その部屋は、司令官室ということばの響きをなじませるには、やや質素であった。無論、一般的な士官私室とくらべれば、十分すぎるほどに広い。調度品も上質である。だが、通常であれば階級が上の者に多少なりとも感じられる、装飾的華美さが一切存在しなかった。部屋の主人の個性を、色濃く反映しているのであろう。


 来客のふたりはすすめられて、こちらも高級感のヴェールをあえて敬遠しているように見えるソファに身を沈めた。だが座りごこちは一級品のそれであって、質実剛健こそ万事の核たるべき、と物静かに主張しているようであった。


「へぇ……」


 濃茶髪の客人は、視界にとらえた光景に、感心させられざるを得なかった。やはり豪奢という表現とは無縁の木製の棚に、収納するがわの数倍のかがやきをもった勲章や褒賞の数々が肩を寄せ合うように整列して、所有者の武勲を誇らしげにかたちどっている。連邦軍における表彰制度の実態は判然としないが、わずか二十二歳にして少将、艦隊司令官の地位をあたえられている人物が凡才ではあり得ないことを、それらは証明しているらしかった。


 棚に目を走らせるうち、武勲をたたえる大勢の賞賛にまじって、性質のちがう書状がひとつ配置されていることに、アイリィは気がついた。


「連邦歴史科学会……?」


 そのつぶやきに、部屋の奥で軍服からの着替えを済ませてきた若き少将提督がこたえていった。


「平たくいえば、歴史研究家の集まりだ。その賞状は、論文審査を通過して入会が認められたときに貰ったものだ。まあ、研究といっても、私の場合は趣味に毛が生えた程度のものだがな」


 歴史家を兼任する艦隊司令官は、ふたりの客人の向い側のソファに腰を下ろした。


「文武両道でいらっしゃるんですね」


 濃茶髪の客人は正直な感想を述べた。アイリィ自身も学生時代には両才をそなえていることを教官たちにたた讃えられたことがあるが、スケールが違うな、と思わずにはいられない。


 予想外の賞賛をうけて、部屋の主人が居心地の悪そうな笑顔をうかべているうちに、従卒兵が三つのティー・カップとバスタオルを運んできた。少将提督はみずからバスタオルを受け取ると、シャワー・ルームからあわてて出てきたらしい黒赤髪の客人に手渡した。


 髪を湿らせたままのその客人は、ありがとうございます、といって提督の厚意を受け取った。だが、いまだ抜けきっていない緊張感が、言葉と行動の双方を激しく揺動させていたので、その様子に淡墨髪の提督は豊潤とはいえなさそうなユーモア細胞を刺激されたらしく、微笑とともに少量の呼気を口元から放出させた。


「まあ、徐々に慣れていってもらえれば、それでいい」


 とことばをかけるその艦隊司令官を見て、こういったこまかい心配りが、若くして人の上に立つことができる資格のひとつなのだろう、とアイリィは思った。



「さて……」


 淡墨髪の提督は笑いをおさめ、表情を謹直なものに変化させて言った。


「話しにくいかもしれないが、これだけは聞いておかなければならない。卿らは何者なのだ?」


 それは当然すぎる質問であった。むろん、アイリィは事実を隠すつもりはなかった。漂流の末に連邦軍の司令官に拾われた槍術の名手は、これまでのいきさつを簡潔に説明した。


「我星政府軍……?」


 しかし、その固有名詞は、歴史家兼艦隊司令官の記憶層を刺激しなかったようであった。シュティ・ルナス・ダンデライオンの出身惑星であるゼムプレーンの名も出してみたが、淡墨髪の提督が困惑の表情を再現するのを確認したのみだった。


 シュウ提督は、テーブルの縁に備えられている端末を操作した。三人の眼前に、巨大な星図が浮かび上がった。


「この中に、卿らの故郷はあるか?」


 百を超える星系をあらわす光点と、それらを結ぶ航路を示す白い線が、航宙時代の人類社会に不可欠なネットワークを描き出している。カリタース、アミシティアといった恒星系が、複数の糸の交点にちよりつしている。航路が接続されていないシリウス、アンタレスなどという恒星も表示されているが、これらは航行の際に目印とする無人星系なのであろう。


 アイリィは星図のすみずみまで視線をいきわたらせてみたが、我星どころか、名を知るすべての恒星系は、その星図には存在していなかった。


 アイリィがその旨を告げると、淡墨髪の艦隊司令官は、その返答を予期していたかのようにつぶやいた。


「そうか、やはりな……」


 客人はその思考の詳細を知りたく思ったが、部屋の主人たる司令官は省略された部分を共有しようとはせず、話題を転じた。


「もうひとつ、気になっていることがある。先の惑星地上の戦闘で、手から電流のようなものを発しているように見えた。あれは何だ?」


 髪色と同色の淡墨色のが、黒赤髪の生物科学少佐に向けられた。無言の指名を受けたシュティは、緊張の重圧に耐えながら、たどたどしく解答した。自分に関係がある話だと気付いたのか、彼女の飼鳥が胸元から顔を出して、純黒の両眼を質問者にむけていた。


「なるほど、自然界の生物には、そういった技術を有するものも存在するな。人間がそれを行使するという話は聞いたことがないが、卿らはそれをプラネツトフオースと呼んでいるわけか」


 解答を受けた部屋の主人の反応はそうであった。一定の理解をあたえることには成功したものの、やはり客人の説明する内容は、少将提督の記憶の地平には存在していないようであった。



 初めて司令官の脳内辞書を開かせることに成功したのは、アイリィが親友の説明につけくわえた一言であった。アイリィは掌中にちいさな火球を発生させてみせると、その技術の名称について、こう述べたのである。


「これは火星術です。シュティがさきの惑星上でもちいたのは、金星術と呼ばれています」


 言ったほうは、特に心理的な効果を狙ったわけではなく、単純な事実を紹介したつもりであった。だが聞かされた方は違った。連邦軍の艦隊司令官は、興味の眼光と喜色の表情を、流星のごとく顔面に表示させて言った。


「ほう、火星、金星、とな」


 表情の変化に続いて、淡墨髪の提督の声が突然揚々とした拍子リズムをきざみはじめたので、客人のふたりはおどろかされた。


「ご存じでいらっしゃるのですか?」


 アイリィのそれは、質問というより、確認にちかかった。だがその確認は、さらなるおどろきを、我星出身の客人にもたらした。


「火星、金星といえば、地球と同星系に存在する非住惑星だ。人類がまだ地球を唯一の生存圏としていた時代から、その存在は知られている」


 さりげない口調であったが、連邦軍の提督が口にした固有名詞は、ふたりの客人の心中で小さからぬ爆発を起こすのに、十分な威力を有していた。


「地球!?」


 思わずことばとなって表出したおどろきを追って、アイリィは質問をかさねた。


「地球という惑星が、実際にあるのですか」


 我星において、その惑星は、太古、他星系に存在し、高度な科学技術をもって宇宙に進出した文明の名として知られている。だがそれは伝承としての色彩が濃く、歴史学者や人文学者がさまざまな仮説や創作を世に送り出してはいるものの、「人類のはじまり」の俗説の一つ、というのが一般的な共通認識であった。

 その人類の源流とでもいうべき伝説の惑星が、実際に存在するというのか。


 客人の問いに淡墨髪の司令官は直接には答えず、ひとりだけ満足した表情を浮かべて言った。


「半信半疑だったが、これではっきりした。これは単なる遭難者の救出劇でも、異文化のかいこうでもなく、同志の再会であるとな」


 ふたりの客人の正面に座す人物は小さな笑声をあげてそういったが、アイリィの明敏な頭脳をもってしても、その真意の全てを把握することは不可能だった。


「……おそれいりますが、いますこしご説明をいただけませんか、提督」


 困惑する客人にそういわれて、少将提督は要望に応えるべく、真剣な表情をつくって考え込んだ。


「ふむ……」


 数瞬の思考ののち、歴史家兼司令官であるその人物はいった。


「結論より先に、この文明の歴史を知ってもらう方がよさそうだな。人類社会たる宇宙の歴史、そして、地球の歴史をな」

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