第12話 ケーススタディ5

 今日のカウンセリング。私も植田さんもダルで、どうにも辛気臭い雰囲気に包まれている。


「はあ……」


 大きな溜息をついていたら、植田さんがそれに被せるようにしてもっと大きな溜息をついた。


「ふう」

「進展なしですか?」

「全くないわけじゃないけどね。なかなか難しいよ」


 やっぱりか。


「類くんの方は?」

「今回はちょっと、ね」

「そんな難しい相手?」

「いえ。今までで一番まともでした」

「ふうん。どういうタイプ?」

「中学生の女の子ですよ」

「!!」


 植田さんの驚きようは、尋常じゃなかった。


「ど、どこでそんな」

「それは私が言いたいです」

「ということは、偶然?」

「そんなわけないですよ。今回初めてワンオンワンの原則が崩れました」

「……。仲介者がいたということ?」

「仲介じゃないですね。罠、です」

「昨日のおばさんと同じ?」

「いいえ。昨日のは私だけがターゲットですけど、今日のはそうじゃない」

「む!」

「話し相手の女の子と、その関係者。そして私。初めて複数の人の意思と意図が複雑に絡み合う状況になりました」


 植田さんが、心配そうに身を乗り出してきた。


「どんどん難易度が上がってるようだけど、大丈夫かい?」

「今回は運が良かったんでしょう。なんとか切り抜けられました。でも、そろそろプログラムの修正をしないときつくなってきました」

「そりゃそうだろうさ。いきなり複雑な系をこなすのは無理だよ」

「ですよね。でも、私としては思った以上に無難にこなせてる。いろんなケースに臨機応変に対応するという点では、今のところ私の処理能力のレンジ内なんです。今日のも含めて」

「うん」

「私の場合、問題は対応能力じゃないと思います。だから、プログラムの手直しが必要っていうポイントもそこじゃありません」

「どこ?」


 勘がいいはずの植田さんが、まだ気付かなかい? いや、そんなわけない。私の変化を望まない植田さんが、意識的にか無意識にかは分かんないけど、私の思考にブレーキをかけようとしてる。


「私とは全く年齢も生い立ちも違う、中学生の女の子との会話。それを相手に警戒されずにさらっとこなせてしまえることが、そもそもすごくおかしいんですよ」

「うん」

「なぜ? なぜみんな、私の示す姿勢や態度をすんなり受け入れてしまうの? そこが、どうしても、ね」

「ああ、なるほどな。原因究明とそれに対する対策が必要、か。当たりは付けてあるの?」

「だいたいは」

「ふうん」


 植田さんの手が止まった。慎重に何かを考えて……いや企んでるな。


「いずれにしても、今実行中の馴化プログラムはあくまでも鶏小屋を出る最初のステップに過ぎません。それをこなせても、私が抱えている課題が全部解決できるってことじゃないんです」

「そうだね」

「ですので、この先の展開が見えてきた時点で打ち切ります」

「うん。その次はどうするの?」


 それを私に聞くの? おかしいじゃん。プロのカウンセラーなら、その時点で何か警告なりアドバイスをするはず。そして、植田さんはこれまで必ずそうしてくれた。その原則が、微妙に崩れてきてるんだ。


「もちろん、ここを出ますよ」


 植田さんが、渋面を作って黙り込んだ。


「鶏小屋を出ないことには、私はいつまでも次のステップに進めないです。今のプログラムはそれを可能にするためのもので、最短で次に進めば馴化はもっと促進されるはずです」

「まあね」


 書き込みが増えたノートを何度も見回した植田さんは、もう一度大きな溜息をついた。


「ふううっ。確かに類くんの言う通りさ。こういう状況に対する違和感を真っ先に認識したのは、お母さんでも僕でもない。類くん自身なんだ。そして、それはごくごく当たり前のこと」

「はい」

「僕が類くんとの付き合いを始めた時の特殊な状況は、今はほとんど解消されてる。それならさっさと馴化をこなして次に進みたい。思考の流れとしては何の無理もない。でもその流れが、お母さんにも僕にもまだこなせていない。まさか、僕が患者の立場になっちゃうとはね」


 そう言って寂しそうに笑った植田さんは、未練を振り払うようにノートを勢いよく畳んだ。ぱたん! 乾いた音が、私の部屋のあちこちに散らばる。


 これまでその音は、私の中で窓を通して聞こえてくる雨音や風の音と区別されていなかった。でも鶏小屋の外に出ると、それがいかに異常なことだったのかが改めてよく分かる。


「ただね」

「はい」

「実際問題として、類くんが鶏小屋を出るまでにこなさなければならない障害はまだある。馴化の問題とは別にね」

「そうですね。それは、これから早急に対策を考えます」

「自力でかい?」

「もちろんですよ。そこを自力でクリアできない限り、私は結局鶏小屋に閉じ込められますから」


 机の上に乗せてあったノートパソコンを、ぱたっと畳んだ。これまでそれは、私が外の風を入れるための窓だった。でもこれからは、私が鶏小屋を出る手段を模索するための窓になる。私にとっての脱出口になりうるんだ。

 窓からもたらされるのは仮想の世界なんかじゃない。間違いなく現実で、実社会だ。そこに手を突っ込めば、チャンスもリスクももれなく掴み取れる。あとは私がそれをこなせるかどうか、それだけだと思う。


「じゃあ、類くんが今のプログラムを切り上げる時点で、もう一度相談しよう」


 もう相談という段階じゃないと思うんだけどな。私は、ストレートに苛立ちを顔に出した。


「ああ、指図なんかしないよ。あくまでも僕はアドバイザーさ。それ以上の権限はないし、指図する意味なんかない」

「ならいいですけど」


 私が露骨に示した不快感。植田さんは、それを見て苦笑を重ねた。


「ほら。こういうのもそうなんだよ。僕と類くんとの関係の変化は、先に類くんの方が認識し、ちゃんと備えてる。僕の方がその変化にまだ付いていけてない。それだけさ」

「ええ」

「じゃあね」

「ありがとうございました」


 ぱたん。


「ふう……」


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