第44話 せめて、最後の勇者として
セーミャ、ミリアドと仲間が立て続けに
最終決戦に相応しく、秘められた力を覚醒させて――。
二人とも俺など足元にも及ばないS級ランクのトップファイターだ。率直に言ってしまうと、戦闘に関してはそれほど憂慮はしていない。
とはいえ、形態変化を伴うあまりに急激な能力の覚醒。俺としては両名の健康面が心配であった。全力で戦闘に傾注しているいまはいいが、後々になって何かしらのリバウンドとかないんだろうかな、あれは。
心配と言えばとくにミリアドだ。秘められた力の発露に加えて、これまでなんとなく伏せられていた剣士としての素性が明かされるという回想的なイベントまで差し挟まれた。いったい奴は一人で何本の死亡フラグを立てれば気が済むというのか(回想してたのはお前だろというツッコミは無しで)。
まあ、どれだけシリアスな別れが訪れようとも、無力な俺はすべてを見送るのみである。
それに俺の仲間たちならきっと大丈夫だという根拠のない自信が俺にはあった。
それはいつもの他人事主義ではない、確信にも似た何かであった。
そうだ、魔王討伐のときだって何とかなったじゃないか。
絶望的な戦況のなかで俺たちは最後まで作戦を完遂した。
みなが与えられた役割をこなし、俺も自分にできることをやってきた。
舞台がどう移り変わろうともそれは同じだ。
ピースは着実に埋まっている。
これが物語であるとすれば、世界は間違いなく終局へと向かっているのだろう。
ただ、その物語を主導するのは俺ではない。
俺の冒険はつねに何ものかに糸を引かれるかたちでここまで来た。
シナリオは俺の知らないところで書かれている。
そしてそれはたぶん世界を救うシナリオに違いないのだ。
それこそなんの根拠もない妄信とも言えたが、そのシナリオに乗せられて救える世界があるのなら、主人公でも魔王の代行でも演じてやろうじゃないか。
その結末の先の、俺以外のみんなが笑っていられる未来のために――。
そう思っていた。
それを含めた確信であった、…………はずであった――——。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
外部からの攻撃は断続的に苛烈さを増し、揺れは静まることがなかった。むしろ体感的なものは次第に大きくなっていっていた。
それは呪いによる敵の狂暴化が進んでいるからかもしれず、単純にその数が増えているからかもしれず、そしてセーミャの結界あるいは魔王城そのものの耐久度が限界に来ているからかもしれなかった。セーミャが触手の姫に劣勢になっている姿だけは想像したくなかった。
震動。少し間を置いて、また震動。
爆発音。鉄がきしむ音。
城のどこかのパイプが折れて、がらんがらんと落ちていくのが聞こえた。
塵埃が舞って、崩れたがれきの細かな欠片が俺の頭にぱらぱらと降りかかった。
「おお、おおおっ、って、うお、おおおわわわわわっっ……!!」
そして次にひと際大きな衝撃があったとき、場違いにもぼけっとしていた俺はとうとう玉座部分から転がり落ちたのだった。
「…………っ。あいたたたた……」
光反射性素材の床は朝の日差しをよく照り返していた。
敷き詰められたタイルの上で、俺は背中と尻をさすった。半球状の魔力召喚装置を滑るように落ちてきたため、落下のショックはそれほどではなかった。
しかし学校の制服に着替えていてよかったぜ……。
形式的には軍服を模しているものの緩衝性などろくに考慮されてないこの制服。だが、布地の薄い祭祀服のままだったら痛みがもっと直に伝わっていたことだろう。
「——おい、人間の勇者よ」
痛む尻を抱える俺の背後にぬっと立つものがあった。
だぼだぼの白衣のポッケに両の手を突っ込みメガネ越しに俺の醜態を見据えていたのはむろん、見た目は幼女、頭脳は老巧——〝魔界の大賢者〟ハハルル・ファスファス博士であった。っていうか、本当は何歳なんだろうこのおかた。
「はあ……。貴様らが来てからというもの、ボクの計画は狂わされっぱなしなのであるよ……」
そんなことをつぶやきながらハハルル博士はかしかしと頭をかいてポニーテールを揺らした。ついでに俺を眺めて「どうしてこんな奴がなあ……」とぼやく。
そうして少しばかり不服そうにしていた彼女であったが、いくらかも時間を隔てないうちに、
「あー、こほん。よろしいか」
と、諭すように俺に声をかけた。
「あ、はい。なんでしょぅ……」
俺は何と返していいか分からず、気の抜けた返事をする。
「もはや一刻の猶予も残されてはいない。次善策でいくのである」
「へ」
博士はラボから抱えてきていた小型モニターとキーボードの付いた魔導機械を移動させ、それをいそいそと魔力召喚装置に接続していた。
「じ、次善策……?」
それはあれか、プランBというやつか?
こんなこともあろうかと! とかいうやつか?
最善策のほうすら俺はまだよく理解していないというのに??
「えーとであるな、はじめはいまここにある世界をまるまる全部トレースしてコピーの世界を生成し、そこに呪われた全魂魄を落とし込むつもりであった」俺の挙動から何かを察したのか、博士は解説を始めた。「世界中の魂と魔王城は地脈を通じてのアクセスが可能であるしな。これぞ『創世機関ヴァーラスキャールヴ』の本領、もともとの『魔界計画』の応用であるよ」
「はあ」
ハハルル博士は俺の横で地べたに座り込んで語る。
ぱちぱちとキーを叩く音が響く。
話の最中にも彼女の指と視線は休むことなく動き続けていた。
「そのために魔力召喚装置を正規に再稼働させ、召喚した魔力をエネルギーとしてコピー世界に浄化の魔法を施し――なんであるか、その顔は」
「あ、いや」
ぶっちゃけ突然世界を生成するとか言われてもなあ。
チート過ぎて全然実感が湧かない。
「…………そうであるなあ。あえて例えるなら、呪われた魂を異世界の洗浄機に放り込んで丸洗いする感じ、……とでも言えばよろしいかな」
な、なるほど……?
どういった魔術が作用してそうなるのかはあいかわらず俺の頭では想像が追いつかないが、完全置いてけぼり状態だったときに比べるとだいぶ理解しやすい(ハハルル博士にはあのあとも難解な魔術理論を延々と講釈されたりしていたのだが、それはそれとして)。
魂を浄化するために、汚染されたこの世界から呪われたすべての魂を一時的に隔離させる。隔離場所となる仮設の世界も、この世界と同じ構造のコピーであればやりやすい。そういうことらしかった。
でもその理屈だと、俺が『主人公』になるってのはどういうことだったのだろう?
「ああ。なに、あれは言葉の綾とゆーかであるな……。『魔界計画』においては、書き換えられた世界を導く主柱として魔王様という強力な〝
その説明は前にも聞いたな。
聞いたような気がする。
聞いたと思われる。
「その新世界では書き換えられる以前以後の状態を客観的に観測できるのは魔王様だけとなる予定であったのである。それを応用して、コピー世界では〝楔〟の権限を聖剣の勇者たる貴様に代行してもらおうという、ひとつ、そういう話であった」
新世界を神視点で眺めることができる唯一の存在。
世界をどう導くかという主導権は〝楔〟の執行者にすべて委ねられている。
それを比喩しての『主人公』か――。
まあ、分からなくはない。
「世界は呪われてしまった。だが、ボクたちはその呪いを受けずに済んだ。そしていま居るのは全世界の地脈に通じた魔王城。この好機を逃す手はないであろう?」
引き続いて語られた博士の説明をまとめるとこうだった。
まず、呪われた魂をとりあえず洗浄機(=コピー世界)に突っ込む。
そのうえで、別世界で魂を浄化している間に俺以外のメンバーでこの世界に満ちた呪いのエネルギーを除去する。
すべての作業が完了した時点で魂をもとの身体に戻す……。
大雑把に言ってしまうとそういうふうに考えていたのだとハハルル博士は言った。
理解の遅い俺のために博士なりに噛み砕いて説明してくれているのだとは思うが、なんだか〝洗濯している時間を利用して汚れた部屋を掃除する〟みたいな身も蓋もない話になりつつあるな。
本来は世界救済の遠大な計画のはずが……。
まあ、俺の頭が悪いせいだが。
「——が、悠長にそんなことをしている余裕がなくなった」
「え、でも聞いてる限りだとその方法しかないような……って、うおっとっ!」
衝撃と震動。今度のはまた大きかった。
まるで床の下から部屋を直接持ち上げられているような感覚があった。
どおんどおんと大砲の砲撃にも似た音がこだまする。あるいは本当に何か撃ってきているのかもしれなかった。
「くっ、むぅ……」
「だ、大丈夫ですか」
「うむ……。で、コピー世界を仕上げるにはどれだけ急いでもあとまる一日はかかる。天才であるこのボクをもってしてもな。その前に魔都がこの有り様では、異世界から魔力を召喚しているうちに魔王城自体が崩壊しかねない。そうなってしまっては何もかもおじゃんである」
うん。だいたい理解できてきたぞ。
現状、世界中に及んだ呪いを解除するには『魔界計画』をベースにするしか手立てはない。それにはこの魔王城のシステムは不可欠。
だが、その城は無数の暴徒の襲撃によりいまにも崩壊しようとしている、と。
…………あれ? これ、詰んでない?
「誠に困難と言わざるを得ない状況ではあるが――実のところ、エネルギーについては代替が可能でないこともない」
おお、代替エネルギー!
環境にやさしい未来の技術!!
エコでクリーンな循環型社会!!!!
「…………なんであるか」
「あ、いえ。なんでもないっす。それで、代わりになるエネルギーというのは?」
「ん。新たに魔力を抽出召喚している時間がないのであるから、この世界にあるもので何とかするしかない。かと言って、必要とされるエネルギーは急遽発電機を回して補える量でもない。そうなってくると――」
「——呪いのエネルギーを魔力に変換するんですね?」
と、言葉をつないだのはヨーリ・イークアルトだった。
「おわっ、ヨーリ。いつから聞いてたんだよ」
「あ、すみません。次のご指示を仰ごうかと思って来てみたら、何か今後の作業工程に関係ありそうなお話をされていましたので……」
「おお、その点は心配するでないぞ、ヨーリ嬢よ。計画は当初のものとは変更になったが、そこは織り込み済み。魔王城の制御にかかわる作業に大きな支障はない。変更点はいままで通りに随時指示していくのでな」
「そ、そうですか。ええと、そうなってくると……」
ヨーリは周囲の機械と手元の指示書を幾度も見比べていた。
丁寧に編み込んでいた彼女の頭髪は、夜通しの作業を経てすっかりほつれていた。その髪はくるくると奔放なまでに乱れており、なるほどそれは彼女自身の言葉通り、ひどいくせ毛だなと思わせるに充分な様相だった。
一見すると、作業はスムーズであるかのように見えた。
だけども実際にはハハルル博士もその唯我独尊的な振る舞いに反して、作業のけっこうな部分を適宜軌道修正しながら進めていたし、ヨーリやミリアドはそんな博士の言外の意図を汲んでそれをサポートしていたのだ。ちょっと高度過ぎて俺が手をつけるには難しいやり取りが行われているのだった。
あと、ハハルル博士の高慢な態度に慣れるに従い、彼女の性格についてもなんとなく分かってきたことがある。
博士は確かに比類なき大天才であるのだが、何も神の如き完璧超人というのではない。あたかもすべてを見通したような言い回しを多用しはするが、発言している時点では本人も一から十までを是としているわけではないのだ。
では何かと言えば、最初は未確定だった事象を確定へと導くその頭脳と技量こそが天才的なのであった。天才はフレキシブルなのだ。
「そういうことで、魔力については魔王城のシステムを使い、この世界にあり余っている膨大な呪いのエネルギーを魔力に変換して補完する。呪いの除去もできてまさに一石二鳥であるなっ、わははははぬぎゃんっ!」
そのとき不意の衝撃があり、ハハルル博士は鼻の頭をモニターに打ちつけた。
「……エネルギー問題が解決できることは分かりましたよ。けど、肝心の魂の浄化はどうするんです? コピー世界を作ってる暇はないんですよね?」
「いったた——ん、ああ。そのことであるが……」
ハハルル博士は赤くなった鼻先を押さえつつ俺を見上げた。
「ついては、貴様にいちから新しい世界をイメージしてもらおうと思う」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
俺は頭に椀状の装置をかぶせられていた。
それは
「ううっ、重い……」
頭がぐらんぐらんする。
学院の教練で着けた防具より重い。
鉄の重しを乗せているみたいだ。いや、事実、鉄の重しを乗せているのだった。
「ふむ、また若干びりびりっとするであるぞ。ほいっ」
「え、ちょ、あがぁッッ!!」
ハハルル博士の合図と同時に俺の頭のなかに電撃が走るような感覚があった。
「よし。記憶の読み込みはこんなものかな。でわ、次のフェーズへ移行しよう」
「あの、ちょ、ま……」
「少しの痛みである、我慢したまえ。世界の命運はひとえに貴様の脳内イメージにかかっているのであるからなっ!」
全身をひくつかせる俺の訴えもむなしく、作業は粛々と進行していた。
「……さて。あ、そうだ。あいつはどこへ行ったであるか、あいつ!!」
「えっと、そのですね。これかなりきついっていうか、頭のなかを釘でかき混ぜられてる感じがするっていうか、あの、博士、聞いてます……? てか、あいつ……?」
ちょうどその瞬間、俺の頭上を影がよぎった。
「くっくっくっ……。ようやくオレ様の
その声が聞こえたときには、すでに男が音もなく俺の前に降り立っていた。
それは他の誰でもない、零番勇者リーズン・ワン・ハイブリッジであった。
リーズンは自らの銀髪をかき上げると、軍服の外套を仰々しく翻した。降り立つ音はなくとも他のあらゆるアクションがいちいちうるさかった。
「あっ、リーズンお前、いままでどこにいたんだよ!」
「ふっ……。些細なことを気にするな……」
「些細なことって、この非常時にお前なあ……」
しかし計ったようなタイミングで現れる奴である。
むしろこいつの場合、実際に計っていた可能性のほうが大であるが。
「……実を言えば、帝都からの通信を受けていた」
「通信……!?」
えっ、通信!? マジで!?
いま城の外の誰かと通信とかできんの!? え、ええっ!!??
「ああ。先ほど緊急伝令妖精が情報を伝えてきた。それによると、帝都の皇帝陛下は無事、皇帝一族も一部を除いて生存。現在、中央大陸南部に向けて亡命中とのことだ」
「皇帝陛下、生きてんのか……」
それまで俺は勝手に城外の人間はもうほぼ全滅したような気分になっていた。
いくら世界を救う方法を説かれても、どこかでとらえどころのなさを覚えていた。
だがリーズンの報告を聞いて、急に現実と陸続きの地平に引きずり出されたような、そういう不思議な心地に陥っていた。
「なんでも南都の古神殿を経由して行くらしい。呪いの被害からは逃れられなかったが、遅効魔法で当面をしのぐんだと。まあ、これで今後のオレ様の行動方針も筋道が立ったというものだが――」
「そんなことはどうでもいい! 心底どうでもいい!!」
ハハルル博士が喚くようにリーズンの言葉をさえぎった。
「ちっ。なんだうっせえなちびっ子、殺すぞ」
「その脅しにはもう乗らん! いいから早く例のブツを出したまえよ!!」
「分かった分かった。オレ様だってこの期に及んで出し惜しみなどしない。ほらよ」
リーズンは外套の下から何かを取り出した。
それは指先大ほどしかない板状の透明な結晶体で、淡い群青色をしていた。
「それが……中央教会から持ち出してきたっていう重要アイテム……?」
「くっくっくっ。そうさ。これこそが貴様の希望、異世界の記憶だ」
そう言ってリーズンは不敵ににやりと笑った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「いいか。このメモリチップには勇者召喚プロジェクトで召喚された異世界の勇者候補たちの記憶が保存されている」
リーズンは魔力結晶で精製された小さく薄い物体を差し出して俺に語った。
「とくにニホンという国から召喚された若者の記憶がメインになっていてな――オレらの世界と違ってその世界には魔法はないらしいんだが――貴様のオタク染みた思考とも相性がいいはずだ」
「……オタク染みた思考って、お前」
「いやな。どういうわけか、ニホンから召喚される勇者候補は〝異世界〟だとか〝魔法〟だとかの世界観に妙に詳しい奴らが多くてな。そういう奴らは決まって物語的な、フィクショナルな設定のバリエーションを豊富にその記憶に宿しているケースが複数見られたというんだ」
「…………なんだそりゃ」
「オレ様が知るか。そういうふうに実験報告書に書いてあったんだよ」
俺が呆れた顔をするとリーズンは苛立たしげにしながらも説明を続けた。
「まあ、結局奴らはみな〝勇者候補〟止まりだったが――奴らから書き出された記憶がこんなかたちで役立つとはな……。世界の像をイメージするのにせいぜい参考にするといいさ」
リーズンが持ってきたメモリチップはハハルル博士に手渡され、その中身は魔王城のメインコンピューターから今回実行する仮想転生プログラムに書き入れられた。
セーミャとミリアドが出立して早くも数時間が経過していた。
時刻はもう昼前くらいになるだろうか。
外からの攻撃は続いていたが、城はなんとか持ちこたえているようだった。
ハハルル博士とヨーリたちが忙しなくプログラミングやヴァーラスキャールヴ稼働準備の作業を続ける横で、俺は機械のヘルメットをかぶり、たびたび走る電撃に耐えていた。なんとももどかしい限りだったが、下手に動くなと言われているのでどうしようもない。
「……人間の勇者よ。いや、勇者ショア・シューティングスターよ」
そのさなか、ハハルル博士が俺に向けてぽつりとつぶやいた。
彼女に名前を呼ばれたのはそれが初めてであった。
「なんですか。ぶっちゃけ俺、何もしてないのに満身創痍なんですけど……」
「ああそうであるな。すまないな……。その、いまさらなのであるが……。本当によいのであるな?」
「あ。いえ、それは……」
唐突にしおらしい態度を取られると、こちらとしても応対に窮してしまう。
だが、とうに俺の答えは決まっていた。
「……いや、いいんだ。俺がやる。これは俺にしかできないことだから」
本来なら魔王が収まるべきだった〝楔〟。
そのポジションに匹敵する力——世の理を捻じ曲げるレベルの絶対的な力は、いまこの世界では、聖剣を持つ俺しか行使し得ないのだ。
「しかしこのままでは……貴様が、貴様だけが戻ってこれなくなるかもしれないのであるぞ?」
「分かってますって」
「当初の案では呪いから外れたボクたちがこちらの世界に残ってコピー世界を操作し、貴様にはあくまでお飾りの〝楔〟役となってもらう算段だったが……。いかんせんそういう条件付きの術を施している時間的余裕がなくなってしまった。ボクが言いだしたこととはいえ……」
「いいんです。それに博士も言ってたじゃないですか、遠隔転移魔法は二点間移動、異世界召喚魔法はあっちからこっちの一方通行だと。それらを組み合わせたのが今回のプログラムなんでしょう?」
「……? そうであるが……?」
「つまり、この世界から別の世界へ送り込まれるのは俺が最初になるってことですよね? しかも世界を救う使命のためとか、すごく勇者っぽいじゃないですか!」
「……なんであるか、その理屈は。この愚か者め」
俺の返答にハハルル博士は苦笑してみせた。
「もっとも、別の世界と言っても今回は仮想の世界であるがなっ」
「……あははっ、そうですね」
俺と博士はそうして気休めするように笑い合う。
お互いに緊張した空気をほぐしたかったのかもしれなかった。
――と、しばし和みかけたところに俺の背中目がけて何かが激突し、俺はその一撃を受けて転倒しかけた。
「お兄ちゃんっ!!」
「グ、グレイス!?」
それは妹のグレイスがすごい勢いで俺に駆け寄ってきた衝撃だった。
グレイスは振り返った俺の胸へとそのまましがみつくように顔をうずめると、両腕を俺の背中に回してぎゅうっと抱きついた。彼女の長めのブラウンの髪が俺の首元に擦りついてくすぐったかった。
「お兄ちゃん、行っちゃヤだよ!! こんな呪われちゃった世界で、お父さんもお母さんも無事かどうか分かんないのに……」
グレイスは涙声であった。
「そんなこと言うなグレイス。親父とお袋ならきっと大丈夫だって」
「うん……。……うん、あの二人ならたぶん無事だと思うけど……。むしろあの夫婦が無事じゃなかったら誰が無事なのってレベルだけど……」
「……。……」
そこは嘘でも黙るか言葉を濁すかしとくとこだろ、妹よ。
いや、あの二人ならまず無事だろうけど。
「それでも、行っちゃ嫌だよ……。私をひとりにしないでよ……」
「グレイス……」
お前そんなキャラじゃなかっただろ、と普段の俺であったら茶々を入れているところだが、さすがにやめておいた。その代わりに俺は彼女の頭を優しく撫でた。
ああ、こうして妹と触れ合うのも何年ぶりになるだろうか。
グレイスはどんな場面でも俺よりずっと優秀であったし、俺があえて兄として接する機会なんて最近はほとんどなかったからな……。
「グレイス、大丈夫だ。俺、きっと帰って来るから」
「うそ。お兄ちゃんがひとりで帰って来れるはずないじゃない。だってお兄ちゃんだもん。私がサポートしてあげなかったら、ひとりじゃ何ひとつまともにできない私のお兄ちゃんだもん……」
ひどい。
……だけどまあ、それも事実だな。
「じゃあグレイス、お前が俺を迎えに来てくれ」
「え……」
「帝都で俺がドラゴンに襲われてたときもグレイスが助けに来てくれたろ? あのときみたいにさ、お前が迎えに来てくれよ。得意の召喚魔法でさ」
「いや、お兄ちゃん、召喚魔法っていうのはそういうもんじゃ……」
「グレイスの召喚術と魔導機兵があれば、異世界だって仮想世界だって飛んでこれるんじゃないか」
「……お兄ちゃん。自分が何言ってるのか分かってんの……!?」
「いや、全然分からん」
いまにも食ってかかって来そうな妹に俺はとぼけて答えた。
「はあっ!? あのねえ――」
「俺は馬鹿だからな。召喚術の理論なんかまったく分からんが、グレイスは違うだろう。天才的なスーパーテクニックで世界の壁の一枚や二枚、きっと軽く越えられる。少なくとも、俺が同じことをやるよりは遥かに可能性がある」
「……。……。……」
「今回の転生プログラムにはグレイス、お前の召喚魔法がどうしても必要なんだ。これは世界中で妹のお前にしか頼めないんだ。な」
「……………ねえ、お兄ちゃん。誤魔化すならもっとうまくやってよ。全然論理的じゃないし。コミュ力足りないんじゃないの」
「あ、うん。おっしゃる通りで……」
「馬鹿。マジで馬鹿」
「ああ。ごめんな、馬鹿で」
「馬鹿……」
「うん」
俺はなお頭を預けてくるグレイスを抱きよせようとしたが――。
「————なあんちゃってっ!!」
「うわっ」
再びグレイスに突き飛ばされよろめいた。
「おま、突然なにする――」
「えへへっ! ホント、馬鹿なお兄ちゃん!!」
グレイスはそこで軽くタップを踏んで舌を出した。
「私が迎えに行くまでちゃんと待っててくれなかったら許さないんだからね☆」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
俺はあらためて魔力召喚装置の玉座に座った。
頭には重いヘルメット型の機械を装着している。
やがてプログラムとの同期が始まると、〝楔〟となった俺のなかには俺のものではないさまざまな
それは彼ら被召喚勇者たちが暮らしていたという〝魔法のない世界〟の記憶だ。
魔王も勇者もなく、ただ穏やかに過ぎていくどこかの世界。
文化祭を控えた、慌ただしくも楽しい学園生活。
大宇宙を股に掛けるヒロイックな冒険活劇。
部活動の仲間たちと過ごす賑やかで少し不思議な日常――。
それらはどこまでが実際の体験に基づく記憶で、どこまでがフィクションから取り入れられた妄想の類なのか、魔法世界に暮らす俺には判別できなかったが、虚実入り混じったイメージは召喚術式に組み込まれながら俺の脳内にドバドバと刺激を与えた。
『心配するな。このプログラムはやり直しが効く。誰も貴様がいっかいで成功できるなどとは端から思っていない』
プログラムの最終調整に入ったハハルル博士がヘッドセットを介して俺に話しかけてくる。手厳しい台詞にも聞こえるが、自分の作業をこなしつつ俺のことも気遣ってくれる辺り、実はこのひとも相当優しい。
はじめは俺たち帝国の人間を(というか主にリーズンを)あんなに毛嫌いしていたというのに……。
『よろしいか。この転生プログラムの目的はあくまで魂の浄化だということゆめゆめ忘れるな。結果的にこういうやり方になってしまったが、むしろ何回か失敗してやり直してくれたほうが浄化のためには有効とも言える』
「ああはい。それ、もう何度も聞きましたよ」
『黙れ愚かな人類代表! 愚かな貴様のために何度でも言う。扱っているのは全世界の魂なのである。やり直しが効くといっても、バランスは考えなければならない』
「バランス……ですか……」
『そうである。楽観的過ぎてもいけないし、悲観的過ぎてもいけない……。魂が安定して保管されるよう、なるべく都合のいい世界の構築につとめるのである』
ハハルル博士は口を酸っぱくして俺に忠告した。
『大切なのはイメージすることだ。この世界の魔術の基本である』
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
『……ショア君。ねえ、ショア君、聞こえますか?』
あとはプログラムの本格起動を待つのみとなった頃、ヨーリが通信を通して俺に話しかけてきた。
「ヨーリ……? どうしたんだ?」
『あの、私、ショア君に言っておきたいことがあって……。これで最後になるかもしれないですし……』
「……うん」
俺は静かに頷いて彼女の言葉を待った。
『……三日間です』
「え?」
『私とショア君と、それにミリアド君とが出会ってから、今日でちょうど三日間になるんです』
「あ、ああそうか。そうだな」
『えへへっ。なんだか信じられないですよね。たまたま追試のために集まっただけだったのに、こんなところまで来てしまうなんて……』
そうだった。
はじまりは三日前のあのとき。
学院の旧校舎。使われなくなった空き教室で俺たちは出会ったのだ。
ヨーリの虹色の髪には本当に驚かされたっけ。
あの鮮やかな色彩はいまも目の裏にありありと残っている。
「ああそうだ。ヨーリ、ミリアドがさ。戦いに赴く直前に言ってたんだけど……その、俺にヨーリのことを頼むって」
『ミリアド君が……』
「うん……。一応、ヨーリにも伝えておいたほうがよかったかと思って……。余計だったかな……」
『いえ、ありがとうございます……』
「あ、ああ……」
沈黙。
彼女との会話は毎回滞ってばかりだ。
こうして話しているあいだにも遠くからは爆発と破壊の音が響いてくる。
終わりが近い。
『ねえ。ショア君、これは言っていいのか分からないんですけど……』
「いいさ、これで最後なんだ。言ってくれ。後腐れのないように」
『うん……。あの、ショア君。私、シロリーの話、したじゃないですか』
「ああ、うん」
そこでまたしばらく沈黙があった。
やや大きめの震動があり、通信に少しのノイズが走る。
『ショア君、私、私ね……。確かにシロリーをこの戦争で失ってそれはとてもつらかったですし、それでいままで何度喪失感や虚脱感に襲われてきたか分かりません。彼女を黙って送り出してしまったこと、いまも後悔していないとは言えません……』
「ヨーリ……」
『それなのに八十八英雄の部隊の一員として戦場に来てしまって……。近衛騎士さんたちや教会の白魔導士のみなさんに比べると、私ができたことなんてほんの微力でしかなかったですけど……。それでもこれでいいのかって、こうして戦っていてよかったのかってずっと迷っていたんです』
「うん…………」
『これがシロリーのためになるのか、戦争のあり方に疑問を持ってきた私がここにいていいのかって。そう思わないときはありませんでした』
「その、なんというか、それは……」
俺は言葉を選べずに口ごもる。
『でもね、ショア君。あなたは勇者ですけど……。あなたとはもっと前から出会っていてもよかったかもって、そう思ってるんです』
「あ、えっ」
ここまで来た、いまなら言えることですけどね――。
そう続けたヨーリの声は少し笑っているように聞こえた。
しかし、そのとき実際の彼女がどんな表情をしていたのか、装置の上にいる俺には知ることができなかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
俺はどこで間違ったのだろう。
俺たちはどこで誤ったのだろう。
四聖獣を解放したりせず、帝都防衛に徹していれば何かが違ったのだろうか。
ノゾナッハ渓谷の大会戦で魔国軍四天王を倒していれば何かが違ったのだろうか。
帝国が魔国と西の連邦とのつながりに気づいていれば何かが違ったのだろうか。
四年前のあの日、俺が勇者に選ばれていなかったら何か違ったのだろうか。
中学時代の三年間、地元で封魔術の修行などせずにとっとと帝都に出てきていれば何か違ったのだろうか。
ホーリーハック魔導魔術学院でうだうだと学校に残らずに他の勇者たちと戦場へ出てしまっていれば何かが違ったのだろうか。
いや、あるいはもっと小さなきっかけであったかもしれない。
俺が封魔の祝詞を唱えるタイミングがあと一瞬でも早かったら。
戦闘を近衛騎士たちに丸投げせず、俺自身が戦いに加わっていたら。
魔都へ向けて帝都を出発する時間がわずかにでも違っていたら。
学院を襲ったリザードマン兵と堂々と対決していたら。
俺が追試を初日でさっさと終わらせていたら。
ヨーリと初めて出会ったあのとき、ためらわず彼女の名を呼んでいたら――。
しかし、すべては過ぎてしまったことだ。
何もかもただ一切が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
ほんの数瞬の時間が永遠のように感じられた。
衝撃に身体を揺さぶられるなかで、ハハルル博士から通信が入る。
『最後に確認するが……本当によいのであるな』
「ああ、頼む」
俺は覚悟を決める。
瞬間、プログラムが開始され、俺の意識が世界と同一化を始めた。
魔力の流れをつたうようにして地脈が世界中の魂を仮想世界へと吸い上げていくのが感覚として理解できた。
そういえば、魂が仮想世界に移されているあいだ、残された身体のほうはどうなってしまうのだろうか。生死に影響はないのだろうか。
【 そのことについては問題はない……とは言い切れないのが心苦しいが、転生中、その生命の時間は停止している 】
【 もちろん、魔王城への攻撃も止むであろうから、その間に装置が破壊されることもない 】
おや、これは俺の思念ではないな。なんだこれ。
…………ああそうか、ハハルル博士が書き入れた注意書き的なあれだな。
どういう仕組みになっているのかは分からないが。
【 そうであるな、 転生中は世界がフリーズしているとでも思ってくれればいい 】
【 いずれにせよ貴様の心配することではない 】
最後の最後まで説明好きなひとだ。
表向きは人類を見下していた彼女こそ、実はこの世界で人間も魔族も含めたすべての種族を最も愛していた人物だったのではないだろうか。そんなことを思う。
そのうちに俺の思考も次第に遠くなり、意識は混交し、混濁し、どこまでが自分という領域なのかすらも分からなくなっていく。
【 さて、ボクができるのはいよいよ本当にここまでである 】
【 あとのサポートは自律プログラムに一任してある 】
【 間もなく世界は静止する 】
【 でわ、よい夢を―― 】
それを最後にメッセージは途絶えた。
俺という自己は世界の意識と一体となり、新たな世界へと向かっていく。
全生命の希望や願望をない交ぜにして、来たるべき転生のときを待つ。
その先は俺が主人公の世界。俺がすべてを導くのだ。……うまくできるかどうかは分からないけどな。
ふと、次の開くべき扉が現れるのが分かった。
視界は光に包まれている。
さあ、行こう。たとえ、何度繰り返すことになったとしても。
こうして、俺たちの世界は一度リセットされた――——。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
『——ようやく思い出していただけたようですね、勇者様』
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