終章 転生篇Ⅴ
第45話 本当に守るべきものなら前世から知っている
俺の意識は朝の教室に戻ってきていた。
俺以外のすべてのものが召喚されていった、あの最後の朝だ。
誰もいなくなった教室。
痛いほどに静かなその空間は、淡く白い光に満たされていた。
机と椅子がクラスメイトの人数分並ぶ。そこには学生鞄や筆記用具等が、それぞれの生徒が消失する以前そのままに放り置かれている。直前までの喧騒を想起させるに充分なその状態は、全体を見回してもとても整然としているとは言い難かった。
俺は思い出していた。
俺が現実だと思って暮らしていた世界が、転生プログラムのなかで急遽構築された仮想世界であったことを。
しかもその仮想世界すら、これまでに何度も創り直されてきた代替品のうちのひとつに過ぎなかったのだ——いや、創り直されたなんて他人行儀な言い方は相応しくないな。この世界を創り直していたのは他ならぬ、俺自身であったのだから。
俺は教室の窓から外を仰ぐ。
遠望する限り隈なく魔法の光が降り注いでいる。
地の果てまで目を凝らしてみても、あるべき青空は見えない。
空は一面奇妙な模様や文字でびっしり埋め尽くされていた。そしてそれらもまた、転生プログラムにより発動した世界規模の超大型魔法陣であるということも、俺は思い出していた。
魔法陣は俺が立っている位置を起点として、この学校周辺だけでなく地上すべての上空を覆っている。そろそろ世界中のあらゆるものに術式が完了する頃だろうか。
「これで俺の役目も終わり、か――」
俺は誰に向けるでもなくつぶやく。
しかし俺の孤独な一言に返答する声があった。
『訂正。あなたの役目はまだ終わってはいません』
単調でどこか歪な電子音声。
振り返ると、声の主は制服姿の少女であった。
背格好は俺よりやや低いくらい。髪は短く切りそろえられているが、その色は黒緑色とも濃藍色ともつかない不自然な染まり方をしている。
俺が世界を創り直すのをいままでずっと手助けしてきてくれた彼女――魔王城統括システム第三コンピューター、改め自律型サポートプログラム『ミミル』は、あたかも普通の女子生徒のような装いで俺の傍らにたたずんでいた。
『警告。あなたの役目はこの仮想世界の行く末とともにあります。計画はすでに最終段階です。ここで終わりにすることは当方としては推奨しません。それとも――』
まだお忘れなのですか、勇者様——。
そう告げたミミルの顔は依然として無表情であった。
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奇策。
あのとき、ハハルル博士が提示した方法はそう言ってしかるべきものだった。
世界規模で広まってしまった呪いを解くことは難しい。全種族の魂に施された呪いの刻印ひとつひとつを個別に取り除いていくことは――それも生き残った俺たちだけでそれを成し遂げることは、もはや不可能と言ってもよかった。
呪いは個々の魂に深く刻み込まれており、対象が生きている限りほぼ無尽蔵に負の感情を増殖させ続ける。誰しもが持っている憎悪や恐怖に訴えかけるところがまた厄介であった。
しかし見方を変えればそれは、こう言い換えることもできるのではないか。
魔王の呪いは対象者が生きている状態であることを条件に発動する、と。
そこで最初に案出されたのが、すべての対象に一時的な死を与える――魂だけを取り出して一斉に浄化させる方法だった。『魔界計画』を元にしたその方法が例の〝呪われた魂を異世界の洗浄機に放り込んで丸洗いする〟である。
基礎となる『魔界計画』がほとんど実行直前の段階にあったこともあり、魔王という主要な術者を欠いてはいたものの、コピー世界の生成にさえ成功すればその方策はあとはハハルル博士の技量によってどうとでも為し得るはずであった。だが、それも時間的な制約から断念せざるを得なくなってしまった。
そこに至って出てきたのが、前述の計画の副次案たる『転生プログラム』――俺がギリギリになって聞かされた次善策だった。
呪いの発動条件は対象が生きていること。ならば、あえて外的に浄化を施さずとも魂を強制的に転生させる――何度か生きている状態から離脱させることで、呪いの憎悪に完全に蝕まれる前に浄化することができるのではないか――そう考えた。
いわば、いまある世界全部の運命を、まるごと来世に賭けることにしたのだ。
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魔王の呪いは確かに強力だったが、対象が広範囲に及ぶこともあって(なんといったって全世界すべての魂だ)、さすがに転生後の魂にまで呪いが及び切ることは考えにくい。たとえ魔王といえども、限界はあるはずだった。
その方法のために考案されたのが、仮想世界の存在だった。
あらかじめ仮想的な世界、疑似の来世に再度の転生魔法を潜在的に施しておく。そしてそこにある魂の浄化が済んだ時点で召喚術式を発動させ、すべての魂を元の世界に再度召喚、転生させる――。
呪いの解除法としては邪道であり、また確実な方法でもなかったが、そのときの俺たちに他に策はなかった。
ただしこの案でも問題となったのが、果たして時間的制約であった。
途中で予定を変更した以上、ベースとなる『魔界計画』の改変を最小限度に抑えて適用する必要があった。しかしそうなると転生対象に条件付けを設定している余裕がなくなり、『魔界計画』固有のポジションである〝
つまり、元の世界に残って浄化世界を操作するものがいなくなってしまうのだ。
いちど転生に巻き込まれると、書き換えられた世界たる仮想世界では自らを客観視することができなくなる。ただひとり、元の『魔界計画』において術の執行者であった〝楔〟を除いて――。
こうなってくるともう消去法になってくるのはお分かりいただけるだろう。
転生プログラムを実行するに当たり、〝楔〟役の俺が仮想世界で浄化を主導するしか残された道はなかったのである。
『魔界計画』は世界を魔族が棲みやすいように書き換えることが最終目標であった。故に、世界を書き換えたあとのことはプログラムには含まれていなかった。詳しいことは聞かされていないが、せいぜい書き換えた世界にほころびが生じないようにメンテナンス機能が働く程度であっただろう。要となる魔王がしっかり統治していればいいだけの話であったし、そのための計画であったのだ。
重ねて述べるが、今回の転生プログラムは『魔界計画』がベースになっている。
『魔界計画』では世界を書き換えた以後のことは考慮されていない。〝楔〟=魔王が世界の維持を担っていたからだ。そしてその配役は『魔界計画』を雛型としている転生プログラムにおいても同様であった。
換言すれば、〝楔〟となるものは再召喚魔法発動から完了後まで仮想世界にとどまる必要があり、元いた世界に戻って来られる保証はないということだった。
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「なあ、ミミル。いくらか分からないことがあるんだが、訊いてもいいか?」
『了承。当方の可能な範囲でお答えします』
ふたりだけになってしまった教室で俺はミミルに問いかける。
ミミルもすっかり慣れた間合いで言葉を返してくれる。
お互いにブレザーの制服でこうして話していると、普通に同級生との会話を楽しんでいるような錯覚をおぼえる。そう、まるで放課後のおしゃべりのように。
「いつかの世界でヨーリ——あの世界ではヨリコだったか——が、俺に話してくれた天動説。地平線の向こうはどうなってるのかって話。あれは結局なんだったんだ?」
『返答。それは勇者様がいちばんよくお分かりかと思いましたが』
「んん?」
『回答。言うなれば、あれはただの比喩です』
「比喩?」
『補足。勇者様のイメージによって成り立っているこの仮想世界——幾度も修正を繰り返してどうにか安定を保ってきたこの世界は、
「ああ、そういうプログラムを組んだんだったな……」
異世界から召喚された勇者候補たちの持っていたフィクショナルな記憶。それらと俺の記憶のなかのイメージとを継ぎはぎするようにしてこの世界は構成されている。そうなるように術式を書き込み、プログラミングしたのだ。
いかんせん土壇場ゆえ、かなりの急ごしらえだったようだが。
『補足。ですが、本来この仮想世界は浄化を待つ魂を一時的に保管するための場所。それ以上の広さを有していないのです』
「……つまり?」
『補足。この世界は、いま勇者様に観測できる範囲がすべてということです。どこまでも無限に続いているわけではないのです』
「俺が観測できる範囲がすべて……」
俺はつとミミルから視線をはずし、教室から見える風景を眺めた。
グラウンド、校門、校舎まで続く登り坂、その向こうに広がる市街地……。ありふれた景色の上にどこまでもぼんやりと白い光のベールが重なっている。
変わらないと思っていた日常。
俺が変えてしまった日常。
しかし、それもすべてが仮初めだった。
『補足。この世界は勇者様のイメージによって成り立っています。勇者様が望めばその地平も広がりますが、もし真っ直ぐに走って行ったとしても、勇者様のイメージが限界に達した時点でこの地点に戻って来てしまうことでしょう』
「世界の範囲はあくまで俺の想像の範囲ってことか……」
考えてみれば当然のことではあるが、あらためて他者から丁寧に説明されるとその事実に愕然とする。自己の認識を、世界観を、揺すぶられざるを得ない。
『補足。突き詰めれば、いま見えている範囲が勇者様の想像力の限界であるとも言えます。そうですね、彼の世界の記憶を以て補完してもなおこの程度の――』
「世界の仕組みを解説する流れで突然俺をディスるのやめてもらえませんかね!?」
目の前のボーカロイド的な少女の辛口な台詞に俺は思わずツッコミを入れた。
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