第7話シークレット

 戦うことが常識となったこの世界。いつまで争い続けるのか、などとつぶやく者などむしろ異端であろう。だがエドゥアルド・タルコットを取り囲む状況は小さくではあるが、確実に世界を変えようとうごめき始めている。


 地獄を超えて山を越え、向かうところに敵はあり。邪魔するものは何も統括軍だけではない、この世のほとんどが敵である。山賊からの攻撃は大きなものではなかったが地味な浪費をアルバトロスに迫った。ただでさえこれから統括軍の勢力圏内により近づくというのに…。はてさて一体エドゥらの運命やいかに。


 先日の出来事を聞き入れた統括軍本部よりシャイダン・サルバーカイン少将がザンダ基地跡を訪れた。周りは黒い消し炭ばかりで生存者よりも完全な形を保った焼死体を探すのも苦労する。

「小さなものではあるが基地一つが消滅。我が軍創設以来最大の損害を被ったわけだが…。」

 シャイダンはその場に立て膝をつき焦げた地面に右手を触れ、親指と人差し指をすり合わせながら付着したすすをこすり払う。

「これがAGSの爆発による影響か…。毒性はないようだが…。…私は陸艇というものが気に入らない。飛行機と違って重力に反してものを浮かせるなぞ、あまりに不自然さを抱く。言うなれば最先端の科学を用いて集合させたファンタジーみたいなものだと感じてしまう。」

「しかしながらすでにAGSは小型化に成功しており、今ではそれを組み込まれたギルガマシン…コードネームをたしか、アテンブールでしたかな。そんなモノまでありますが…。」

 シャイダンは横に立つ軍調査員のアッツィーネ・サミネィの方に首を向けて静かに言う。

「そのアテンブールも多大な資金を投じて作り上げた挙句、三機中一機は撃破、二機は強奪されている。虎の子のアテンブールをこんな小さな基地に全て託した我々も愚かだが。よほど腕の優れたパイロットがいると聞き私もザンダ基地に運用させる事を承認した、しかしながらそのパイロットが持ち去ったらしいじゃないか。…確かパイロットの名はエドゥアルド・タルコット大尉とか言ったな。一人彼をよく知る部下がいてな、真面目な男だそうでそんな事をするような奴には見えなかったと…。何かが彼を変えたのかもしれない。今回のことはただ基地が襲撃され敗北しただけでない。水面下で何か大きなものがうごめいている。」

 アッツィーネは黙ってシャイダンの言葉を聞き続ける。

「そしてこのことがアルバトロス強奪事件のすぐ後に起こったということだ。すでに各方面に混乱を招いている。さらにはダウガス中将も失踪…いや、すでにお亡くなりになったという扱いであったな。…つまりアルバトロスの件以来我々に悪い風が吹き続けている。」

「それらがどこかで接点がある、と閣下は申したいのですな?」

 縦に頭を振るシャイダン。

「ザンダ基地内でも何かしらの衝突があったとみている。あまり大きな声では言えぬがエイベル将軍のお子がいらっしゃったしな。行方不明となっているが…この分だともう…。おまけにここを襲撃した陸艇はアルバトロス級のようだであったと目撃証言も出ている。タルコット大尉の裏切りとアルバトロスの出現。色々と納得いかないことが多すぎる。今後はこのザンダで起こったことをアルバトロスとタルコット大尉とを中心に調査を頼む。跡からブラックボックスが出て来ればなお良いのだがな。あとは君らのチームに任せる。」

 シャイダンはそれだけ言うとマントをひるがえしながら立ち去る。

 アッツィーネもその背中を見ながら敬礼し、その姿が見えなくなるまで続けた。

「さて、取り掛かるとしますかな。我が軍の腐敗の実態を…。」

 チームを呼びこれからの先ほどのシャイダンとの内容を告げる。

「エドゥアルド・タルコット大尉のその真摯さを一先ずここは信頼して調査を進めよう。」


 アルバトロス一行の疲労はありえないほどに溜まっていた。無理もない、連日連戦をまさに体現した様な数日間であった。ふと考えてみれば随分と過去の様にも感じるし、疲労感の残り方からつい先ほどの出来事の様にも感じる。

 だが幸いにも峠越えの山賊襲撃以来これといって大きな戦闘はなく平和に、実に平和に足を進めている。平和とは戦争の間に起るものだなどという言葉を残した人間もいたようだがそれはアルバトロスの面々にとってまさにその通りだろうとうなづける。

 恒久的でないとはいえ、今は静かな時間を与えられていた。……ただ問題なのはランドクルーザー・アルバトロスえらく鈍足であるというところだろう。

 いくら敵襲がなくともあまりにも足が遅すぎればザンダの件を耳に挟んだ追手がやってくるかもしれない。

 バーナードは受話器を取り機関室にコールを入れる。

「機関長、そっちの様子は?」

 その質問に電話口のむこうにいる機関長から機関室特有のノイズと一緒に声が送られてくる。

『結構動力パイプが焼き切れているな。スペアじゃ到底足りないね、こいつには無理させちまったがダクシルースまでの辛抱だと考えてだましだましバイパス処理で何とかしよう。一応できることはやっておく。しっかしAGSは臨界点ギリギリを言っていたが、流石新造艦なだけはあるねぇ。コイツは平気な顔で動いてやがるから立ち往生するなんてこたぁねぇな。』

「すまない、世話になる。完了時我々はここを離れている可能性があるため第二艦橋へ連絡を入れてくれ。それでは。さて、マクギャバー。予定通りにダクシルースへ到着は可能かな?」

「今の調子ですと…予定より五、六時間オーバーと言ったところですかね。機関長たちの修理が終わり次第また変更があると思われますが…。敵影や電波のキャッチも今のところありませんし当分は安全かと。」

「そうか、分かった…。ならば全員楽にしてくれ。ククールス、アルバトロスを自動操縦に切り替えておくように。一応緊張状態からは抜けられた。シフトグリーンだ、当分追っても来ないだろうし今のうちに休めるだけ休んでおこう。あー第二艦橋、聞こえるか?少しの間そっちにアルバトロスの指揮権を回す。しばらくしたら機関室から連絡が入るだろうからその時にまた呼集をかけて欲しい。よろしく頼む、ではお休み。」

 データ処理を施し機関を第二艦橋に回すスイッチの音がパチパチとなり、それがだんだんと小さくなると第一艦橋は完全に機能を停止した。

 その後計器類のチェックがあらかた終わると全員伸びをしながら肩や首などをぽきぽきと鳴らして第一艦橋を後にする。


 アルバトロスがボロボロならばもちろん艦載されているギルガマシンもまた相当な痛手を受けていた。小さいながらも基地を一つと駆逐艦二杯も沈めてこの程度ならばまだましな方ではあろうが何よりも一隻のアルバトロスではこの先戦っていくのはいささか厳しい。

「やっぱり早い段階でコイツに問題が生じるのう。ジュネス、代わりになるものはないか?」

 ビンセントはザンダガルをまじまじと見ながらため息をつく。ザンダガルは統括軍にとっても試作段階にあったマシンで、タダでさえスペアのパーツがない上に変形までしておまけに小型のAGSを備え付けているために専門の技師まで必要となってくる。ビンセントもエンジニアとしてベテランではあるがそれでも未知数の性能を持つこのマシンは厄介である。実戦配備された新型マシンを手に入れようとする人間がこの世に少ないのはそういうことが関わっている。

「間接等の接合部は規格に変わりがありませんから一見問題はないですが変形時に装甲部分が思いっきり干渉を起こしてしまいますもんね。以前変更した頭部ですらギリギリ許容範囲内と言ったところですし…。脚部は完全にすらスラスターとなっていますからザンダガルのつまりアテンブールとその系列のマシンを早い段階で手に入れなきゃならないですね。腕は同世代期のマシンならば頭部同様何とかなりそうです。…ま、コイツの良い実験データは我々が盗んでしまったようなものですから運が悪ければ後継機が生産されることはなさそうですね。」

「そうなるな。じゃがアテンブールの設計データがまだあっちに残っておるじゃろうからマシンの箱はいいとしてソフト面で強化したものが作られそうじゃな。なんならコイツよりよほど処理速度が跳ね上がっとるようなのがの。」

「それどころかザンダガル以上に面倒なアテンブールタイプが作られるってのか…。その時も誰かに奪い取らせる必要がありそうっすね、おやっさん。」

「確かに、エドゥあたりに潜らせてまた強奪させるか!がっはっはっはっ!」

「そりゃいい!これからは盗みのプロなワケだ!アハハハハ!」

 二人は気づいていなかった。

 エドゥが後ろに立っていることを。

「その時にはお二人にも参加してもらいましょうかね、もちろん囮として。」

 ギギギと顔を後ろに振り向かせてぎこちなくニタァと笑う。エヘヘ…と笑いながら三人で顔を見合わせて互いの肩をポンポンと叩く。

 ただエドゥの行動は肩を叩くというよりド突くに変わっていた。

「しょうもない話してんなよ。第一俺がそうそう簡単に狙い撃ちされるほど腕が悪いと思われていたなんて残念だよ。あっ、そうそう。頼まれてたもの持って来たぜ。」

 すまんすまん、という二人の前にがしゃんと工具を置きあくびを一つかます。

「疲れておるな、まあ無理もないがの。」

「普通のパイロットならノイローゼ起こして死んでる死んでる。この俺、エドゥアルド・タルコットは精神力もピカイチ、タフガイな超エースパイロットだ、畏れおののけ。」

 踏ん反り返るエドゥを見てジュネスは

「やっぱり疲れが残ってんな、さっさと休めよ。」

 と聞く耳持たずでエドゥを押し返す。

 促されてからやれやれと言った感じで格納庫から出て行く。

「とりあえずどのみち敵も来なければ今回はザンダガルの出番なしってね。キャプテンらは既に休みに入ったみたいだし我々もぱっぱと片付けてしまいましょうや。」


 アルバトロス艦内ではまだあくせく働くクルーの姿が見える。皆それぞれが役割を果たさなきゃうまく回らない。軍から抜け出した彼らは元からゲリラな奴らとは違い大きな組織を離れ、自分たち自身が運営していく立場に回らなければならなくなった。

 ゼロからのスタートの方が中途半端にはみ出した連中より実のところ最初に何も与えられていない状態なので自分たちで何かを編み出し、上手に効率をあげながら活動しているのかもしれない。

 前部右舷側の主砲からのそりと大きな体が出て来た。ゴーヴだ。彼は正確な射撃が買われたそうだが、まあ砲撃手らの面々からすればていのいい雑用が入ったに過ぎない。

 それでも腕は認めてもらっているようではある。

「ヨォ、エドゥ随分暇そうにしてるじゃないか。ちょっとばかしつきあえよ。」

「雑用の雑用なら願い下げだぜゴーヴ。」

「ンなこたここの稀代のエースパイロット様にさせるワケねぇよ。それにこっちももう一段落ついたところだ。ひとっ風呂浴びにでも行こうぜ砲塔の中は暑くてたまらん、汗と火薬の匂いが染み付いちまう。」

「構わないぜ。」

 とエドゥが返答したところにニールスが前から歩いてくるのが見えたので彼も誘う。

「ニールス、今からゴーヴの奴と一緒にふろにでも行こうかと話していたんだがお前もどうだ?男同士裸の付き合い。」

 ニールスは立ち止まって少し考えてから口を開く、

「…遠慮しておく、シューターの整備やらでまだボク少しやることが残っているし。それに静かに浸かりたいからさ。誘ってくれてありがとね。じゃあ。」

 と言い残しツカツカと足音を立てながらその場を後にする。

「ありゃりゃ、行っちまった。」

「ま、パイロットとして見込まれただけだエドゥ。戦友としては背中を預けるが、友人としてはまだまだプライベートで気を許さぬといった感じかもしれないな。もしかしたら誘い方がホモっぽかったんじゃないのか?裸の付き合いなんてきょうびおっさんでも言わない言わない。」

「だーれがホモだバカ。それならば既にお前のカマ掘ってるよ。しかし相変わらず感情が読みにくいというか、なんかいまだにとっつきにくいところがあるんだよなぁ。」

「恐ろしいことをサラッと…。…またデリカシーのないことを言ったら今度こそ嫌われるだろうし注意した方が良いぜ。」

「ちがいない。」


(…危なかった、まさかあんな事に誘われるなんて思いもしなかった。…?バレてないよね…エドゥのやつもしかしたら勘付いてて、分かってておちょくってるのか…?あまり深く関わりすぎるのもまた問題だなぁ…ハァ…。)


 アルバトロスの修理は思いのほかスムーズに進んだ。焼き切れた管は取り外され、本当に応急的なバイパス処理を施されただけに過ぎないが拒否反応も起こさずゴォン…ゴォン…と内臓に響くような音を立てながら艦のスラスターが吹き始める。あちこちの故障により牛歩を迫られていたアルバトロスもようやっとここで瀕死の状態を脱した。

「いい音だ、コイツの機嫌も直ったみたいだ。ホントに大した艦だな、全く。これぐらいじゃ愚図らないいい子ちゃんだな。…あー、こちら機関室責任者ベントレー。アルバトロスの応急修理が終わった。無理な加速は禁物だからゆっくりとシフトしてほしい。最大船速だとまた焼き切れちまうから調整も頼んだ。艦長によろしく伝えておいてもらいたい。」

『第二艦橋了解。ご苦労様です。』

 第二艦橋の面々もホッと胸をなでおろし艦の制御に入る。

 立つ砂煙は次第に大きくなっていき慣性が乗組員にググッと伝わる。自室で仮眠をとっていたバーナードをベッドから振り落とし、コンピュータが自動計算で航路調整をする。前方のメインスクリーンに予定航路が映し出され副官はバーナードに連絡を入れる。

『艦長、お休みのところ残念ですが修理完了しましたよ。』

「ん、ああ…すぐに行く…。」

 眠るに寝れなかった微妙な頃合に起こされ半分覚醒しきっていないその脳みそが動かねばと命令する。


 アルバトロスが大きく前進しだして数時間がたったころエドゥは自室へ戻る前にザンダガルの修理状況を見ておこうと格納庫まで向かって歩いていた。その途中浴室の近辺できょろきょろと周りを見回すなど怪しい動きをするニールスを目撃する。その不審な動きゆえにエドゥも固唾を呑んであとをつけてみる。手に持っているのは洗面用品だと分かったが風呂に入るだけでなぜ周りを警戒する必要があるのか。コソコソする必要性についてあれこれと考えているうちに一つの考えがよぎった。

(あの野郎、まさか女子風呂にでも侵入する気か?…いや、まさか。あんな堅物が…。)

 自分でもあほくさいとは思ったが、その予感は当たっていた。ニールスは誰もいないこと(エドゥが見ていることを知らずに…。)を確認して女子風呂の暖簾をくぐる。

 エドゥもマジか!?と驚いたものの内心、

(なんだかんだと言いつつも、奴も男なんだなぁ…。)としみじみ親心に近い親近感を抱いていた。

「ただし、この俺と言えども犯罪行為だけは見逃せないな!覚悟してろォ、ニールス。しっかり絞ってやる。これは出会った当初の態度に対する個人的恨みじゃないぞ。奴の社会性を案じての事だからな!」

 と誰もいないところで自分に言い聞かせながらニールスの後を追い

「失礼いたしますよ~。」

 と、小声になりながらそ~っと女子風呂に入っていった。

 生憎…ではなく誰も使用している女性クルーはいなかったため安心して入る。さっさとニールスの首根っこをつかんで引っ張り出してやると意気込んでどこだどこだと探しながらロッカーの角を曲がると人がいた。見たこともない女の子が、裸で。

 残念ながら…ではなく危うく全裸ではなかったがトップは何もつけていなかったため丸見えであった。

 しかもエドゥもその娘も人が互いが互いに人がいるなんて思わず固まってしまったので相手は無防備そのものだった。

 エドゥはハッと我に返り、無駄だと分かりつつも言い訳を始める。これが手一杯の考えだった。

「…ニールスの奴がさ…警戒しながらここに潜入してるの見ちゃったからさ。あいつを引っ張り出して説教でも垂れようとしたんだけれど見てなぁい…?」

「……。」

「……。」

 沈黙だけが続く。時間が止まったのかと錯覚に陥っていたがそうでないことが目の前の娘の顔を見てわかった。だんだん顔が真っ赤になってきているのだ。

 とっさにエドゥは目を腕でふさぎ

「すまない!誰かは入っているなんて気づいていなくて!ニールスを見つけたら出ていくか…ら…。」とここまで言って違和感を覚える。目の前の女の子に見覚えがないはずなのになぜか知っている気がすると。

「…バ、バレた…。」

 と蚊の鳴くような声が聞こえてくる。目をふさいでいるからか、ここではっきりわかった。その声の主、がまさにであると。

 そろ~っと顔をあげると自分の肩を抱くように胸を隠す涙目の少女の姿が…、その顔をまじまじと見てやはりニールスであると悟った。

「え、えぇ…まさかお前が…女だとは…。今世紀最大のサプライズだなこりゃ…。」

「エドゥ…貴様いつから…。ずっと見張ってたのか、この変態…‼︎」

 つい先ほどまでに男だと思っていた相手に変態呼ばわりされることへの複雑な気持ちがあったが弁明する。

「いやいやいや!違う!お、俺はここを通りがかった時にお前の不審な動きを見てつけただけだ!お前が覗きでもするのかと思って…。」

「ダメだ…。この時間帯なら使用する人も少ないからずっとバレないだろうと思っていたのに…!こんなのにバレるなんて…。」

「…こんなのって…。ん?ということはニールスってのはアレか?偽名使ってこの艦に乗り続けてたのかお前…⁉︎」

 エドゥの発言でニールスは先ほどまでの顔つきとは変わり下唇を噛みながら鋭い眼光で睨みつける。初めて彼…いや、彼女と対面した時に向けられた眼と同じような鋭さを持っていた。

 さすがにやばいと思ったエドゥだが後には引けぬ。

「とりあえず、上を着ろ。なんで名前も性別も偽ってまでこの艦に乗船した…。お前の名と、その目的を言え!ニールス・T・ファラシー‼︎」

 エドゥの気迫に多少なりともたじろぐニールス、だが彼女も負けん気の強さでは勝るとも劣らない。足に踏ん張りを入れて向き合う。

 そしてゆっくりとその口を開きエドゥに言う。

「確かにボクの本名ではないが、偽名を使っているわけでもない。兄の…ニールスの名を借りているだけだ…。」

「借りている…?」

 意外な答えに次に尋ねようと思っていたことを忘れた。そこにニールスは続ける。

「そう、ボクの本当の名はリリィ・M・ファラシー。目的は統括軍を…兄を殺した奴らを地獄に送ることだ…。ボクのたった一人の家族を殺した奴らを…。」

 ニールスは先ほどの羞恥心から出た涙とはまた違う涙を流していた。エドゥにとってそのえも言われぬ気持ちは十分にわかった。

「…しかし、それでいてなぜ元統括軍の連中とともにこれに乗っているんだ…。もしかすればこの中に兄を殺した連中がいるかもしれないんだぜ。」

 エドゥの言葉に首を振るニールス。そうでないと必死に伝えようとする。

「…兄はエドゥ、君と同じような境遇だ。優秀な統括軍人であったが出る杭は打たれると言うのか…ハメられたのさ…。それを兄は察していた。だから愛機であるシューターをボクに授けたんだ。で、君とは違い兄は、ニールスはそのまま謀殺されてしまった。ここの連中もそんなことに嫌気がさしてやめた奴らばっかりだよ。」

「…ニールス…。」

 かける言葉も見つからないのは当然だ。目の前の少女はエドゥ以上に抱えているものが大きいと感じたからだ。人の不幸を秤にかけようなんて無粋な真似はしたくはないがついついそう言った考えがよぎる。まさにデリカシーに欠ける行為であろう。と。

「でも、それならば名前も、それに性別までも偽る必要なんかないじゃないか…!」

 必死に出た言葉がまた相手の否定しかできないことに己の矮小さが見られて苛立つが、これを聞いておかなければ喉に突っかかる何かは取ることができない。

「兄に対するせめてもの弔いだ。兄の名を借り打倒統括軍を誓う。ニールス・T・ファラシーの名を名乗れば多少なりの反応を見せる奴がいると信じてボクはその時を待っている。昔のように臆病に逃げるんじゃなく…。」

 やっとわかった。彼女が名前を偽っていたのは過去を捨てているわけでは無いのだと。

 亡き兄の魂がまるで乗り移っているかの様に復讐に燃えていることが。それはすでに男であるとか、女であるとかの狭い視野で見ることのできない問題だった。それは大きく、人の子として、家族として、また一人の戦場を生きる者として彼女のなすべき道、選ぶべき道の内の一つだということを。

 別に歩む道もあっただろうし、これからまだ分岐点は残されているはずだがそれをわざと選ばなかった。この戦乱の渦に生きる一人の人間としての選択として最高で最悪の道だ。達成されたときに心に残るものが自身に喜びを残せばよいものだったと胸を張れる、むなしさだけが残ればどうしようもない。おまけに躓けば死が待っているという特典付きのアンバランスな道。

 その決意の表れがエドゥの目の前の状況を作り出しているというわけだ。

(なるほど…。全く無粋なことをしたわけだ。)

 反省を心の中で呟くエドゥのだんまりがニールスの不安を煽り冷静さを少しばかり欠かせ、それが言葉に出てくる。

「エドゥ…。ボクがここの連中を根本的にだましていた悪辣非道として艦長の前に突き出すのか?」

 目つきをキッときつくさせるが涙目では、それは脅しの意味をなさなかった。

「まさか!それどころか余計なおせっかいごとを思いつかなきゃよかったなと反省してたところだよ。今すぐ誰かが呼び出しでもしてくれればここから離れられる口実になるな、とも。」

 先ほどまでに見せていた気迫をなくし、普段通りに戻ったエドゥのその物言いがついついニールスを苦笑させた。安心したというのが正解なのだろうか分からないがそれでも心の奥底にいた人を突き放していつも遠くで眺めている自分が消えたような気がした。

「さっきの非礼は詫びる。自分の事棚に上げて疑うような真似をしちまってさ。一応、俺はお前にこの背中を預けると言った。それなのにそんな相手の秘密を誰かに吹いて回るなんてつまらない事はするつもりはない。断じて。」

 あまりにまっすぐなその男の目は信頼に足ると、根拠なんてないのに感じてしまっていた。最初の出会いがひどすぎたからそのギャップであろうとも思っているのに。

 ザンダで見せた彼に自分を照らし合わせたからかもしれない。

「わかった…、エドゥ。ボクも悪かったよ、男が女風呂に入ってしまえば誰だって何かするんじゃないかって疑いたくもなるもんね。それにボクだって信じるよ。君がくだらない嘘をつくような男でもないってことを。」

「ただ、これだけは言わせてくれ。ニールス、先人として伝えなければならないことだ、もし復讐を果たすのならしっかり自分の手を汚せ。中途半端だと胸にもやもやを残すだけだからな。俺自身、やっぱりヒッツはこの手で始末したかったからな。それでも困難ならばその時にはアルバトロスのチームがいる。俺だって新参者と言えば新参者だがアルバトロスのチームだ。困ったら手を貸させてくれ。」

「もちろんわかってるさ。無論できれば自分でかたをつけたいが、ま、どう転ぶかは神のみぞ知る、かな。……ところでいい加減ここから出てってくれないかな…。」

 エドゥは「あっ。」と感嘆を漏らし廊下へと出ていく。

(チームか…よくよく考えてみればずっと個人プレーだったかもね…。エドゥアルド・タルコット…。不思議な男だ。)


「あれ、エドゥじゃない。どうしたのよそんな顔赤らめて、風邪でも引いたの?」

 部屋に戻る際にルトとすれ違いざまに聞かれた、自覚なくしてニールス…というよりリリィを意識していたらしいことを隠そうと長風呂でのぼせたことにしておいた。

 その割には全く濡れていない髪の毛を怪しみつつもエドゥが速足で去って行ったのでジャーナリズム根性を見せる間もなく、詮索できぬままぽつんと廊下にたたずむ。

 自分も人には言えぬ事象を抱える者として、という考えが働いたというのもあるが、そのことは忘れた。

 歩いている途中に煩悩は自然と抜けていく。そこで改めてあの時のニールスの顔を思い出す。悲しみと怒りを込めたあのギラギラと燃えるようなまなざしを持つ顔を。

(しかし、不幸を自分だけ抱えたつもりでいるのは傲慢だよな。…はやし立て上げられて舞い上がってたのかもしれないな。ザンダの一見以来俺もどうかしてたのかな…。いや、元からこんなものか。)

 自問自答を繰り返しながら頭を掻く。

 ハハッ…。と乾いた笑いを一つ漏らし、感傷に浸っている自分の頬を両手でパンとはたいて目を覚ます。

 らしくないことは考えるなと、エドゥの親父の口癖であった。彼もまた苦労を歩んだうえでそういう言葉が出てきたのだろうと今更ながらに思う。

 人の思想の深さを学んだ。大人になっても学ぶことなどまだまだ多い。

 むしろこれから死ぬまで勉強事は増えていくのだろう。なぜなら今生きているここが歴史であり、哲学であるのだから。

 そう実感させるのは、このご時世がすんなりと生きていける世の中ではないからだろう。

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