3
みっつの生命を奇跡の惑星の地表まで送り届ける使命をあたえられた漂流船は、大気の防御網を突破して、青い空をゆるやかに滑り降りていた。一時、突発的な乱気流に遭遇して船体がきりもみ回転しかけ、精神の容器が親友と比較して小さいほうの搭乗員は二度目の気絶が眼前に迫るのを目撃したが、優秀な操舵手が心臓を氷の手でつかまれながらもなんとか船体を立て直し、以降は大空の女神の抱擁をうけて、首尾良く高度を落とすことに成功していた。
強化軽量炭素アルミニウムでつくられたパラシュートが船体後方から射出され、湖面との接吻をより優しいものとするよう、大気をつかみとって船体にブレーキをかける。それによって生じる揺動から舟を守るのは操舵手の仕事であって、ガス噴射と揚力装置を使い分け、姿勢を制御する。本来槍術が専門であるはずの操舵手がたくみに船体を操作する様は
無数の白雲を追い越すと、眼下に肥沃な大地が姿をあらわしはじめた。緑に着色された陸と、空と異なる青色にいろどられた海が、突然の客人におどろきつつも、その美しい色彩によって歓迎の意志を表明している。
「さ、そろそろ衝撃にそなえて」
着水目標である〝ながぐつ池〟を視界にとらえた竪琴奏者がいったので、シュティは伝統的な衝撃防御姿勢をとって不測の事態にそなえた。これは万一のときにも頭部への損傷を最小限におさえ、意識を失うことを防ぐためのもので、大気圏内航空機の時代からつづく基本的なダメージ・コントロールである。
シュティとしてはここまで何の仕事もしないまま自分の身の安全をはかることにやや後ろめたい思いもあったが、万一のときには親友を救い出して安全を確保するという重要な役割をになうことになる。けっして軽んじてよいことではなかった。
距離が近づくにつれて、海の
「よし、目標正対、視界良好。高度五七〇フィート、五六〇、五五〇…」
濃茶髪の操舵手がことさら状況を声に出しはじめたのは、身を
「二〇〇、一九〇、一八〇…」
地表からの距離を示す数字が小さくなるにつれて、さすがのアイリィも緊張の度合いが大きくなり、脈動はその速さを増していく。常人ならばその重量に圧死してしまいかねない
「さあ、派手にいくよ」
舟の滑空によって生じた風が湖面を撫でて、穏やかだったはずの水面に白い波しぶきをたたせはじめた。湖に侵入した影はしだいに大きくなり、陽光を遮る舟の大きさに接近していく。おそらくはじめて宇宙からの生命体を地表に迎え入れる、この奇跡の惑星にとって歴史的な瞬間が、秒針単位の距離に近づいていた。
「…着水!」
そのことばの語尾に重ねるように轟音がひびき、衝撃が生じて脱出艇全体が激しく揺動した。舟は船尾方向の三分の一ほどを湖水に接触させ、白銀の水柱を湖上の空間に出現させた。反動を受けた脱出艇は水切り石のごとく二度、三度と湖面に跳ね返され、舟は水の抵抗で左右にゆさぶられる。
アイリィは自らも接水の激しい衝撃とたたかいながら、操縦桿をはなすことなく、姿勢をくずしかける舟を、水面と平行をたもつよう必死に制御した。その努力の甲斐もあって、脱出艇は数回の跳躍をなんとか横転することなく乗り越え、左右ふたつの
「ふう、とりあえず、やれやれかな」
その操舵手は、体内に溜まった緊張と神経の高まりを、大量の空気とともに体外に放出すると、となりの親友にそう声をかけた。だが、黒赤髪だけを見せる姿勢のまま動かない親友の反応は鈍かった。
どことなく似た状況がつい一日ほど前にあったな、と思いながら、アイリィは親友の肩をぽん、ぽんとたたいた。だが、それに反応してようやく顔をあげた親友の表情は、アイリィの想像とことなっていた。シュティはふたつの大きな目から、大粒の涙をこぼしていたのである。
「おいおい、ちょっとどうしたのさ?」
と訊かれたほうも、はっきりとその理由を理解していなかった。漆黒の宇宙空間を漂流する危険から解放された安堵、未知の惑星に降り立つ不安、そしてなにより、ここまで導いてくれた親友への感謝と、役に立てていないという申し訳なさ。極度の緊張から解き放たれた瞬間に、それぞれの感情の堤防が決壊して精神の清流をかき乱され、処理しきれなくなったものが、熱い水流となってながれでてきたのである。
それでも、洪水のなかからなんとか言葉を選び出して、心配そうに視線を向けてくれる親友に向けていった。
「ありがとう、ここまで連れてきてくれて、ほんとうに…」
なんとか鼻水だけは流すまいという努力の音と
「あはは、大げさだな」
といって、当分涙が乾きそうにない年下の親友を抱き寄せた。
だが、アイリィの心中は、そのことばで間接的に表現したような単色の感情にはなっていない。たしかに、シュティをここまで連れてきたのは彼女であった。だがその意味は、泣きじゃくる親友が思っているものと、本質的に異なっているのである。
黒赤髪の親友がすこし落ち着くのを待って、アイリィは役目を果たしおえた脱出艇のハッチを開け、空気を吸い込んで、親友の仕事に間違いが無かったことを確認した。そして、まだ完全に泣きやんではいない親友の手を取って、一緒に降りよう、と誘った。シュティは白い肌の手で涙をぬぐいながら、アイリィはそれを見て苦笑しながら、まったく同時に、くるぶしのすこし上あたりまで隠れる深さの浅瀬に降り立った。格好良さという点においてかなり問題はあったものの、まさにこのときが、まだ名前をつけられていないこの惑星に、人類がはじめて足を踏み入れた瞬間となったのである。
そして、わずかの差で〝一番乗り〟を逃してしまった人間の集団が存在することなど、ふたりは知りようもなかったのだった。
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