「紹介したい者がいる」


 年頃の娘をもつ父親であれば極低温の冷気に心臓を凍らせたかもしれないその台詞は、むろん、客人に恋人を紹介するためのものではなかった。もっとも、それは淡墨髪の提督の意を受けた兵士による伝言であって、うしろに〝と提督が申しておりますので、艦橋までお越しいただけますでしょうか〟という文言がついていた。


 当然、戦闘航宙母艦ヴァルキュリアにも艦内通信はそなわっており、艦橋と貴賓室の間でも会話が可能である。しかし、淡墨髪の提督は、自ら足を運ぶか、それが不可能なときは兵士に伝言を預けてつかわす方法を選び、文明の機器を使って楽をしようとはしなかった。おそらく、人が人の言葉を直接介することによる心理的効果を、十分に理解しているのであろう。



 人間と電子コンピ機器ユータが協調して仕事に熱中している艦橋に、兵士の案内でふたりの客人が足を踏み入れると、年少の艦隊司令官が、司令官卓の前に立っていた。


「まもなく来る。すこし待っていてくれ」


 そうするほかなかったからでもあるが、ふたりは司令官のことばにしたがった。

 艦橋を見渡すと、栗色髪のミレイ・イェン副司令官が、相変わらずディスプレイの壁に向かって、情報と無言の格闘をしている。グライド・カムレーン参謀長は、次の超光速航行オーヴア・ドライブにむけて、各所に指示を出していた。参謀長、というと作戦立案が仕事ではないのか、というのはアイリィが初めてこの艦橋に足を踏み入れたときからの疑問だったが、司令官に不在や事故があった場合の臨時司令官をこの銀髪の参謀長に委ねており、本来その役割をあてられるはずのイェン副司令官は、その分野では右に出る者はいないという情報整理や艦隊制御に集中させている、というのが、司令官私室での交流時になされたシュウ提督の説明であった。彼女が艦橋にいるにもかかわらず参謀長が指揮をとりつづけているのは、客人の応対のために座を空けていることの多い司令官が戻ってくるたび指揮権を移譲するのが、非効率だからであろう。


 だとすると、ふたりの客人の存在が、カムレーン参謀長の任務を増量させていることになる。アイリィとシュティは、ふりかかった予定外の仕事を、をこぼすふうもなくさばく勤勉な参謀長にむけて、心の中で謝罪を述べた。


 ふたりが艦橋に着いてから数分も待たないうちに、兵士が来客を告げた。

 淡墨髪の提督が入るように促すと、艦橋の扉が開いて、ひとりの女性が姿をあらわした。


「第一戦隊長メイ・ファン・ミュー少佐、参りました」


 初対面である異邦出身のふたりのうち、その戦隊長の外見に敏感に反応したのは、シュティのほうであった。優雅な上品さを感じさせる表情は、年齢は二〇に達しているかどうか、という印象である。若いな、と思うが、美人と評してよいその顔以上に目をきつけられたのは、はくの滝にこく耀よう石を溶かしこんだような、つややかな純黒の長髪であった。シュウ提督よりもさらに純度の高い白色の肌と黒髪とのコントラストが演出する美しさに、シュティは心臓の脈拍が速度を上げるのを感じた。もっとも、彼女は同性愛の聖域に足を踏み入れていなかったから、熱度はすぐに降下を余儀なくされたが、シュティには、そのことが重大な損失のように思えるほどだった。


 女性の平均身長を下回る異邦人のふたりよりもさらに小柄なその戦隊長は、見知らぬふたつの顔を視界にとらえて不審そうな視線を向けたが、上官たるシュウ提督の説明を受けると、表情をくずして、その外形的印象を裏切らないソプラノでいった。


「そうでしたか、あなたがたが」


 上品な口調にやや驚きの感情がこめられていたのは、参謀長と同様、巨大獣にうち勝った戦士というを聞いて、その肖像に屈強な男性を想定していたからかもしれない。どうみても自分たちより年長には見えない戦隊長少佐の予想を裏切ることに成功したアイリィとシュティが簡潔に自己紹介をすませると、若い戦隊長も、流麗な純黒髪を揺らしながら、自らの姓名をあらためて名乗った。


「どれほどのおつきあいになるのかはわかりませんが、どうぞ、よろしくお願いしますね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう答えたアイリィの反応はややおくれた。シュティが感じた一目惚れにも似た感情もあったが、それよりも、この若い戦隊長の、言動やしよからにじみでる洗練された優美さに、圧倒されたのである。品格の違いのようなものを見せつけられて、どうも自分は、とうそうを恋人と仰いで昼夜をともにしているあいだに、女性として必要ななにかを身につけることを忘れてしまったのではないか、とアイリィは思った。もっとも、しおらしく努力をしたところで、優雅とか上品とかいう形容詞が、恒久的なゆうを求めて自分に近寄ってきてくれるとは、とうてい思えなかったが。


 アイリィが自分の人生にしんさを欠いた後悔をかさねていると、淡墨髪の艦隊司令官が、部下の自己紹介に補足をつけくわえていった。


「メイ・ファン・ミューは私の軍営学校時代の後輩でな。敵陣のきよをついて分断突破する戦法を得意とする猛将だ。私がこの年齢でこの地位にく原因をつくったひとりでもあるな」


 その解説をうけて、アイリィは戦隊長の顔を見直した。その柔和で温厚そうな外見は、名家の令嬢という言葉のほうがふさわしく、いくら偏見をもって観察を加えても、勇猛とか、剛強とかいう印象と結びつけることは、とうていかなわなかった。人間の才は外見では測れないものだ、というのはグライド・カムレーン参謀長がアイリィとシュティとの初対面時にもらした感想であるが、まったくその通りだな、とアイリィは自分のことを棚に上げて思うのだった。シュウ提督のことばの最後の部分についてはその逸話を聞きたく思ったが、艦隊司令官も戦隊長も任務中であろうから、アイリィのほうからその話題を投げかけるわけにもいかなかった。


 通常は戦隊旗艦フレイアに座をおいて一戦隊を指揮するそのミュー少佐が、わざわざ連絡シャトルをもちいて艦隊旗艦に足を運んだ理由は、むろん、私的な交流のみを目的としたものではなかった。


「さきの星系における哨戒および訓練の報告と、首都星系帰投に関する航行計画についてですが、お話ししてよろしいでしょうか、提督」


 純黒髪の戦隊長が、ふたりの客人に気づかわしげな視線をなげてからそういったのは、部外者の前で報告をあげてかまわないのか、という確認であった。客人を退室させるべきではないか、と間接的に促したわけであるが、発言者の予想に反して、若い艦隊司令官はすこしの間考え込んだ。


「いや、まずふたりに外していただこう。事務的な話を聞かされたところで、ふたりとしても退屈なだけであろうしな」


 数秒間の思考の末に提督が口にした結論は当然ともいえた。シュティはともかく、アイリィは軍事的な話題にも興味はあったが、強引にこの場にとどまって話を立ち聞くわけにもいかなかった。

 異邦人のふたりが了承すると、シュウ提督はつづけていった。


「きょうはけいらと食事をともにしたいと思っている。ミュー少佐も一緒にと考えているが、時間に問題はないか、少佐」


 問われた若き少佐は、戦隊は副戦隊長に預けてあるから問題ない、と応えて、戦隊旗艦に戻る時刻を遅らせることにした。断る理由もないふたりの異邦人は、むろん、淡墨髪の艦隊司令官の申し出にしたがった。なんにせよ、何もすることがないという退屈な時間が少しでも削減されることが、アイリィにはありがたかった。

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