第33話 「何年先を見てる?」 妖怪「目先」登場



    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 シンイチは、寝つきがいい方だ。心も体も健康優良児である。今夜も布団にネムカケと入って、すとんと眠りに落ちた。はずだった。ところが何故か今日は、夜中の一時に突然目覚めてしまったのだ。

「ん?」


 そこは知らない「闇の世界」だった。

 起き上がったシンイチは時計を見た。真夜中の一時。知らない時刻だ。自分の知らない時にも闇は続いていて、その中でひっそりと時は進んでいる。その感じが不思議だった。

 トイレに立ち、帰って来て布団に入っても寝つけなかった。ネムカケはその気配を感じ、目を覚ました。

「眠れんのか? シンイチ」

「うん。……オレの知らない間にも、闇の中で時刻は進んでいるんだね」

「ふむ。そうじゃな」

「ネムカケ。オレの知らない、闇を知りたい」

「深夜の散歩にでも出ようか。パトロールがてら」

 ネムカケの首輪に紐をつけ、誰かに見られたら「猫の散歩」だと言い訳が出来るように偽装し、シンイチは闇の中へと足を踏み出した。


 深夜の町は、普段小学生として接するとんび野町と、全く違う姿だった。

 そこは真っ暗で、誰もいなくて、何の音もしなかった。シンイチは遠野での修行中、夜の山を何度も経験したことがある。目には真っ暗闇だったが、夜行性の動物たちが沢山いて、案外うるさいものだ。天狗笑い(天狗の笑い声が夜中の山に響く)や天狗倒し(めりめりと木の倒れる音がするのだが、次の日そこへ行っても倒れた木などない)や天狗囃子(なぜか祭囃子が聞こえる)にも遭遇するし。

 都会の闇はしんとしている。中性子爆弾か何かが落ちて、全員が死んで全滅したゴーストタウンのようだった。動くものも何ひとつない。シンイチの足音だけが住宅街にこだまする。その音も、シンイチの視線も、その先の闇に吸い込まれそうであった。そのうち闇と自分の境が分らなくなってくる。自分が闇か、闇が自分か。

「……闇って、こういうことなのか」とシンイチは呟いた。

「どういうことじゃ?」

「何もないのに、そこに何かが満ちている気配がある」

「ほう」

「山の夜は、気配がそこら中にいるんだよね。でも町の闇は、静かなのに何かが満ちつつある気配がある。人の心の闇は、こういう所から生まれるのかな」

「奴らは一体どこから生まれるのかのう。湧き水みたいに、心の闇の湧く泉みたいのがあって、ポコポコ生まれているのかのう」

「ネムカケ。人間は、どこから生まれたの? 心は、どこから生まれたの?」

「難しい話をする。わしも、見たことのない位前の話じゃからな」

「妖怪『心の闇』は、心と同時に、こんな闇から生まれたの?」

「それなら、わしら妖怪連中も天狗たちも、大分前から知っておったことになるぞい。奴らが目立って来たのは、やはり近代以降じゃ。近代的自我の目覚めこそが、心の闇の目覚めかも知れぬのう」

 静かに眠る闇の中を、二人は取りとめもない話をしながら歩いた。闇の中で妖怪「心の闇」たちが欣喜雀躍しているのではないかとシンイチは想像したのだが、一匹も目撃しなくて期待外れだった。てんぐ探偵の活躍の成果だと、一応胸を張れるだろう。闇は思ったより乱雑でも猥雑でもなく、整理されていて静かだった。

 来たこともない路地に出た。あるいは昼間なら知っている所かも知れないが、夜のこの風景は、全くどこか分らなかった。脇道に、街灯もない暗い道があった。シンイチはその闇に惹かれるようにその先へ進んだ。しばらく行くと、闇の中にぽうっと灯り。誰もいない、小さな公園だった。

 そこで、「劇」が行われていた。


「パンとワインは、パンとワインだ。宝石ではない」

「しかし偉大なる王様。民たちは武装蜂起を企んで、既に準備を進めています。この宮殿に殺到し、この国の頂の首を刎ねに来る、恐るべき計画を立てているのです」

「シャルパンティエ。外套を持て。街へ出る」


 ジャージを着た二人の男が、「外人のふり」をしていた。

「外国の芝居だね」と、芝居好きのネムカケにシンイチはささやいた。

 一人は背筋のしゃんとした白いジャージの老人。一人は黒いジャージの若者。王と従者の芝居のようだ。老人が王、若者が従者かと思ったら配役が逆で、若者が王、老人が従者役を演じている。面白そうだと思ったシンイチは、木陰からこれを見ることにした。


「ヨーロッパの山々は、全て禿山になってしまった」と、若い王は呟いた。

 従者の老人は、急に従者の顔から険しい顔になった。

「……ダメですか?」と王から若者の顔になり、彼は尋ねた。

「もう一回」

「ハイ。……ヨーロッパの山々は、全て禿山になってしまった」と、若い王は違う調子で言った。

「違う」

「ヨーロッパの山々は……」

「もう一回」

「ヨーロッ……」

「違う」

「ヨ」

「違う。もう一度最初の台詞と繋げて」

「パンとワインは、パンとワインだ。ヨーロッパの山々は、全て禿山になってしまった」

「もう一回」

「ヨーロッパの……」

「もう! 全然進まないじゃん!」

 シンイチは思わず叫んでしまった。二人は、猫と少年が観客になっていることに気づいておらず、この声ではじめて振り返った。

「これはこれは。小さな観客が見ていたとは!」

 と老人は優しい顔になった。

「さっきから同じ所ばかりじゃん! 王様はそれからどうなるの!」

「ははは。これは劇の稽古だからな。多分、今日はここから進まんぞ」

 王役の若者は、その言葉を聞いて今夜の苦行を覚悟した。

「なあんだ。つまんねえの!」

「ははは。続きが見たかったら、こいつが上手くなるまで待ってくれ」

「……スイマセン」

 若手が謝った。

「お前が上手く言えないから、先に進めんのだぞ」

「……スイマセン」

「ということで小さな観客よ。残念ながら、続きは来週以降にもちこしだ」

「おじさんたち、ここでいつも稽古してるの?」

「ごめん。近所の子か。うるさかったかな」

「ううん。オレ、こんな真夜中に出歩くのはじめてでさ。珍しくて興奮してるんだ!」

「分るぞ。死んだ街みたいで、真夜中は面白いだろ」

「うん!」

「じゃあ稽古を続けていいかな。わしらは大体毎週火曜の深夜にいるから、続きを見に来てくれ」

「わかった!」

「じゃ、やるか」

「……ヨーロッパの山々は、全て禿山になってしまった」

 へんてこな二人組だった。別に禿げてもないのに、ずっと同じ台詞ばかり。


 ところが、次の日の夜テレビの映画を見て、シンイチはびっくりすることになる。

「あれ? このじいさん!」

 同じく見ていた母の和代がきいた。

「ハチカンがどうしたの?」

「ハチカン?」

八ヶ瀬やつがせひろしって、往年の大スターよ。昔カッコよかったわあ……って、シンイチはまだ生まれてないか。映画一本のギャラが一億って言われる、超大スターじゃないの」

「へえええええ!」

「すっかりおじいちゃんだけど、まだまだオーラあるわよねえ」

 そんな大スターがえらく庶民的なジャージを着て、えらく地味な稽古をしていたことに、シンイチは親近感を持った。うっかり母に漏らしてしまいそうだったけど、もう一度会いたいから秘密にしておくことにした。

 一週間後の火曜の夜、シンイチは興奮して眠れなかった。しかし無理矢理寝て、深夜一時に起きることに成功した。

「ネムカケ、行こうよあの公園!」


 闇の中を少年と猫は急ぐ。しかしあの公園にたどり着いても、誰もいなかった。

「あれえ? ……たしか、ここだったよな……?」

 あの劇は、一瞬の幻のようだった。劇の灯りの消えた公園は、ただの誰もいない場所だ。その場所は特別と思ったのに、他の場所と区別がつかなかった。記憶だけが、そこを特別な場所にする。

「……こないだは、夢見てたの? オレ?」

「わしもいたから夢じゃなかったぞい」とネムカケは答える。

「世紀の大スターハチカンがジャージで公園で稽古、なんて言ったってさ、誰にも信じてもらえないだろうね」

「しかしワシも気づかぬとは、やられたわ。TVより随分痩せてるんじゃな。メイクをしないと、あんなシワシワのじいさんなんじゃのう」

 仕方なくシンイチは、周囲の深夜パトロールをして家に帰ることにした。

 二人が今夜来なかったのには理由があった。彼らの所属する芸能事務所「フォレスト・スタアズ」が一大事だったのだ。新しく就任した社長の方針が、皆の堪え難いもので、深夜の稽古どころではなかったのである。

シンイチはまだ知らない。この新社長に、妖怪「心の闇」が取り憑いていることを。


    2


 老舗の大手芸能事務所「フォレスト・スタアズ」は、長年あった恵比寿の事務所から、東北沢の住宅街へと移転した。先代の森社長が亡くなり、社長が変わって引越したのだ。

 新社長津山つやま譲治じょうじは、先代社長の息子の知り合いで、経営の敏腕という触れ込みであった。事務所を引越してパーティまでやるのはパフォーマンスがかっていたが、それでも事務所のメンバーには期待の方が大きかった。

 しかし新事務所で発表された津山の新方針は、所属するスタア達にも、長年やって来たマネージャー達にも、承服しがたいものだったのだ。


「四半期で売り上げを増やします。その為には、皆さんにちょっと出演ギャラを下げてもらいます」

「バーゲンセールでもやれというのかね?」

 と、事務所の中でも最古参の八ヶ瀬寛、ハチカンが言った。

「いやいやいや、こんな時代でしょう? 不景気の制作さんの負担を減らして、制作費が少ない作品に協力しましょうよってことです。忘れられるより、実力ある皆さんが皆の目に触れてる方がいいでしょう?」

「まあ、仕事のない人と思われるより良いけどよう」

 と、ハチカンの隣の古参、いぶし銀スタアの星野ほしの勘吉かんきちが言った。

 津山はやんわりとハチカンに言う。

「御大も一本一億とか言ってないで、ちょっとは割り引いて下さいよ」

「わしが決めたギャラではないよ。わしは金でなく、脚本ホンで受けるかどうか決める」

「じゃあギャラ交渉は任せてもらって良いですか?」

「うむ」

 ここまでは良くある、現代的な合理化されたやり取りである。皆が承服しかねたのは、このあとだ。

「事務所をスリム化します。不採算部門を縮小します。つまり、ヤング部を解散とします」

「なんだって?」

 ハチカンも星野も、事務所の稼ぎ頭の谷原たにはらおさむ古川こがわ由美ゆみも顔をしかめた。谷原が言った。

「若手は全員クビってこと? なんで? 稼いでないから?」

「そうです」

「私たちが稼いで、その分食わせてあげてるのに?」と古川も反論する。

「それはそうですけどね。遡って調べましたが、ここ七年ほど、ヤング部からスタア部へ移れるほど稼いだ者が出ていない。三十越えて芽も出ず、ヤングはないんじゃないかと」

「しかし、儂らの跡を継いで貰わなければ困る。事務所はそうやってゆっくり回転するんだ」とハチカンが言う。

「七年芽が出ないままの事務所の経営の方が困りますよ。採算ってものがあります」

「ヤング部を全員切るのか」と勘吉が心配した。

「三十代以上にまずは限定します」

「まずは、というと」

「この四半期で様子を見ます。結果が出なければその先も考えます」

「四半期って、三ヶ月ですぐに売れるかどうか決まる訳ないだろう」

「会社経営は、四半期単位でものを見るので」

 ハチカンも勘吉も谷原も古川も、その他古株も全員が反対した。長期的に育て、使えるようになってから徐々に譲っていく。波のある才能を、みんなで乗り切る。役者人生とは、才能とはそういうものだろと。

「そういう時代じゃないんじゃないですかね。売れてる人で稼いで、売れてる人をヘッドハントするほうが合理的だ。リスクを抱えるのは前時代的です」

 と津山新社長は言った。

「それじゃ人を育てられんだろ」とハチカンは言う。

「? 育てるなんて四半期単位では無理でしょ。育てること自体が、合理的じゃない」

「それじゃ俳優事務所でも何でもない」と谷原が言う。

「ここは養成所じゃない。エージェントだ。利潤追求が会社でしょう」

「会社である前に、ここは、人生を俳優に賭ける者の集う場所だろ!」

 津山と勘吉が喧嘩寸前になったが、ハチカンが年寄りらしくなだめた。


 若手を切る。その方針に従い、三十以上のヤング部の面々が、津山社長の元に集められた。その中に、公園で王様役を練習していた若手、黒いジャージの吉沢よしざわヤスシも入っていた。

 ヤスシは「若手」とはいえ今年三十一だ。舞台役者としては端役止まりで、テレビではセリフを貰ったことがない。演技が下手という訳ではないが、スター性がある訳でもない。芸能界で「特に目立つ存在ではない」ことは、売れないことと同じだ。

 この宣言は事実上のリストラである。吉沢は、ついにこの日が来たのかと、目の前の過ぎゆく現実を眺めていた。死刑宣告を受けたも同然だ。なんにもしていないのに死刑か。いや、なにもしてなかったからこそ、死刑なのか。命の宣告を受けた患者は、このようなどうでもいい感覚になるのだろうか。ヤスシは他人事のように冷静だった。


 次の火曜日、シンイチはまたも深夜一時にぱっちりと目覚め、ネムカケを連れ、闇を抜けて公園へ向かった。

 が、公園には黒いジャージのヤスシが一人、立ち稽古をしているだけだった。

「アレ? 一人?」とシンイチはがっかりした。

「あ、今、『下手な方しかいねえのか』って思ったろ」

「えっ、何でばれたの?」

「顔に出過ぎだよ」

「スイマセン」

「実際、下手な方だからなんも言えねえわ。『上手い方の人』は、今日はバラエティの収録だな。長引いてるらしいから、今日は来れないかもね」

「なーんだ」

「ハチカンさんに会いたかった?」

「オレ、ハチカンさんって知らなくてさ!」

「? キミはスタア目当てじゃないの?」

「こないだ映画見て、ようやくあのじいさんとハチカンが一致してさ! オレはただあのじいさんが、感じ良かったから、また会いたいと思っただけ!」

「そうなのか。……流石観客を大事にするお人柄だわ」

「ね、あの台詞、もっかいやってよ!」

「なんで?」

「オレ、あの台詞が何でダメだったか、分んなかったもん」

「そうか。……実は俺もだ」

「そうなの?」

「何がダメなのか……。『ヨーロッパの山々は、全て禿山になってしまった』……。俺の方が先に禿になっちゃうよ」

 シンイチは笑った。

 そこへタクシーがやって来た。白いジャージを着たハチカンを、津山社長が送ってきたのだ。

「ハチカンさん、気持ちは分りますけどね、明日朝五時からドラマ撮影ですよ! 分ってます?」

「今日の仕事は終わったろ? 明日の五時まではオフだろう? どう使おうが俺の勝手だろ! じゃ明日朝五時な!」

 タクシーに津山を押し込め、ハチカンは手足をぐるぐる回して体をほぐしながらやって来た。

「全く人使いが荒くて困るわ! おっ、こないだの小さなお客さま!」

 とハチカンは敬礼しておどけてみせた。

「今の人、マネージャーさん?」とシンイチは尋ねた。

「ウチの事務所の新社長の津山だ。全く嫌な奴だ」

「……嫌な奴なのは、その人のせいじゃないかも」

「?」

「妖怪『心の闇』に取り憑かれてた」

「はい?」

「妖怪……『目先』に」

「目先?」とハチカンは驚いた。

「うん。目先のことしか考えられなくなる」

「……思い当たる節は、ありまくりだな」


    3


 妖怪「目先」は、水色の出目金のような姿で、唇は分厚い紫色だ。出目金みたいな半魚人顔で、目が飛び出ている。シンイチはその姿を説明してみせた。

「はっはっはっ。『目が先』みたいな形をしている、というわけだな?」

 説明を聞いてハチカンは笑った。

「どうも変だと思っていたんだ。むしろ妖怪のせいと言われた方が納得が行くわ。このヤスシほか、ヤング部がリストラされる。それは、植物の根を切ってしまうようなものだよ」

 ヤスシとハチカンは、事務所がおかしくなってしまったことを説明した。大御所や稼ぎ頭のスタア達は使い倒されて、日々疲弊していることも。

「津山の野郎、わしらを使い潰すつもりかと、実は不安でな」

「どういうこと?」

「俳優というのはな、生き方そのものが役ににじみ出る。人生が役に出る。役をやってる時間ではなく、役をやってない時の人生の方が大事なのだ。そのプライベートすら無くしてひたすら働かされては、いつか磨り減ってちびた消しゴムになっちまう。役をやってない時間は、栄養なんだ。栄養がなくなると、木は枯れる。枯れちまう前に、若手に育って貰って、徐々に若手に仕事を渡していかんと、わしらが死んだらそれで事務所はおしまいになる。なのに、若手を全員クビにするとは信じられん」

「……ほんとに、目先しか見てないんだね」

「そうだ。吉沢はまだまだだが、そのうち上手くなる。わしだって売れたのは三十二じゃぞ。役者ってのは、売れない期間の方が長い。それは、その間に人生を貯めとるんじゃな」

「スイマセン、自分が不甲斐ないばかりに」とヤスシは謝った。

「まだ現場に出して不安な奴を無理矢理出しても、全員にとって不幸だというのに」

「あ、それ流行りのゴリ押しって奴だね! 『ショッキング・ピンク・クローバー』とか! テレビでよく見るけど下手だもんね!」

「まったく、こんな子供にも台所事情が見透かされておるわ」

 ハチカンは柔軟を終え、稽古をはじめようとした。

「ということで、これから若手を鍛える時間を少し貰えるかな?」

「その社長の所に行ってみてもいい?」

「うむ。明日の撮影を見に来る。妖怪ぶりを見てくれ」

 二人は稽古をはじめた。

「ヨーロッパの山々は、全て禿山になってしまった……」

 やっぱり何が良くないかヤスシは分らず、シンイチも退屈して帰ることにして、明日の朝撮影現場に再集合することにした。


 朝五時。超ねむい目をこすりながら、シンイチは撮影現場に天狗のかくれみので忍びこんだ。

 マネージャーの代わりに、津山がハチカンについてきている。妖怪「目先」は、昨日と変わらず津山の左肩に蠢いていた。

「ドラマの撮影ってこんなに早いの?」

「シンイチは寝とる時間じゃものなあ。ワシも眠い」とネムカケはかくれみのの中で眠そうだ。

 しかし撮影の合間合間に、テレビ、雑誌、ウェブページ、ファッション誌のインタビュー、メイキング用のコメント撮りなどが入り、ハチカンは一息つくことすら許されないようだ。

 天狗のかくれみのの中から、シンイチは声をかけた。

「ハチカンさん、全然休む暇ないじゃん!」

「わしはひとつの仕事に集中したいのだが、それは『昔のやり方だ』と、空いてる時間にバンバン仕事を入れられるんじゃ。それじゃ、やっぱりひとつひとつのクオリティは下がると思うんだよ。わし一人が出来たとしても、若い奴はひとつひとつに向き合うことを学べない」

 津山の左肩の「目先」は、飛び出た目だけをぴくぴくさせている。

「でもさ、本当に目の前のことしか見えてないんならさ、この先行き止まりかどうかも見えないってことだよね? タイタニック号ってそうやって氷山にぶつかったんでしょ?」

「シンイチは中々詳しいな。そういう奴には眼鏡を渡すか、ぶつかるまで放っておくしかないな」

「眼鏡は渡した?」

「『古い』の一言さ」

「じゃ氷山にぶつかるのを待つの?」

「……そうかも知れん」

「アレだね、妖怪『あとまわし』の時に似てるね」

 シンイチは妖怪「あとまわし」の時にやった、「放置」の話をした。

「そりゃ痛快だな。放置もひとつの手かもな」

 ぶつかる氷山は、思ったより早くに来た。津山の携帯に第一報が入った。

「星野勘吉が、撮影中に落馬事故?」

 現場に緊張が走った。


    4


 星野勘吉の落馬は、幸い大腿骨骨折の重傷で済み、半身不髄や死亡などの最悪は免れた。原因は明らかだ。星野は「フォレスト・スタアズ」の稼ぎ頭の一人として、連日朝のワイドショーから昼のドラマ撮影、雑誌撮影から深夜のラジオまで、ハチカン以上の働かされっぷりだったからだ。

 津山社長はすぐさま代役を、後輩の谷原に打診した。しかし谷原もドラマの主演中で、穴をあける訳にはいかない。そこで若手のホープ、モデル出身のdennyデニーを代役に立てることにした。

「いくら何でも勘吉っつぁんの代役に、年齢が半分以下のdennyじゃ無理があるだろ。それに奴の演技は全然足りない。元々ポージングだけのイケメンモデルだろう」

「足りなかろうが何だろうが、ウチの事務所としてはこれが精一杯だろ!」

「勘吉っつぁんの怪我が治るまで待てないのかい」

「撮り貯めが殆どなくて、今週撮影分も来週にオンエアらしいんだ」

「……どこも目先ばかりか」

 dennyがレギュラーで持っていた雑誌の表紙は、更に後輩のモデルがやることになる。穴埋めの穴埋めだ。ここが「フォレスト・スタアズ」にとって、分岐点になったことを誰も把握していない。目先ばかりの対応に追われたからである。

 ハチカンは週明けのオンエア日に若手全員を事務所に集め、津山社長にも来るように言った。「妖怪担当」として、天狗のかくれみのを被ったシンイチにも。



 津山社長、ヤング部、マネージャー達を前に、ハチカンは話をはじめた。

「ヤング部の諸君。このハチカンから話がある。津山社長も聞いてくれ。皆も知っての通り、勘吉っつぁんの落馬は過労のせいだ。マネージャーをスリム化したせいで、ダブルブッキングの事故も起こりかけた。谷原も古川ももう限界だ。次は誰がいる? 俺は、dennyが勘吉っつぁんの穴埋めになるとは思っていない」

「……若手は全員、dennyさんが代役をした第一三八話のビデオを、オンエア前に見せてもらいました」

「どうかね?」

「……先輩の事ですが、正直言っていいですか」

「芝居に先輩も後輩もない。あるのは、面白いか面白くないかだ」

「面白くなかったです」

「他の皆は?」

「若手全員の同意です」

「お前達は正しい目を持っていて、大変よろしい。さて社長。あと五分でそのオンエアが終わる。リアルタイムの評判を見てみるか?」

 事務所のパソコンは既に開かれていて、掲示板の実況やリアルタイムツイートが流れていた。あらためて調べるまでもなかった。「棒」「ゴリ押し」「denny永久追放」「国民的ドラマ台無し」「TV終わった」「学芸会以下」「スポンサー不買運動開始」などの怒りの声が、ばんばん飛び交っている。今頃テレビ局に苦情の電話が殺到していることも、容易に想像できた。

「社長、あんたのやり方は禿山商法だ。長い時間かけて育った木を切ったら切っただけ、放ったらかしで次の木の茂る所へいく。あとには砂漠しか残らん。dennyはまだ若木だった。たった今、この木は折られた。あんたの責任だ」

「じゃあこれからどうすればいいんだ。明日の飯が食えるかどうか分らん状態で、来年の飯のことなんか考えられるか?」

 イライラしたシンイチは、天狗の面を被ってかくれみのを脱いだ。

「だからそれが、目先にとらわれてることなんだって!」

 全員が小天狗の出現にびっくりした。シンイチは怒って続けた。

「将棋と一緒だよ! 銀取れるからって角渡しちゃうようなもんだよ! サッカーで一人抜いたからって結局カウンター食らうようなもんだよ!」

「???」

 シンイチのたとえはいまいちピンと来ないようだ。

「この事務所は、タイタニックだ! この船は、沈むんだ!」

 ハチカンは笑って言った。

「ははは。言いにくいことをズバリ言うねキミは。たった今、タイタニックが氷山にぶつかったのさ」

 ハチカンは若手全員を見回して言った。

「この子の言う通りだ。この船は沈む。この船から下りろ。今なら間に合う。水は冷たいが、飛び込め。自力で泳いで岸を見つけろ。何人かは死ぬだろうが、全員死亡はまぬがれる」

 津山は顔を真っ赤にして反論した。

「何を言ってるんだ! この四半期は収入が倍になる見込みだったのに!」

「じゃ次の四半期は? その次の四半期は? その次の四半期は? 四半期ごとに何年やる? 俺は売れるまで十年以上かかった。四十個以上の四半期を、あんたはどう考えてんだ? 勘吉っつぁんが怪我から復帰したら、四半期は戻るか? dennyは二度と芝居をするチャンスを失った。雑誌の表紙をまた飾れるか?」

「……」

「みんなも、こうやって潰されるぞ」

 シンイチは天狗の面のまま言った。

「社長は、妖怪に取り憑かれてる。妖怪『目先』って言うんだ。ちなみに辞めさせられた吉沢ヤスシさんから聞いてる? 次の四半期で順に若手を辞めさせていくって!」

 若手は全員血の気が引いた。

 ハチカンは念を押した。

「津山さん。あんたの経歴を調べさせてもらったよ。前の会社も、その前の会社も、短期間で売り上げを上げてきたそうだな。しかし成績を良くして高額報酬を貰ったら別の誰かに譲って、別の会社で同じことをする人生のようだ。つまりコストカッターだな。単純だよな。木の上だけ残して根っこを全部切れば、一瞬軽くなるもんな。あとは枯れる前に逃げちまえば二度と水を吸わないってバレないもんな」

「私は、事務所の為を思って」

「……ちなみに、前の会社も、その前の会社も、あんたのあとに倒産してるぜ」

「……それは知らなかった」

「ふふふ。本当かなあ」

 ハチカンは津山の瞳の奥をのぞいて、真意を確かめようとした。

「あんたはどうせ、砂漠になる前に逃走するだけさ。俺たちはここ・・で死ぬ覚悟をしてる奴らばかりだ。その違いかね」

 ハチカンは、若手たちを見回した。

「今なら、クビじゃなく、独立だぜ? ハイ、独立したい人!」

 ハチカンが、まず率先して手を上げた。

 若手も、決意して全員手を上げた。

「……」

 津山はパソコンを見た。悪評は時間を追う度に増えていく。悪評がリツイートされ、それに悪評が返され、それがコピーされ、それに悪評が……。連鎖反応だ。大炎上だ。

「ちなみに、勘吉も谷原も古川も手を上げたよ」

 津山はうなだれた。

「じゃあ……お先真っ暗じゃないか」

「なんだよ! 今頃気づいたのかよ!」とシンイチは突っ込みを入れた。

「この事務所は、倒産だ。その前に事実上全員独立だな」

 ハチカンが宣言した。

「そんな……」

「見えていなかったのか?」

「…………」

 津山の肩から、妖怪「目先」がずるりと落ちた。

「不動金縛り!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。火の剣で、ぶくぶくに太った半魚人「目先」を両断する。

「一刀両断、ドントハレ!」


    5


「ハチカン、ガンで急死」のニュースをシンイチが知り、驚いたのはそれから数週間後だった。

 ニュースによれば既に末期で、もう長くないことを本人も知っていたが、公表していなかったと言う。

「……だから船から下りろって、頑張ってたのか」

「最初ワシがハチカンだと分らなかったのも、痩せ過ぎてたからかのう」とネムカケは付け加えた。

 新聞には、その大ニュースの隣に、ひっそりと「所属事務所『フォレスト・スタアズ』閉める方向へ」の記事も載っていた。


 一万人が集まった国民葬に、シンイチも参列した。dennyもいた。吉沢ヤスシもいて、シンイチと目が合った。

 車椅子の星野勘吉もかけつけ、谷原も古川も、船を下りた若手達も全員参列していた。

 マスコミの前で、星野勘吉は、「ハチカンが、『二人で組んで新しい事務所を作ろう』と言っていた」ことを明らかにした。喪が明けると、かつてのメンバーが、ヤスシも含めて全員再集合した。リハビリが終わるまで、しばらく勘吉がマネージャー長を務めることになった。ハチカンは、新事務所の名を「アルベレッロ」(イタリア語で「苗木」の意味)と考案していた。その名に、誰も反対しなかった。



 シンイチはまた眠れなくて、夜中に目が覚めて、ネムカケと共に深夜の散歩に出た。

 あの公園では、黒いジャージのヤスシが一人稽古を続けていた。

「やあ。久しぶり。俺ドラマのオーディション、受けられることになったんだ」

「へえ! 頑張ってね!」

「おう」

 ヤスシは相変わらずあの台本の練習をしていた。一人二役だ。ハチカンが演じた従者役を、ヤスシはコピーするように演じた。ハチカンがまるで闇からその場に現れたようだった。

「……この公園をハチカンさんが選んだ理由、教えてやろうか」

「うん」

「真っ暗だったから」

「え?」

「一番暗い所からだと、一番先の灯りまで見えるだろ、って言ってた」

 ヤスシはまた台詞を言い出した。

「ヨーロッパの山々は、全て禿山になってしまった」

「……何でこの台詞、ダメだったのかなあ」とシンイチは聞いた。

「それ聞いたんだ俺」

「なんでって?」

「ヨーロッパはさ、木を植えずにあらゆる山を刈って、ほったらかしにして移動して、結果禿山にしちゃったんだって。でも日本は、木を伐ったらその分植えた。だから山は今でも緑なんだって」

「……へえ」

「百年先を見てたんだ日本は。この台詞は、百年先を見て言えって」

「百年先!」

「ヨーロッパの山々は、全て禿山になってしまった。…………まだまだだな、俺」

 ヤスシはまた最初からやりはじめた。

「ね、オレまた見に来てもいい?」

「勿論」

 一向に芝居の先を見ることは出来なかったが、シンイチはこの台詞をとても気に入った。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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