第16話 オープン1

 レンタルショップハッピーに辿り着いた時、私の息は完全に上がっていた。走ったわけじゃない。ただ早足で歩き続けただけ。それでも、実質ほとんど室内生活だった私の足は極端に萎えていたんだろう。


「くそっ!」


 馴化だけじゃ全然間に合わないよ。体力も、知識も、社会性も……いろんな面をどんどん強化して行かないと、自立したってすぐに行き詰るだろう。そういうひ弱な自分自身にものすごく苛々する。


 一階の店舗のお姉さんにひょいと会釈して、反応を見た。昨日までは上階の別世界の住人だった私は、お姉さんには全く認知されていなかったんだろう。でも、自分の後継者っていうことなら別のはず。案の定、お姉さんはちょっとだけ笑みを浮かべて、小さく手を振ってくれた。よし!


 母と植田さんが追いつくのを待って、雑居ビルの三階にある事務室への階段を上がった。母も植田さんもそこに何があるのか分かっていないから、得体の知れない場所を警戒して腰が引けている。そうさ。最初ここに来た時、私もそうだったんだ。へっぴり腰を店長に悟られないようにするのが大変だった。


 ドアをノックしないで、そのままばたんと開けて事務室に入った。狭い事務室の中は、まさに芋洗い状態。そして、押しかけて来た人たちの表情はいろいろだ。


 おじいさんは、最初の時と同じで激怒してる。詐欺師おばさんは、私が持ち帰ったうさんくさい用紙を取り返しに来たと見た。今にも私に食ってかかりそうだ。メリーは、私が嘘をついて逃げたと思ってるんだろう。不信感たっぷり。トムとユウちゃん、前沢先生は、どうしても諦めきれないという切羽詰まった表情だ。

 ジェニーは誰かにぼこられたらしく、青たんだらけの腫れ上がった顔をマスクで隠して、ひどく怯えていた。ジェニーをここに引きずってきたのは、ユウちゃんのお兄さんなんだろなあ。私を見て、申し訳なさそうに顔を伏せた。


 そして。これまでずっと泰然自若としていた店長は、落ち着きを失っておろおろしていた。一人と一人のトラブルなら、レンタルされる私たちと客との間で調整しろって突き放せるんだろう。でも、これだけいっぺんにどどっと来ると……いかに店長が場数踏んでるって言ってもしんどいんだろうなあ。店長は、決して勢いで押すタイプじゃないもんね。


「ああ、済まんな。ルイ」

「構いません。みなさんがお揃いなら、いっぺんで済むし」

「で、あんたの後ろにいるのは誰や?」

「私の母と、カウンセラーさんです」

「カウンセラーやて?」


 驚いていたのは、店長だけじゃなかった。母と植田さんは、そこに前沢先生がいるのを見て絶句していた。もちろん前沢先生も、だ。顔が真っ青。まあ、私もびっくりしたからなあ。


「ああ、済みません。私の方で事情説明をしますけど、話が長くなると思うのでみなさんどこかにお座りください。席はレディーファーストということでお願いします」


 少なくとも、メリーはどこかに着席させておかないと膝が持たないだろう。あの巨体だし。


 ばたばたと慌ただしく動き回っていたお客さんたちが居場所をなんとか確保して、私が話をする態勢が整った。

 さて……。私にとっては最大のピンチだ。でも、ここを突破口にしないと私にはもう二度とチャンスが来ないだろう。だから持っている手札は今こそ残らず使う。全部オープンにする。これが私の最初で最後の大博打だ。そして、この賭けには絶対に勝たないとならない。


 ふうううっ! 大きな深呼吸を一つ。それから。私は最強の手札を真っ先に出した。


◇ ◇ ◇


「いろいろ事情説明する必要があると思うんですけど、まずオーダーを満たせなかった理由から行きましょうか」


 私は、メリーとジェニーの関係者に目をやった。


「メリーとユウちゃんには、あの時に説明したはずです。私は嘘はついてませんよ。入院していた。そして『物理的に』メリーやユウちゃんのえっちの相手をするのは不可能」


 母の顔色が変わった。


「るい!」

「黙ってて!」


 ぎっと睨みつけて、牽制する。


「論より証拠ですね」


 みんながあっけに取られている中、私は着ているものを全て脱いで裸になった。


「!!!」


 みんなの視線が、私の局部に集中する。私は『登録上』男ということになっている。でも私は、自分を『男』だと主張したことはない。一度もない!


 メリーが、なんと言っていいのかって感じでぼそっと口にした。


「それは……何だ?」


 だろうね。私はユウちゃんを呼ぶ。


「ユウちゃん。近くでしっかり見て。触ってもかまわないよ」


 どうしたらいいか分からないけど、仕方なく。そんな感じでおずおずと私の股間に目を近付けたユウちゃんは、真っ青になって首を振った。


「これ……なに?」

「シリコンのチューブに人工の皮膚を張ったもの。作り物だよ。それも、ものすごくお粗末な」


 メリーがでかい声でがなった。


「金玉ないじゃん!」

「ありませんよ。最初から」

「じゃあ……ルイは女だったの?」

「私が女に見える?」

「……ううん」


 し……ん。事務室の中が、完全に静まり返ってしまった。服を着る前に、もう一つ見せておこうか。私は頭に手をやると、カツラをむしり取った。


「あ!」

「う、うわ……」


 たぶん。事務室の中にいる人たちには、私が宇宙人のように見えているだろうね。外したカツラをぽんぽんと放り上げながら、私はもう一度観察を促した。


「今のうちに、私をよく見ておいてください。このままじゃ寒いんで、服を着ますから」


 床にへたり込んだ母が、両手で顔を覆ってすすり泣きを始めた。植田さんは私を睨みながら、それでも母の横で慰めの言葉をかけてる。


 さて。私は、さっと服を着直してカツラをぽんと頭の上に乗っけた。


「いいですか? まず事実から説明します。私には、生まれつき性がありません。男性でも女性でもない。無性、です」

「むせい?」


 おじいさんが、刺々しい声を張り上げる。


「なんだ、それは!」

「その通りですよ。性が無いこと。両性具有アンドロギュノスや性染色体の重複による性発達不全ではありません。性を象徴する臓器、性器が完全に欠損しているんです。男性器すなわち陰茎と睾丸。女性器すなわち陰唇、膣、子宮。どれも、私には生まれつきありません」


 私は、メリーとジェニーたちに交互に指を突きつけた。


「だから、私にはそっち系の行為が『物理的に』出来ない。そう言ったんです!」


 私の意思でオーダーを拒絶したんじゃない。事実として『応えられない』のさ。分かった? これで、メリーとジェニーの分はおしまい。


 私は、視線を店長に移した。


「店長。だから、私は際どいオーダーがあってもこなせるんですよ。ゲイやバイ以外は、ね」

「そうやったんか……」

「私のように生殖器官を欠いてるというのは、性染色体異常が原因のことが多くて、その場合はほとんど長生き出来ないんだそうです。でも、私はこの年まで特に身体には異常や不具合を感じず、普通に生きてきた。男性ホルモン、女性ホルモンの不足で頭髪や体毛の発達に異常があるくらいで、あとは特に不自由ありません。まあ、見かけ通りちょい体力がアレで弱っちいかも知れませんけど、持病があってしょっちゅう病院通いしてるとか、そういうことはないんです」


 自分の股間を指差す。


「入院と手術は、この付属物をこしらえるため。美容整形と同じで、形成術です。性転換みたいな大それたものじゃないので、私は無性のまま。手術を受けても実生活上の変化は何もありません」


 私は指を突き出し、ぐるっとみんなを差し回した。


「じゃあ、無性の私がなぜここに登録することにしたのか? 不思議に思いません?」


 床にうずくまって泣いている母とそれを慰めている植田さん以外は、みんな私の顔を凝視している。


「それを説明する前に、みなさんにお聞きします。みなさんは、私のような身体を持った人に出会ったことがありますか?」


 全員ぷるぷると首を横に振った。


「でしょう? 私も知りません。つまり、私は他に類似した人がいないユニークな存在。極め付けの異端者なんです。そういう異端者が普通の人たちに混じると、必ず摩擦が起こります。特に……」


 ユウちゃんを指差した。


「君みたいな、まだ学校に通っている間はね」

「あ!!」


 ユウちゃんが、座っていたパイプ椅子からぽんと飛び上がった。


「そ、そっか!」

「でしょ?」

「うん!」


 それまでずっと俯いたまま黙っていたトムも、静かに頷いた。


「そうだな……」

「ユウちゃんにはちょっとだけ話したけど、私自身には、自分が異常だっていう意識はないの。他の子と普通にやり取り出来てたと思う。でも、学校に行ってる時には、どうしても裸体を見せる機会があるんだ。身体測定、水泳の授業、修学旅行みたいなイベントとか」

「……うん」

「母がそれを心配したわけ。子供は、自分と違うものを無差別に攻撃目標にすることがあるんだって。その感情に強い悪意が混じっていてもいなくてもね」


 指を折りながら、蔑称を並べる。


「汚い。臭い。変なやつ。キモい」


 し……ん。


「私みたいのが、他にもいればいいよ。でも、さっき言ったみたいにこんなのは私しかいない。その一人のためだけに、学校が特別な配慮をしてくれると思う?」


 みんなが、顔を見合わせる。


「ありえないでしょ。そうしたら、母が私を守るために学校から遠ざける。それしかなくなるの」

「あ! それで!」


 トムががたっと椅子を鳴らして身を乗り出した。


「それで、不登校……」

「そう。正確に言うと違うよ。私は、自分がなぜ学校から遠ざけられるのかを納得出来てない。学校を拒否したのは私の意思じゃないよ。母の意思なんだ」

「あ……」

「でもね、私はそれを恨むつもりはない。だって、母の懸念はもっともだと思うもの。無性の事実が知れれば、私は必ず迫害されてたでしょ。それがどの程度のものかは想像が付かないけどね。ただ」


 ふうっ。でかい溜息を放り出して。話を続けた。


「一応学校に在籍してたことになってるけど、私には学校に通ったという記憶がないんです。最初から不登校児扱い。そして小学校三年から完全に実家という鶏小屋で飼われることになったの。飼育員は、母、カウンセラーの植田さん、そして私に勉強を教えてくれる前沢先生」


 先生を指差す。


「つまり、ここに来たお客さんの中で、先生だけは私の事情を知っていたということです」


 先生は、ひっそり俯いたままだ。


「誤解のないよう、繰り返しますね。母が私を家に閉じ込めたのは、虐待ではありません。あくまでも、私に加えられるかもしれない迫害を危惧したからです。だから私を家に完全に閉じ込めるってことではなく、保養地に出かけたり、貸切のジムで遊ばせてもらったり。そういう機会はありました」


 植田さんのプログラムの一部として、ね。


「でも、私への第三者の接触は慎重に遮断されてた。接触した人が私に危害を加えるからじゃない。その人を通じて私が外の世界に強い興味を持ったら、もう私を鶏小屋に閉じ込めておけなくなるから。そういうことでしょ? 植田さん」


 渋々、植田さんが認めた。


「ああ」

「鶏小屋暮らしが、私の保護から始まったのは理解出来ますし、それをさかのぼってとやかく言うつもりもありません。でもね」


 拳で自分の胸をどんと叩いた。


「私は、もう小さな子供じゃないんです。成人してるんですよ。そして、こんな年になる前にどこかで鶏小屋を出さなければならなかったはず。そこが……どうにもおかしいんです」


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