駄菓子屋の業態変更

私があどけない小学生だった頃、駄菓子屋の存在は既に揺らぎ始めていた。


というのは「コンビニのような小売店に駄菓子屋が押されていることを知っていた」ということを意味する。駄菓子屋はかつて子供たちが集まる場所で、当たり前の存在であったらしいが、私が鼻水を垂らして駆けていった駄菓子屋は「昭和の香り漂うアトラクション」的要素を孕んでいたと思う。


それでも私は駄菓子屋が好きだった。それでもというよりそれ故、である気もする。


木彫りの箪笥のような引出しに収められた蒲焼さん太郎、衛生という言葉が見たら卒倒しそうなプラスチックケースに直接おさめられたスルメ、婆ちゃんが後ろから取り出してくるひも付きの飴、どれを取っても興奮した。値段は全てキリよく10円単位だった。


婆ちゃんは接客マニュアルなど持たない。そして敬語など使わず話をしてくれた。


私は駄菓子屋に初めて行く前に、駄菓子屋というものの存在を「こち亀」で読んで知っていた。駄菓子屋には所狭しとお菓子が並び、民家と一体になったような婆ちゃんが鎮座している。虚構だと思っていた。或いは平成の波にのまれて消えたと思っていた。


その虚構と考えていた建物が本当に存在していることに興奮していたのかもしれない。


先日実家に帰った時にその駄菓子屋を見に行ったら既に閉店していた。だが寂しくはなかった。当然の運びだと思った。


私がその駄菓子屋で一番好きだったのはところてんであった。夏場、台所の金盥にこんにゃくのように沈められたところてんを取り、ところてん突きで押し出すとニュルニュルと行儀よく嫋やかに収まる。それに酢醤油を掛ける。酸っぱい60円の夏なのであった。それが食べられないのが唯一の心残りだった。


帰りがけにコンビニに寄って蒲焼さん太郎を買うことにした。12円だか13円だか。見ない内によそよそしくなったような気がした。


レジにはお婆ちゃんが制服に身を包んで立っていた。その店員さんは「いらっしゃい」「はい、12円ね」という話し方をした。マニュアルから大きく逸脱した接客なのであった。でも駄菓子屋はここに生きているんだと思った。


私の後ろにお菓子を持った小学生が並んでいる。10年ぶりに受け取った蒲焼さん太郎をかじりながら家路を辿った。彼らが食べるところてんは無いんだと思うと、やっと寂しさが押し寄せてきた。

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