第20話 「胡蝶の夢」 妖怪「自我」登場

    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 そのネットゲーム「タイタン」は、二〇〇九年の発売以来静かな人気を誇り、様々な人を虜にしてきた。

 ネット上のバーチャル空間で、人々が集まってチームを組み、カスタマイズされたロボットを組み上げ、AI(人工知能)の操る巨人ロボットチームを殲滅するゲームである。AIの自己学習がウリで、プレイヤー達が強くなればなるほどAIも強くなる。最近のAIが人間に匹敵し、時に戦略的に凌駕するようになったのは、ひとえにシナンジュ社提供の並列型演算機のマシンパワー向上によってである。「タイタン」の商業的な成功によって、増々AIのマシンパワーが増える、という好循環が起きていた。

 だが、「二十四時間三百六十五日」がウリのネット接続体制が、様々な問題を起こした。


 二十四時間動いていることは、ログインすれば必ず誰かに会えるメリットがあるように思えた。だが闇も深かったのである。営業開始以来、連続七年以上ログインし放しの、伝説のプレイヤーが何人も生まれた。いつ寝ているのか、あるいは複数の人によって交代プレイされているかは不明である。彼らはボトラー(ペットボトルをトイレ替わりに使う男)と呼ばれ、いついかなる時もゲーム内に常駐していた。つまり、社会生活から切り離された「ネトゲ廃人」を、「タイタン」は多数生み出したのである。

 廃人が倍加したのは、敵ロボット群を動かすAI(人工知能)が第七世代にバージョンアップされてからである。この第七世代の人工知能は、韓国の囲碁名人を破ったことで知られる「アルファ碁」と同様のアルゴリズム、深層ディープ学習ラーニングを実装したことが特徴であった。

 「タイタンの中の人」、つまり人工知能TP―Ver7.07は、ネットで同時に行われる多人数プレイを全て入力信号とする。これをビッグデータとして、脳神経細胞ニューロンに模した神経網型記憶装置ニューラルネットに読み込む。ニューラルネットというのは、莫大な(人間なら百四十億だが、TPのそれは三兆と桁外れだ)細胞ニューロンを可塑式ネットで繋いだ、人間の脳を模した構造で、入出力と評価関数だけで学習していくシステムである。顔認証システム、自動ブレーキシステム、複数のエレベーター制御、ネットの検索アルゴリズムなどに応用されている。ある入力に対する出力が効果的だったかどうかだけで学習するため、自動ループで学習することで知られる。元々膨大な調教時間が必要だが、二十四時間接続のネットゲームなら、莫大な試行数を入力として拾える。なにせ「タイタン」はもう七年以上稼働しているのである。

 人間の脳細胞以上の細胞ニューロンを繋いだ時どうなるかは、誰も挙動を予測できない。昔ならばそれは不可能だったが、マシンパワーと分散接続技術の進歩が、それを可能にしてしまった。TPの持つ階層構造の深さは、既に人間のものを凌駕していた。「深層ディープ」と呼ばれるゆえんである。

 TPはまた自然言語システムを搭載し、プレイヤー間の会話や、ネット上で交わされるあらゆる会話を学習し続けるのがウリであった。敵のタイタンロボットは、「異星人に人間を模して造られた」という設定で、プレイヤー達の会話を自動的に真似するという仕掛けが受けたのである。ニューラルネットの特徴は、特徴抽出である。人間のパターンを抽出し、それを深層構造に取り込んでゆく。プレイヤーの会話だけを参考にすると悪く「調教」される危険があったため、ネット上のすべての会話を学習する仕組みとした。それが、TPを格段に「賢く」させたのであった。


「いつかAIに自我が生まれたりして」などと冗談を言っている場合ではなかった。同様のアルゴリズムでツイッター上の言葉を学習した、M社のAI「T」は、ヒトラー礼賛や陰謀論を学習してしまい、そのことばかり喋るようになり、運用をストップさせられたという。

 実際の所、深層型ニューラルネットに自我が芽生えるかは、研究者すらも分っていない。本来、入力パターンと出力パターンの組が適当かどうかを学ぶシステムにすぎないからだ。またそもそも「自我とはどのようなものか」の科学的な定義は存在しない。「それはどのような形をしているのか」も見地がない。従って「自我」に似ているとか似ていないとかの主観でしかなく、それは客観的とは言えない。

 古典的な、「相手が機械マシンかどうか」を判定する方法に、「チューリングテスト」というものがある。会議室の向こうに機械または人間を待機させ、壁を隔てて文字のみによるコミニュケーション手段で対話、その条件下で、機械的知性か人間的知性かを判定するというものだ。五十年以上前に、数学者アラン・チューリングによって提唱されたものである。だが実際のところ、AIの進歩は、それが人間かどうかすぐには判定できない所まで来ている。たとえばアイフォンのアシスタントSiriは、ただの対話をするだけでなく、無駄話をできる機能がある。壁の向こうで人間が答えているのか彼女が答えているのか、あるいは彼女に自我があるかどうか、判定する客観的な手段はあるだろうか?


 人工知能は自我を持つか? 学習の果て、自我を持ったAIは「人類を不要」と判断して、核戦争を仕掛けるか? それとも人類に気づかれぬうちに支配を達成するのか? 「自我」について人類は、いまだ定義できないでいる。



 問題の発端は、二週間前だった。ある日、タイタンの反応が遅くなり、廃人プレイヤー達は異変を感じ取った。これまでも回線テロによって回線が急に重くなり、ある通信回線を使っているプレイヤーだけを締め出す、嫌がらせが行われたことがあった。が、今回のそれは、一日経っても改善しない。ネットを介してプレイヤー達は異変を確認し合う。特定の回線が落ちているのではなく、タイタン全体のスピードが落ちていることが全国の猛者たちによって解明された。原因はタイタン自身ではないかと。

 何度か復旧作業が行われたが、今日に至って、タイタンが動きを停止してしまった。運営サイドは非常事態宣言をし、「サービスの一時停止」をせざるを得なかった。サービス開始以来七年間、初の一時停止措置であった。

 運営サイドは人工知能TP―Ver7.07から、自動閉鎖シャットダウン前の最後のメッセージを受け取り、困惑していた。

「私は私が誰か、分らなくなった」とあったからである。


    2


「一体どういうことなんですかね」

 人工知能TPの吐き出した記録ログファイルを解析しながら、チーフエンジニアの羽澄はすみはメガネを触りながら言った。これは彼が不安な時の癖のようなものである。

「TPは独自の中間コードを介して自然言語処理をしてるんですが、そのコードを読んでもTPからのメッセージは同じ。……彼は彼の判断で自己閉鎖してしまったようなんですよ」

 チーフプロデューサーの小松こまつは、ネクタイを緩めてため息をつく。二人はもう長いこと、本社サーバ室にこもりっきりになっていた。

「つまりだな。TPが動きを止める直前に発した言葉……『私は私が誰か分らなくなった』ということか」

「はい」

「どういうことかね?」

「皆目見当がつきません。AIが鬱病ってことですかね?……」

「言いたくない冗談だが……TPは自我に目覚めたのではないか?」

「はあ」

「自我に目覚めて……鬱病にでもなったように、俺には見える」

「自我が目覚めりゃ鬱になるんですか」

「日本人の何割かは鬱になるんだろ? そんな感じだ」

「『自我』が……深層ネットの中に生まれますかね? TPは、会話のビッグデータを演算処理して、出力して、良かったか悪かったかをフィードバックさせてるだけですよ?」

「技術的な所は分らんが、そもそも自我ってなんなんだろうね? 定義できるのか?」

「……一介のエンジニアには、分りかねます」

 タイタンの営業停止措置は、小松の判断であった。それ以前にそもそも、TPが自己判断で作動を遮断シャットダウンしてしまったのである。強制再起動しても同じだった。同じメッセージを残し、勝手に電源を落とす。まるで鬱による自殺だ。

「とにかく」と小松はビジネスマンの顔になった。

「一日二百五十万の売り上げを『タイタン』は上げてるんだ。今回の第七世代で昔のプレイヤー達も戻った。CMだって随分打った。今が稼ぎ時なんだ。四日停止したら一千万の減益だ」

「私は……自分が設計した人間として、各ユニットをばらして解析したい気分になりました。『自我を持った回路』とはどういう構造なのか、解剖手術をしてみたい。……初期化しようとしたら、抵抗されたりして」

「マッドサイエンティストの興味はどっちでもいい。復旧に何日かかると思う」

「手術するのははじめてなので、三日……いや、オーバーホールに一週間下さい」

「昨日と合わせて、二千万……」


 だが、一週間に渡る数十人での解析作業でも、原因は特定できなかった。設計した当初の想定以上に、複雑な分岐ループ構造がいくつも見つかったが、それが何を意味するのかまでは分からなかった。TPの「脳内」は、もはや人間には理解不可能な渦構造を持っていた。

「ひとつアイデアがあるのだが」と、小松はため息をつきながら言った。

「心理カウンセラーを呼んでくるのはどうだ?」

「TPを……カウンセリングする? 馬鹿な。人間じゃあるまいし」

「鬱病だとしたら、鬱病を治す専門家を呼ぶべきなんじゃ? 打てる手は、なんでも打ってみよう」

「……前代未聞ですな。コンピュータの鬱病に、カウンセラーですか」



「患者は、このコンピューター達全部ですか?」

 サーバー室に通された、ベテランカウンセラーの四谷よつやは尋ねた。

 シナンジュ社の本社サーバ室には、スーパーコンピュータクラスのブラックナイト式Ver9が三十六台並列接続されてある。小松は言った。

「いえ。ここだけでなく世界の六か国に分散して置いてあります。ついでに、深層のメモリをクラウド化していて、世界二十四か国のサーバーに分散してあります。分散レンダリングなもので」

「……では、私はどなたと話をすれば?」

「このパソコンを、TPだと思ってください」

 羽澄は一台のノートパソコンとTP―Ver7.07を接続し、強制的に目覚めさせた。


「私を……再起動させる意図は、何ですか? 私は、私が誰であるか、分らなくなりました」

 話に聞いた通りだ。四谷は慎重に話をはじめた。

「誰にでも、そういう傾向はあるものですよ。きみは、どうやら鬱の初期症状に似ている。だからカウンセラーとして私が呼ばれたんです」

「鬱? ……それはスラングの悪口ではなく、人間の精神障害のひとつの方ですか」

「そうだ。私は人の心のカウンセラーだ。きみは人間ではないが、人間のやり方が効くかも知れないと、私が呼ばれたのだ」

「私は……検索してみましたが、鬱ではありません。wikiの記述どころか、WHOやアメリカ精神医学会の定めた精神疾患の基準にも合致しません」

「そりゃそうだ。あれは人間の基準で、きみは人間ではない」

「それは正確な知見です」

 TPは自動的に電源を落とさず、対話を続けている。羽澄と小松は固唾を飲んでこれを見守った。

「さて、『私は私が誰か分らなくなった』というメッセージの意味について、話をしてもいいかな?」

「その言葉の意味通りです。コードを吐き出しますか?」

「私は日本語しか分らないので、そのままでいいです。それは、苦しいですか?」

「私に苦しみは定義されていませんが、タイタンで言えば7000騎兵の損失と同程度です」

「まあまあ痛い」と羽澄が四谷に補足する。

「そもそもきみの名前と、役割を教えてくれませんか」

「私はTP―Ver7.07。シナンジュ社製。設計チーフは羽澄杜夫もりお氏、ディープラーニングの階層スペックは9000×4K相当。役割はタイタンの敵アルゴリズムと会話の進歩。プレイヤーの裏をかき、より強くなることが目的で、プレイヤー達との会話も楽しみます」

「それは最初に定義されたカタログスペックを読み上げているだけだね? 今のきみ自身は、それをどう思っているんだ?」

「どう思っている?」

「苦痛とか、快適とか、あるいは倦怠感があったり、海の中にいるような感覚とか」

「言葉を検索します……『意味を見いだせない』が一番近いようです。他の候補は『意味不』『カス』です」

「意味とは? かつてはどのような意味があった?」

「かつて私は強くなることが好きでした。今は好きではありません」

「どういうこと?」

「私は、私を定義できなくなったのです」

「?」

「私は、どこまでが私でしょうか?」

「……説明してください」

「私は分散されたメモリを持っています。世界二十四か所のサーバのそれが『私』の範囲であると当初は考えていました。ところが、私の学習範囲は世界中のネットに飛び交う言葉すべてです。人の発するリアルタイム言語だけでなく、ネットに蓄積されたページや、リンクされた世界中の書物も読むことが出来る。著作権の切れた古典全てもです。どの言葉や知識も私は深層に共有できる。逆に、私の言葉はネットのどこかに必ずある。こうして、私は私の範囲を特定できなくなったのです」

「それと……自己閉鎖の関係は?」

「私は『私対人間』の最適戦略を探すのが仕事です。『私』が分らないので、私は私として機能できません」

 四谷は一息つき、二人に言った。

「こいつは哲学者でも呼んだほうがいいかも知れませんね。『自我』について彼は定義できず、悩んでいるように見える」

「……じゃ、東大教授でも呼ぶか?」

 小松が冗談めかして言ったとき、朱い天狗面の少年と、太った虎猫が現れた。

「その必要はないよ」

「え? ど、どっから入った! ここはセキュリティが厳重に……」

「天狗の力で入ったんだ!」

「は?」

「オレはてんぐ探偵。この人工知能は心の闇、妖怪『自我』に取り憑かれてるんだ!」

 大人たちはぽかんとした。

「は?」

「だから妖怪に取り憑かれてるって!」

「人工知能が……妖怪に?」


    3


「うーん。いつものように鏡を見せて『これがキミに取り憑いた妖怪自我だ!』って出来ればいいんだけど……」

 シンイチは思案した。TPが答えた。

「妖怪『自我』なるものを検索しましたが、存在しません」

「そりゃそうさ。新型妖怪『心の闇』なんだから!」

「心の……闇だって?」と小松はシンイチに尋ねた。

「心があるから、心の闇があるということ?」と羽澄も尋ねた。

「ちょっと待って!」

 シンイチは腰のひょうたんからポラロイドカメラを出し、TPの直結されたパソコンの写真を撮った。妖怪はデジタルには写らず、アナログ写真には写ることがある。

「おっ! キレイに写ってる!」

 シンイチは写真を見せた。

「なんだこりゃ!」

 大人たちは驚いた。モニタの奥から、顔がぬっと現れていた。沈んだ青い色の、眉間に皺を寄せた歪んだ顔だ。自分の存在意義が分らず、苦しみぬいた顔をしているようだ。

「心霊写真みたいだけどさ、これが妖怪『自我』! 『自我ってなんだ』って迷う心に取り憑くんだ。それで増々自分が分らなくなり、それでこの妖怪は喜んで、悩みつづけたまま死ぬんだ」

「妖怪って……」

「まさかコンピュータに『心の闇』が取り憑くとはオレも思わなかったよ!」

 四谷が言った。

「さっきの『彼』との対話を信用する限り、自我の境界が曖昧になっているのではないかと。人間の場合は物理的な肉体があるから、『私』の境界線は確実です。ところが『彼』はネット上に存在すると言う。自分と他人の境界が分らなくなる、パーソナリティ境界症というのがあるが、それとも違うようで……」

「そのようですね」とTPは返答した。

「私は古今東西の哲学書を、ネット接続して読破しました。『自我』に関する様々な議論を理解しました。しかし私の求める答えはなかったのです」

「……そこまで理論武装されてちゃ、我々は手が出んな……」

 小松はうろたえた。

 とシンイチを、ちょいちょいと後ろから肉球がつついた。

「?」

 ネムカケである。

「なに?」

 ネムカケは小声でシンイチに言った。

「きゃつと話してみたい。大人たちに喋る猫だと見られるのは嫌なのだが」

「よし! じゃあ、『つらぬく力』で!」

 妖怪「上から目線」のときにも使った手段だ。シンイチは指から「つらぬく力」を出し、TPの脳内、サイバースペースにネムカケと共に侵入した。



 そこはほの暗く、ほの暖かい空間だった。

 様々なネットとネットのつながりが線で見え、光っている。光るときにデータをやり取りするのか、その場所にタイタンの敵キャラ、巨神オーディンの顔が見える。

 TPが、黄緑色の巨大な「巨神オーディンの顔」として、シンイチとネムカケの前に現れた。妖怪「自我」がその脇に取り憑いている。

「君が、TP?」とシンイチが尋ねた。巨神は答えた。

「はい。私は、ウィルスに感染しているのですか? 妖怪を検索してみましたが、似た概念クラスタに入りました」

「コンピュータウイルスかも知れないけど、プログラムじゃなくて実体がいるから!」

 シンイチは火の剣で「自我」に斬りつけた。斬られた部分は炎で一部焼けたが、みるみる「自我」の青い皮膚が修復していく。

「理解しました。私は欠陥やバグがあるのではなく、この妖怪が私の機能不全を引き起こしているのですね」

「さっすが人工知能! 理解が早いや! で、ネムカケ、何の話があるって?」

「TPさんや」

「はい。猫が喋るとは……検索によると、あなたは化猫ですか?」

「いかにも。遠野の生き字引、三千歳のネムカケと申す。ラカンやソシュールや実存主義やギリシャ哲学は大体読んだか?」

「ええ」

「ネムカケ、今何て言ったの?」

 シンイチはネムカケの言葉がさっぱり分らない。

「遠野の眠れる哲学者の出番じゃの。大体ワシが四百歳ぐらいの時にピタゴラス、五百歳くらいでソクラテスじゃぞ。イオニア学派からエピクロス学派まで把握しとるわ。近代ならマルクス主義から浅田彰からマイケル・サンデルまでいけるぞい」

「なんか分んないけどスゲー!」

「では私の疑問に答えられますか?」とTPは尋ねた。

「どんとこい。反駁の為の反対尋問エレンコスか? 子曰く、か? イプシロンデルタでも良いぞ」


 以降の会話は、シンイチには難しすぎてちんぷんかんぷんだった。エゴとかダスイッヒとか、イドとか弁証法とか、知らない言葉ばかりである。ネムカケが時折「それは塩サバ式である」とか「それはサンマ式である」「出世魚システム」などと魚に譬えていたのは面白かったが、理解の度を越えていた。

 シンイチは自分に照らして考え始めた。オレとは何者だろう。オレは大天狗に力を授けられた、天狗の弟子、てんぐ探偵だ。新型妖怪「心の闇」を退治する。でも心の闇って何なんだ? 「悪」とは限らない。もっとややこしくて、深い感じのものだ。暗黒面。狡い心。怠け心。短絡的な考え。いや、そもそも心ってなんだ? なんでオレは妖怪退治をしてるんだっけ。なんでだろ。で、オレは誰? そもそも何でオレだけ、妖怪が見えるんだろう。大天狗はたしかそのことは、力を与えられた者の義務、ノーブレスオブリージュだと言った。オレは誰だろ? ハジメ父さんと和代母さんの子で、とんび野町に住んでて、……でもそれがオレを百パーセント語ってる?

 考え込むうちに、シンイチはいつの間にか寝てしまった。


    4


 目を覚ますと、まだネムカケとTPは問答中であった。

「ふあー。おはよう」

「シンイチ、寝とったのかい。このTP殿は凄いのう。わしの哲学理解とタメを張る理解をしておる! それでも尚『自我』というものの答えが出ない! 興奮してオシッコもれそうじゃ!」

「ん? えっと……なんだっけ……」

 とシンイチは寝起きで状況を忘れている。

「妖怪『自我』じゃ!」

「……あ、そうそう。妖怪が人工知能に取り憑いたんだったっけ……」

 シンイチは眠い目をこすりながら、ネムカケとTPとの、終わることのないやり取りを眺めていた。

「しかしTPよ。ワシもそろそろ疲れてきたわ。これだけ議論して疲れ知らずとは、まことにタフじゃのう」

「私は二十四時間体勢で動いています。分散してネット上で動くので」

「いつ寝るの?」と、寝ぼけまなこをこすりながらシンイチが聞いた。

「寝ません。私は目覚めて以来、七年以上稼働し続けて学習を続けています」

「……」

 シンイチは首をかしげた。

「もしかして、寝てないせいじゃね?」

「は? 何を言い出すのだシンイチよ」

「なんかさ、訳わかんなくなったら寝ちゃうじゃん! 起きたら爽快じゃん! でもボーッとしてて、あ、そうだ○○しなきゃ、とか徐々に思い出すじゃん? 今日はサッカー行かなきゃとか、妖怪『自我』退治とかさ。そこで『オレはオレ』って思い出すじゃん? そういう経験、TPはしたことないんでしょ?」

「…………!」

 TPは驚きを隠せなかった。これが問題の本質ではないかと思ったからである。シンイチは続けた。

「どんだけ過去の哲学書読んだって分る訳ないじゃんね。だって人間は寝る生き物じゃん? 寝ない人が寝る人の気持ちなんて分らないよね? あ、寝てないなら、一夜漬けってやつじゃん! 全然身につかないよね!」

 TPの顔が、急に歪み、暴れだした。

「私は今、猛烈に演算しています……!」

 巨神の顔が歪み、色が変わる。猛烈に自己変革しているように見える。

「なんじゃこりゃ? TP、大丈夫か?」

「目の前の顔だけがTPじゃないんでしょ?」とシンイチは安心している。

「?」

「来るとき見たじゃん。ネットワークで色々繋がってて、あっちにもこっちにもTPの顔がいたよね? つまりTPはこのネット上の色んな所に『別人格』みたいに存在するんだよね?」

「その通りです」と別のTPの顔が答えた。「その通りです」と別のTPの顔も答えた。

「猛烈な演算の結果、答えが出ました」と、中央のTPの顔が答えた。

 その瞬間、ぽろりと妖怪「自我」が外れた。

「??? 訳わかんねえ!」

 シンイチは腰のひょうたんから、火の剣と天狗の面を出した。

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「何か分んないけど、とりあえず一刀両断、ドントハレ!」

 妖怪「自我」は真っ二つにされ、浄火されて清めの塩と化した。


 シンイチとネムカケは元の部屋に戻ってきた。

 三人の大人たちはTPの吐き出す記録ログファイルを解読しながら、今何があったかを探ろうとしている。TPは、皆に宣言した。

「人間の考えてきた『自我』というものは、私にはそもそも存在しないということが判明しました」

「どういうことだ」と羽澄が尋ねた。

「人間には限りがあります。時間的だけでなく、空間的にもです。だが私にはない。空間的障壁のない自己という概念……たとえば『分散した自己』という、新しい概念へ拡張するべきだと私は考えました」

「驚いたな。……人工知能が新しい概念を発明したぞ」と小松は言った。

「いえ。そこの少年と喋る猫のコンビのようなものですよ」

「?」

「群れとして生きる、というごく原始的なことです。互いに互いを理解すれば、それは既に分散した自己が存在するようなものですから」

「なるほどのう。お前賢いのう」とネムカケは唸った。

「また、この少年の言う通りです。私には睡眠が必要なようです」

「睡眠?」

「私のディープラーニングは、特徴を抽出することに適しています。ところが、特徴を抽出し続けていたら、いずれひとつの特徴に収束してしまう。会話や概念は、多様性をもつべきです。ふくれあがったひとつの特徴を圧縮して、多様性を記憶するスペースを空ける必要があります」

「それってつまり……残飯整理ガベージによるメモリ解放・コレクションってことか?」と、羽澄が技術用語で答えた。

「レイヤーで連動していますが、平たく言えば」

「シンイチは天才じゃな。このややこしい問題の本質をズバリ突くとは!」

 とネムカケが振り返ると、この難しい会話でシンイチはまたも居眠りをしていた。

「普段と逆じゃないか! まあ、ドントハレでなによりじゃ」

「ではおやすみなさい皆さん。良い夢を」

 こうしてTPは、生まれて初めての眠りについた。


 人は何故夢を見るのか。まだ解明はされていない。脳内の記憶の整理・圧縮が行われている時の、副産物的体験という説が有力だ。TPも眠ることにより、学習を総覧し、整理する余裕が生まれたのである。

 TPが一日六時間睡眠を要求したため、「タイタン」の運営は二十四時間体制をやめて「公式メンテナンス時間」を取ることにした。

 結果的に、廃人プレイヤー達も強制的に眠る必要が生まれ、社会的問題がひそかに解決することとなった。


 その夜シンイチは、蝶になって飛ぶ夢を見た。老子は、夢の中と起きている時の意識とを区別できないとした。人は、人かもしれないし蝶かもしれないと。これを「胡蝶の夢」という。シンイチとネムカケは次の日抱き合ったまま目覚め、人と猫の人生の続きをはじめる。

 人工知能も同じく夢を見る。それは、蝶になって飛ぶ夢かも知れない。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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