第42話 ホワイトハウス西棟

――2024年12月6日、18時15分、東京都、港区――


 松田涼子の住む岐阜から遠く離れた赤坂で、涼子と宮本の会話を聞いている男がいた。


 携帯電話は電波がデジタル化したことで、盗聴が難しくなったと言われているが、電波を傍受するのでなければ、デジタル化は逆に盗聴をしやすくしたと言っても良いだろう。デジタル交換機の中に侵入し、特定の番号の通話を抜き取るだけで事足りる。コンピュータがネットワークに接続できる場所であれば、それがどこであろうと、世界中のどの番号でも通話を抜き取る事ができる。

 男は会話を録音しながらも、重要なワードは手元の紙に箇条書きをしていた。


 パインツリー

 バウ

 テンペスト

 ミッション

◎ホワイトハウス西棟

 爆撃

◎12月24日

◎インヴィンシブル・ウィング

 製品発表


 男は『ホワイトハウス西棟』と『12月24日』、そして『インヴィンシブル・ウィング』のワードに二重丸を描くと、手元の電話を取り上げた。

「マクレーン、こちらヘッジホッグ、ターゲットに動きあり………」



――2024年12月6日、18時00分、沖縄県、那覇基地――


 宮本は松田涼子との電話を切ってすぐに考えたことがあった。

「今の話はアメリカ側に伝えて、警告すべきものなのではないのか?」

 しかし確証のある話ではないし、伝えるタイミングも伝え方も難しい。どうしたものだろうかと宮本は腕組みをした。


 山口に相談してみようと、スマートフォンの住所録を開いた時、宮本はふと、いつかの山口の言葉を思い出した。

「そうか、そう言えば彼女のスマートフォンは、恐らくCIAに盗聴されているのだ」

 アメリカには警告するまでもないだろう。


 一旦、自分のスマートフォンをポケットにしまおうとした宮本だったが、一応山口にだけは伝えておいてやろうと考え、そのまま山口の番号をタップし、スマートフォンに耳を当てた。



――2024年12月6日、08時00分(日本時間12月6日、22時00分)、アメリカ、ワシントンDC、ホワイトハウス――


 トゥトゥトゥトゥ――、トゥトゥトゥトゥ――


 ギャラガー首席補佐官の執務室に、電話の着信音が響いた。発信元はウィルバックCIA長官だった。

「こんな朝早くにどうした?」

「いつも首席補佐官は朝が早いと聞いていましたので――、ご迷惑でしたか?」

「これから会議だが構わない。わざわざ電話をしたのだから、緊急なんだろう。話せ」

「実はNSAの担当官が、例のリョウコ・マツダという少女への盗聴から、『テンペスト』を使った次のターゲットを察知しました」

「何だと、どこだ?」


「ホワイトハウス、しかも西棟です」

「ここ――、か……」

 西棟には大統領執務室、閣議室、そして首席補佐官たる自分の他、実務面で大統領を支える上級スタッフのオフィスもここに集中している。ホワイトハウス西棟こそが、アメリカ政府の中枢であり、実体と言っても良いくらいだ。

 人員は全員退去させたとしても、爆撃された場合の被害は計り知れない。アメリカ国民に与える衝撃も大変なものだろう。


「いつだ?」

「12月24日、クリスマス・イヴの日の18時です。大統領のご予定は如何ですか?」

「ちょっと待て」

 と言ってギャラガーは手帳をめくると、「丁度ハワイでのクリスマス休暇中だ」と答えた。

「それは良い、安全のため、大統領には予定通り休暇を楽しんでもらいましょう」

「馬鹿を言うな、首都が爆撃されようという日に、遊んでいられると思うか?」

「爆撃はさせませんよ。日時が特定されているならば、幾らでも防空体制は整えられる。上空にはAWACSを待機させ、F22とF35を予め飛ばしておけば、スクランブル発進するまでもありません。

 潜水艦はチェサピーク湾の周辺に浮上するでしょうから、想定される海域にはイージス艦を待機させる。海岸線には陸軍のパトリオットを配置。どうですこれで万全です」


「なるほど、そこまでやれば万全か……」

 と考えたが、瞬時に別の考えが閃く。「相手はチャイナ・サークルを持ち出すのではないか? レーダーが無力化されるぞ」

「そんなことはありません、首席補佐官。相手はストライク・ペガサスを飛ばすのですよ。チャイナ・サークルを展開すると、無線操縦ができなくなってしまいます」

「確かにその通りだ……」


 よくよく考えれば、大統領には事がすべて終わってから、休暇中のハワイから駆けつけてもらって、危機回避を宣言してもらっても、情勢に大差はないだろう――

 むしろその方が、演出的な側面からは、国民受けするように思える。


「分かったよ、君の言う通り、大統領にはハワイで遊んでいてもらうことにする」

 ギャラガーは考え直して、ウィルバックに言った。


「それともう一つ」

 ギャラガーは最後の一言を付け足した。

「リョウコ・マツダはこのまましばらく泳がせておけ。相手に接触するための、大事なパイプラインだ。危険な時には、リョウコ・マツダの通信回線を遮断して、ストライク・ペガサスを飛べなくすれば良いんだからな」

「心得ています」

 ウィルバックの言葉を最後に、電話は切れた。



――2024年12月7日、18時00分、沖縄県、那覇基地――


 宮本は思い悩んだ末、松田涼子に電話を掛けた。

「パインツリー、ようやく考えがまとまったよ」

「本当? バウはどうしたら良いと思う?」

「今のままテスターを続けて、クリスマス・イヴのミッションに参加する。それが君にとって一番良いのではないかと思う」

 電話の先からは、「えっ」と絶句した声が聞こえてきた。恐らく彼女は、今すぐ下りてしまえとでも言って欲しかったのだろう。

「今君がミッションを辞退しても、実はだれも救われないと思うんだ。それならば、当事者としてミッションに参加した方が、選択肢は広がるはずだ」

「どういう事?」

「君がミッションに参加していれば、それを成功させることもできるし、わざと失敗させることもできる。そうだろう?」

「確かにそうです。でも、どうやって?」


「君は国会議事堂爆破のミッションの際、いつもはCGだった画面が実写になったと言っただろう?」

「そうです。でも正確に言えば、あれが本当に実写だったかどうかは分かりません。実写と見間違うほどのCGだった可能性も……」

「本当は、そうは思っていないだろう。君はCGと思っていた三愛ビルと歌舞伎座を射撃し、現実の世界でもそれが起きた。偶然ではあり得ないことだ。君だって以前にはそう言っていたじゃないか。君が見たのは現実の映像だったんだ」

「……」

「君が次のミッションで出撃するときに、HMDヘッドマウントディスプレイに映ったものが実写なら、その時点で降りれば良いんだ。そうすれば仲間たちは3機だけで出撃する。そして作戦は多分失敗だ。それでホワイトハウスは救われるし、仲間達も現実の世界を壊さないですむ」

「確かに、そうかもしれませんが……」


「仲間を裏切るのが辛いか? でもそれは仲間を救う事になる。もしも君が今の時点で降りてしまって、別のチームがミッションを行えば、4機がそのまま出撃してしまうぞ。そうなれば成功確率は高まる。つまり、現実世界を壊す可能性が強まるという事だ」

 松田涼子は黙り込んでしまった。悩んで当たり前だと宮本は思った。そのまま宮本は彼女の言葉をじっと待った。

 10秒――、10秒――、30秒――


「バウ、やってみようかと思う」

 電話の先の松田涼子が、迷いながら答えた。

「そうか、やってくれるか。良く決心してくれたな」

 宮本は胸をなでおろした。これから起きる大事件に彼女を巻き込むことが、心苦しかったが、恐らくはそれが彼女を救う唯一の道だ。


「わたしのためではありません。仲間を救うためなのであればなら、やるしかありません」

 松田涼子は続けて言った。

「そう言ってくれると信じていたよ。それにな、多分それは、仲間のためだけではない。結果として、もっと多くの人を救うことになる」

「もっと多くの人って?」

「まず考えられるのは、爆撃の現場に巻き込まれてしまう、事件とは無関係な市民たちだ。しかし恐らくそれだけにはとどまらないだろう。一連の出来事の背景には、大きな企てが有るに違いないからな」


「大きな企て?」

「標的であるホワイトハウスは、アメリカの象徴であり、政治の中心でもある。なぜ相手はそんなところを狙う?」

「挑発ですか?」

「そう、挑発だ。そしてその先にある最悪の事態は戦争だ」

「戦争……。わたしが、戦争の引き金を引いてしまうと言うことなんですか?」

 電話の先の松田涼子は少し、取り乱したように思えた。宮本は「早合点するな」と言ってそれを制した。

「パインツリー、君がその引き金を引かなくていいように、今画策をしているんじゃないか。君だけじゃない。君の仲間にも引き金を引かせない」

「わたし、何だか、大変なことに巻き込まれている気がします」

 松田涼子の声は不安そうだった。


「大丈夫だ。君の事は俺が守ってやる。まずは目の前のことに集中だ。いいねパインツリー」

 宮本は涼子を励ました。

「分かりました、バウ。ここからはバウの判断に、お任せします」

「君がクリスマス・イヴのミッションに参加できる可能性はどれくらいある?」

「今は五分五分といったところで、確実ではありません。今回のミッションで重視されるのは、F22とF35とのドッグファイトです。わたし自身の成績は悪くはないのですが……」

「編隊を組む仲間の腕が上がってこないのか?」

「そんなところです。わたしが目的のミッションに参加するためには、わたしのファントムチームが、模擬戦の戦績で他の3チームを引き離し、デモンストレーターの座を獲得しなければなりません。評価されるのは個人成績ではなく、チーム成績なんです」


「残念だが、そいつばかりは手助けできそうにないな」

 宮本は残念そうに首を横に振った。ストライク・ペガサスは未知の機体だけに、皆目見当がつかない。F22もF35も搭乗したことはなく、アドバイスさえできない。


「大丈夫です、バウ。何とかします」

 松田涼子が気丈に答えた。電話の先の声が、覚悟を決めたように思えた。

「国会議事堂のときも、君はそれをやり遂げたんだ。きっとまた出来るさ」

 宮本は、更に励ます以外になかった。


 宮本は頭の片隅で、この会話も全てアメリカ側には筒抜けなんだろうなと思っていた。しかしそれは彼女には言わなかった。気に掛けてみても仕方のない事だからだ。

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