第11話 五番目の客

 とんでもないおばあさん……というか、おばさんの毒牙から辛うじて逃れて。私にも鶏小屋の外の厄介さが、じわりと分かるようになってきた。当たり前と言えば当たり前なんだけど、世の中全ての人が私に好意的なんてことは絶対にありえないわけで。すでにハンデを背負っている私は、そのハンデの分を考慮してもらえると考えたら絶対にだめなんだろう。逆だ。ハンデの分、もっと用心し、自力で逆境に備えないとならない。


 それでもおじいさん、メリー、トム、おばさん……それぞれ私と一対一であったことで、『私が』どう備えるかを考える時間の余裕があり、それなりに対処出来た。問題は、昨日植田さんが言ってたことの逆の状況になった場合だ。つまり、私の馴化プログラムとして本来あるべきグループワークの複数のメンバーが、私に敵意を持っていたり、私から何か搾取しようと目論んでいたり……そういうケースだ。


 今の登録先では、そういうことが極めて起こりにくいと考えてる。事前にお客さんのリクエストを聞けるし、相手と直接話をすることで会う目的の虚実をある程度探れるからだ。それでも、あのおばさんのケースのようなこともある。リスク全部は回避し切れないし、中里さんにもそう言われてる。そこがね……。


 でも、馴化は待った無しだ。ここでぐずぐずしていると、鶏小屋に鍵がかけられてしまう恐れがある。植田さんの助太刀を期待できるにせよ、母が植田さんを突き放してしまえば、それで終わりだ。だからこそ、植田さんは母の説得に苦慮しているんだと思う。


 思いがけず八人に増えた諭吉さんは、机の上にずらっと並んで私をじっと見据えている。早く解放してくれと言わんばかりに。


「解放して欲しいのは、私の方なんだけどなあ」


 がさっと札を束ねて机の引き出しに放り込み、代わりに数学の参考書を広げたところで携帯が鳴った。


「ふーん。私のはプロフが地味だから、ほとんど目に付かないと思ったんだけどなあ。みんなが自分推しだと、かえって目立っちゃうってことなのかなあ」


 窓から外を見ていた時にはよく分からなかった、諸々のこと。そう、世の中の趨勢とかトレンドみたいなものは、必ずしも一般則通りに動いてないってこと。それを、こうやって思い知らされる。


「はい」

「ルイか?」

「指名ですか?」

「せや。初めての本筋やな」

「……。若い女性?」

「そう」

「ふうん……」

「さすがやな」

「なにがですか?」

「なんでやって思ったやろ?」

「はい。私には特に引きがないはずなんですけど」

「ああ。俺もそこがちょい引っかかる。せやけど、こればっかは話ぃしてみんことには分からん」

「ですね。すぐ行きます」

「頼むな」

「はい」


 五人めで……王道か。


◇ ◇ ◇


「失礼しまーす」


 事務室に入ると、いかにも今風の若い女性が、ソファーに座ってスマホをいじり倒していた。


「ああ、ジェニーさん。こいつがルイや」


 ふっと顔を上げた若い女は、嫌悪も好感も表情に出さずに私をじろじろ見回した。


「ふうん。こんな感じかあ」

「あの?」

「まあ、いいかな。ちょい遊ぶには手頃かもね」


 ……。だいぶスレている感じだ。たぶん、私の嗜好とか事情とかは全く勘案してもらえないだろう。でも、そもそもこのレンタルショップでの私は単なる商品だ。粗雑な扱いを今さらとやかく言ってもしょうがない。


「どういうリクエストですか?」

「ああ、ちょっと買い物とかに付き合ってほしいの。そんだけ」

「はあ……」


 どうも変だ。寂しいとか、誰かに見せ付けるとか、見栄を張るとか。ここでレンタルをする人たちのニーズは、もともとカレシの代わりのはず。そういう色みたいなものが、ちっとも見えてこない。


「どうする? ルイ?」

「そうですね。『本当に』それだけでいいのなら」


 あらかじめ釘を刺しておいた。昨日のおばさんと同じで、私を別用途に使われるのはかなわないから。


「ほか。分かった」


 私と同じように、中里さんもジェニーの態度からきな臭さを嗅ぎ取ったんだろう。私の牽制にもう一つ牽制を足してくれた。


「お客はん。ルイも他の子もうちの大事なレンタル品や。傷ぅ付けんよう頼んますな」

「はっ」


 何くだらんことを言うんだ。しょせんレンタル品の分際で。女の顔にそういうあからさまな侮辱の表情が浮かんで、私は極度に警戒せざるを得なくなった。このヤマは、ものすごく危ないと。


◇ ◇ ◇


「さて、ジェニーさん。どちらにお付き合いしますか?」


 事務室を出た後。駅に向かって歩いている間も、ジェニーという女は私に何の関心も示さなかった。この時点で、私の警戒心は最大になった。この女、昨日のおばさんと同じで私を何かに利用しようとしている。それが、私自身で対処出来るレンジ内に収まりますように。そう祈るしかなかった。


 駅の改札の前で、それまでスマホをいじり倒していた女の顔がやっと上がった。


「ああ、ちょっとストップ。ここで人を待ってんの」

「え?」


 それは話が違う! 私がそう抗議しようとした矢先に、待ち合わせの相手が来てしまった。あちこちにピアスを通した見るからにがらの悪そうな若い男と、中学生くらいの女の子。ものすごく奇妙な取り合わせだ。


「ああ、あんた。あんたには、この子の相手をして欲しいの」

「おまえがルイか?」


 いきなり、ごつい男に胸ぐらを掴まれる。


「ユウは俺の妹だ。もしおまえが粗末に扱ったら、ぶっ殺してやるからな。覚えとけ!」


 そう言い捨てるなり、ジェニーと二人でさっさと歩き去ってしまった。


「どうしろって言うんだよ」

「あの……」


 さっきの男が妹と呼んでいた女の子が、おずおずと顔を上げた。あの凶暴そうな男と違って、おとなしめ。肩くらいの髪を後ろでゆるくまとめてる。小柄でほっそりした子だ。中学生くらいに見えるけど、今時の子によくありがちな小生意気な雰囲気がない。容姿は整ってる。同じ学年の男の子にはきっとモテるだろう。


「はい?」

「お願いが……」

「なんだろ?」

「わたしと……えっちしてもらえませんか?」


 思わず、その場にしゃがみこんでしまった。


「そんなんありかよう」


◇ ◇ ◇


 本当にその子が一人で放置されていたなら、私は契約内容と違うと言い残してそのまま帰っただろう。でもジェニーと後から来たそのカレシらしい男が、離れたところから私を監視しているような気配があった。私がその子のリクエストを飲んでも蹴っても、結局私は起こした行動を咎められて強請ゆすられる。そういう予感がした。最悪の事態を想定して備えないと、プログラムがそこで終わりになってしまう。私自身に大きな怪我や損害がなくても、騒動になった時点で鶏小屋へ強制送還になるだろう。それだけは絶対に避けないとならなかった。


 監視役二人の目を避けて中里さんに連絡を取るためには、どうしてもトイレのある飲食スペースを確保しないとならない。私が店から逃げ出す心配がなく、でも私一人になれるスペースをね。

 昨日のおばさんに連れて行かれたドーナツショップが、一番目的に適いそうだ。あそこなら人目があるし、監視役の二人は限られた地点からしか私たちを見られない。視線を固定出来るんだ。向こうが私を見張れるということは、私も向こうの出方を確認出来るってこと。


「ユウちゃんて言ったっけ?」

「はい」

「とりあえず、話を聞いてから。いきなりそのリクエストは受けられないよ」


 目の前の女の子は、半分がっかりして、でも半分ほっとしたように、うんと頷いた。


「ちょっと先にドーナツ屋さんがあるから、そこで食べながら話しようか」

「うん」


◇ ◇ ◇


 案の定。私が昨日おばさんと陣取った角席にその子と着席した時には、入り口近くの席にジェニーと男が入ってきて、私たちを監視する態勢を取った。ただ、角席は見通しの効かない場所だ。そのすぐ隣っていうならともかく、間の席に他の客がいる時

には離れた席からはよく見えないだろう。店内はそれなりにノイジーだから、私とこの子の会話の内容を聞かれることもなさそうだし。

 そして、トイレは店の一番奥、入り口とは反対側にあり、店からとんずらする経路には使えない代わりに逃亡するという疑いもかけられずに済む。


 私は昨日詐欺師おばさんがしたのと同じように、ドーナツと飲み物を二人分買って角席に陣取った。


「あ、ちょっと待っててね。トイレに行ってくる。すぐ戻るから」

「はい」


 その子も、トイレの位置から見て私が逃げ出すとは考えなかったんだろう。素直に頷いた。トイレの個室に入って、すぐ携帯で連絡する。


「中里さんですか?」

「ああ、ルイか。どや?」

「最悪です」

「はあ?」

「あの女、契約者のくせに、自分はさっさと引き上げて、カレシの妹を押し付けていきました」

「代理かい」

「代理でデートならまだ許容範囲ですけど」

「……あっちか」

「妹って、どう見ても未成年どころの話じゃない。中坊ですよ」

「!!」

「冗談じゃないです。私の手が後ろに回っちゃいます」

「論外やな」

「取りあえず、二時間話だけで潰しますけど、時間切れと同時にそっちに逃げます」

「わあた。用意しとく」


 そうか。なるほどな。登録の時やくざ絡みはないのかって聞いた私に、絡むケースもありうると中里さんが答えたのはこういうことだったんだ。客筋を選べない以上、どうしてもリスクが生じる。そして、登録メンバー自身にリスクをこなせないことがある。何か代わりの解決手段を確保しておかないと、怖がって誰も登録してくれない。そういうことだ。

 まあ、いい。これで私の打てる手は打った。あとは離脱のタイミングさえ間違えなければ大丈夫だろう。


 トイレを出て席に戻る。私がトイレに入っている間にジェニーとカレシのポジションが変わっていると厄介だったんだけど、私が逃げられないことを確信していたのか、二人の席は変わっていなかった。よし。


「ごめんね。待たせて」

「いえ」

「ああ、ドーナツ食べて」

「はい」


 相当ガラの悪そうな二人だったからこの子もそっち路線かと思ったんだけど、そんな感じではない。むしろ、さっき言ったみたいなトンデモなことは口走りそうにない、素直そうな子だ。


「ええと。自己紹介するね。私はルイです」

「ユウです」

「中学生?」

「う……」


 しばらく、どうしようか考え込んでいる風だったその子は、諦めたようにその事実を認めた。


「中二です」

「うーん……」


 思わず頭を抱えてしまう。


「あのさ。君はともかく、私が君に手を出すと、私は警察に捕まっちゃう」

「え?」


 そういうことは全然想定していなかったんだろう。女の子の顔色が変わった。


「中には、バレなきゃいいじゃんていう男もいるかもね。でも、私が登録しているところはそういうのにむっちゃうるさいの。私が未成年とトラブルを起こしちゃうと、レンタルショップそのものが潰れちゃう。だから、申し訳ないけど君の申し入れは受けられない」

「そうですか……」

「てか、なんでそういうことになるわけ? 全然焦ることなんかないと思うんだけど」


 しばらく黙って俯いていたその子が、ぼそぼそと話し始めた。


◇ ◇ ◇


「お兄ちゃんの彼女」

「ああ、さっきの人ね。ジェニーって言ったっけ」

「うん」

「それが?」

「いつまでもバージンでいるのって、恥ずかしいよって」

「うーん、そこがなあ」


 中二で経験済みの方が、ずっとヤバいと思うんだけど。


「君の周りの子たちも、みんな経験済み?」

「……いえ」

「いろいろでしょ?」

「はい」

「たぶん、経験あるって言ってる子の中にも、見栄張ってうそ吐いてる子がいるよ」

「そうなんですか?」

「カレシ欲しいなら、自分はこなれてるってポーズ見せた方が男の子に受けるよって。そういうのがきっとあるんでしょ」


 まあ、この子の年齢だとそこまでは読めないだろうなあ。


「あの」

「うん?」

「ルイさんは……わたしみたいの……だめなんですか?」

「年齢でアウト」

「あの……じゃあ、もしわたしがオトナだったら」

「それでもアウト」

「どうして……ですか? 魅力ないですか?」

「違う。君でなくても、もし有名タレントでも、すっごいグラマーとか美人でも、全部アウト」

「え?」


 ユウちゃんが、ぽかんと口を開けた。


「そうだなあ。言い方が難しいんだけど、私はそっち系は最初からダメなんだよ。それは相手が女でも男でもね」

「??」


 じゃあ、なぜレンタル彼氏なんかに登録してるの? ユウちゃんは、きっとそういうソボクな疑問を抱いたことだろう。


「じゃあ、逆に聞こうか。君は、なぜ私を指名したの?」

「あ。指名したのはお兄ちゃんの彼女さんで……」

「やっぱね。君の意思じゃなかったってことね」

「はい」

「ひょろっとして気の弱そうな男。そういうのを釣ったってことか」


 なんとなくそうかなあと感じていた指名の理由。それが、自分の中でだんだん固まってきた。


「あの、あなたは違うんですか?」

「違うよ。体力はともかく、私は気は弱くない」

「へー」

「あのさ。君は、今学校に行ってるでしょ?」

「あ、はい」

「成績は?」

「真ん中くらいかな」

「うん。そんな感じ。学校、楽しい?」

「普通です」

「友達は?」

「……あんまり」

「そっか。でもゼロではないんでしょ?」

「よく話をする子は……」

「いるのね」

「はい」


 この子もトムと同じで、あまり人とのやり取りは得意じゃなさそうだ。それに、かなりコンプレクスが強いんだろう。自分に自信があれば、いくらそそのかしがあっても変な方向にはぶっ飛ばないはずだから。


「じゃあ、私の手札を一つオープンします」

「は? て、てふだ……ですか?」

「そう。こういうのって、駆け引きみたいなところがあってね。ぜえんぶうそっぱちで固めることも出来るし、自分をちょっとだけ出すことも出来るの」

「うん」

「でね、今の君の容姿だと、どんなに化粧して着飾ってもせいぜい高校生がいいとこ。絶対にオトナには見えない」

「う……」


 がっくりって感じ。さっきのジェニーって女に、ガキっぽいって散々バカにされたんだろう。


「でもね、自分がすっごい遊んでるとか、崩れてるって見せることは出来るの」

「あ!」

「でしょ? で、君には最初からそういう演技っぽいところがないから、すごい素直なんだろなあって」

「ううー」

「ユウちゃんは、自分がガキ丸出しでみんなから遅れてるみたいに感じてる。違う?」

「すごいです。どんぴしゃです」


 やっぱりね。ユウちゃんが、思い詰めたように身を乗り出してきた。


「それを、あのお兄さんのカノジョさんにバカにされてる。まだ未経験なの? アソコにカビ生やして、みたいに」


 俯いちゃった……か。


「あはは。そんなの自分の好き勝手じゃん。人と早さ比べたってしょうがないよ」

「そうなんですか?」

「うん。だけど言ってることがあたりかはずれかは、お互いに仮面を被ってたら分かんないよね。だから、私が一つ手札をオープンするって言ったの。手札っていうのは、私の生ね」

「なま?」

「そう。私が全部うそで固めることは出来るよ。でも、そうやって過ごす二時間がもったいない。たった二時間でも、こうやって過ごす時はもう二度と来ないかもしれない。私はそれを無駄にしたくないの。だから、私の生を一つ君に見せます」

「う……ん」


 分かったような分からないような顔でユウちゃんが頷いた。


「私はね、ほとんど学校に行ったことがありません」

「ええええええええええっ!?」


 すぽんと立ち上がったユウちゃんが、目をまん丸にして私を見下ろした。


「ど、どうして? 登校拒否とかいじめとか……ですか?」

「違う。そうだなあ。病気っていうのが一番近いかな」

「あ……」

「こうやって君と普通に話してるってことは、私がものすごーく気難しいとか、変なやつってことじゃないと思うんだけど。どう?」

「はい。お話うまいなーって」

「でもね。私には、同じ年代の人と話をしたことがほとんどないの。だって、それはほとんど学校で出来る友達と、でしょ?」

「あ、そっか」

「ね?」

「はい」

「じゃあ、君に聞こうか。もし君が、明日から学校に行っちゃいけない、君と同じくらいの年の子たちと話をしちゃいけないって言われたら、耐えられる?」


 ユウちゃんの顔からざあっと血の気が引いて。ぶるぶるっと激しく首を振った。


「む、むりですぅ」

「だよね。じゃあ、私は?」

「あ……」

「だから、私は気は弱くないよって言ったの」

「そっか」

「もう一つ。手札を開こうかな。さっき私は、そっち系無理って言ったよね?」

「……はい」

「それはね、法律がどうとか道徳がどうとか、そういう理由じゃないの。物理的に出来ないんだよ」


 理由が想像できないのか、しきりに首を傾げてる。ははは。


「まあ、それだけ分かってもらえればいいかな」

「ううう」

「まあ、めんどくさいことは抜きにして、君の話してみたい話をして。私はそれは断らないよ。君の今の生活には興味があるから」

「どうしてですか?」

「私には出来なかった経験だからさ」

「あ……」


 ユウちゃんは、私がそっち系の相手になれないということは理解してくれたんだろう。少しがっかりした風だったけど、通ってる学校でのことをいろいろ話してくれた。先生や友達のこと。部活のこと。勉強やイベントのこと……。


 うん。こうやって話をしてみると、ごくごく普通の子のように思える。兄貴が妹を溺愛してるみたいだから、どうもジェニーがそれに嫉妬して、妹を誰かにこまさせようとしてるような……そんな気持ち悪い意図を感じる。いくら妹ラブの兄貴でも、ジェニーのそそのかしに全部は抵抗し切れないんだろう。


 私はこのえげつないセッティングを回避出来ると思うけど、ユウちゃんが誰かの汚い意図で陵辱されるのはかわいそうだなあと。そう思ってしまった。


◇ ◇ ◇


 途中でドーナツと飲み物を一回追加して。制限時間ぎりぎりまでユウちゃんの話を聞かせてもらった私は、腕時計で時間を確認して店を出ることにした。問題は、その時だな。


「さて、これで時間いっぱいね。いろんな話を聞かせてくれてありがとう。楽しかったよ」


 最初の目的とは全然違うけど。ユウちゃんもまあいいかと思ってくれたんだろう。ものすごく不満だという感じではなかった。なんとなく未練が残ってるっていう顔つきだったけどね。気が付かないふりをして入り口近くにいたジェニーたちの横を通り過ぎ、店を出る。


「じゃあ、これで。さよなら」


 案の定、ぺこりと頭を下げたユウちゃんの後ろから、あの男がぬっと出てきた。


「話が違うじゃねえか」

「それは、ショップに言ってください。私の契約には、そっちの変なオーダーは最初から入ってませんよ。そもそも妹さんが契約対象じゃないんだから。私のお話はあくまでもサービスです」

「なんだと!?」


 いきり立って飛び出して来そうになった男の前にユウちゃんが立ちはだかって、必死の形相で兄貴を止めた。


「おにいちゃん! 止めてよっ!」

「く……」


 やっぱりね。妹の頼みは無視出来ないんだろう。後ろにいるジェニーが、まるで蛇のような冷たい視線を投げかけて来たのを、そのまんま投げ返す。


「ジェニーさん」

「なに?」

「人で遊ぼうとする人は、遊ばれますよ。私は、あなたが考えてるほどヤワじゃない」

「はあ?」

「背後に気をつけてくださいね」


 にいっ。挑発するように笑顔を突き出した。もちろんはったりさ。でも私が中里さんに連絡したことで、中里さんはこのカップルが起こしそうなアクションにはもう備えてる。次にあなたが私に何かアクションを起こせば、それはあなたに倍になって返るよ。警告はしたからね。


「じゃあね。お先に」


◇ ◇ ◇


 私の警告に効果があったのか、ユウちゃんの抑えが効いたのか、心配していたジェニーたちの追撃はなかった。そそくさと店に戻って、中里さんに顛末を報告する。


「はあ。ほんとに参りました」

「せやな。こんなんは、俺も初めてや」

「最初から嫌な女だなあと思ったんですけど。直感て、当たるもんですね」

「まあ、こういうとこにゼニ出そうなんてのは、九分九厘わけありや。あんたらの方でうまいことさばいてもらわなあかんのやけど、今回のはさすがにちょっとな」


 渋面を作った中里さんが、私の前に並べた二人の諭吉さんをじっと見下ろしている。


「四万で、恋人の妹を売りよるのか。世も末やな」

「最後にジェニーに捨て台詞をぶちかまして来ましたけど。あの女には効かないでしょうねえ」

「なんて言ったんや?」

「背後に気をつけろって」

「ははははははっ!」


 からっと笑った中里さんが、椅子の背もたれにぼんと体を預けた。


「ルイ。ええ度胸や。とても新人とは思えんわ」


 うーん、度胸じゃないんだよね。私はまだ本当に恐ろしいと思っていないんだ。起こりうる事態をもう自分の中に織り込んでしまってる。それを凌駕するようなとんでもないアクシンデントに見舞われていない。


 ……そういうことだと思う。


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