第19話 「ホントの私は何処?」 妖怪「ペルソナ」登場
1
心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる
天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
「では、皆さんの志望動機をお聞かせください。えーっと、一七八番の皆川さんから」
就職活動の集団面接が好きな人なんて、どこにもいない。
誰もが示し合わせたように紺や黒のリクルートスーツに身を包み、茶髪や金髪だった者もカタログのような黒の髪型にし、にも関わらず全員が個性をアピールしなければならない。氷河期と形容されて随分と経つ「就活」は、何社も受けてようやく次の面接へこぎつけ、何十社も受けてようやく内定を貰う狭き門である。
どのような人物が採用されるのか。採用された経験のない学生達に分かる訳がない。だからマニュアルが流行する。集団面接での受け答え。失礼のないマナー。受けのよいアピールポイント。履歴書の書き方。作法、服装、外見。皆が皆、マニュアル化し画一化してゆく。「皆が同じようであること」の同調圧力が起きているのに、「その集団からいちはやく抜け出して選ばれることがゴール」という不思議なレースが、ニッポン国の就職活動だ。
殺風景なオフィスの会議室に、白い長机を横に置き、その向こう側に五名の人事担当のおじさんが座っている。さっきからしきりと自分たちが出した履歴書やアピール書をペラペラとめくり、一覧表のようなものにメモを書き入れている。まるでリクルートスーツ学生のオーディションか品評会だ。椅子に座らされた五名の学生は、マニュアル通りに「失礼します」と部屋に入り、マニュアル通りに「おかけください」と言われるまで立ち続け、言われれば「失礼します」と言って浅く腰をかけて背筋を伸ばし、男子は膝の上に軽く拳を握り、女子は膝を閉じスチュワーデスのように斜めに脚を見せる。目線は相手のネクタイあたりから、時々相手の目を見、自然な笑顔をつくる。毎度毎度こんな座り方をする何百人をこの人たちは見てて飽きないのだろうか、と志織は思うが、もちろんそんなことを表情に出してはならない。
一七八番の皆川くんがしゃべりはじめた。
「御社を志望した理由は、様々な領域の活動に興味を持ったからです。ビジネスのクロスオーバーやコラボレーションが言われて、複数の領域が活性化していると思います。わたくしは明治大学在学中、テニスサークルで副部長をやっておりました。年四回あるサークル旅行の幹事を積極的に引き受け、それで培った人々のクロスオーバーを仕掛けることが得意だと思っています」
「では、次の一七九番の……井出君」
「はい。……立っていいですか?」
「? どうぞ」
「ちょっと、ボードをつくって来ました」
やられた。初手から第一印象を良くする作戦だ。パワーポイントでつくった、とITが得意とでもしめるつもりなのだろう。マニュアルどおりだが、有効な技だ。そのあとに普通の自己PRでは何も印象に残らない。志織の番が来た。
「次。一八〇番の清水さん」
「はい。私が御社を志望した理由は……」
しまった。普通にはじめてしまった。思わず口ごもってしまい、嫌な間をつくってしまった。
「? 続けて」
「……ビジネスのコラボレーションがいいと思ったからです」
ああ。前の人と被ってしまった。でもいいか。どうせみんな同じことを言うのだし。
一次面接が終わり、リクルート姿の学生集団たちは、一階ホールから出てきた。既に面接の終わった者、これから面接に向かう者たちが、ホールに大量に溜まっている。
「あなたは誰ですか?」と、就活では延々と聞かれ続ける。それで体よく答えて好かれなければならない。そんなもの、分かる訳がない。自分探しの答えを見つけた奴なんてどこにもいない。私は誰? 私は誰? と自問自答を続ける、生涯はじめて訪れた、それは修行僧のような期間だ。
志織は、今日の面接も失敗だったとため息をついた。妖怪「心の闇」は、その濁った息が大好物だ。志織に寄って来たのは、妖怪「ペルソナ」。顔がなく、丸いトゲのついた白い仮面の形をしている。その白仮面が彼女の顔面にぴたりと張り付き、彼女の顔と同化した。彼女は白い変な仮面を被る、リクルートスーツの女になった。
彼女の周囲には、何十人もの似たような学生たちが行進している。駅へ向かい、帰るか次の面接に行くのだろう。そしてその学生たち全員に、妖怪「ペルソナ」が取り憑いていた。グレーや紺の似たような服の白仮面の集団が、ひと言もしゃべらぬまま歩き続けている。誰が誰か分からない。志織もだ。同質の人間たちが、同質の仮面で同質の行進を続ける。それは異様で、しかしどの就職活動の場にも見られる光景であった。
2
シンイチはススム達との放課後サッカーを終え、夕暮れの中を家路へと急いでいた。今日の晩ご飯は何だろう。カレーかハンバーグなら最高だ。昨日のロールキャベツはいまいちだったから、今日は和風かも知れない。焼き魚ならいいけど、煮魚はいまいちだな。そんなことを思いながら「ただいまー!」と扉を開けると、奇妙なものがシンイチを出迎えた。
「ニャー」
白い仮面を被ったネムカケだった。
「ネムカケ何やってんの?」
シンイチは靴を脱ぎながらネムカケに話しかける。
「ニャー」
「猫の真似はいいからさ。なんか棒読みのニャーだよねそれ」
「ニャー」
「……ギャグとして、あんまりそれ面白くないんだけど」
「ニャー」
「……」
白い仮面のネムカケは同じ答えしか言わない。ようやくシンイチは、事の異常さを察知した。
「それ……妖怪?」
「ニャー」
ネムカケはそもそも人の言葉を話す三千歳の化け猫だ。猫みたいにニャーと言う訳がない。にも関わらず、何故棒読みでニャーとしか鳴かないのか。
廊下にハンバーグの匂いが流れてきた。母の和代が焼きはじめたのだ。
「お母さん! 今日ネムカケに変な事があった?」
と、シンイチは事情を探ろうとした。
「アラオ帰リ。サッカーハ楽シカッタノ?」
振り返った和代の顔にも、白い仮面が取り憑いていた。
シンイチは言葉を失った。和代はシンイチの顔が見えていないのか、無表情な白い仮面のまましゃべる。
「今日ハアナタノ大好キナハンバーグヨ」
玄関のドアを開ける音がした。父のハジメが帰ってきたのだ。
「お父さん! 大変だ!」と玄関に走ったシンイチは、ハジメの顔を見て引きつった。ハジメにも白い仮面が取り憑いていたからだ。
「アラアナタオ帰リナサイ」と、白い仮面の和代が出迎えた。
「シンイチ。今日ハ学校ハドウダッタンダ? 宿題ハヤッテルカ?」と、白い仮面のハジメはシンイチの頭をなでた。
「今日ハシンイチの大好物ノハンバーグヨ」
「オイオイ、タマニハボクノ好物モ頼ムヨ」
「オ給料次第ネ」
「オイオイ愛シテルゾ」
「私モヨ」
「ニャー」
「カワイイ猫モイテ私達ハ幸セネ」
シンイチはこの仮面を被った白々しい演劇に寒気がし、思わず玄関を飛び出した。
何があったんだ。心の闇だ。心の闇が、父さんにも母さんにも、ネムカケにも取り憑いたんだ。
動揺していたので、前から来た女の人に気づかずぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい!」
「こっちこそ」
「僕が良く見てなかったんで……」
顔を上げたシンイチは悲鳴を上げそうになった。その人も白い仮面を被っていたからだ。集団面接からの帰り道の、清水志織であった。
ハジメ、和代、ネムカケの時を不動金縛りで止め、シンイチは妖怪「ペルソナ」を外す方法を、志織のケースで考えることにした。
公園まで歩き、彼女に「心の闇」の説明をした。足で肩に食い込んだり、体内に潜る奴らと違って、「仮面タイプ」ははじめてだ。「ねじる力」や「つらぬく力」で剥がそうとしたが、うまくいかない。
ベンチに座り、志織は化粧鏡にうつった自分の白い仮面、妖怪「ペルソナ」をまじまじと見つめた。
「……被った
「ウチでは、優しい母親、優しい父親、可愛い猫の『仮面』をそれぞれ被ってた。どうやってその仮面を被ったのか分からないけど、なんだか演技をずっと続けてるかんじで、めっちゃキモかった」
「演技……ね。そりゃそうよね。私たち就活生は、『清潔で、礼儀正しく、学業優秀で御社のビジネスマンに向いている、意欲的ではきはきした品行方正な学生』を、ずっと『演技』してるしね」
「どうしてお姉さんはそんな演技するの?」
「……ストレートに来るわね。就職しなきゃいけないからよ」
「どうして就職しなきゃいけないの?」
「……ストレートに来るわね。……なんでだろ。生活の為? 自己実現の為? みんながするから? ……わかんないや」
「分かんないのに、仮面を被って演じてるんだ」
「そうね。……アナタ、子供だからって痛い所ズバズバ来るわね」
「どうして『ペルソナ』に取り憑かれたのか分かれば、どうやって外すかが分かるかも、と思ってさ。お姉さんはどういう人? 要するにさ、自分を取り戻せばいいんじゃない?」
「それが分からないから、とりあえず無難な優等生の仮面を被るんじゃないかなあ……」
「そういえばお姉さん名前は?」
「えっと……」
と、志織は考え込んでしまった。
「……まさか、分からないの?」
「……私、誰だっけ?」
3
彼女の持ち物から、清水志織という名前や現住所が割り出された。シンイチは彼女の一人暮らしの部屋へ行き、「彼女が何者か」について調べることにした。
「
志織は鏡の前で、練習した自己紹介をくり返した。それだけが彼女が自動化して出来る唯一のことらしかった。シンイチは部屋を一通り見渡した。窓際に二つほど鉢植えがあり、韓流アイドルのポスターがあって、漫画は少女マンガの恋愛ものが多かった。
「これをちょっとずつ思い出していけばいいんじゃないかなあ」
「別に記憶喪失って訳じゃなくて、取り立てて言うほどのものじゃないってことだと思うのよ。フツーっちゃあフツーだしさ」
「じゃ、志織さんはどんな人?」
「今、自己紹介したでしょ?」
「うーん、うまくイメージできなくてさ」
「だから面接通らないんじゃない。まったく、言いにくいことをズバズバ言う子ね」
「あっ、これ!」
シンイチは中学の卒業アルバムを見つけた。それをめくると、女子サッカー部の写真が挟んであった。
「志織さん、サッカーやるんじゃん!」
「そうよ。女子サッカーサークルで養った、体力だけは自信があります、なのよ」
「ポジションどこ?」
「DF」
「1オン1やろうよ! そしたら自分が誰か、絶対思い出すよ!」
シンイチはサッカーボールを家から取ってきて、公園で志織と1オン1をはじめた。流石に志織のボール捌きは上手く、シンイチの短い足ではボールを中々奪えない。が、リクルートスーツのハンデで、彼女は思い通りの動きが窮屈に制限されている。
「どう? ボールに触って思い出した? 自分が誰なのか?」
「よく分かんない! そこまで私サッカーに情熱傾けなかったのかも知れない!」
息切れをはじめた志織は、それでも勝負を続けた。
空は蒼から群青色になり、すっかり夜になっていた。
二人とも汗だくになった。志織の白い仮面は少しの変化もない。
「駄目か……変わんないね」
「着替えてから来るんだった。汗かいちゃったわよ」
「そこに銭湯あるから入っていこうよ! 晩ご飯前だし、まだすいてるでしょ!」
公園前には、古くからの大きな銭湯がある。シンイチはこの煙突に一本高下駄で登って、金色の遠眼鏡「千里眼」で妖怪を探すこともしばしばだ。
「そうね。久しぶりに大きなお風呂も悪くないわね」
「タオルとか貸してくれるしね!」
4
古きよき昭和の銭湯は空間のつくりが贅沢で、それだけで志織は落ち着く。ナチュラルに磨かれた板間は裸足だと気持ちよく、木の脱衣棚に籐の籠が優しい気持ちにさせる。シンイチは男湯へ、志織は女湯へと左右に別れた。石鹸をひとつ買い、シンイチに先に使わせて中でパスしてもらうことにした。
客は殆どいなかった。脱衣場でリクルートスーツを脱ぎ、籐籠へ入れた。下着も脱いだ。ついでに仮面も脱ごうとしたが、脱げなかった。鏡にうつる仮面を見ながらやってみようとしたが、うまくいかなかった。鏡にうつる自分は、全裸に白い仮面をつけた変態のようでもあった。
「やっぱどさくさに紛れて仮面は脱げなかったよ」
志織は壁の向こうのシンイチに声をかけた。
「そっか。裸になればいけるかも、ってアイデアは甘かったなあ。でもとりあえず汗は流していこうよ!」
「了解」
大きな洗い場へ。日本人だからか、大きな湯船から立つ湯煙はなんだか落ち着く。わずか何人かで使うのは勿体無い。みんな時々来ればいいのに。大学四年間の為にこの町に住んだが、引っ越してきた頃ここに銭湯がある、と思った程度で、今まで足を向けなかったことを後悔していた。
「石鹸パス!」
と、壁の向こうの男湯からシンイチが石鹸を投げた。志織は受け取り、自分の体を洗った。白い仮面をつけたまま、全裸を泡立てて洗う様は、やはり変態に見えた。仮面の下のメイクは、石鹸で落ちた。メイクも一種の仮面だな、と志織は思った。銭湯のお湯は、独特の匂いがする。ボイラーの匂いなのか、湯気の匂いなのか、子供の頃を思い出して落ち着く匂いだ。
少し熱めの浴槽へ、志織は恐る恐る体を浸した。全身を熱が包み込み、体の芯まで入ってくる。志織はお湯の中で手を伸ばし、両足を伸ばした。伸びをして先が震えた。お風呂の中で四肢全部を伸ばすなんて、どれくらいぶりだろう。ワンルームマンションの湯船じゃ無理な話だ。全身の気血が彼女の体内を気持ちよく巡りはじめた。毛細血管のすべて。内臓のひとつひとつ。筋の一本一本。指の一本一本から髪の毛一本に至るまで。彼女は今、体のどこにも力が入っていなかった。
「ふぁああああああ」
志織は心の底からの息を吐いた。都会で吸った肺の中の悪い空気が、お湯に押されて全部出て行ったようだった。他のものが何もなくて、自分自身だけがここにいる。
「ビバ風呂!」
と、お湯を両手で掬い顔を洗った。
「あれ?」
目を開けて彼女は驚いた。目の前に、白い仮面、妖怪「ペルソナ」がぷかぷかと浮いていたからだ。彼女は思わず湯から立ち上がった。
「シンイチくん! 外れた!」
「何?」とシンイチは男湯から返した。
志織は思わず湯から飛び出した。
「ペルソナがよ! シンイチくん! 今私裸よ!」
そのまま両手で万歳しながら、思わず走り回った。
「今私裸よ! 今私裸よ! 今私裸よ!」
この人は何を言ってるのだろう、と湯船のばあさんたちが不思議な顔をした。
「そっちにパスするよ!」
志織はお湯に浮いた白い仮面をつかみ、石鹸をパスするように男湯に投げ入れた。
「不動金縛り!」
シンイチは投げ入れられたペルソナを見ると、周囲に不動金縛りをかけた。慌てて脱衣場に戻り、籐籠の中のひょうたんから、天狗の面と小鴉を出した。
シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。
年頃の少年であるシンイチは、左手でケロッピの洗面器で股間を隠しながら、右手で炎のあがる火の剣、小鴉を手にした。大きな湯船からあがる湯煙を切り裂いて、火の剣は妖怪ペルソナを一刀両断した。
「ドントハレ!」
カコーン、とペルソナが両断されて落ちる音が響き渡った。
シンイチは急いで家に戻り、父と母とネムカケを銭湯に連れてきた。普通の猫は風呂を嫌がるものだが、ネムカケは長年人間の文化に親しんでいる為温泉大好きである。ネムカケ専用にたらいを借り、シンイチ一家は銭湯でほっこりし、いとも簡単にペルソナは外れた。風呂ってすげえや。
今日も志織は、何十社目かの何次目かの面接を受けていた。
自分のペルソナを見たせいか、他人が被るペルソナもなんとなく彼女は見えるようになっていた。他の学生たちは例外なくペルソナの白い仮面に取り憑かれていて、今日もマニュアル通りの自己紹介を続けている。学生の中で志織だけが、白い仮面を被っていないすっぴんだ。
これほど落ち着いて面接を観察できたことも彼女にはなかった。一番驚いたことは、机の向こう側に座る面接官のおじさんたちもペルソナを被っていたことだ。仮面と仮面同士が演じ続ける、これは一種の茶番なのかなと思い、彼女は噴き出しそうになった。
志織の番になり、白い仮面のおじさんに話し始めた。
「嶺南大学の清水志織です。こないだ、面白いことがあったんです。私、銭湯で裸になったんですよ!」
「? 銭湯で裸になるのは当たり前でしょう」
「ちがいます! 私、心から裸になったんです! 本当の私がどこにいるか、あっついお湯の中で分かったんですよ!」
「ほう」と、隣の面接官が身を乗り出してきた。
「銭湯いいよね。続きを聞かせて。やっと、自分の言葉で喋れる人が来たようだ」
彼に取り憑いていた白い仮面が、そのひと言でぽろりと落ちた。
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
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