松田涼子に話そうとしたのは、彼女の反発を恐れたからだった。宮本は対面しては話せば、きっと彼女に真意を理解してもらえると思っていた。

「実は、わたしもそうしようと思っていたんです。折角の番組が台無しになってしまうでしょうけどね」

 松田涼子の回答は、意外なものだった。宮本の心は軽くなった。



――17時10分、アメリカ、ワシントンDC――


 ウィルバックCIA長官は、現場から――特に海軍から――の報告が、何もない事を訝っていた。イージス艦は8隻もチェサピーク湾周辺に配置されているので、潜水艦が湾内に侵入すれば、すぐに探知されるはずだ。


 索敵はソナーで行うので、レーダーが無力化されたとしても問題はない。それに加えて沿岸警備隊が総出で、湾の内外にいる艦艇を1隻ずつ、しらみつぶしに臨検を行っている。コンテナ船に偽装することなどは不可能だ。


 まだ夕方なので、偵察衛星からの画像も確認できる時間だが、分析官が何度検証しても、湾内にもその周辺の海域にも、チャイナ・サークルは発生していない。


――何か変だ――

 あまりにも、何も無さすぎる。

 ウィルバックの胸には、えも知れぬ妙な予感が芽生えていた。



――(25日)07時15分、岐阜県、各務原かかみがはら市――

――17時15分、アメリカ、ワシントンDC――


 涼子がログインした『テンペスト』には、ボブから『準備は良いか?』というメッセージが掲示板に届いた。涼子は『準備OK』と返事を返した。他のファントムチームの面々も続けざまに『準備OK』と書き込みをした。

 何故だか知らないが、最後まで涼子たちファントムチームと、デモンストレーターの座を争っていたトムキャットチームからも、同じ返事が上がってきていたが、特段気にすることでもなかろうと、涼子は気に留めなかった。


 それ以外のテスターの面々からも次々と書き込みがあった。涼子たちファントムチームを激励する文面だった。涼子はこれから皆の期待を裏切るのだと思うと、やるせない気持ちになった。



――17時20分、アメリカ、ワシントンDC――


 ウィルバックの元にはその後も潜水艦発見という報告は一切なされず、各現場からの報告は常に『異常なし』に終始していた。

 先程からウィルバックに芽生えていた予感は、最早 ”確信” に変わっていた。


 ウィルバックは再び電話を取った。

 発信先はカーライル少将だった。



――12時25分、アメリカ、ハワイ――

――17時25分、アメリカ、ワシントンDC――


 ボイドはピックアップトラックの運転席のドアを開けた。カーク元大佐との話し合いは、それなりに成果があったと思っていた。


「カーク大佐、お元気で」

 車を出そうとしたその時だった。ボイドのスマートフォンにいつもと違う着信音が鳴った。空軍の緊急回線からの呼び出しで、発信元はカーライル少将だった。

 電話の声を聞くなり、ボイドは両目を真ん丸に見開いた。そしてボイドは、カーライルとの話を終えるやいなや、「大佐、乗ってください」と言って、無理やりカークの体を助手席に押し込んだ。


「ヒッカム空軍基地に向かいます。事情は車中で説明します」

 そしてボイドは、アクセルを一気に床まで踏み込んだ。ピックアップトラックのタイヤは悲鳴を上げて、アスファルトの路面に黒い跡を残した。


「一体何事だ?」

 カークが訊いた。

「ハワイで静養中の大統領が、爆撃を受けるかもしれません」

 ボイドは一直線に延びる道路の一番先を見ていた。その先には、ヒッカム空軍基地がある。ボイドの耳には、まるで鼓膜を破るかのような、ジェットエンジンの轟音が続けざまに響いた。スクランブル発進をしていくF22とF35の機影が目の前に見えていた。


「相手は誰だ?」

「言わずと知れた事です。あなたがトレーニングをして、桁違いに強くなってしまったストライク・ペガサスです。あなたにはその責任を取ってもらいます」

「おいおい、俺はもう民間人だぞ。それに軍法会議直前まで行った人間だ。どうやって責任をとれって言うんだ?」


 ボイドはその問いには何も答えず、更にアクセルを深く踏み込んだ。

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