冷静な人々 その2――レディースクリニックのE先生

 名前を呼ばれて再び診察へ入りました。夫も一緒……だったと思います。この辺の記憶、実はちょーっと曖昧だったりするんですね(苦笑) だるくて頭がぼんやりしていたというのもありますが、緊張感とかよくわらかない高揚感などもありまして。頭が働いていなかったのかもしれません……(汗)


 近隣の医療機関を通り越してわざわざこちらのクリニックを受診したのは、やっぱり先生の人柄というもありました。口コミなどでは「クールな女医さん」という評価が多いE先生ですが、私はずっと「温厚で冷静で知的な人」という印象を持っていました。


 私、いきなりフレンドリーでフランクな女医さんって苦手なところがありまして……。ショップ店員さんみたいな軽~い感じでこられると、ちょっと引いてしまうのです。


 十代や二十代の人は、そういうノリのほうが安心できたり話しやすかったりするのかもしれませんが、三十代を過ぎますとちょっと……。ほどよい距離感を持ちつつ普通に敬語でやりとりさせて欲しい。


 そういったところで、E先生は私にとってたいへん話しやすい先生でした。ただ、人によっては、その淡々とした感じがちょっとクールでよそよそしく感じられるのかもしれませんが。


「陽性ということで妊娠については間違いないかと思います」


先生からあらためて説明を受けつつ「さっきもう聞いちゃってたんですけどね……」と心の中で苦笑する私です。


「まずはエコーを使って今の状態を詳しく診察させてください」


先生は淡々と、でも穏やかに言いました。


 妊婦のエコー検査って、ベッドに横になった状態でお腹にゼリーを塗って、端末器を当てながらモニターを観察するというイメージがありませんか? でも、それは胎児がもっと成長してお腹が大きくなってきてからなんですね。


 妊娠初期の頃は、内診台にのっかって下から機械を挿し込むかたちで検査します。まあ、この辺の流れは何度も婦人科にかかっている自分は平気なもんです。


「卵巣に腫れもありませんし、子宮も特に問題なく正常な妊娠ですね」


モニターの画像を見ながら先生は丁寧に説明してくれます。その一つひとつを聞きながら、私はただただ「へー、はー、ほー」とモニターに映し出された白黒の画像を眺めていたのでした。え? 感動ですか? うーん、どうでしょう……(苦笑)


 その小さな小さな命の芽生えに感動した、というエピソードは妊婦のあるあるかと思いますが。私はそういう熱い感じではなかったですね(子よ、申し訳ない……)。なんていうのかなぁ、もっとこう不思議な気持ちで見ていた気がします。あ、今『飾りじゃないのよ涙は』の歌詞が頭をよぎったあなたは同世代ですね(ニヤリ)。


 まあまあ、それはともかくとしてですね……。えーと、たぶん感動したというより、感嘆したというニュアンスのほうが近かったのかもしれません。「私の可愛い赤ちゃん!」というより、「生物の発生ってすげー。とにかくなんかすげー。よくわかんないけどすげー」みたいな? こんな妊婦はおそらく少数派だろうなと思います……(汗)


 検査のあとすぐ、再び診察室で説明がありました。そうそう、内診室へ夫は一緒に入らなかったんですよ、確か。おそらく希望すれば同伴できたでしょうし、入れてあげればよかったのかもしれませんが。何しろ自分、気ぃ利かない人間なんで……。


 そのときはぜんぜん考えもしなかったんですよね(夫よ、すまぬ……)。旦那さん同伴で健診に来ている人、よく見かけたものでした。だいたいの病院でOKみたいですしね。


 先生からはあらためて、とくに問題はなさそうであることや、推定の週数についてなどの説明がありました。


「そういうことですので、ご妊娠の継続にはとくに問題はないかと思います」


先生は穏やかな口調で静かにそう言うと、先ほどのエコー検査の画像をプリントしたものをくれました。


「次は一週間後に受診していただいて、そのときまた様子を見させてください」


そうして診察は終了しました。


 診察の間、先生は決して「おめでとうございます」という台詞を言いませんでした。またまたドラマの話になりますが、ドラマの中だと、ドクターが「おめでとうございます。妊娠○週ですね」とにっこり笑って患者に告げるのが定番かなと思います。でも、E先生はそうではありませんでした。


 しかしながら、そういう先生の対応が私にはとてもありがたかったんです。私、本当に本当に正直に言いますと、心の底からなんて喜べていなかったと思うんですね。パニックと言ったら大げさですが、心の整理ができていない状態というか、喜ぶも何も、まだきちんと受け止めきれてないじゃん、みたいな。


 未知なるものへの漠然とした不安が途端に大きく膨らんでしまって。本当にふがいないのですが、そのときに「おめでとうございます!」と祝福されても、笑顔で「ありがとうございます」とこたえられたかどうかわからないと思うのです。だから、E先生の丁寧でいてさらさらーっとした態度が、とてもありがたかったのでした。


 それから一週間。風邪のようなだるさは相変わらずでしたが、それ以外に何か問題が起こることもなく再び受診の日となりました。夫は仕事だったので、私ひとりでの受診です。今回もまた診察の結果は問題なく、とりあえず一安心。


 私は思い切って先生に胸のうちを告白しました。先生が「おめでとう」と言わないでいてくれたおかげで救われたこと。漠然とした不安や衝撃のほうが大きくて喜べていなかったこと。そんな自分がふがいなく、“(お腹の)中の人”にも申し訳なく思っていること。


 先生は一瞬だけ「おやまあ」という表情をした気もしますが、やっぱりいつもの冷静かつ穏やかな表情で言ったんです。


「同じようなかた、意外といらっしゃいますよ?」


ちょっと……いや、かなり驚きでした。


「皆さんそれぞれに、お気持ちやご事情があるわけですから」


先生の冷静さと慎重さ、そして……繊細さ。やっぱりE先生のところを訪れてよかったと思いました。我ながら賢明な判断をしたなぁ、と。


 ところで、理知的で冷静そうな夫ですが、ふたりで病院を訪れた日の夜にこんなことを言っていたんです。


「なんというか……自分はやっぱり、けっこう浮かれているのかもしれない」


私、思わず笑ってしまったんですよね。この人ってやっぱりおもしろいなぁと思って。浮かれている自分を冷静に分析した客観的な評価、みたいな(爆) 浮かれるというのは我を忘れることだと思うのですが、何なんでしょうね(笑)ちょっと照れていたんですかね。


もう一緒に暮らしてずいぶんになるのに、彼の意外な一面を見た気がしたのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る